第28話 月夜の密会
シャワーを浴びて部屋に戻ると既に電気が消えていた。
もう梨々華は寝たのだろうか。普段は夜遅くまで起きているくせに、こういう日はちゃんと早くベッドに入るあたり、そつない奴だなと思う。
俺は音を立てないように気を付けながら、自分のベッドの端に腰かけた。
一息ついて耳を澄ますと、隣からすうすうと寝息が聞こえてきた。
そういえば、こうやって兄妹で同じ部屋で寝るなんて何年ぶりだろう。昔は家族皆で一緒に寝てた時期もあったっけ。
ぼんやりとしながら枕元の電子時計を見やると、日付が変わるまでもう少し時間がありそうだった。
喉の渇きを覚えた俺は何か冷たい飲み物でも買いに行こうとベッドから立ち上がった。
たしかエレベータ前に自販機があったはず。財布と鍵だけ持って、そっと部屋から出る。
誰もいない内廊下は静まり返っていて、まっすぐに伸びた絨毯の床が柔らかな照明に照らされていた。
突き当たりにあるエレベータホールに着くと、自販機前に先客がいることに気付く。
思わず足を止めると、何となくその後ろ姿に見覚えがあるような気がした。
「……エミリー?」
「! ……ヒロ君?」
しなやかな金色の長髪をなびかせながらエミリーがこちらに振り返る。
彼女も寝る前なのだろうか、お嬢様っぽい白いワンピースのパジャマの上から桃色のカーディガンを羽織っていた。ホテルの館内とはいえ、そんな無防備な格好で出歩いていいのか。
「びっくりしたー。いきなり背後から現れるんだもん」
「そんな幽霊みたいな。まあたしかに俺、存在感ないほうだけど」
「別にそういう意味で言ったんじゃないんだけど」
ふっと微笑みながら、エミリーが歩み寄ってくる。
彼女のひらひらとした寝間着姿がやけに色っぽくて、俺は視線を泳がせる。
「こんなところで会うなんて奇遇ね。ヒロ君たちの部屋はまだ起きてるの?」
「いや、梨々華はもう寝てるよ。俺はちょっと喉が渇いちゃって」
「あら、じゃあうちの部屋と全く同じ状況ね」
「ふーん。ということは茉莉はもう寝てるの?」
「うん。もうベッドでぐっすり」
「そっか」
俺は安堵した。
もし茉莉が部屋に帰ってからも落ち込んだまま寝付けないようだったらどうしようかと思っていたが、どうやら無事に眠りについたらしい。
きっと心身ともに疲れていたのだろう。さすがに昨日の今日で気持ちの整理がつくとは思えないけど、一晩寝て少しでも落ち着くといいんだけど。
考え込んでいると、急に風呂上がりのシャンプーの香りが鼻を掠めた。気づいたら、エミリーがしみじみとした目で俺の顔を覗き込んでいた。
「な、なに?」
後退る俺に追い打ちをかけるように、エミリーが言う。
「ヒロ君ってさ、茉莉のこと好きでしょ」
「っ⁈ なっ……は……へ⁉」
急にどうした⁉ ここでいきなり恋バナとか、さすがに話が飛躍し過ぎだ。
俺が一人でたじろいでいると、エミリーが我慢できないといった顔でクスクスと笑いだした。
「ごめんなさい。別にからかおうとしたわけじゃないの。ただちょっとだけ、羨ましいなって思って」
……羨ましい? 一体何に対してそう言っているんだ。それを聞いてもいいのかさえも、俺にはわからない。
「ええと、ご期待に沿えずに申し訳ないけど、別にそんなんじゃないよ。俺と茉莉はただバンド仲間ってだけで、つまりは普通の友達だから」
「ふーん、友達ねえ」
物言いたげな目で見つめてくるエミリー。なんなんだ。どうして俺は飲み物を買いにきただけなのにこんなにも追い込まれているんだ。
シャワーを浴びたばかりの体に再びじんわりと汗が滲む。
頭をぼりぼりと搔きながら会話の終着点を探していると、エミリーが何かを思いついたような声で言った。
「だったらさ、ちょっと今から私に付き合ってよ」
「え? 今から?」
こんな時間に付き合えって……何するつもりなんだ?
