アイドル声優の宿命。
──声優がアーティストデビューすることは、今日の業界において珍しくも何ともない。
ごく稀なことだった八〇年代を経て、九〇年代後半からその風潮はじわじわと広がり始め、令和の今となってはもはや必然。それゆえに「アイドル声優」と呼ばれる若手の面々は、キャラクターの声を吹き込むだけではなく、リアルに歌って踊ることも仕事の一環……義務に近いだろう。
つまり。
半ば強引に《《女装》》アイドル声優としてデビューさせられた僕──橙華も、その例外ではなかった、ということだ。
『〜〜〜〜〜〜♪』
そんな現実から逃避すべく……いや、今日の労働帰り、電車に揺られながら、僕はスマホでお気に入りの女性アイドル声優が歌うアニソンをリピートしていた。
本日は女装、なし。
当たり前だ。
あれは仕事限定の制服、もはやコスプレであって、今の僕は黒のダウンジャケットにデニムという、いつもの地味なメンズスタイル。
おかげに周囲の視線にビクつく必要もないし、メイク崩れに怯えることもない。公共の場で堂々と大股を広げて歩ける……ああ、男って最高!
……まぁそれはさておき、実は長年生活の要だった交通整理のバイトを、本日限りでクビになってしまった。最近、本業(声優のお仕事)でシフトをドタキャンしがちだったので覚悟はしていたが、いざお役御免となれば、メンタル的にもエンゲル係数的にもダメージが響く。今はイヤホンから流れる推しの歌声だけが、やさぐれた僕の心を癒やす唯一の救いだった。
(……それはそうと、早く次のバイトを見つけなきゃ……つうか、ホント歌が上手いよな。まさに神曲──)
「──貴方、さっきから顔が気持ち悪いわよ。何一人でニヤついてるのかしら」
駅が近づき、慌ててスマホをカバンにしまった時だった。不意に目の前に出没したのは、派手なロングコートに漆黒のミニスカート。まさに令和の時代に顕現した魔王軍女幹部……的な東雲綾乃が現れた。
……本当、神出鬼没な奴だ。
「え、あ……東雲も今帰りなんだ……今日は仕事?」
「まあ、そんなところよ。私は貴方と違って忙しいの」
「あ、さようでございますか……。それじゃ、僕はここで降りるからお先に──」
ここは無難にやり過ごそうと、タイミング良くドアが開いたので、僕は逃げるように改札口へと急ぐ。けれど、カツカツと不気味なヒール音を響かせ、東雲がすぐ後をついてくる。
「あ、あの……東雲センパイ? なんで僕の後ろを歩いてるんでしょうか」
「そうね、それはきっと貴方の気のせいだわ」
「だ、だよな……。たまたま降りる駅が一緒だった、だけで──」
「──って、部屋の前までガッチリ付いて来てんじゃねーよ!?」
「器が小さいタ◯なし野郎ね。さっさと中に入れなさい。私を凍え死にさせるつもり?」
「仮にもアイドル声優だよね? サラリと下品な言葉を使ってんじゃ──」
とまぁ、東雲のストーカー行為はこの際置いといて、このままアパートの前で言い争っていても近所迷惑だし、仮にここで頑として閉め出したところで、コイツは未だに不法所持してる合鍵を使って勝手に上がり込んでくる──そんな訳で不条理の極みだが……。
「──ああもう、ちょっとそこで待っててくれ、部屋をすぐに片付けるからさ」
「そんなのどうでもいいから早く中に入れなさい。今さら貴方の〝お兄ちゃん大好き〟性癖なんて、心底どうでもいいわ」
「なんでそれを知ってるんだよ!」
って、妹ものエロ本も大事だが、問題はそれだけじゃない。仕事の研究用で買い漁ったファッション誌やメイク道具。あと婦人服一式に、血迷ってネットで取り寄せたゴスロリメイド服も──、
……んで結局、何一つ隠しきれないまま、東雲をアパートの部屋に招き入れることに。
ちなみに時刻は夜の八時過ぎ。
普通、一人暮らしの男の部屋に女性を──たとえこんな奴でも、倫理的にも社会的にも、破滅フラグ的にもマズい気がするが。
「とりあえずお酒とツマミを用意しなさい。そうね。ワインとブルーチーズがいいわ」
そんな高級なもんねぇよ、と心の中でツッコミつつも、逆らうこともなく近くのコンビニに走る。
まぁ、この機会だ。
例の声優ユニットの件、じっくり腰を据えて話し合わないと、いけないし──。
◇
「──ねぇ~ちょっと〜、お酒が空っぽよ〜。さっさと持ってきにゃさぁい」
チーズかまぼこを咥えながらの東雲。普段の格調高い悪役令嬢系ボイスがネコ耳化している。
「あ、はい……」
反射で返事して、心許なくなったコンビニ袋をまさぐる。結構買い込んだはずだが?
