オーディション③
「──ノエルプロ所属の橙華です。朝霧紅葉役を演じます。よろしくお願いします」
ガラス張りのコントロールルームに向かって深く一礼し、テスト台本を片手に前へ立つ。
『では、始めてください』
カチリ、とマイク横のキューランプが点灯した。同時に、僕は意識を切り替える。
内向的な少女──朝霧紅葉の声を、喉の奥から無理やり絞り出す。
『──好きとか嫌いとか、馬鹿みたい。わたしたちにはもう、未来なんてないのに……』
原作ラノベにおける屈指の名シーン。普段、感情を押し殺している紅葉が、初めて露わにした剥き出しの本音。溜めていた感情を、そっと漏らすように言葉を紡ぐ。
演技を終えた瞬間、スタジオに奇妙な静寂が流れた。
『……えーと、橙華さん……今の台詞は「地声」でお芝居しましたか?』
「は、はい。多少、抑揚を強めてはいますが……」
『しょ、少々、そのままでお待ちください』
防音ガラスの向かうで、音響監督とスタッフたちが顔を寄せ合い、何やら激しく議論を始めた。こちらに声は届かないが、彼らの困惑した表情から察するに、理由は一つ。
(あ、これは完全に僕が男だとバレたな……)
とはいえ、今さら取り繕いようもない。僕は手持ち無沙汰になり、ウイッグの毛先を指でくるくると弄びながら、現実逃避……じゃなくて、その場で待機していると。
『──お、お待たせしました。紅葉役のテストは以上となります』
スピーカーから流れてきたのは、あっけない終了の合図だった。
まあ、こんなもんだろう。
今まで何度も経験してきた不採用の感触。僕は小さく息を吐き、「ありがとうございました」と、マイクから離れようとした。
『キィィイーン──。あ、ちょっと待ってください!』
ハウリング気味の焦った声が僕を引き止める。
『すみません。紅葉役はここまでですが……橙華さん。引き続き別のキャラを演じていただくことは可能ですか?』
「別キャラ……ですか?」
『はい。「佐伯比呂」です。いけますか?』
佐伯比呂。
オーディションのために読み込んだ原作の中では、比較的台詞も多く、ある意味、ストーリーの鍵を握る重要人物。
「……ぜひ、やらせてください」
台本を素早くめくり、比呂の箇所に目を走らせる。練習なしのぶっつけ本番だが、なんとかするしかない。
『では、十五ページの冒頭からお願いします』
「は、はい」
くそっ、やはり練習もナシかよ。
正面モニターのアニメ一枚絵が、黒髪ロングの「朝霧紅葉」から、青髪ショートボブの「佐伯比呂」に変わった。タイプは違えど、どちらも神がかった美少女だ。
とはいっても、これから僕が演じる比呂に関しては、少々複雑なキャラ設定が……でも今は無理矢理でも演るしかない。
『──私は翔太が好き。たとえ、このまま世界が終わってしまっても構わない。だからお願い、最後に──』
日本政府によって隔離された田舎町の高校、極限状態の閉塞感。そんな中で、主人公「藤原翔太」へと、一途に秘められた想いを告げる。
『──私、私と……』
原作における佐伯比呂は、いわゆるサブヒロイン的な立ち位置だ。しかし、その愛くるしいビジュアルも相まって、読者からの人気は高い。
……ちなみに、僕の推しは断然、最強のメインヒロイン、朝霧紅葉なのだが。
『うーん……。もう少し、感情を乗せてもらえますか。では、もう一度最初から』
「あ、はい。すみません」
スピーカーからダメ出しが飛んできた。
いかんいかん、個人の趣味は挟まず、もっと役に集中せねば。
それにしても、オーディションでリテイク(やり直し)が掛かるなんて珍しい。普通なら一回演じて「はい、お疲れ様」で終わるのが関の山だ。わざわざディレクションが入るということは──
──私は翔太のことが好き。……たとえこのまま、世界が終わっても……構わない──
(ここで、一度細かくブレスを……)
だから、お願い……。
私と……、
(今こそ、胸の奥に秘めた感情を、祈るように一気に──)
──っ。……キス、して。
喉の奥が熱い。
目元が滲む。
吐息が震える。
『……は、はい。オッケーです。ありがとうございました。以上でオーディションは終了となります。お疲れ様でした』
「へ……? あ、はい。ありがとうございました……」
役に没入しすぎたせいで、意識が一瞬、どこかに飛んでいた。
僕は乱れた呼吸を整えると、ガラス越しに見えるスタッフたち全員に深々と頭を下げ、防音扉を開けてブースを後にした。
廊下に出て、ようやく一つ大きな息を吐く。
意外と、今回のオーディションは手応えあったかもしれない。本命の「朝霧紅葉」役は絶望的だが、急遽振られた役ならもしかするとワンチャン……。
いや、よくよく考えれば、「佐伯比呂」というヒロイン。見た目こそ可憐な正統派美少女……だが、その正体は……、
《《男の娘》》──
なんだよな。
……まぁ、今は深く考えるのはやめよう。




