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第26話 告白

 外に出ると、あたりはもうすっかり日が暮れていた。


 群青色に染まる空模様が夜の訪れを静かに告げようとしている。


 俺は店を出てすぐ目の前に広がる大きな駐車場をあてもなく歩き出した。


(茉莉のやつ、どこ行ったんだ)


 周囲には人の気配はなく、軽トラックとオートバイが数台停まっているだけだ。


 時折、近隣の道路を走る車の音が近づいては消えていく。


 あたりを見回しながら駐車場の端まで行くと、ラーメン屋の建物の外壁と駐車場のブロック塀に挟まれた細い通路を見つけた。店の裏口へと続く道だろうか。


 何とはなしにその道の先を見やる――そのときだった。


 膝をかかえてうずくまっている小さな人影が視界を掠める。


「……ま、つり?」

「……ヒロ?」


 心臓が飛び跳ねそうになった。


 一瞬足が止まったがすぐに正気を取り戻し、茉莉のそばに歩み寄る。


「ど、どうした? 何が――」


 言いかけて、俺は声を失った。夜闇のなか、彼女の目が赤く染まっているように見えて。


「…………泣いてるの?」


 聞いてしまった。


 茉莉は手で目元を拭いながら、無理やりに笑顔を作った。


「ごめんごめん。もう、大丈夫だから」

「あ、いや……」


 何となく直視するのも悪い気がして、俺はふいに視線を逸らす。


 かける言葉も見つからず、かといって離れるわけにもいかなくて、俺は茉莉の隣にそっと身をかがめた。


 こんな茉莉を見るのは、初めてだった。


 一瞬で頭が真っ白になった俺は、そのまま身動きが取れなくなる。


 薄暗い静寂の中、茉莉が洟をすする音だけが微かに聞こえてきた。時の流れが妙に長く感じる。


 何もできないまま、二人して駐車場の隅にしゃがみこんでいると、少しして茉莉の息が落ち着いてきたように感じた。俺はタイミングを見て、思い切って声をかける。


「……大丈夫?」

「うん。ありがと」


 思いのほか穏やかな声音だったことに安心した俺は、ここに来る前からずっと気になっていたことを訊ねてみた。


「さっきの電話さ、何だったの?」


 本当はエミリーたちが待っている店内に戻ってからのほうがいいかとも思ったけど、先ほどの涙の理由がどうしても気になって我慢できなかった。


 茉莉は少し困ったような顔をしたが、わずかに間を置いてから答えた。


「……そうだね。ヒロには言わないといけないや」


 その沈痛な横顔に俺が息を呑んでいると、茉莉が抑揚のない声で言った。




「じいちゃんがさっき亡くなったって。お母さんが、電話で」




 ……は?


 おじいさんが? 何を言ってるんだ?


 悪い冗談かと思ったが、茉莉は至極真面目な面持ちでとてもふざけているようには見えなかった。


「黙っててごめん。じいちゃん、実は去年の秋ごろからずっと病気で入院してたの。本当は途中でヒロにも言おうかなと思ったけど、重い感じになるのが嫌で」


 淡々とした口調で茉莉が話してくる。


 俺はどんな顔で聞けばいいのかわからなかった。あたりが暗いことだけが唯一の救いだと思った。


「明日のライブは外出届出して絶対見に行くからねって言ってたんだけど、今日の夕方急に容態が悪化したみたい。まあ昨日の時点で体調があまりよくなさそうってお母さんから連絡もらってたから、何となく難しいかなとは思ってたけど」


 俺が黙り込んでいると、店の入口の方でガラガラと引き戸が開く音がした。


 食事を終えた家族連れの楽しそうな会話が聞こえてくる。


 声が遠ざかるのを待ってから、茉莉が再び口を開く。


「昔ね、私がまだ子供だった頃、一度だけじいちゃんとプロのバンドのライブを見に行ったことがあるの」


 突然語り出す茉莉。俺は顔を上げて話の続きに耳を傾けた。


「私はまだ子供だったから音楽のこととかよくわからなかったんだけど、そのときのじいちゃんがね、ライブにすごく興奮しちゃって、狂ったようにはしゃいでたの。当時の私にはそれが本当に面白くて。正直ライブ見てるよりもじいちゃん見てる方が面白かった」


 当時のことを思い出したのか、茉莉がふふっと口許を緩ませた。懐かしむような顔で宙を見つめる。


「そのとき私思ったの。いつか自分もこんな大きなステージに立って、こんな風に誰かを熱狂させるようなライブをやってやるって。そのときには絶対にじいちゃんもライブに呼んで、今以上にはしゃぎながら『最高だ!』って言わせてやるんだって」

「……そっか」


 ようやく俺が頷くと、そのまましばし無言の時間が流れた。


 おじいさんのことをもっと聞いてみようかとも考えたけど、下手すると茉莉を傷つけてしまうかもしれないと思い、怖くて何も言えなかった。


 結局何もできずに地面を見つめていると、茉莉の掠れそうな声が沈黙を破った。


「私、わがままかもしれないけど、やっぱりじいちゃんにライブ見て欲しかった。ヒロたちにもこんなに 協力してもらって、最高のライブが見せられるって思ってたのに……」


 俺は彼女の肩が微かに震えていることに気付く。


 そのまま茉莉は再び「ごめん」と謝って、大粒の涙を目元に浮かべた。


 俺はその雫が頬を伝っていくのをただ呆然と眺めることしかできなかった。


 茉莉がこのバンドに込めていた想いが俺の想像を遥かに超えていたことを今さら知って、胸が押しつぶされそうになる。


 きっと茉莉もこのライブが祖父との最後の思い出になるとわかっていたのだろう。だからこそ、大好きだった祖父に最高のライブを届けたい。その一心でここまで全力で走ってきた。彼女なりに伝えたいこともたくさんあったはずだ。


 だけど、それさえも叶わなかった。想いを届けたかった相手はもういない。

悔しさとか、虚しさとか、色んな気持ちがぐちゃぐちゃになって彼女の目からこぼれ落ちているのがわかった。 


 声をかけたくても言葉がつかえて上手く出てこない。


 どんな言葉を選んだとしても、俺では目の前の茉莉を慰めることなどできないと思った。


 そんな自分が情けなくて、悔しくて仕方なかった。


「ごめんね、一方的に話しちゃって」


 いつの間にか涙を流し終えた茉莉が、かすれ気味な声で話しかけてくる。


「ううん、俺のほうこそごめん」

「何でヒロが謝るん?」


 そのまま俺が閉口していると、目元を拭った茉莉がようやく立ち上がった。


「そろそろ戻ろないとね。たぶんエミと梨々華がめちゃくちゃ心配してる」

「……ああ」


 俺は腰を上げて、重たげな足取りで歩き出す茉莉の後に続く。


 見慣れているはずのその背中は、いつも以上に小さく見えた。

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