第30話 予期せぬ観客
「おーい! 起きろおおっ!」
「ん……」
耳障りな叫び声とともにホテルのベッドで目を覚ました俺はすぐに体に違和感を感じた。
なんか、体がすごく重い……それに、やけに息苦しい……?
目を開くと、ベッドの上に立った梨々華が俺の腹に片足を乗せながらこちらを睨んでいた。
「いつまで寝てんの! 遅刻するよ!」
「ぐえっ」
俺の腹にぐりぐりと足の裏を押し付けてくる梨々華。
「わかった。起きるから。とりあえず兄をバスドラムの如く踏みつけるのやめて?」
ふんっと鼻を鳴らしながら、梨々華がベッドから飛び降りる。
ようやく自由を取り戻した俺は鉛のように重たい体をむくりと起こしながら大きく嘆息した。なんとも最悪の目覚めだ。できれば妹の足ではなくエミリーのモニコで起きたかったな。
ベッドから立ち上がると、俺はふらふらと窓へと向かい、閉め切っていたカーテンを勢いよく開けた。白々とした朝日が容赦なく降り注いできて、反射的に目を細める。
「まいったな……」
今日もひたちなかの空は快晴。絶好のライブ日和だった。
ホテルをチェックアウトした俺たちは昨日と同様に国営ひたち海浜公園を訪れた。
スクールズロック決勝大会本番を迎えたこの日、ライブ会場の周辺には朝一にも関わらず既に多くの人の姿があった。
今日この場所には、北海道から沖縄まで全国約十の地域で行われた地区大会の代表が集まっている。日本一の高校生バンドの称号を掴もうと、彼らの顔つきは真剣そのものだ。
昨日のリハーサルのときとは全く違う緊張感に包まれた会場を抜けて、俺たちはステージ裏手に設置された大型の仮設テントへと向かった。
このテントはスタッフやライブ出演者などの控え室になっている。
中に入ると既にそこは大会関係者の姿で溢れていて、荷物置き場として用意されていた長机やパイプ椅子のほとんどは他の人たちの荷物で埋まっていた。
しまったな。もう少し早く来るべきだった。
「あーあー。どこかの誰かさんが寝坊したせいで荷物置く場所がないなー」
「言っておくけど身支度は俺のほうが早かったからな? 出るのが遅れたのはお前のメイクが長すぎ――痛っ!」
梨々華が俺の足を踏みつけてきた。
「今日がライブでよかったね。ヒールだったらこんなんじゃないよ?」
「いや、スニーカーでも十分痛いんですけど?」
「フッ、ドラマーの脚力をなめたらあかんよ」
俺たちの不毛なやりとりを見ていたエミリーが呆れ顔で横から口をはさんでくる。
「君たち、ライブ前に兄妹喧嘩はやめなさい。ほら、あのあたりとか空いてそうじゃない?」
エミリーが指差す方向に歩いていくと、たしかにまだ誰にも使われていない長机とパイプ椅子を発見した。エミリーの視野の広さに感謝しつつ、荷物と機材を下ろす。
身軽になった俺は一息ついてから、改めて他の出演者たちの様子を窺ってみた。
黙々とギターの練習をしている人。イヤホンを耳に詰めてリラックスしようとしている人。緊張をほぐすようにメンバー同士でおしゃべりしている人。
これから始まる大勝負を前にして、どことなく張りつめた空気が流れていた。
そんな中、どこか気の抜けた顔が一人。
「茉莉、いよいよだな」
思わず声をかけると、茉莉がこちらを覗き込んできた。
「ヒロ、もしかして寝不足?」
「え、なんで?」
「なんとなく。いつにも増して覇気がないから」
「……大丈夫だよ」
正直、昨日は濃厚な一日だったし、昨晩もエミリーに連れ出されて思わぬ夜更かしをしてしまったので若干疲れ気味なのは否めない。最後まで気を抜かないようにしないと。
両手で自分の頬をパンとはたくと、今度は梨々華が話しかけてきた。
「お母さんたち、ひたち海浜公園着いたって。なんか間違って別のゲートから入っちゃったみたい。迷ってるからどっちか迎えにきて欲しいって」
スマホのメッセージ画面を見せながら梨々華が言う。
そういえばうちの両親、どっちも方向音痴だったな。
「あー、それなら俺が行ってくるよ」
「ほんと? じゃあヒロが行くって返事しとく」
少し歩きたい気分だった俺は一人で控え室のテントを後にした。
外に出ると、マイクやアンプなどの機材のサウンドチェックの音が聞こえてきた。
俺はステージ前まで歩みを進めて、一度そこで足を止める。
観客用の観賞エリアから見上げるステージは壮大で、どこまでも広がる青空の下、まさに晴れ舞台という言葉が相応しい場所だった。
あたりを見渡すと、ライブのお客さんと思われる人の姿も増えてきている。こんなに早くから駆けつけているこの人たちはきっと出演者の家族や知り合いなのだろう。
(……ここに茉莉のじいさんがいたらな……)
気付けば俺は、開演を待つお客さんたちの中に、会ったこともない茉莉の祖父の姿を探そうとしていた。
無意味なことだとわかっていても考えてしまうあたり、自分でもどうかしてると思う。
だけど、もし仮にその人が今ここにいたら、茉莉は一体どんな顔で彼を迎えようとしたのだろうか。
「少年、思い詰めたような顔をしているね」
「!」
聞き馴染みのある澄んだ声に、俺はハッと我に返る。
隣にはまるで最初からそこにいたかのように平然と佇む一人の女性。
「毒島先生⁉」
教室で見る時とは違う、透明感のある水色のワンピース姿の先生は別人のようだった。
普段はしている眼鏡もかけていないからよりそのように思ったのかもしれない。
「な、なんで先生がここに?」
「あら、顧問が部員の試合を見に来ることがそんなにおかしい?」
「あ、いえ……すみません」
「そういうときは、ありがとうって言うといいわ」
「……ありがとうございます」
「はい。どういたしまして」
女神のような微笑みが向けられる。
たまらなくなった俺は前方のステージに視線を戻した。
ステージ上ではライブの準備に追われているスタッフたちが相変わらず忙しなく動き回っていた。
「バンドの調子はどう?」
いつもと同じ落ち着いた口調で聞いてくる。俺は返事に困った。
「正直、あまり芳しくないですね」
「そう」
先生はそれ以上何も言わなかった。
俺が今の状況をどう説明しようか悩んでいることを察して、わざと聞かないでくれているようにも思えた。この人の瞳は俺の心中なんてきっと簡単に見透かしてしまうのだ。だから、俺が今ライブに集中できていないことも、そんな自分を情けなく思っていることも、たぶん全部バレている。
「なんかすみません、せっかく来ていただいたのに」
そうもらすと、先生の目がわずかに見開かれた。けどすぐにいつもの柔らかな笑みに戻って俺を見つめる。
「それじゃあ、がんばっている宮島君に最後に一つアドバイス」
「アドバイス?」
改まった雰囲気の先生に俺はドキッとした。自然と背筋がピンと伸びる。
「上手くやろうとか、結果を残そうとか、難しいことは考えなくていいわ。あなたが今、一番大事だと思うことを思い切りやりなさい」
「一番大事と思うこと、ですか?」
「ええ。ロックというのはどこまでも自由なのよ」
笑みを深めた先生がこくりと頷く。
そして、呆然としている俺の耳元に唇を近づけて、
「Good luck」
風のようにささやくと、固まっている俺に流し目を送りながら静かにその場を去っていった。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます!
この小説は残り3話で完結です。最後までお付き合いいただけたら幸いです。




