第12話 少年の過去、少女の願い
茉莉が不思議そうな目をしながら手に抱えていたギターを置くと、クローゼットの扉を開けた。
中から取り出してきたのは埃がかかった大きな黒いケースだ。
「これ、昔私が使ってたやつ。古いけどまだ弾けると思う」
ケースを開けると、普段茉莉が使っているものとは異なるデザインのギターが出てきた。
茉莉から古いギターを受け取り、矯めつ眇めつ眺めてみる。
たしかに弦が少しサビているけどこれくらいなら問題ない。
俺はあぐらをかいて膝の上にギターを乗せた。
ギターの頭頂部にある弦が巻き付けてある部分、ペグを適当に回して調律していく。
(よし、ざっとこんなもんかな)
そしてサビついた弦を指に食い込ませると、先ほど茉莉が聞かせてくれた曲を全く同じように弾いて見せた。
「さっきの曲ってこんな感じだったよね。俺が伴奏を弾いてあげるからギターソロ作っちゃいなよ。やっぱり伴奏があったほうがイメージ湧きやすい――っ⁉」
膝立ちになった茉莉が俺の両肩をガシッと掴んで顔を近づけてきた。
「ど、どういうこと⁈ なんでヒロ、そんなにギター弾けるの⁉ しかも初めて聞いた私のオリジナル曲を弾いてる⁉」
「ちょ、一旦落ち着いて……」
「落ち着けないよ! まさか私の曲をたった一回聞いただけでコピーしちゃったってこと⁉」
俺の肩をがくがくと揺らしながら、茉莉が責め立ててくる。
そのまま床に押し倒されそうになったところで、ギターの先端がベッドの端にガンとぶつかった。
「あ!」と言って茉莉が俺の体から離れる。幸い、ギターに傷はなかった。
「なんかごめん」
「ううん。私のほうこそ。でも早く説明して?」
茉莉がにじり寄ってきて急かすような瞳で見つめてくる。
思わず視線を逸らした俺は、何から話すべきか考えながらゆっくりと口を開いた。
「子供の頃からピアノをやってたから、音を聞くと脳内で楽譜に変換できるんだ。それに記憶力もそこそこあるから、だいたい一、二回聞けば弾けるようになる」
「それって絶対音感ってやつ?」
「まあ、そんな感じ」
幼少期から音楽の訓練を受けていた者は音を聞くだけでその高低を脳内で瞬時に識別できるようになる。幼い頃から母にピアノを教わっていた俺が身に着けた数少ない特技だ。
「凄いね。ちなみにギターが弾けるのはなんで?」
「ええと、中学のとき親父のギターを借りて練習してた。高校に入ったら軽音部に入ろうと思って。結局すぐにやめちゃったけど」
「どうして?」
茉莉の尋問は続く。
俺は少しためらったが、茉莉のまっすぐな眼差しに抗えず、すべて話すことにした。
「まあ、平たく言えば、部の空気に馴染めなかったんだ」
俺は高校入学当初、まだ自分が軽音部に所属していたときのことを思い出す。
「うちの高校の軽音部の同期、やたらとギター志望者が多くてさ。これじゃ皆がバンドが組めないって、けっこう揉めたんだよね。それで、仕方ないから誰かが他のパートに変更しようってなって。俺は空気読んで自らベースに変更したんだ」
だけど、俺一人が妥協したところで部全体の問題が解決するわけではない。他にも何人かパートを変更しなければいけなかったが、中には既に楽器を購入していた面々も多く、バンド決めは難航を極めた。終いには泣き出す女子まで出る始末。なんかめんどくさいなあと思った俺は、今後彼らとバンドを楽しめる気がしなくなり、それ以来部活に行かなくなってしまった。まあ結局は俺に協調性が足りなかったってだけの話だ。
「なんかごめん。変な話しちゃって」
ううんと茉莉が首を横に振って、ポツリとこぼす。
「そっかあ、ヒロは本当はギターがやりたかったんだね」
うつむき加減な茉莉を見て、俺は慌てて「でもな」と手のひらを向けた。
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺はベースもギターと同じくらい好きだよ。たしかに最初はギター志望だったけど、今ではむしろベースの方が自分に合ってるって思ってるし」
「本当に?」
「うん。本当に本当」
「そっか。ならよかった」
茉莉の顔に少しだけ笑みが戻った。
空気が重くならなくてよかったと、内心安堵する。
「でもヒロがこんな才能を持ってたなんて知らなかったなあ。これならスクールズロックの決勝大会も余裕だね!」
茉莉が腕を組みながら、ふふんっと自身あり気な笑みを浮かべた。
ふと疑問が浮かび、俺は「ちなみにさ」と問いかける。
「茉莉はどうしてスクールズロックに出たいと思ったの?」
「んー、出るからにはもちろん優勝を目指すつもり。でも本当のことを言うと、実は見せたい人がいるんだよね」
「見せたい人?」
うんと頷いて、茉莉がわずかに頬を赤らめた。
「前にも言ったと思うけど、スクールズロックの決勝大会って茨城県ひたちなか市で行われるの。私のじいちゃんがその近くに住んでるから、決勝大会のライブに招待したいなと思ってて」
祖父を呼ぶために大会に参加する? めずらしい動機だなと、俺は少し驚いた。
「おじいさんも音楽が好きなの?」
「うん。私のじいちゃん、ハードロックが大好きでさ。昔バンドをやってたみたいで、ギターがめちゃくちゃ上手なの。私にギターを教えてくれたのもじいちゃんなんだ」
「へえ、それは素敵なおじいさんだね」
「そうなの。でも最近じいちゃん、ちょっと元気がないみたいで。だから私、じいちゃんが大好きだった
ハードロックのバンドを作ってライブを見せてあげたいなと思ったの。ライブって人を熱くさせる不思議な力があるからさ。だからカッコいいライブを見せて、じいちゃんもまた元気になればいいなって!」
興奮気味な口調で茉莉が言う。
なるほど。ハードロックにこだわっていたのはそういう理由だったのか。ただの破天荒な女の子かと思ってたけど、意外と健気な一面もあるんだな。
自分の目標を語ってくる茉莉の顔はなぜか急に眩しく見えた。夢とか理想とか特になくていつも暇している自分にとっては羨ましいくらいだ。
「そうなんだ。それなら俺にできることは協力するよ」
「ホント? ならお言葉に甘えて。実はもう一つヒロにお願いしたいことがあるんだ」
「ん、何?」
居住まいを正した茉莉が輝きを宿した瞳で見つめてくる。
次の瞬間、彼女の口から思いも寄らぬ言葉が飛んできた。
「服、脱いでくれない?」
………………
…………
……?
