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第32話 約束

「……すごい眺めだ」


 ステージに上がった俺は目の前に広がる景色に思わず息を呑んだ。


 身長ほどの高さがあるステージからは、会場にひしめき合うお客さんたちの様子を一望することができた。彼らの頭上には果てしない青がどこまでも続いている。


 大勢の観客の波の中にこちらに向けて大きく手を振っている夫婦の姿が見えた。両親だ。何となく恥ずかしくて視線を逸らす。


(あ、先生も見てる)


 両親よりもさらに後方で水色のワンピースの女性が静かにステージを見上げていた。一瞬目があったような気がして軽く会釈をする。こんなにたくさん人がいるのになぜかあの人だけは輪郭で縁取られたような不思議な存在感がある気がした。


「皆、準備できた?」


 ステージの中央に立つエミリーがマイクに背を向けながらメンバーに声をかけてくる。その表情はいつもよりも若干強張っていて、大勢の観客を前にした緊張が滲んでいた。


「ドラムはいけます!」

「私もオーケー」


 茉莉と梨々華が合図を返すと、最後にエミリーがこちらに振り向いて目配せしてきた。


 俺も大丈夫、そう言おうとしたとき――偶然ステージの反対側の端にいる茉莉と視線がぶつかった。


 何か言いたげな瞳で俺のことをじっと見つめてくる。


(そんな目しなくても言いたいことはわかってるよ)


 昨晩に比べて茉莉は大分元気を取り戻している。この様子ならきっといつものようなライブができるはずだ。


 でも、それだけでは足りない。


 茉莉が今日この場所でおじいさんに見せたかったライブをするためには、最後にもう一つやらなければいけないことがある。


(まあ、ここまで来たら仕方ないか……どうせ最後さ)


 俺はベースを肩から外してスタンドに立てかけると、身軽になった体で大きく深呼吸した。


 今の俺にとって一番大事なこと――それは、このバンドを最高の形で終わらせることだ。


 そのために今から俺が()()()()()()()()()()()()()


「ヒロ? 何してるの? 時間ないんだから早くしないと」


 急かすように近づいてきたエミリーを無視して、俺は少し汗ばんでいるTシャツの裾に手をかけた。


 そしてそのまま勢いよくたくし上げて――脱衣した。


「ちょっ……、は……?」


 信じられないとばかりに手で顔を覆うエミリーに内心でごめんと謝りながら、俺はシャツをステージ脇に放り投げた。これでもう退路はない。


「おおッ‼」「マジッ⁉」「やべえ‼」


 突然現れた上裸の男に、観客からは驚嘆、感嘆の声が上がった。


 俺は会場からの突き刺さるような視線を浴びながらもう一度ベースを肩にかける。


「あ~あ、ほんとバカだ俺……」


 半ばやけになっていた俺はバクバクとうるさい心臓をごまかすように、ベースのボリュームを最大限に上げて弦を叩いた。ぼおおん、という重低音が会場の熱にあてられた空気を揺らす。


 早くライブを終わらせてここから逃げたい、そんな思いでステージ内を見やると、耳まで赤くして固まっているエミリーとあんぐりと大口を開けてぴくぴくしている梨々華がいた。


 そんな二人の向こう側。ギターを抱えて佇んでいるアイツは――



 ただ、笑っていた。


 口元をニヤつかせて、頬を緩ませて、瞳を躍らせて。


 久しぶりに見たような、なつかしさを感じさせる笑顔だった。


「待たせてごめん。俺も準備できたよ」


 そう告げると、茉莉がギターのボリュームをぐっと上げた。


 次の瞬間、ひたちなか市の空に一筋の閃光のようなギターが響く。


 俺たちのライブが始まった。

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