女装男子、コスプレに目覚める?
山手線を無駄に一周し、向かった先は、都心の池袋。
早々に駅の改札口を抜けた僕は、真っ先に構内の多目的トイレへ。鏡の前で入念にメイクの崩れをチェックし、よし、と頷いてから人の流れに乗ってスクランブル交差点を渡った。
ここ池袋は、毎年十月に行われるハロウィンフェスを筆頭に、数々のイベントが開催される「コスプレの聖地」だ。
これまでの僕は「コスプレは他人がするのを見て楽しむもの」だと割り切っていた。生物学的に「男」である自分が、美少女キャラになるのはムリゲーだし、かといって、イケメンキャラになりきるのも、それはそれでハードルが高い。
だが、今の僕──橙華としてなら、推しヒロインのコスプレも可能じゃね?
そんな新たなる可能性を掴むべく、僕は意気揚々と有名コスプレショップの門を叩いた。
(──おお……これはマジでヤバい……)
店頭で人気アニメキャラの衣装を纏ったマネキンに誘われるがごとく、足を踏み入れた瞬間。思わず感嘆の言葉が漏れそうになる。
予想を遥かに上回るコンテンツの濁流に、ボルテージは一気にマックス状態。
(あ、あれは「マギマド」まりかちゃんの魔法少女ドレス……おっと、あっちには「リスリス」のアキナか! はっ……!)
気がつくと、目を見開き、鼻息を荒くしながら店内を徘徊する僕がいた。
このままだと、周囲の客(ほぼ女性)から変質者扱いされかねない。
コホン、とひとつ咳払いをして、淑女の平静を取り戻す。
ちなみに今日の僕は、アイドル声優の橙華ではない。あくまで「コスプレ好きな女子大生」に偽装中。
女装メイクの上から野暮ったい黒縁メガネと白マスクで完全武装している。身バレの心配はない……はずだ。
それこそ、改めて店内を見渡せば、衣装だけでなく、ピンクやブルーといったカラーウィッグも品揃えが充実している。
僕が被っている偽装黒髪ロングは、事務所の柏木さんが用意してくれた至高の逸品。これと比べれは、安価なものは少しテカりが気になる。……というか、これ、実は結構な値段がするんじゃなかろうか、と今さらながら思った。
それはさておき、これだけのレパートリーがあると、問題は何を基準に選択するかだ。
「ゔぁるれこ」の八城雛月のコスプレを一度試してみたい気もするが、雛月は基本、地味な制服ヒロイン。今の僕が着たら、成人女性がセーラー服を着ただけという、痛々しい構図になりかねない。
それでも雛月愛用の「ツクヨミ(日本刀)」をオプションにつければどうだろうか? いや、明らかに予算オーバーだ。
(となると、やっぱりファンタジー系か。でも露出が多いのは無理。これなんか、ほぼ紐だし……)
色々と目移りしてしまうが、候補をファンタジー系に絞り込み、スレンダー(貧乳)かつ身長一六〇センチ前後の聖女やヒーラー系に狙いを定め、再び採掘。
(……こ、これはもしや、チェル先輩の礼装では!? 大きな襟元で喉仏も隠せるし、ロングスカートで脚のラインも気にならない。これなら僕でも──)
ハンガーに吊るされたシスター服を手に取り、鏡の前で自分の貧相な体に当ててみた、その時。
「──『ムーンプリンセス』のチェルですか、橙華さんにぴったりかもしれませんね」
「っ!?」
不意に背後から声をかけられ、心臓が跳ねた。慌てて背後を振り返ると、そこには……。
「ぁ、ももちゃん……」
「はい、収録以来ですね」
身長一五〇ちょいの小柄な女子高生──現役JKアイドル声優、小倉ももがそこにいた……って、偶然すぎるだろ! しかも一発で僕だって見抜かれるとか、メガネとマスクの意味とは?