あまりにも唐突過ぎて、俺の思考が凍りつく。
服を脱ぐ? どういうこと? 急にそっち系の展開?
完全にフリーズしてしまった俺に、茉莉が顔を乗り出してくる。
「脱ぐといっても今じゃなくて、ライブ中に裸になって欲しいの」
ライブ中に裸になる? ますますわからん。
「……えっと、それはどういうこと?」
「うちのじいちゃんがハードロックが大好きって話をしたでしょ。実はあの人、ちょっとこだわり強めなバンドオタクなんだよね。具体的に言うと、ステージで服を脱ぎ捨てて上裸で暴れまわるような熱いバンドが大好きなの。自分も現役のバンドマンだった頃は毎回ステージで半裸でギター弾いてたんだって。だから私たちのバンドも少なくともメンバーの誰かは半裸でライブしたほうがじいちゃんも喜ぶかなと思って……ってヒロ、聞いてる?」
呆然として動けない俺に茉莉が「おーい」と手を振ってくる。
なにそのクレイジーなじいさん。ちょっとこだわり強めとかってレベルじゃないでしょ。てっきり昔話に出てくるような温和なおじいさんみたいな人かと思ってた。いや、そんなことより。
「いやいや、そんなの無理だよ。俺、服脱いでライブするようなキャラじゃないし」
「そんなことないよ! ヒロは脱いだほうがカッコいいと思うなー」
「絶対適当に言ってるだろ!」
たしかに海外の激しいロックバンドとかだとライブで上裸で演奏しているシーンをよく見る気がする。だけどそれはプロとしての圧倒的な演奏力やパフォーマンス力、見せるに値する屈強な肉体を持っているからカッコいいのだ。俺がステージで同じように服を脱いだら「あれ? 身体測定始まった?」みたいな空気になるに決まっている。
「つーか、裸でライブやるなんて話、俺聞いてなかったんだけど?」
「だって言ってないもん。言ったらヒロ嫌がるかなと思って」
当たり前だ。誰が好き好んでそんな羞恥プレイやるんだ。
その話を事前にされていたら、たぶん俺はこのバンドに入っていない。
「黙ってたのはごめん。だけど私、どうしてもじいちゃんを元気づけてあげたくって……」
茉莉が体をもじもじさせながら縋るような目で見つめてくる。
「じいちゃん、最近はあんまり外出とかもしないで家にいることが多いんだって。でも私がライブに出るって言ったら絶対に見に来てくれるからさ。もう一度じいちゃんに昔大好きだったロックバンドのライブを見せてあげたいの」
「うーん、気持ちはわかるけどさ……でも人前で裸になるなんてやっぱり恥ずかしいし……」
「あ、じゃあさ。見られても恥ずかしくない体を作ればいいんじゃない?」
そういう問題じゃねー。
呆れて物が言えずにいると、茉莉がパンと顔の前で手を合わせた。
「とにかくお願い! 他のメンバーは皆女の子だし、ヒロにしか頼めないんだ。もしやってくれたら後でヒロのお願いも何でも聞いてあげるから!」
「……え」
今なんて? 何でも言うこと聞いてくれる?
「何でもって……何でも?」
「うん、何でも!」
それってつまり…………いやいや、何考えてるんだ俺。
茉莉を見ると、俺の不埒な思いに気づく様子もなくけろりとした顔をしていた。
「心配しないで大丈夫だよ。ヒロがライブで脱いでも恥ずかしくないように私が色々と作戦を考えてあげるから!」
茉莉が首を傾けて、パチリと片目をつぶってみせる。
作戦って何だよと思いつつ、俺はそのあどけない様子をただ黙って見ていた。




