第3話 バンドやろうよ
「ごめんごめん! 学校に忘れ物して遅れちゃった」
顔の前で手を合わせる制服姿の少女。
彼女の名は上倉茉莉。星ヶ浦女学院高等部の一年生。
前髪を揃えたナチュラルな黒髪ショート。大きな黒い瞳と整えられた凛々しい太眉は大和撫子というべきか。
紺色のブレザーと膝下まで伸びたスカートという至って真面目な学生姿は星百合祭のときのふざけた容姿とは遠くかけ離れている。
本当にあのときの女の子なのか? 声を聞かなければ同一人物か疑わしいくらいだ。
「ヒロ、どうかした?」
「ふぇっ?」
なぜか当たり前のようにヒロと呼ばれて、間抜けな声が出た。
こくりと首を傾げて目を瞬かせる上倉さん。なんか小動物みたいだ。
「ううん、何でもないよ。ただ上倉さん、この前と別人みたいだなって」
「ふふっ、驚いた? あと私のことは茉莉って呼んで」
「あ、うん」
いきなり下の名前で呼び合うとか、ちょっと馴れ馴れしくて苦手だ。でも嫌だって言うわけにもいかないしな。
なんて考えていると、上倉さんが身を翻して一人で西出口の方へと歩き出した。俺も慌てて後を追う。
「ねえ、どこ行くの?」
「秘密。私の行きつけの店だよ。着いてからのお楽しみ!」
……飲み屋にでも連れて行かれるのだろうか。
俺は警戒の色を強めながら、無言で微笑む彼女の半歩後ろを付いていく。
駅から歩くこと約五分。ひっそりとした路地裏の小さなビルの前で上倉さんが足を止めた。
「着いたよ。ここ」
少し古びた看板に目をやると、そこには『スタジオガレージ南浦和店』という文字。
「ここって、バンド練習用の貸しスタジオ?」
「そうそう。私はいつもここで練習してるんだ。安いし、学割もあってお得なの」
なるほど、それで「行きつけの店」ね。しかしなぜ俺をスタジオに連れてきたんだ?
疑問を浮かべながら店に入ると、上倉さんが慣れた手つきで受付を済ませて、俺たちはそのまま店の一番奥にある個室に入った。
六畳一間くらいのこじんまりとしたスタジオ内にはドラムセットやギターアンプなどが所狭しと並べられていた。
「適当に座って」
ギターを下ろした上倉さんが近くにあった丸椅子を二つ手に取って片方を俺の前に差し出した。
俺は鞄を足元に置いて椅子に腰かけると、同じようにして差し向かいで座る上倉さんに訊ねる。
「今日は何か話があるんじゃなかったの? どうしてスタジオ?」
「まあカフェとかでもよかったけど、やっぱりバンドの話をするならスタジオが一番いいかなって。曲についても話したかったし」
バンドの話? 曲?
まだ状況が掴めていない俺に上倉さんが身を乗り出しながら聞いてきた。
「ヒロはさ、スクールズロックって知ってる?」
「スクールズロック?」
あまりに突然過ぎて思わずオウム返しになる。
上倉さんはうんと頷くと、得意気な声でこう言った。
「全国高校生アマチュアバンド選手権だよ」
「へー、そんなのあるんだ」
「うん。年明けから全国各地で地区大会が始まって、春の連休明けに茨城県ひたちなか市で決勝大会があるの」
高校生バンドの全国大会みたいなやつかな?
たしかに言われてみれば、野球部に甲子園があり、サッカー部に全国高校サッカー選手権があるように軽音部にだって同様の大会があってもおかしな話ではない。とはいえ、そのような大会の存在を認知している人はかなり少数派だろう。漫画やアニメでよく見る軽音部のピークはいつだって文化祭ライブと決まっている。世の中のほとんどの人は高校軽音部にも大会があるなんて想像すらしないはずだ。
「はじめて聞いたよ。で、そのスクールズロックがどうしたの?」
俺の問いに、上倉さんは真面目な顔で背筋を伸ばした。
「うん。まず今日は私たちのバンドの方向性について確認しておきたくて」
「……?」
あれ、今なんか、会話がかみ合わなくなった気がしたけど気のせいか?
