第1話 白塗りの少女
にぎやかな装飾に包まれた高校の廊下を一人の憐れな少年が歩いていた。
名門女子校、星ヶ浦女学院。
例年十一月上旬に開催される星ヶ浦の文化祭「星百合祭」のその日。
先の憐れな少年こと、俺――宮島寛人は見知らぬ女子生徒たちであふれる校舎内を肩身の狭い思いでうろついていた。
(女子校の文化祭に男子が一人?)
(こういうのって普通友達と来ない?)
(あの人何しに来たの? もしかしてナンパ?)
彼女たちの奇異の視線が俺の豆腐並みの心に容赦なく突き刺さる。
つい先ほどまで友人と二人で一緒にいたはずなのに、どうやら人波にもまれているうちにはぐれてしまったらしい。おまけにそいつとは連絡もつかなくなり、気付けば女子高のど真ん中で一人取り残されていたというわけだ。
(こんなことになるなら星百合祭なんて来なきゃよかった……)
友人の「お嬢様学校の中って一度は見てみたくねー?」という軽薄なノリに乗せられてしまった過去の自分を殴ってやりたい気分だった。
(この後どうすっかなあ)
さっきから周囲の視線は気になるし、とりあえずどこか人目のつかない場所に行きたい。
行く当てもなく校内をふらついていた俺が足を止めたのは、視聴覚室と書かれた扉の前を通り過ぎようとしたときだった。
「ん? ギター部、ライブ?」
思わず声に出して、扉に貼られてあるポスターを見る。
軽音系の部活が文化祭ライブでもやっているのだろうか。扉の向こう側からはエレキギターの音が微かに漏れてきている。
(ライブ会場だったら一人でいても目立たないか……)
ちょうどいい場所を見つけた、そんな軽い気持ちで俺は視聴覚室のドアに手をかけた。
室内に入って見回すと、小体育館のような開けたスペースにパイプ椅子が整然と並べられていた。お客さんはざっと三割程度で空席が目立っている。素人のライブに興味のある人なんていないのだから妥当な客入りだ。
ごくごく普通な文化祭ライブ会場。そういった印象を受けていたが、ステージ上に目を向けた俺はすぐに違和感を覚えた。
「……なんだ、アイツ……」
そこにいたのはベージュのカーディガンと紺色のスカートを着てギターを弾いている一人の少女。一見すると普通の学生にしか見えない女の子。
ただ問題は、彼女の顔だ。
死人のように白い肌。黒く縁取られた大きな目。そして口裂け女のような亀裂の入った黒い口許。まるで地獄の使者みたいな顔面がそこにあった。
たぶん特殊メイクというやつだろう。本人は文化祭ライブでテンションが上がっているのかもしれないが、事情を知らない人から見たらただの痛い奴にしか見えない。
(あれ? でもこの子、ギターはめちゃくちゃ上手くないか?)
顔づくりのセンスは絶望的だったが、よくよく演奏を聞いてみるとギターの腕前は本当に高校生かと疑うレベルだった。
音を奏でているのは彼女だけなのにソロとは思えないくらい曲に広がりと厚みを感じる。
そして何より、たった一人でステージに立って堂々とギターを弾くその様は不思議と惹きつけられるものがあった。
せっかくなのでもう少し近くで見てみようと思った俺は、誰もいない最前列の端の席に腰かける。
近くに行くとその強烈な顔面がより鮮明に目に映ったが、派手なルックスに見劣りしない彼女の卓越したギターテクニックが俺が抱いていた違和感をすべて忘れさせてくれた。
たまたま立ち寄っただけだけど意外と面白いものが見れたな。
そんな風に思いながらしばしライブを堪能していると、いつの間にか演奏が終わっていた。会場からまばらな拍手が上がる。俺も周りと同じように手を叩こうとした――そのとき。
「ちょっと! そこの君!」
…………?
突然、ステージにいた少女が大きな声を上げて一人の観客を指差す。
静まり返る場内。彼女が指し示す先に室内の視線が集まった。
「……は? 俺?」
その少女はギターを置いてステージから飛び降りると、迷いのない足取りでこちらに向かってくる。
ちょっと待て! なんでアイツこっちに来るんだ? 俺、なんか変なことしたっけ?
