表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を解き明かせベータ  作者: 幸・彦
第1章 ノスタウの街の出会い
7/54

名もなき少女の名前

翌日の午後。


「んじゃ、ちょっとお先に。」

「珍しいですね。早上がりとは。」


最低限の仕事だけ終えて席を立ったラモンドに、向かいの席に座る後輩

ゲーレが興味深げな声をかけた。

ノスタウの街の役場では、いわゆるフレックスタイムに近い勤務制度が

採用されている。外に出て仕事する機会も多い関係上、より現実的な

システムを模索した結果だった。


いつもなら他人より遅めに出勤し、遅くまで残っているのがラモンドの

勤務スタイルだ。早朝から出勤して他人よりかなり早く帰るというのは

きわめて珍しかった。


「ああ、ちょっと急用でな。」

「もしや厄介事ですか?」

「まだ分からんな。が、少なくとも危険な事じゃない。今はな。」

「含みがありますねえ。ま、あまり無理のないように。」

「肝に銘じるよ。じゃあな。」

「お疲れさまです。」

「お疲れー」


皆の挨拶に手を振って答えながら、ラモンドは早足で出ていった。

廊下の反対側で背中を見送っていた女性―リッツが、何も言わぬままで

ほんの少し口を尖らせる。と、その刹那。


「怪しいですね。」

「んえッ!?」


いきなりすぐ背後から聞こえたそのひと言に、リッツは弾かれたように

振り返った。いつの間にか、背後にケーネルンが来ていたらしい。


「な、何がよ。」

「夜型人間のラモンドさんがこんな時間に退出。どう考えても変です。

少なくとも、きわめて特殊な事情を抱えてると考えるべきですね。」

「特殊なって…また危険な事?」

「まあ、それもあり得なくはないと思いますが。」


そう言ったケーネルンが、彼の所属する部署の中を窺って続ける。


「あの人は偽称権行使の常連です。でも、無駄な嘘をつく人でもない。

わざわざ今は危険じゃないと言った以上、それは信じるべきです。」

「ならいいんだけど…」

「いいんですか?」

「え?」


いきなりズイッと迫られ、リッツは思わず少し身を引いた。


「な、何がよ。」

「甘いですよ先輩。」


ますます目が据わったケーネルンの気迫顔が、リッツに迫る。


「危険じゃない急用。しかも毎日のルーティンを崩すほどの優先順位。

そこから導き出される答えなんて、深く考えるまでもないでしょう。」

「え…つ…つまり…」

「ずばり女ですね。」

「おっ…!!」


「君たち、仕事してくれんかね。」


「えっ!?」

「あっ、はい!も、戻りまぁす!」


いつの間にか更に背後に迫っていた上司のひと言に、二人は慌てて場を

離れて部署に戻る。結局、どうしてラモンドが早上がりしたかについて

それ以上話す機会は無かった。



終業までリッツは悶々としていた。


================================


ガラン!