「また、安物チューハイにゃの〜? せめてカクテルぐらい用意しにゃさいよ〜」
「うっせいわっ! いつまでも飲んだくれてないで早く帰れよっ!」
「あはっ♪」
(あ、駄目だ……コイツ完全に酔っ払っているよ。目が完全にいっちゃってるし……)
プシュ、ともう何本目か分からない缶のプルタブを開ける東雲を尻目に、僕はあちらこちら散らばった空き缶やらツマミの食いカス、あとテーブルの上に放られた脱ぎたてホヤホヤの黒ストッキングを嫌々ながらも回収する。
パシャパシャパシャ──
「お、おい何スマホで連写してんだ、写真は撮らないって約束だろっ」
「にゃははは──、きゃわいい!」
そのままスマホの画面にグリグリと頬ずりをする東雲。その姿は単なる酔っ払いを通り越して、ただの不審者だ。
ついでに、酔った勢いで着せられたゴスロリメイド服、ニーソックス姿の自分も不審者だけど、それがなにか?
「すぴー、すぴー」
ふと我に返れば、いつの間にか東雲はテーブルに突っ伏して寝ていた。
愛おしくも憎たらしい寝顔で、ご丁寧にヨダレまで垂らしている。よし、さっきのお返しでそのアホ面、スマホで撮影しとこ。
「おい東雲、起きろよ……ったくぅ、結局何しに来たんだよコイツは──」
いくら揺らしても一向に起きようとしない東雲を苦労してベッドに運び、適当に布団を被せておいた。その際むにゅ、っと背中に何か柔らかいものがあたった気がしたけど……そこは不可抗力だ。
そこで、ようやく一息ついた僕は、いそいそとメイド服からジャージに着替えて、丸めた毛布にそのまま寝っ転がる。
「うっ、さみい──」
台所の冷たい床が、とことん肌身にしみた。
◇
東雲との突発的な酒盛りから数日が経ち、東京でも朝からひらひらと初雪が降り注ぐある日のこと。
都内、大きなビルの5階。ガラス張りのオシャレな会議室にて、僕こと橙華(女装)、ポンコツ悪役令嬢の東雲綾乃、腹黒……いや、敏腕マネージャーの柏木さんが集まっていた。
そして、長いテーブルを挟んで向き合うのは、40代くらいの男性が三人。壁一面には、有名アーティストのポスターがずらりと張られている。彼らから渡された名刺には、立派な会社のロゴと、聞き慣れない横文字の役職名。たぶん、この界隈では名の知れた音楽制作会社の人たちなのだろう。
そんな訳で、本日は東雲(と僕)の歌唱デビューについての打ち合わせとなっていた。
契約だとかの面倒な話は、すべて柏木さんに丸投げだ。僕の左隣の東雲は相も変わらず平常運転。仏頂面でそっぽ向いてるし、いつも以上に機嫌が悪い。
かくいう僕も、なんだか落ち着かない。さっきからタブレットを器用に操作しながら話しを進める柏木さんの隣で、愛想笑いを浮かべることしかできない。
「──いや、実際にお会いするまでは半信半疑でしたけど、本当に女性そのものですね」
そんな空気をぶち破るように、突然、僕に話題が振られたので、手に持つコーヒーの紙カップをひっくり返しそうになってしまった。
「いやいやそんな──」
と、思わず赤面しながら、口に出した台詞を言い淀んでしまう。
たしかに今日は、いつも以上にメイクに時間をかけたし、服装も女性らしさを前面に押し出した。だからといって、打ち合わせの席でまで女装する必要があったのか、どうしても納得がいかない。業務命令だから仕方ないけど。
「ええ、橙華さんですよね? 君の場合、元々の声質が中性と言いますか、女性そのものですので、私としてはプロデュースのし甲斐がありますよ」
正面に座る、線の細い壮年の男性──たしか吉田音楽プロデューサー? が、所在なげな僕に満面の笑みを向けてきた。
つうか、それなら最初から、普通に女性アイドル声優を起用すればいいのに。わざわざ僕のような異物をプロデュースしなくても──と、心の中で反発する……が、大人たちのビジネスには、なにかと思惑があるのだろう。それに付き合わされる東雲も気の毒だよな……ゴメン。
「ええっと……どうかよろしくお願いします」
ということで、説明が一通り終わり、周囲に促されるまま何枚か書類にサインをした。詳細は後日改めて、とのことで、この日の打ち合わせはお開きとなった。
(──って、何かトントン拍子で僕のCDデビューが決まったんだけど!?)
そういえば、何かと講釈垂れる東雲が、あんな堅苦しいオーディションみたいな場で、最後まで口を挟まず大人しかったのが意外だった。
……いや、今思えば、それが不気味だよな──。