思わず椅子から立ち上がって逃げようとするも、既に眼前には不気味な白い顔が迫っていた。
「君、そんなに私の曲が気に入ったの?」
「へ……?」
身構えた俺に飛んできたのはあまりに予想外な言葉だった。状況が飲み込めない俺を見上げながら、少女が平板な口調で続ける。
「さっき、最前列で私のライブをノリノリで見てたよね?」
……は? まあたしかに見てたことは否定しないけど。俺そんなにノリノリだったっけ。
もしかして無意識に体が揺れてたとか? もしそうなら、それはけっこう恥ずかしいやつだ。
口ごもる俺を急かすように少女が一歩詰め寄ってくる。
「で、どうなの? 私の曲、かっこよかった? よくなかった?」
「え、あ、ええと」
俺は体をのけぞらせて彼女と距離をとる。
特殊メイクとわかっているとはいえ、こんな死人みたいな顔で迫られるとさすがにちょっと怖い。ここは下手に機嫌を損ねないようにとりあえず煽てておこう。
「うん。とてもよかったよ」
「ほ、ほんとに? どこらへんが?」
「ギターが凄く上手いなって思った」
「そ、そんなに⁉」
「テクニックも凄かったし、音も聞きやすかった」
「ほ、ほう……」
「とても一人の演奏を聞いているとは思えなかったよ」
「ふええ……」
「あ、あと曲もかっこよかったと思う」
「ちょっ! いったんストップ、ストーップ‼」
悶絶とした様子でその場にしゃがみこむ少女。褒められたことがよほど嬉しかったのか、白く化粧されていた頬はいつの間にかりんごのように赤く染まっていた。
なんだコイツ、見た目と全然キャラが違うぞ。悪い奴ではなさそうだけど、変な奴であるのは間違いない。
これ以上関わらない方がいいと俺の直観がそう告げていた。
「ええと、じゃあ俺はこれで――」
「だ、だめ! ちょっと待って!」
さりげなく身を引こうとした俺の腕をがしっと掴んでくる。え、なんで? なんでまだ帰してくれないの?
恐る恐る少女を見ると、不気味な上目遣いで俺を睨みつけてきた。
「……君、この後、暇?」
「え? い、いやー。と、友達と約束あるから……」
唐突な誘いをたどたどしくも断ると、少女は不服そうに口を歪めた。
「そ、そうなんだ。じゃあ、とりあえず連絡先交換しよ?」
「はい⁉」
なんでいきなりそうなるんだ! これはもしかして新手の逆ナンなのか?
ツッコミたいところは山ほどあるが、これまで女子と無縁な生活を送ってきた俺が異性から連絡先を聞かれるなんて奇跡に近い。そう考えると、このまますげなく断ってしまうのはもったいない気もしてきた。
俺は色々な意味でざわつく胸を抑えて、もう一度目の前の少女を見る。
彼女もまた緊張しているのだろうか、頬がまだ微かに紅潮していた。
不気味な顔だと思っていたのに、なぜかちょっとだけ可愛く見えてきたのは気のせいだろうか……。
「どうしたの? なんで急に黙るの?」
しびれを切らした少女が首を傾げてくる。せめて彼女の目的くらいわかればいいんだけど。
「あの、なんで連絡先を交換するの?」
「野暮なこと聞くね。それはもちろん、私が君に話があるからさ」
「話って?」
「それは秘密。今度ゆっくり話すよ。それまでお楽しみ」
お楽しみだと⁉ くそっ、悔しいけど気になる。
ほらほらはやくー、と掴んでいた俺の腕をゆすって急かしてくる少女。
仕方がない。たぶん連絡先を教えるまで放してくれなさそうだし、ここは従うしかないか。
俺は観念したようにポケットからスマホを取り出すと、ついに連絡先を交換してしまった。
読んでいただきありがとうございます!
拙い文章ですが楽しんでいただければ幸いです。
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