誕生。
『──それではここで「ゔぁるれこ」キャストの皆様に登壇していただきましょう。会場の皆様、どうか拍手でお迎えください!』
都内某所の劇場。
女性司会者さんの合図と共に、舞台裏で控えていた僕ら五人は、眩いスポットライトが待つ壇上へと踏み出した。
「──きゃあぁ、妻夫木さーん!」「ももちゃんサイコー!」「綾姫ぇえー! オレのことを罵ってくれぇええ!」
押し寄せる拍手と、各々の推しの名を叫び。若干、特殊な性癖を感じさせる絶叫も混じっているが、これぞアニメイベントという熱気だ。
本日催されているのは、絶賛放送中の深夜アニメ「ヴァルキリーレコード」──通称「ゔぁるれこ」の声優トークイベント及び最終話の先行上映会。
普通、この手の催しは放送前の宣伝として行われるものだが、放送終了直前にこれほどの規模で開催されるのは異例だ。それだけ、この作品が今期の覇権に迫る勢いを持っている証でもあった。
「「「──橙華ちゃーん!」」」
お、僕への声援も聞こえる。……と思ったら、どこかのガチムチ三人組が野太い声を張り上げながら千切れんばかりに手を振っていた。
嬉しい。嬉しいんだけど、自分のファン層、筋肉率が高すぎやしないか?
営業スマイルを浮かべ手を振りつつ、所定の立ち位置へ。左から、主役の妻夫木渡さん、ヒロイン役の東雲綾乃、小倉もも。そして場違い感が半端ない僕こと橙華を挟んで、最後に麦野総監督の順で並ぶ。
『──それではまず、麦野総監督から一言お願いします』
『キーン、えー……不肖、この私、麦野剛の記念すべき作品であるところの──(以下略)』
ブランドスーツでダンディに決めた監督の挨拶は、驚くほどノーリアクションで流された。
『──続きまして、片瀬慎也役を演じられた妻夫木渡さんです!』
『こんにちは、妻夫木です。今日は忙しいなか足を運んでくれて、本当にありがとう』
「ぎゃあぁああー!」「妻夫木さーん!」「こっち、こっち向いて〜!」「ワタルーん!」
モデル並みの長身に甘いマスク。爽やかスマイルを浮かべてマイクを握った瞬間、会場の空気が物理的に揺れた。客席の女性陣、その八割は妻夫木さん目当てだと思われる。
隣では、麦野総監督が、あからさまに意気消沈して肩を落としていた。ドンマイ。
『──水口穂香役を演じました、東雲綾乃です』
「綾姫ぇええ!」「どうか無様な拙者を罵倒してください!」「あっ、テメェ抜け駆けすんじゃねぇ! オレこそがその美しいおみ足で──」
『そこ、黙りなさい。私の挨拶を聞きたくないのかしら?』
「はっ!」「自分は綾姫の忠実なる下僕であります!」「皆の者、静まれぇええ!」
観客席の一部で謎の儀式が始まったが……まぁ、それは一旦置いといて、今日の東雲は、肩まである黒髪をあえて後ろでタイトに束ね、濃いめのアイシャドウに、鮮やかな赤のリップ。英国のお嬢様風ジャンパースカートにグレーのリボンブラウスという装いだ。いつも以上に令嬢(悪役)している。
それにしても、東雲のやつ、ファンの間では「綾姫」なんて呼ばれてるのか。
普通、こういう毒舌は営業用のキャラ作りであることが多い。だが、こいつに限ってはデフォルト。正真正銘の素なのだから恐ろしい。
『──小倉ももです。皆さん、今日はよろしくお願いします!』
「ももちゃーん!」「お人形さんみたい!」
ファンに媚びる様子のない東雲の隣で、ちょこんとお辞儀をして愛想を振りまいているのは、現役JKアイドル声優の小倉ももだ。
ぱっつん前髪のショートボブに、西洋人形を思わせる愛くるしい顔立ち。ガーリーなチェックのワンピースを着こなす彼女は、国民的アイドルグループのセンターにいてもおかしくない。
やっぱりももちゃんは、いつぞやの派手な白ギャルファッションより、断然こっちの方が似合っている。とはいえ、その可愛らしい外面とは裏腹に、中身は少々「アレ」なのだが。
本人曰く、自分は女子ではなくて「男子」らしい。といっても、いわゆる「男の娘」ではない。生物学的にはれっきとした女性だ。かといって「トランスジェンダー」的な意味合いとも少し違う気がする。
普段の仕草はどこまでも女の子らしいし、思考回路も今どきのJKそのもの。ただ、恋愛対象が「♂」ではなく「♀」なだけの、いわゆる「ガチ百合勢」なのではないかと僕は睨んでいる。
