第14話 何してんの? 筋トレだけど?
気がつけば季節はもう十二月になっていた。
駅前の木々は葉が枯れ落ちており、冷たい北風がその枝をゆさゆさと揺らしている。
とある週末。またもや茉莉から呼び出された俺は、待ち合わせ場所である駅前にて一人佇んでいた。
なんかこのパターンにも大分慣れてきたな。いつ呼ばれても毎回都合がついてしまう自分は悲しいくらい暇人だと思うが、こうもしょっちゅう呼び出してくる茉莉も実は俺と同じくらい暇人なのではないか。
「おまたせ。いつも通り早いね」
振り返ると、ベージュ色のダッフルコートと赤いマフラーに身を包んだ茉莉がいた。
時計を見ると五分の遅刻。これもいつも通りだ。
唯一いつもと違うのは、今日はギターを持っていないということ。
「それじゃあ。行こうか」
そう言って、茉莉が駅から離れるように歩き出す。
「今日はどこに行くつもり?」
「秘密。着いてからのお楽しみ」
あれ、なんか前にも似たようなことがあったような……。というか何でいつも目的を教えてくれないんだ。
なんとなく良からぬ予感を抱きながら茉莉の背を追うと、駅から少し離れた商業施設の一角にあるガラス張りの建物の前に連れてこられた。
「はい、着きました。今日はここに行きまーす」
「? ここって、スポーツクラブ?」
ピンポーンと口で言いながら茉莉が指差したのは、ジムやヨガスタジオ、プールなどの様々なスポーツ施設を備えている大型のフィットネスクラブだ。
なぜ急にこんなところに来たのか、俺にはまだ理解できなかった。
「スポーツクラブで何するんだ?」
「そりゃもちろん筋トレだよ。この前、ライブで服を脱いで欲しいって話をしたでしょ。そのときにヒロ、人前で裸になるなんて恥ずかしいって言ってたじゃん? あれから私、色々と考えてみたんだけど、やっぱり人前で脱いでも恥ずかしくないようにするには、筋トレして自分の体に自信をつけてもらうしかないなって思ったんだよね」
「噓でしょ、冗談だよね?」
たしかに以前茉莉とこの話をしたときに、俺がライブで脱いでも恥ずかしくないように作戦を考えると言っていた気がする。もちろん茉莉の作戦とやらに期待していたわけでは全くないが、それにしてもその作戦がただの筋トレというのであればさすがに頭のネジが飛び過ぎだ。
筋トレして理想の体を手に入れたとしても人前で服を脱ぐことに抵抗がなくなるというわけではないし、それに普段から一切運動なんてしていない俺が今から筋トレを始めたところでライブまでに間に合うわけがないのは明らかだ。
「まあまあ、そんな渋い顔しないでよ。それにさ、私バンドやるのもスポーツと同じで体力って絶対必要だと思うんだよね。ライブって準備とか待ち時間も含めるとけっこう長丁場だし、野外ライブとかになるともっと過酷だろうからさ。体を鍛えておいて損はないよ」
「いや、そうかもだけどさ。俺、運動だけは本当にダメなんだよ……」
「そんな不安そうな顔しなくて大丈夫! 実はヒロのために私が筋トレについて色々調べてきたんだ。だから今日は私がヒロの専属インストラクターになってあげるからさ。大船に乗ったつもりでいてよ」
そんなやりとりをしているうちに、気が付くと俺は店内に引きずり込まれていた。
スタッフ用のTシャツを着たお姉さんが「いらっしゃいませー!」と健康的な声で挨拶をしてくる。
迷いのない足取りで受付カウンターへと向かっていく茉莉に俺は小声で話しかけた。
「というか、こういうスポーツクラブって入会費とかけっこう高いんじゃないの? 俺そんな金ないんだけど?」
「ああ、それなら心配ないよ。ほら、あれを見て」
茉莉の視線を辿ると、壁に一枚の大きなポスターが貼られていた。そこには『学生応援プラン』と書かれている。
「この前ネットでこれを見つけたの。高校生の新規会員は入会費と初月費が無料になるんだって。しかも翌月以降も格安で施設を使い放題! まさに私たちのためのプランだと思わない?」
茉莉がふふんっと得意気な笑みを浮かべる。
なるほど、たしかにお得だ。知らんけど。