顔をしかめる俺に、エミリーがわざとらしい笑みを見せる。
「いいでしょ。だって私たち、友達なんだから」
◇◇◇
自販機で飲み物を買った俺たちはエレベータで一階に下りてロビーに来た。
さすがにこんな時間なのでフロント周りやラウンジには人影はない。
別に悪いことをしているわけではないけど、何となく人目を盗んでいるみたいでちょっとドキドキする。
ひっそりとしたロビーを抜けて、俺たちはホテルの裏口から外に出た。
エミリーの話によると、このホテルは裏庭庭園に結婚式場を併設しているようで、地元ではガーデンウェディングができる会場としても有名らしい。
庭園へと続く薄暗い石畳の道を、月明かりを頼りにエミリーと肩を並べて歩く。
あたりはすっかり寝静まっていて、二人の足音だけが妙に響いていた。
なんか深夜のテンションでここまで来ちゃったけど、冷静に考えるとすごい状況だ。
緊張を紛らわすように、俺は夜空を見上げる。
「星は、見えないんだな」
「きっと海が近いせいね。水蒸気が多いと空気が霞んでしまうの。星が見たいのなら山に行ったほうがいいわ。空気が澄んでいるから」
「へえ、そうなんだ」
思ったよりも真面目な返事が来て会話が終わる。
そのまま黙って道沿いに進むと、程なくして開けた場所に辿り着いた。
背の高い木々で覆われたその広場は、まるでおとぎ話に出てくる森のような不思議な雰囲気に包まれていた。
その中心に、静かに佇む建物が一つ。
「あったわ」
エミリーが思わず息を呑む。その視線の先にあるのはお城のような風格のチャペルだ。
中世ヨーロッパを思わせるその壮麗な景観は、彼女の黄金色の髪と青い瞳によく似合っていた。
俺の脳内にはドレスを着たエミリーがチャペルの中を優雅に歩く姿が自然と浮かび上がっていた。真っ白なドレスをなびかせているその様は、まるで映画のワンシーンみたいで――
「……綺麗だ」
無意識にこぼした俺の言葉に、エミリーが「へえ」と顔をこちらに向けてくる。
「意外。ヒロ君もこういうの好きなんだ」
「へ? あ、いや」
「男の子って、チャペルとか興味ないと思ってた」
……チャペル? ああ、なるほど。そっちね。
「う、うん。なんか幻想的で綺麗だなって思って」
「そうね」
穏やかに微笑むエミリー。何とかごまかせたようだ。
一人で胸を撫で下ろしていると、エミリーが近くにあったベンチに腰を下ろした。俺もその後に続き、一人分のスペースを開けて隣に腰かける。
何となく座ったはいいが、話すことがなくなってしまい、再び静寂の世界が訪れた。
手持ち無沙汰になった俺は、さっき自販機で買ったペットボトルのお茶を一口飲む。
涼やかな夜風が心地よい。ずっとこんな穏やかな時間が続けばいいのに。
そのままぼんやりしていると、横からささやくような声が聞こえてきた。
「ねえ、せっかくだから、黙ってないで何かお話してよ」
「え?」
「何でもいいから、面白い話して」
……マジか。
いきなりそんな無茶ぶりされて話題がぱっと出てくれば苦労はしない。
というか、俺がそういうのが苦手なことをわかってるくせして聞いてくるあたり、相変わらずおちょくっているんだから。
期待のこもった視線を注いでくるエミリーを横目に、俺はうーんと唸りながら何とか話をひねり出した。
「じゃあ、どうしてエミリーがこのバンドをやろうと思ったのか、聞きたい」
「……私が話してって言ったのに、私に話させようとするのズルくない?」
「いいじゃん。そっちが何でもいいって言ったんだから。話題出しただけでも褒めてよ」
まあいっか、と言いながらエミリーが口元をほころばせる。
チャペルの方に顔を向け直し、少し考える素振りを見せてからエミリーがおもむろに口を開いた。
「私がバンドをやろうと思ったのは一言で言うなら、茉莉に借りを返すため、かな」
「借り?」
「そう。これは私が初めて日本に来た時のお話」




