エピローグ
ライブから一週間が経った。
バンド活動がなくなって、これまでの忙しかった日々が嘘だったかのように平穏な日常が戻ってきた。
朝起きて、学校に行って帰宅して。たまに自宅でベースを弾いたり、弾かなかったり。
特に心が波立つこともなくただ淡々と流れていくだけの毎日はとても平和で、それでいてどこか物足りないような気もした。
授業を受けていても、好きだった音楽を聞いていても、どうも集中できていない。
いつも心の奥にぽっかりと穴が開いたような、不思議な感覚だけが残り続けていた。
(どうしちまったんだろうな、俺)
よくよく考えると、これが俺の本来の生活だったはずだ。茉莉たちとバンドを始める前、陰キャな俺にはこれが当たり前の日常だった。それなのに今ではなぜか、心がそんな日々を受け入れられずにいる。
これは面倒くさいことになってしまったなと嘆息しつつ、それでもこの状況を放置するのもよくないと思った俺は、意を決してメッセージを送ることにした。相手はもちろん茉莉だ。
『話がある。会って話したい』
初めて自分から送ったメッセージは随分とそっけなかったが、幸いなことに返信はすぐに来た。
放課後。俺が訪れたのはいつもの練習場所として使っていた南浦和の貸しスタジオ。
本当はバンド練習以外の目的で使うのはよくないのかもしれないけど、茉莉を呼び出すのならここしかないと思った。
誰もいない室内で静かに丸椅子に座っていると、部屋のドアが勢いよく開けられた。
「ごめん、遅れちゃった!」
慌ただしく中に入ってきた茉莉は白い半袖のブラウスと紺色のスカートを着ていた。夏制服姿の彼女に会うのは初めてだった。
俺は部屋の隅に積んであった丸椅子を取り出して茉莉の前に差し出す。
「悪いな。急に呼び出して」
「全然平気」
そう言って茉莉が椅子に座り、膝を突き合わせるようにして俺と向かい合った。
「なんかヒロと会うの久しぶりだね。私たちが最後に会ったのって決勝大会のライブのときだっけ?」
「ああ、そうだな」
「そっかあ。なんだか遠い昔のことみたいな気がするね。懐かしいなあ、ヒロの上裸ベース」
「それは忘れてくれ……」
追憶する茉莉に、俺は乾いた笑みで返す。
あの日のライブは俺にとって一刻も早く消し去ってしまいたい黒歴史だ。いくら気持ちが高ぶっていたとはいえ、あんなに大勢の前で半身裸を晒したなんて、思い返しただけでも死にたくなる。
「そんなことないって。ヒロ、めちゃくちゃカッコよかったよ。優勝はできなかったけど、私にとっては最高の思い出だよ」
「はは……ならよかったけど」
ちなみに俺たちのバンドは決勝大会で敗退した。優勝したのは九州から来た弾き語りの女の子だった気がする。結果発表のときに審査員が色々と講評していたが、当時は精神的にそれどころではなかったので詳しいことはあまり覚えていない。
「で、ヒロの話って?」
「ああ、そうだった」
ここに来た目的を思い出した俺はコホンと一つ咳払いをして、茉莉と目を合わせた。
「昔さ、茉莉の家で二人で話したとき、俺が服脱いでライブをやったら何でも言うことを聞いてくれるって話したの覚えてる?」
「言ったね。うん、覚えてるよ」
俺はホッと息を吐く。
「今日はさ、その『お願い』を言おうと思って呼び出したんだ」
「なるほどね。わかった、いいよ。女にも二言はないからね。約束通りどんなお願いでもいいよ!」
気合を入れるように茉莉が拳を握りしめて、少し上気した顔で見つめてくる。
緊張を隠しきれていないその表情にこっちまでつられてドキドキしてしまう。
俺は背筋をすっと伸ばすと、なるべく真面目な顔を装って大きな瞳を見つめ返した。
「じゃあ、もう一度皆でバンドをやろう」
「……え?」
目を丸くした茉莉が拍子抜けしたように黙り込む。
ここ数日間、俺がずっと考えていた彼女へのお願い。
「梨々華だってまだまだドラムをやりたいだろうし、エミリーだってこの前のライブの結果には満足いってないだろうからさ。それに俺だって、また皆とバンドがやりたい」
もちろんバンドがやりたいというのは心からの本音だ。
だけど、もっと正確に言うと当然それだけではない。
できれば俺は、また茉莉と同じ音を奏でながら、同じ目標に向かって、そしてこれからもずっと二人で同じ景色を見ていたい。
「どうかな?」と訊ねてみたら、黙っていた茉莉がふっと口許を緩ませた。
「なーんだ。ヒロのお願いってそんなことだったの?」
「へ?」
茉莉の顔にじわじわと笑みが広がる。
「私も今のバンドをやめるつもりなんてないよ。というか私、解散するなんて言ったっけ?」
……たしかに言われてみれば解散なんて話は一度もなかった気がする。となると、ただの俺の勘違いだったってことか?
「なんかヒロ、もったいないことしたねえ。せっかく何でも言うこと聞いてあげるつもりだったのに」
「えー、じゃあさっきのはナシで別のお願いを」
「だめー。お願いは一回まで!」
両腕でバツ印を作りながら、茉莉がけらけらと笑っていた。
やれやれ。なんかちょっと損した気もするけど、結果的にはとりあえずよかったと思うべきかな。
俺が安堵の息をもらしていると、茉莉が身を乗り出して俺の手を握ってきた。繋いだ手から伝わる、じんわりとしたぬくもり。
「実はね、今のバンドでこれからやりたいことも色々考えているの。次はもっともっとロックなことに挑戦するつもりだから、ヒロも手伝ってよね!」
もっとロックなことって何だろうか。ちょっと怖い気もするけど、なぜか気になってしまう自分もいる。
「まあ、可能な範囲でな。ちなみに次は何をするつもり?」
「ふふっ、それはね」
得意げな顔で茉莉が言う。
「秘密!」
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