そんな彼女は、僕のパーソナルスペースを無視して、グイッと顔を寄せてきた。
「あれから、わたしの親愛なる東雲綾乃センパイとの百合展開は、晴れてトゥルーエンドを迎えたようで。それはそれは、お幸せに……」
「迎えてないけど!?」
「冗談です」
淡々と言いつつも、瞳の奥にどこか闇を感じさせる小倉もも(敬称略)。ここのところ意図して連絡を絶っていたせいか、彼女の脳内での僕と東雲は、本来あり得ない百合エロゲ並みの超展開を突き進んだらしい。
「──それはそうと、ももちゃん。何でこんなところに? もしかしてコスプレが好きとか?」
「いえ特には。わたしは専ら鑑賞組ですね。レイヤーの皆さんは露出狂(個人の偏見です)の美人さんが多いですから、実に目の保養になります」
「あ、さようですか……」
整った目鼻立ちに、健康的な黒髪ショートボブの彼女(顔近っ!)は、聞いてもない自らの性癖をあっけらかんと暴露した。
このJK、見た目こそS級美少女なのに、中身が色々と残念すぎる。
前回は、自分好みのギャルと仲良くなりたいがために自ら白ギャル化していたようだが、今日は至って真面目なJKスタイル。ターゲット(百合の)をギャルから文学少女にでも変えたのだろうか。……まあ、好みは人それぞれだし。
といっても、小倉もも曰く、本命はあくまで東雲だそうだ。未だに彼女のストライクゾーンがよくわからない。
「──ところで、ももちゃん身バレ大丈夫? 見たところ、全然変装してないみたいだけど」
小倉ももといえば、その中身はともかく人気アイドル声優だ。その愛くるしいルックスは、ネットを開けば嫌というほど拝める。特に今は学校指定の制服姿。ファンに見つかれば、一瞬で通っている高校まで特定されかねない。
「そのへんは大丈夫ですね。堂々としていれば意外と気づかれないものです」
「え、そうなの?」
「ですね」
世間とはそんなものなのか? とはいえ、僕は自意識過剰なまでに周りの目が気になるから、アイドル声優の「橙華バレ」以前に、女装バレ、女装バレ、そして女装バレ──。
「それで橙華さん。そのシスター服なんですけど、わたしとしては、ここで買うのはお勧めしません」
「えっ、そうなの? い、いや、僕は……私、別にコスプレしたいとかそんなんじゃなくて……」
「わたしの前で自分を偽るのはやめてください」
「あ、はい。すみません……」
JKに諭されてしまった。
「この安価コーナーに並んでいる衣装は手軽ですが、クオリティはイマイチです。もし『ムーンプリンセス』のチェルを完全に再現したいのであれば、もっと細部まで執着を持つべきです」
「……わ、私はちょっと家で着てみたかっただけ、その……」
「だったら尚更です。自分自身の満足のためだけに、とことんコスプレを極めるべきです」
「そ、そうか。それこそがキャラ愛……」
熱っぽく語られるももちゃんのコスプレ論に、コスプレ大好き女子大生(偽装)の僕は、次第にその気になってくる。彼女の言葉が、まさに正論として胸に響き始めた。
「まずは、そんな薄っぺらい既製品ではなく、本物のシスター服を用意してください。今の時代、ネットを駆使すれば特注も可能です」
「だ、だよね」
「それからアニメの設定に沿って、細部まで完全に衣装を加工してください。その際は、プロの服飾職人に依頼することを推奨します」
「う、うん、そうするよ」
多少の予算オーバーは仕方ない。やるなら完璧に、だ。僕は加工なしの胸を膨らませて頷く。
「そうして完成した衣装を──」
「うんうん、それで?」
「切り裂いてください」
「……は?」
……何を言っているんだ。せっかく完璧に仕上げた衣装を切り裂いちゃ駄目だろ……とか思い、唖然とポカン顔をしてる僕をよそに、現役JKアイドル声優はさらに熱く語り続ける。
「──激しい敵との攻防の末、無様に引き裂かれた乙女の修道服……その『敗北の美学』を再現してこそ、真のレイヤーというもの! ハァハァ……で、ですが、露骨な肌の露出は厳禁です。破れたロングスカートの隙間から、チラリと覗く傷ついた太もも……これこそが至高! ハァハァ、さ、さらにあえて正面ではなく、脇からはみ出る胸の膨らみなんて……もう最高のご褒美です……。ぽわぁーん!」
「わ、分かった、分かったから、ももちゃん一旦落ち着こう?」
「ハァ、ハァ……っ、あ、あとはですね──」
「だぁあっ、もうそれは後で聞くから!」
いつの間にか、店内の客たちの視線が一斉に僕たちに突き刺さっていた。もはや身バレ以前の問題だ。このままだと見かねた店員に不審者認定され、通報されかねない。
僕は、ヒートアップ状態から冷めない彼女の小さな手を無理やり引っ張って、逃げるように店を後にした。
──とまぁ、そんなわけで。
コスプレというのは、決して安易な気持ちでするもんじゃないと、骨の髄まで思い知らされた。それこそ、そこに「キャラ愛」があってこそ成立する修羅の道だ。ある意味では、自分の覚悟の甘さを再認識できた、非常に有意義な一日だった……のかもしれない。
……というか、僕の女装って、そもそもコスプレだよな? だとすれば、今の自分に、「橙華」に対するキャラ愛がどれほどあるのか。
その答えは──限りなく、未知数だ。




