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第29話 思い出の曲

 イギリスにいた私が日本の学校に通うことになったのは今から約四年前、ちょうど中学生になった年だった。


 父親の仕事の都合による急な海外への転出。元々いずれ日本に行くことになると親から言われていた私はそこまで驚かなかった。


 日本人の母から教わった日本語も現地の子たちと遜色ないと言われている。きっとすぐに新しい生活にも馴染めるだろう。


 その考えが甘かったと知ることになったのは、星ヶ浦の中等部に通い出した頃だ。


(見て、すっごいきれいな子だね)

(本当ね。お人形さんみたい)

(ずっとイギリスにいたんだって。何の話をすればいいのかな?)


 まあつまり、私は周囲から浮いていた。


 髪の色も、瞳の色も違う私は、彼女たちから見ればいわゆる『外人』だったのだ。


 もちろん、あからさまに仲間外れにされたりしたわけではない。星ヶ浦の生徒は皆良い子ばかりで、遠いところから来た私のことをやさしく気にかけてくれた。


 だけど、同い年の子たちから明らかに気遣われている自分が何となく情けないように思えて、一人で悔しい思いをしていたことは誰にも言えなかった。


「エミリーちゃん、今度クラスの皆でカラオケに行こうと思うんだけど、エミリーちゃんもよかったら行かない?」


 ある日のこと。クラスの中心だったグループの女の子が話しかけてきた。


 日本の曲なんてひとつも知らない私にとってはあまり乗り気な話ではないけど、さすがに断るわけにはいかないと思った。彼女たちの好意を無駄にしたくないし、クラスのイベントに私だけいなかったら同級生たちもきっと気にする。私は他の子たちよりも、良くも悪くも目立ってしまうのだから。


「誘ってくれてありがとう。私も行くね」




 当日、クラスカラオケは予想以上に盛り上がっていた。


 流行りの曲をグループで一緒に歌ったり、皆の前に出てダンスを披露する子までいた。


 当然私は何もわからずに、歌に合わせて適当に手をふったり、無理やりに笑ったりするだけだったけど。


「……いいなあ、皆楽しそう」


 そう思ったら、ふと私はイギリスにいた頃の友人のことを思い出していた。


 あの頃の友人たちは今何をしているのだろう。こんな風に皆で楽しく遊んでいるのかな?


 ――帰りたい。


 日本に来てから、初めてイギリスに戻りたいと思った。


 急に目の奥が急に熱くなる。落ち着け。こんなところで泣いたりしたら、私のせいで彼女たちのイベントが台無しになってしまう。


 とにかく早くこの時間が終わって欲しい。ただひたすらに、心の中でそう願い続けた。


「そろそろ終わりの時間だねー。次の曲で最後になるけど、皆何がいい?」


 幹事だった子が全員に問いかける。


 やっと解放されるんだと、内心ほっとしていた――そのときだった。


「あの! 私、最後に歌いたい」


 意外な人物がトリを名乗り出てきて、クラスの視線が一気に彼女に集まった。


「上倉さん? たしかに上倉さん全然歌ってなかったもんね。うん、いいよ。好きな曲どうぞ」

「ありがとう」


 私と同じようにこれまでずっと隅の方で大人しくしていた上倉さんが急に歌いたいと言い出したから驚いた。


 だけどもっとびっくりしたのは彼女が選んだ曲が流れ出したときだった。


「……え? これ……ビートルズ?」


 上倉さんが歌い出したのは、イギリスの国民的バンド「ザ・ビートルズ」の曲だ。世界的に有名なバンドだが、活動していたのはかなり昔だから今の中学生で知っている人はイギリス出身の私を除けばほとんどいないだろう。


 実際周りの子たちは「なにこれ?」「何の曲?」「洋楽?」みたいにポカンとしている。

そしてさらに皆を戸惑わせたのは、上倉さんの歌が控え目に言ってもド下手だったということだ。音程はズレてるし、英語もまともに発音できていないから歌詞に全く追い付いていない。クラスメイトたちもどんな反応をすればいいのかわからず、困った顔を浮かべている。