「おい、普通に開けてんのか店!」


乾いたベルの音が響き、慌ただしくラモンドが入店する。その手には、

途中で買ってきたと思しき食べ物の包みと、何かの本があった。

さすがに今日はカンドフが迎える。


「あらいらっしゃい。早いわね。」

「急いで仕事を切り上げたんだよ。それでどうだ?」

「おとなしく上の部屋にいるわよ。意識はしっかりしているし、何なら

ご飯もちゃんと食べた。んで、今はまた寝てる。」

「そうか。」


カウンターに座って荷物を下ろし、ラモンドは小さく息をつく。


「で、何か話したか?」

「最低限の事だけね。」


熱い紅茶のカップを差し出しつつ、カンドフがそう言って肩を竦める。


「あたしだけが聴いても、後でまた説明する二度手間になるし。」

「なるほどな。で、その最低限ってどこまでだ?」

「体は大丈夫かとか、あたしの服でいいかとか、お腹減ってるかとか。

まあそんなとこ。」

「本当に最低限だな。名前は?」

「やっぱり思い出せないみたい。」


そこまで説明したカンドフの顔に、ニッと小さな笑みが浮かんだ。


「ほとんどなァんにも訊いてない。ずっと窓のない部屋で休ませてて、

外にも出してない。まあ部屋の中にある物にすらカルチャーショックを

受けてたけどね。だから今はもう、かーなり飢えてると思うわよ。」

「話したい事に訊きたい事が山ほどあるだろうってか。残酷だねえ。」

「ただのおあずけよ、おあずけ。」

「犬じゃねえんだからよ。」


苦笑いを返したラモンドが、やがて紅茶を飲み干して立ち上がる。


「よし。んじゃ話を聴こうぜ。」

「呼んでくる?」

「いや、部屋に行こう。もちろん、ちゃんと店は閉めろよ。」

「はいはい。」


のんきに答え、カンドフが入口へと向かう。営業終了の札を掛けるのを

見つつ、ラモンドは秘かに気持ちを引き締めていた。


当座の危険はないにせよ、あの少女の言っていた事はかなり不穏だ。

戯言扱いなどは禁物。これもまた、特殊清掃員の仕事かも知れない。



早上がりしたとは言え、ラモンドのテンションはまだ仕事中だった。


================================


ガチャ。


入口のドアを開け、二人がそおっと入室する。


骨董店『蜘蛛足』の二階には複数の小部屋がある。その中で唯一室内に

窓がない部屋に、問題の少女は保護されていた。


「…寝てるな。」

「ずっとこんな感じ。」


少女は、どうみてもただ寝ていた。しかも、かなり寝相が悪い。

薬で眠らされているとか疲れ果てて眠っているとか、そんなのではなく

かすかな鼾を立てて爆睡している。自室もかくやというリラックスだ。


「ちなみに、着ていた鎧は?」

「寝具が破れるから脱がせた。まあ本人も脱ぎたがってたし。」

「武器はどうした。」

「下にあるよ。それなりの骨董品。欲しがる人はいないだろうけど。」

「そうか…」


装備を取り上げられる事には、特に何の警戒も抵抗もなかったのか。

どうしようもない寝姿含め、こちらの緊張感を削いでくる。まあ別に、

そこまで構える必要もないのか。


「とにかく起こそう。」

「はあい。」


軽く答えたカンドフが、ラモンドに頼んでおいた食べ物の包みをそっと

開ける。何とも食欲をそそる匂いが部屋を満たした。と、その刹那。


「んあ?」


爆睡していた少女がカッと両の目を開き、勢いよく上体を起こした。

あまりにも劇的な目覚まし効果に、半信半疑で買ってきたラモンドも

形容し難い表情になる。



どこまでも緊張感のない、不審人物との接触だった。


================================


「えと…」


まず匂いに気付いたらしい少女が、一拍遅れてラモンドたち二人の顔に

視線を向けてきた。何も言わずに、二人は椅子に腰を下ろす。狭いので

三人も室内にいると圧迫感がある。


沈黙は短かった。


「まあ、食べましょうよ。」


にこやかに言ったカンドフの手が、包みから取り出したハンバーガーを

少女に差し出す。そして傍らに座るラモンドにも。二人とも受け取り、

そして迷わずかぶりついた。二人に負けじと、カンドフもかぶりつく。


そう。

何はともあれ食べよう。

厄介な話はそれからでも遅くない。



不思議な意識の共有があった。


================================


「さて、と。」


残らず平らげてコーヒーも飲んで、あらためてラモンドが口を開いた。


「君の話を聴こうか。」

「あっ、はい。」


紙ナプキンで指を丁寧に拭いていた少女が、慌てて居住まいを正す。

少なくとも、敵意などはなさそうな雰囲気だった。


「ええとですね。」


二人の顔を見比べた少女が、どこか申し訳なさそうに告げる。


「相変わらず、この場で名乗るべき名前が分かりません。記憶喪失とか

そういうのではなく…その…説明が非常に難しい状態でして。」

「まあ、その難しい説明をこれから聴こうって話だ。なら、とりあえず

名前に関してはいい。」

「すみません…」

「ただ、呼び名は必要だ。」


そう言って、ラモンドはほんの少し身を乗り出した。


「昨日、何だかよく分からない事を言ってたな。この世界は何とか。」

「ええ…まあ、ハイ。」

「何だったっけ?ナニ版のナニ?」

「…ベータテスト版のゲームです。あの、それについてこれから説明」

「よし。」


ためらいがちな少女の言葉を遮り、ラモンドがニッと笑って告げる。


「それじゃあ、とりあえずの名前は『ベータ』って事でいいか?」

「へ?」

「あ、いいんじゃない?」

「あのう」

「とりあえずだ。いいだろ?」

「…ええ、まあ、はい。」


どこかあきらめ顔で笑った少女が、そう言って頷く。


「とりあえずベータです。どうぞ、よろしくお見知り置きを。」

「ラモンド・ドルミレッジだ。」

「あたしはカンドフ・クルーサ。」


名乗ったカンドフがにっこり笑う。


「よろしくね、ベータ。」

「ええ、よろしく。」



分からない事だらけの邂逅。

しかし、どうにか互いに名乗るまでこぎつけた。

そんな些細な事実に、三人は揃って笑い声をあげる。



ようやく何かが始まりつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