「とりあえず今日はお試し入会してみて、もし気に入らなかったら別の方法を試してみればいいじゃん?」
理科実験を楽しむ子供みたいな無邪気な瞳を向けてくる茉莉。
コイツ、俺のためとか言って本当はただ自分が楽しみたいだけなのではなかろうか。
はやくいこー、と服を引っ張られた俺は不承不承ながら受付カウンターへと足を向けた。
簡単な手続きを終えた俺たちは貴重品をロッカーに預けて施設内を見学していた。
今日は体験コースということで関連施設は自由に使用できるらしい。
施設内を歩いていると、意外と普通の女性や高齢者の利用客も多いことに驚く。
こういうスポーツクラブって運動に自信がある人が幅を利かせてくるような野蛮な場所だと思っていたけど、俺の思い違いだったみたいだ。
「あ、ヒロ、あったよ!」
茉莉が小走りに向かっていったのはマシンジムと呼ばれる筋トレマシンがたくさん置いてある部屋だ。
壁一面の窓ガラスから日光が差し込む開放的な室内にはメタリックなマシンが整然と並べられていた。
「「おー」」
大量の筋トレマシンを見て思わず二人で感嘆がもれた。
初めて見る光景に柄にもなくテンションが上がってしまう。
ちなみにそれは茉莉も同じだったようで、「凄い凄い!」と言いながら一人でどこかに行ってしまった。お前は俺のインストラクターなんじゃなかったっけ。
仕方がないので俺も一人で室内を散策してみる。
適当にぶらぶらしていると、真っ黒なベンチ台と銀色の貴金属でできたマシンが目についた。
これが噂のベンチプレスというやつだろうか。運動部の奴らが筋トレでよくやらされると小耳にはさんだことがある。
実物を目の当たりにすると、思ったよりも大きくて迫力があった。
せっかくなので俺は黒いベンチ台の上に寝そべってみる。
「たしかこんな感じでこの銀色の棒を持ち上げるんだよな」
両腕にぐっと力を込めてバーを押し上げる。
「おおッ! 結構重っ!」
よくわからないけど、たしかに腕とか胸あたりにいい感じの負荷がかかっている気がする。
トレーニングをしてみると、ほんの少しだけ自分が男らしくなった気がしてなんだかカッコいい。
「ヒロ? 何やってんの?」
いつの間にか戻ってきた茉莉が寝そべる俺の真横にしゃがみ込んできた。
「何って筋トレだよ。ほら、けっこう重いぞこれ」
「どうしてバーだけ持ち上げてるの? 重しはつけないの?」
「え」
……重し?
俺は動かしていた腕を一旦止めてバーをラックに戻した。
これって、この金属の棒を上げ下げするトレーニングじゃないの?
俺が無言の視線でそう訊ねると、茉莉がどことなく悲しそうな表情で俺を見つめてきた。
「大丈夫だよ。私はヒロをあきらめたりしないから」
それからしばらくして、俺は休憩用のベンチでぐったりとうなだれていた。
茉莉に言われるがままに一通りの筋トレマシンを正しいやり方で試してみた結果、体中の筋肉が悲鳴を上げ、ついに動けなくなってしまったのだ。
俺が静かに天上を仰いでいると、飲み物を買ってきてくれた茉莉がペットボトルを差し出してきた。
「はい、水分補給しな」
「……ありがとう」
茉莉からスポーツドリンクを受け取り、乾いた喉を潤す。
疲弊しきった体にやさしい甘みが染みわたる。
「うめえ……」
「よかった。それ飲んで少し休んだら再開するから」
「え、まだやんの? 今日はもう結構やったし、そろそろ引き上げない?」
「まだ二十分しかやってないけど?」
「…………」
壁にかかっている時計に目をやると、たしかに針の位置はほとんど変わっていなかった。俺的には三時間ぐらいはやったつもりだったのに。
死闘後のボクサーのように俺が燃えつきていると、その様子を隣で見ていた茉莉が「よしわかった」と元気よく立ち上がった。
「ヒロ、筋トレはもうやめにしよう」
「え、ほんと⁉」
「うん。場所を変えて次の作戦にいくよ!」
「……は? 次の作戦?」
当惑する俺の腕を引っ張って、茉莉が無理やり立たせてくる。
今度は一体どこに連れて行かれるんだ……。
万力のようなパワーで俺の体を引きずりながらマシンジムを出ていく茉莉に、逆らう気力はもはや残っていなかった。