 上倉さんの歌はクラスカラオケの締めにはふさわしくない、完全に場違いな歌であることは誰の目から見ても明らかだった。


 ――それなのに。


 気付いたら私は、一緒に歌っていた。


 昔イギリスにいた頃、友達と何度も歌った思い出の曲。


 その曲を小さく口ずさむだけで、沈みかけていた心が少しだけ軽くなったような気がした。


 今までとりわけ音楽が好きだったというわけではないけれど、このときばかりは音楽には不思議な力があるのかもしれないと本気で思った。


「あ、ありがとう上倉さん。じゃあ皆、時間が来たからもう出よっか」


 曲が終わると、すぐに幹事の子が退室の準備を促してきた。


 部屋から出て会計を済ませた後、私は思い切って上倉さんに訊ねてみた。


「ねえ、なんでさっきビートルズなんて歌ったの? もしかして、私が退屈そうにしているのを気遣ってくれた?」


 上倉さんは大きな瞳を一瞬きょとんとさせたが、すぐに口元をにんまりと緩ませた。


「最近じいちゃんに教えてもらったの。ビートルズは世界一のバンドだって。聞き出したら私もハマっちゃった」


 彼女があまりにも嬉しそうに話すものだから、私は拍子抜けしてしまった。


「ねえねえ、もしかして君もビートルズのファン?」

「え? ま、まあ、もちろん大好きよ」

「そっかそっかー。それじゃあ次は一緒に歌おーよ」


 そう言って上倉さんが私の手を握ってぶんぶんと振ってくるから、私は少し反応に困った。


「あ、でも私英語が全然ダメだからできれば君に歌って欲しいかも。そうだ! 君が歌って、私がギターとかどう? 楽しそうじゃない?」

「そ、そうね。上倉さんはギターが弾けるの?」


 聞き返すと、上倉さんはへへっと可愛らしい微笑みを見せた。


「実は今ギターの練習してるんだ。上手く弾けるようになったら声かけるからさ、そのときはコラボしよ。約束だよ?」


 それが上倉さんとの初めての会話だった。


 だから、その三年後の星百合祭の後、茉莉から「バンドをやるからボーカルをやって欲しい」と言われたときは本当にびっくりした。まさかあのときの約束を彼女がまだ覚えていたなんて。


「えっと、ほ、本当に私でいいのかしら?」

「うん。私にとってすごく大事なバンドだから、ボーカルはエミがいい」


 正直、バンドのボーカルなんて興味はなかったけど断るつもりは全くなかった。他のメンバーが他校の男の子と聞いたときはちょっとためらったけど、それでも私は茉莉とバンドをやってみたいと思った。いや違う、やらなければいけない。


 だって私はまだ、あの日私を救ってくれた、あのヘタクソなビートルズのお礼をしていないのだから。



 ◇◇◇



「……と、こんな感じね」


 話し終えたエミリーが一息ついて、買っておいたミネラルウォータ―のペットボトルに口をつける。その横顔は少し恥ずかしそうで、だけど心なしか誇らしげにも見えた。


「話してくれてありがとう。二人の間にそんなことがあったんだね」

「この話は茉莉には内緒だからね?」


 話を聞いている途中、当時のエミリーの孤独感を想像してしまい胸がきゅっとなる場面もあったけど、最終的に茉莉がいてくれて本当によかったと思った。


 それにしてもアイツ、クラスカラオケの最後に誰も知らない洋楽を独唱するなんて、メンタル強すぎだろ。


「なんか茉莉って、昔からあんまり変わってない気がする」

「あははっ、そうかもね。でも、それがあの子のいいところなのよ」


 いつも不器用なほどまっすぐで、時に強引で。それなのになぜか憎めなくて、ばかげているって思ってもなぜか一緒に付いていきたくなってしまう。そしてその結果俺は今、遠い海の向こうから来た女の子と一緒に見知らぬ夜空を眺めている。


「で、そっちはどうなのよ。ヒロはなんでバンドやろうと思ったの?」

「え? 俺はまあ、ほら、色々だよ」


 適当にはぐらかしたら、エミリーがやけに納得したような顔で含み笑いを浮かべてきた。


「そうね。野暮なこと聞いちゃったわ。そういえば元々このバンドはヒロの下心から始まったんだったっけ」

「いやそれ完全に誤解だから。何なら今から真相をすべて話そうか?」

「あー、なんか私眠くなってきちゃった。そろそろ部屋戻ろっかな」

「あれ、俺の話を聞いてくれる時間はないの?」

「うん。ないね」


 やれやれ。茉莉といいエミリーといい、女の子ってなんてマイペースなんだ。


 エミリーがベンチから立ち上がると、肩越しに俺を見ながら舌を出しておどけて見せた。


 月明かりに照らされた彼女はため息が出るくらいに美しかった。

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