「やっぱり決勝大会を目指すとなると、中途半端なバンドではまず勝てないからね」
「…………」
「予選まで時間もないし、後から方向性の違いで揉めるとか避けたいから」
真剣な口調で話し続ける上倉さん。
どうやらスクールズロックとやらにエントリーするつもりらしい。
ただ気になるのはなぜそれを他人の俺に話してくるのかということだ。なんだが俺の見えないところで勝手に話が進められている気がする。
俺は両手を体の前に出して一旦話を遮った。
「ちょっと待って。私たちのバンドって何?」
「そんなの決まってるでしょ。君と私」
当たり前と言いたげな顔で上倉さんが俺と自分を交互に指さす。
うん、まあ、ですよね……。今ここには俺たちしかいないし、何となくその答えは予想してたけどさ……。
「あのー、俺、君とバンド組んだ覚えないんだけど? 人違いじゃないかな?」
「ちなみに私がギターでヒロはベースね。ボーカルとドラムはこれから探すから」
俺の質問どこいった。しかもなんか勝手に担当パートまで決められたし。
なんてマイペースな奴なんだと唖然としていると、上倉さんが「ね!」とにこやかに微笑んだ。
その屈託のない笑顔から俺は思わず視線を逸らす。
(まあ、バンドをやること自体は別に嫌ではないけど……)
母がピアノが趣味、父が元バンドマンという家庭で育った俺にとって、音楽は身近な存在だった。昔は俺もピアノを習ったり、父が使わなくなった古い楽器を借りてよく遊んでいたものだ。そういう背景もあって、高校入学当初は軽音部に所属していた時期もある。結局、部の雰囲気に馴染めずに一度もバンドを組むことなくすぐにやめてしまったが。
かつて興味を持ったバンドをやってみる機会が来たと考えれば、上倉さんの誘いもそう悪い話ではない気がした。
「ちなみに、どんなバンドをやるつもり?」
「!」
聞くと、待ってましたと言わんばかりに上倉さんが瞳を輝かせた。
「それはもう決まっててね。ズバリ言うと、ハードロックをやるつもり。壮大で情熱的でカリスマ的な超カッコいいバンドを作るの! 例えるならば、全盛期のレッド・ツェッペリンみたいな感じね」
「ほ、ほお……」
具体的にどんなバンドになるのか全然わからなかったけど勢いだけは凄いな。こんな溌溂とした子のバンドメンバーが俺に務まるだろうか。
不安に思っていると、上倉さんがギターを取り出して「例えばこんな感じ」と適当にいくつかの曲を弾き始めた。どれも聞いたことがない曲だったが、上倉さんのギターは相変わらず上手くて聞きごたえがあった。
「どう? やれそう?」
演奏を終えてギターを置いた上倉さんが期待のこもった目で俺を見つめてくる。
「うーん。正直、ほとんど知らないジャンルだけど、できないことはないかなぁ」
「ホント⁉」
上倉さんが椅子から勢いよく立ち上がり、俺の手を握った。ぎょっとした俺は思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「ありがとうヒロ! これからよろしく!」
「い、いや」
まだやるとは言ってないんだけどと思いつつ、初めて握った女の子の手の柔らかさにびっくりして口がうまく動かない。季節はもう冬だというのに俺の手のひらにはわずかに汗が滲んでいた。
「あ、あの、上倉さん?」
「だから茉莉でいいって」
ニコニコと笑いながらなぜか俺の手を離してくれない上倉さん。顔も近いし、なんかいい匂いがするんだけど。
高鳴る心臓を抑えつつ、俺はずっと疑問に思っていたことを口に出した。
「そもそも、どうして俺なの? バンドだったら部活の友達とでも組めるのでは?」
「うちの部活、ギター部だからベースとドラムはいないんだ。それにさ、ヒロは私の曲を褒めてくれたでしょ? だから私は、ヒロがいい」
「そ、そうなの?」
上倉さんほどギターが上手ければ誰からだって褒められると思うけど。別に俺が特別に見る目があるわけではない。
だけど、上倉さんの「ヒロがいい」という言葉を聞いたとき、不覚にも胸の奥が少しだけ動いた気がした。
その言葉に深い意味などないとはわかっている。たぶん彼女にとっては「高校生活の思い出作りのための一時のバンド仲間としてはヒロがいい」くらいの感覚だろう。
でも俺にとっては、誰かにこんなことを言われたのは初めてだった。
地味だし、スポーツも苦手な俺は、これまで学校で誰かから必要とされることなんてなかったから。
『お前はもっと自信を持て』
ふと漆畑の言葉が頭に浮かぶ。
まあ、どうせ暇だし、スクールズロックが終わるまでの数カ月くらいなら付き合ってもいいかもしれない。
「わかった、やるよ。ベース弾くだけなら練習すれば何とかなりそうだし」
「うん! ベースの練習だけではないかもだけど」
「え? なに?」
「ううん、なんでもなーい。あ、そろそろ出よっか。今日のスタジオ代はもちろん私のおごりだから」
ようやく握っていた手を放して、上倉さんがいそいそと帰り支度を始める。
なんか最後のほう、ちょっと様子が変だった気がしたけど気のせいかな?
「そういえばさ」
スタジオからの帰り道。茉莉と肩を並べて歩いている途中、俺はひとつ気になったことを思い出した。
「どうして俺は最初からベースって決まってたの?」
「んー、初めて会った時に何となくベースっぽい顔だなーって思って」
「そうですか……」
どうせ俺はベースっぽい男ですよ。