趣味嗜好は人それぞれだし、それ自体は否定しない。アニメやマンガ、ラノベ界隈において「百合」は定番のジャンル。その逆も然り。
だが、その個人的な嗜好の追求に、至ってノーマルな僕を巻き込むのは勘弁してほしい。切実に。
収録の終盤は、ももちゃん演じる役どころの出番が少なかったこともあり、顔を合わせる機会が減っていた。おかげで一時は平和な日々を取り戻しかけていたのだが……。
ここ最近、彼女からのメールが頻繁にくるようになった。
『今度またご飯に行きましょう《《東雲》》センパイを誘って』『遊園地に行きませんか《《東雲》》センパイを誘って』──といった、欲望に忠実でアグレッシブな内容で。
そう。
現役女子高生アイドル声優、小倉ももは、あの社会不適合者……じゃなかった、偉大なる先輩声優である東雲綾乃嬢に、文字通り「ぞっこん(恋愛的な意味で)」だったりする。
人の好みとは、限りなく未知数なのだと、しみじみ思う今日この頃。
『──それでは最後に、八城雛月役を演じられた橙華さん、お願いします!』
おっと、いよいよ僕の番だ。今さらながら、心臓がバクバクと嫌な音を立て始めた。
『あ、はい! 皆さんこんにちは。「ゔぁるれこ」で八城雛月役を演じさせていただきました、橙華です──』
「うおぉおおー、橙華ちゃーん!」「生橙華ちゃん、マジ最高っす!」「押忍! オレは今、猛烈に感動している!」
──例のマッチョ集団の熱い歓声。……というかお前ら、来る場所間違っていない? ここは国立競技場じゃないからね?
「「──橙華ちゃーん!」」
ふいに、野太い声に混じって、他からも予想以上の好意的な声援が響いて、マイクを握る僕の手が自然と震えた。自分のようなネタ枠にも、大勢のファンがいてくれたのだと、改めて突きつけられたから。
実を言えば、今日のイベント出演が決まったとき、僕の頭の中は不安の渦でいっぱいだった。
理由は単純にして、最大の問題。
それは、大勢のファンの目前で、初めて自分の女装姿を晒さなければならないからだ。
ネットの画像や配信とは違い、こういった生イベントは「女装バレ」のリスクが跳ね上がる。
そして、普段通りの地味な女子大生風で呑気に会場入りした僕を、あの腹黒メガネ……もとい、抜け目のない柏木マネージャーが見逃すはずもない。
メイク室で待ち構えていた妙齢の女性スタイリスト──相葉美乃梨さんの手によって、僕は徹底的に魔改造された。プロの技術によるフルメイクを施され、用意されていた外国のお嬢様が着るような上品なワンピースに着せ替えさせられる。
そうして完成したのは、隙のひとつもない完璧な女性アイドル声優としての擬態だった。
『──ほ、本日はお越しいただき……ほ、本当に──』
いざ大勢の観客を前にすると、バレの恐怖で喉が詰まる。
『──ええっと……その、ですね……』
内巻きにセットされたセミロングの黒髪ウィッグ。その毛先を震える指で無意味にいじりながら、僕はあらかじめ用意していたはずの挨拶を言い淀んでしまう。
「──橙華ちゃん、頑張れ!」
その時、客席からの真っ直ぐな声が、僕のモヤモヤとした霧を鮮やかに晴らした。
『(──すぅーっ)』
深く、会場の空気を吸い込む。
『──今日は来てくれて、本当にありがとうございます! 監督をはじめとする制作スタッフ、そして私たちが魂を込めた「ゔぁるれこ」の、有終の美を飾る最終回です! 厳しい抽選を勝ち抜いて集まってくれたファンの皆さんに、どうか最後まで楽しんでほしいと思います!』
「「「「「パチパチパチパチパチパチ──」」」」」
ありふれたスピーチ。それが割れんばかりの拍手で会場を沸かせる。
そして、今この瞬間。
アイドル声優としての自分が、本当の意味で誕生した──のかもしれない。
ふと視線を舞台袖に向けると、柏木マネージャーが満足そうに微笑んでいた。
結局のところ、僕はあの腹黒メガネの手のひらで踊らされているだけかもしれない。
だが、もう。
こうなったらとことんまでやってやろうじゃないか。
誰が何を言おうと──今の僕は、アイドル声優の「橙華」なのだから。




