第9話 そんなに私って天才⁉
「ほら、着いたぞ」
訪れたのは以前に茉莉と一緒に来たときと同じスタジオだ。
店内に足を踏み入れた俺たちは受付を通り過ぎて、茉莉が予約してくれていた部屋のドアを開けた。
「あ、ヒロ。おはよう」
部屋の中ではカジュアルなシャツを着た茉莉が一人でギターの準備をしていた。
ちなみに今はもう昼過ぎだが、スタジオでは時間帯問わず最初の挨拶は「おはよう」から始まるというルールがある。
茉莉は俺の隣にいる梨々華に気付くと、ギターを置いて小走りで駆け寄ってきた。
「君がヒロの妹? いらっしゃい。よく来てくれたね」
「星ヶ浦中等部三年の宮島梨々華です。よろしくお願いします」
「うん、よろしく。私のことは茉莉って呼んで。敬語はいらないから」
そう言って、いきなり梨々華の手を握る茉莉。
その勢いに若干気圧された梨々華だったが、頬を緩めてペコリと頭を下げる。
と、挨拶を交わし終えたところで、スタジオのドアがガチャっと音を立てた。
「あら? まさかの私が最後?」
お嬢様っぽい厚手のワンピースに身を包んだエミリーが姿を現す。
彼女と会うのは二度目だが今日は私服姿ということもあり、以前見たときよりもかなり大人っぽい印象だった。
梨々華の顔を見たエミリーが愛想の良い笑みを浮かべる。
「そちらがヒロ君の妹さん? はじめまして」
エミリーと向かい合った梨々華が目を見開いたままピタリと固まった。
そして素っ頓狂な声で、
「……エ、エマ・ワトソン⁉」
「は?」
ポカンと口を開くエミリー。
「あ、あ、あの! 私ハリーポッターシリーズの大ファンです!」
「…………」
うん、とりあえず落ち着け妹よ。見間違える気持ちはわかるが、その人はハーマイオニーだった人ではない。
俺は肘で梨々華を腕を小突いて現実に引き戻してやる。
当惑していたエミリーだったが、状況を理解したのか、徐々に顔をほころばせていく。
そしてクスリと笑いながら「私もよ」と言った。
なんだかおかしなご対面になってしまったなと思いつつ梨々華を見ると、今度は物珍しげに部屋の中を見回し始めた。
「すごい。私、バンド練習用のスタジオ来たのはじめて」
スピーカー、アンプ、マイクスタンドと一通りの機材に目を走らせたあと、梨々華の足は自然とドラムセットに向かっていた。
「これ、叩いてもいいですか?」
「もちろん! 好きなだけ」
茉莉がこくこくと高速に頷く。
梨々華は自分のリュックから傷だらけのスティックを二本取り出すと、ドラムセットの前に腰を下ろした。
タカタカタンタンと軽く音を鳴らしながら、ドラムやシンバルの位置と角度を自分の体に合わせていく。
その様子をそわそわと見つめる茉莉とエミリーには目もくれず、梨々華が着々と準備を進めていく。そして――
シャアアアアアーン!
「「「!」」」」
梨々華がシンバルに向けて思い切りスティックを振りかざした。
物静かだったスタジオ内に鋭い音が響き、同時に激しいビートが刻まれ出す。
「ほおおお!」
「凄い! カッコいい!」
予想外の迫力に茉莉とエミリーが興奮をあらわにした。
先輩方の称賛の声にも気づかず、梨々華は夢中でドラムを叩き続ける。
その様子を見た俺は、水を得た魚というのはこういうのを言うんだなと思った。
梨々華の華奢な手に握られたスティックが縦横無尽にドラムの上を跳ね回っていた。
そういえば星ヶ浦の吹奏楽部って関東ではけっこう有名だったっけ。さすが強豪校出身のドラマーという感じだ。
しばらく適当に叩き続けた梨々華が手を休めると、パフォーマンスに釘付けになっていた三人の聴衆か
ら盛大な拍手が送られた。
「えへへっ」
梨々華が照れ笑いのようなはにかみを見せる。親に褒められたときの子供みたいな無邪気さが残る笑顔だった。
すると今度は茉莉がスタンドに置いてあった自分のギターを手に取った。
「ねえ梨々華。せっかくだし次は一緒にやろう。もう一度さっきみたいな感じで自由に叩いてくれる?」
「え? う、うん」
遠慮気味に梨々華がビートを刻み始めると、それに合わせて茉莉が適当にギターを鳴らし始めた。
初対面の二人によるその場合わせのアドリブセッションが始まった。
「……おいおい、マジかよ」
俺は唖然とした。
まるで昔からずっと一緒にやっていたのかと思うくらいにぴったりと息が合っている。
個々人の元のレベルの高さも相まって、それはもう「曲」と呼んでも過言ではないほどのクオリティだった。曲を引っ張っていくような勢いのあるギター。音に輪郭と鼓動を与えるようなドラム。曲のピークに向かうにつれて、二人の演奏にも次第に熱が入っていく。
「二人とも、楽しそうね」
「そうだな」
無心でセッションを続ける茉莉と梨々華を見て、エミリーが微笑みながらつぶやいた。
はじめは緊張していた梨々華の表情も大分柔らかくなっていて、曲の途中でちらほら笑みがこぼれていた。
久しぶりに見る梨々華のはしゃぐ姿に俺の頬も自然と柔らかくなる。
余計なお世話かとも思ったけど、今日の練習会に連れてきてのは正解だったようだ。
躍動感のあるそのセッションはしばらく鳴り続けて、最後は茉莉のかきまわすようなギターの音とともに終わりを迎えた。
「す、す、すばらしいいいい‼」
茉莉が半狂乱気味な声を上げると、梨々華の高らかな笑い声がそれに続いた。
「ホントヤバい! 脳汁止まんない! 茉莉ちゃんギター上手すぎ!」
「え⁈ そ、そんなに⁉」
「うん! マジ上手すぎてプロかと思ったもん!」
「はわわわわわっ!」
梨々華に褒めちぎられた茉莉が頬を真っ赤に染めた。
その顔がなんだがおかしくて、俺とエミリーもつられて笑った。
さて、そんな感じで俺たちはその後も音合わせをしながら初めての練習会を楽しんだ。
そして練習が終わった後、茉莉が梨々華にある相談を持ちかけた。内容はもちろんバンドへの加入について。
その結果についてはわざわざ言うまでもないだろう。