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第22話 ごほうびあげなきゃね

 ライブから数日が経ち、春休みを間近に控えたある日の放課後。

 

 教室を出た俺は教員用の居室が集まっている別棟に来ていた。


 担任の毒島先生からホームルーム後に話があると急に呼び出されたのだ。


 何の話だろう。学年末テストの結果は特に問題なかったはずだけど。


 どこか落ち着かない気分で先生の居室である英語科準備室のドアを叩くと「どうぞ」という澄んだ声が返ってきた。


「失礼します」


 そこにはデスクで一人優雅にコーヒーを飲んでいる毒島先生の姿。


「来たね。入って」


 軽く頭を下げて室内に足を踏み入れる。

 そういえばここに来るのは初めてだ。


 天井まで届きそうな壁一面の本棚には英語教材や洋書が詰まっていて、こじんまりとしながらも風情のある部屋になっていた。


 どうやら今ここには俺と毒島先生しかいないらしい。


 教師とはいえ無駄に若々しい風貌だから二人きりだとちょっと緊張する。


「全国大会に出場するそうね。おめでとう」

「……え」


 どうしてそれを?


 面食らっている俺を見て先生が微笑みながら隣のデスクのチェアを引いた。「こちらに」と手を差し出され、俺は促されるままにチェアに腰かける。


「今日、星ヶ浦女子高校のギター部顧問の先生から連絡がありました。うちとおたくの生徒の合同バンドが軽音部の大会で決勝大会出場が決まったって」


 俺は思わず息を呑んだ。


 たしかにスクールズロックは高校軽音部の由緒ある大会だ。本来ならば軽音部顧問である毒島先生に一声かけてから参加するのが筋だったのかもしれない。


 口ごもっていると、先生が前のめり気味に俺の顔を覗き込んできた。香水の甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「星ヶ浦の先生から電話もらったとき、私ちょっと恥かいちゃった。宮島君がちゃんと言ってくれないから、何の話かさっぱり分からなくて」

「す、すみません」


 ばつが悪そうに視線を逸らす俺を見て、先生がふふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「嘘よ、冗談。でも本当にびっくりしたわ。君がそんなに頑張っているなんて全く知らなかったから」


 そう言って、髪を耳にかき上げる。この人、仕草がいちいちエロい。


 何となく落ち着かない俺に追い打ちをかけるように先生が小声でささやく。


「さてと。がんばった宮島君には、ごほうびをあげないといけませんね」

「へ? ごほうび?」


 何も言わずにこくんと頷く先生。


 個室。思春期真っ只中の男子高校生。大人の女性と二人きり。


 この状況で考えられるごほうびと言えば……まさか⁉


「い、いえ、大丈夫です! そ、そういうのは、俺にはまだ早すぎるというか」

「あら、遠慮しなくていいのよ。君の実績は懸垂幕を出すのにふさわしい成果ですから」

「……え? けんすいまく?」

「ええ、懸垂幕」


 目を瞬かせながら、先生が俺の顔を見つめてくる。


「よく部活等で実績を出した学校の校舎に垂れ幕が吊るされているのを見たことがあるでしょう。あれを作ろうと思ってまして」

「あ、なるほど」


 勝手に一人で妄想して興奮していた自分がこの上なく恥ずかしい。俺は姿勢を正して先生の話に集中する。


「それで文言について色々と考えているんだけど、なかなかいい案が思いつかなくてね。どんな感じがいいとかある?」

「う、うーん、いきなりそう言われましても」


 言葉を濁しながら、ぼりぼりと頭を掻く。


 これまでまともに部活に顔を出してすらなかった俺に急に成果なんて言われても、何となく後ろめたい気持ちがいっぱいで何も考えられない。


 困惑している俺に向かって、先生が「例えば」と切り出してきた。


「今のところの案としては『祝 全国大会出場 孤高のベーシスト 宮島寛人』とかどうかなって思っているんだけど」

「ええと、色々思うところはあるのですが、とりあえず懸垂幕に二つ名を入れるのはいかがなものかと」

「そうよね。たしかにちょっと長いし、もう少し短くてパンチのある方がいいわよね」


 あれ? この人、意外と天然なのか? 


 というか懸垂幕ってそんな感じだったっけ。やっぱり俺にはまだ早いかもしれない。


 今からでも辞退すべきかと悩んでいると、唇に人差し指を当てながら考えていた先生がふいにこちらに視線を向けた。


「それじゃあ、もう少し宮島君に似合いそうな文言を考えてみるわ。ちなみに宮島君はどんな音楽をやっているの?」

「音楽ですか? まあ、ハードロック……ですかね」

「!」


 先生の眉がピクリと動いた。穏やかだった瞳に急に光が宿る。


 どうしたんだろう? 俺、何か変なことでも言っちゃったかな。


 戸惑っていると、先生がポツリとこぼした。


「……素敵。とても、懐かしい」

「懐かしい?」


 恍惚とした顔で先生がええと頷く。


「実は私、大学の頃ハードロック研究会に入っていたの」

「ええっ⁉」


 毒島先生がハードロックをやっていた? 全然想像つかないぞ。


 ぼんやりと窓の外を見上げながら、先生がつぶやく。


「あの頃は本当に楽しかったわ。他人の目も、将来への不安も、何もかも脱ぎ捨てて、ただただロックという名の快楽に溺れたあの日々」

「…………」


 なんか変なスイッチ入ってないか? 何となくだけど、そろそろここから出た方がいいかもしれない。

急に身の危険を感じた俺は自然と椅子から立ち上がっていた。


「あ、あの~、僕そろそろ失礼しますね。懸垂幕の件はまた後日改めて相談させてください」


 言い残して、まだ思い出にふけっている様子の先生からゆっくりと距離をとる。


 そろりそろりと教室の入口まで移動してドアに手をかけた、そのとき。


「宮島君」

「は、はい⁉」


 いきなり背後から呼び止められた。焦って振り返ると、先生が静かに唇を動かす。


「また軽音部に戻っておいで」


 ……え?


 唖然とした。


 見ると、ひらひらと手を振りながら優しく微笑む先生。


「待ってるから」


 そのたった一言がなぜか俺の心にじんわりと染み渡っていく。


 少しの間を置いてようやく我に返った俺は、先生の目を見てから軽く頭を下げた。


「ありがとうございます。考えてみます」




 英語科準備室を出ると、誰もいない別棟の廊下はしんとしていた。


 薄暗い静寂の中、俺の上履きの音だけが冷たく響き渡る。


「ハードロック系女子って意外と身近にいるんだな」


 そんなことを考えながら、俺の高校一年生が終了した。

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