ロタストリグのコイン
「はい、もう離さないようにね。」
「ありがと、ピュアお姉ちゃん!」
真っ赤な風船の紐をしっかり握り、少女が嬉しそうに礼を述べる。
街角の、平和な午後だった。
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「うーん…さすがに越州か…」
ウィンドウ表示を確認したベータの声は、憂いの響きを帯びていた。
表示されていたのは地図。それも、次なるラストプレイヤーの現在地を
示すものである。現状、この表示はひとつしかない。つまりその相手を
探しに行くしかない…という事だ。このあたり、ひょっとすると複数を
表示できるようになるかも知れないものの、今はまだその兆候はない。
地道に二人目を目指すしかない。
「やっぱ、ちょっと見通し甘かったかも知れないわね。」
「まあ、こればっかりはな。」
カンドフとラモンドも、そんな事を言い合いながら憂いの表情になる。
別に問題が発生したわけではない。起こるかも知れないという事への、
あらかじめの懸念だった。
次の街はジオリル州にあるらしい。ノスタウやラクネリアが属している
オキシー州と比べ、かなり小さい。その点はむしろプラス要素だろう。
だだっ広い州内を探し回るよりは、ずっと捜索も楽だろうから。
問題は、州に入る前だ。街ではなく州となると、そう簡単に行かない。
最初は何となくいけると思っていた越州も、ここまでの旅の手応えから
現実的に難しいだろうなと思える。理由は言うまでもなく、蜘蛛足だ。
この店は、とにかく目立つ。
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「見通しが甘かったのは認める。」
ラモンドが、そう言って小さく肩をすくめた。
「越州清掃員の申請さえ通せば問題ないと思ってたが、目立つってのは
事実だ。仕事を請け負うにせよ人を探すにせよ、今のままはまずい。」
「そうね、確かに。」
カンドフも同じように肩をすくめ、店内を見回して告げる。
「こういう移動式の建物、もう少し一般的だと思ってたんだけどね。」
「カッコいいんだけどなー。」
窓の外を窺いながら言ったベータの言葉には、実感がこもっていた。
交通量の少ない国道を進む今なら、特に衆目は集めない。しかしこれが
街の近くとなると、たちまち大勢の注目の的になってしまうのである。
ここに至るまで、何度もそういった光景を窓越しに見てきていた。
州境には検問がある。
蜘蛛足のような特殊な建物に関する統一の法は、おそらく存在しない。
州ごとに決められているか、またはそもそも特に決められていないか。
決まってなければ決まってないで、その場のノリで問題になりそうな
予感もある。
「…やっぱり、できれば目立たない姿で越州したいもんだよなぁ。」
「徒歩とか?」
「それならフリーパスでしょうね。何と名乗ってもいいでしょうし。」
「うーん…」
怪しまれずに州を越えるには、店を置いていくのが一番。その事実は、
三人ともしっかりと理解している。どこかに隠し、ラストプレイヤーの
手がかりを見つけたら戻る。それが最も現実的な選択かも知れない。
だが、やはりリスクが大き過ぎる。下手に時間がかかれば、宿泊費など
諸々出費も馬鹿にならないだろう。ロタストリグ城でしこたま稼いだと
言っても、資金は無限ではない。
「可能ならば店ごと行きたいよな。後々の事も考えて。」
「だよねえ。」
「うん、やっぱりそうだよね。」
ワガママと言われるかも知れない。
しかしそれは三人にとって、かなり切実な要望だった。
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「うーん…」
口を尖らせたベータが、ポケットを探って1枚のコインを取り出した。
問うまでもなく、シャクソンからの餞別のコインだという事は判る。
ラモンドもカンドフも、何となしにそのコインに視線を向けていた。
「困った時に使えって言ってたよね確か。どう思う?」
「まあ、困ってはいるけど。」
「ピンチの時って意味じゃないのかそれは。」
「どうだろ。」
ロタストリグ城では、本当の意味で何度もピンチに陥っていたと思う。
あの時はブフレの古書の課金機能で打開した。高くつきはしたものの、
ああいうチートがあるのは事実だ。
だとすると、今さらロタストリグの遺したコインに価値があるのか。
プレイヤーとしての彼がこの世界をリタイヤしたのは、3000年以上
前である。いくらゲーム好きだったとしても、そこまでピンポイントで
予言めいた事が出来るとは限らないだろう。それこそチートである。
いや、たとえゲーム制作者だったとしても、現実世界の時間の流れには
抗えない。何かを見越して、お助けアイテムを授けるというのはやはり
胡散臭い。疑い出すとキリがない。だったら…
「もういいじゃん。やろうよ。」
吹っ切れたような口調で言い放ち、ベータはコインを強く握り締めた。
「少なくともあたしは、シャクソンの言った「困った時」という定義を
殺伐としたシチュエーションの中に押し込めたくない。時に戦う選択も
必要になるだろうけど、あたしたち三人が目指すのは探究でしょ?」
「…………………」
「それにさ。」
そこでベータはフッと笑った。
「こういうのを、本当の絶体絶命にぶっつけ本番で使うってどうだろ。
ちょい無茶が過ぎるんじゃない?」
「そりゃそうか。」
「確かにな。」
つられるように二人も笑い出した。
確かに、ベータの言う通りである。
ロタストリグがラストプレイヤーの一人だったのは、もう間違いない。
とは言え、彼はゲームの創造主ではない。単なる1プレイヤーである。
そんな人物が遺したモノに、過度な期待を寄せる方が危険ではないか。
どうせイレギュラーな代物ならば、まさにダメモトで使うべきである。
「じゃあ、いいよね?」
「ああ。」
「景気よく行っちゃおう!」
もう、誰にも迷いはない。だったら善は急げというやつだろう。
そんな思いで、ベータは蜘蛛の柄のコインを高々と掲げてみせる。
「よおし、いざ現出せよ!」
「大仰だな。」
「いいじゃん、ノリも大切!」
明らかに余計なアクションを挟み、ベータは『ブフレの古書』背表紙の
スロットに蜘蛛コインを投入する。正直、さほどの期待もしないまま。
しかしそれは、過小評価だった。
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バン!
「え?」
唐突に入口の扉が音を立てて開く。明らかに、何らかの意思を感じた。
と同時に、低速度歩行を続けていた蜘蛛足がピタリと停止する。何度か
操作レバーをガチャガチャと動かすものの、反応が無くなっていた。
「何だ、どういう反応だこれ?」
「ええっと…」
「やっぱり、降りろって事かな。」
カンドフの見立ては、もっともだ。ひとりでに入口が開き、ひとりでに
駆動停止。とにかく降りろという、蜘蛛足からの無言の意志を感じる。
「いや、いきなり言われてもそれ」
ガコン!!
「うわっ!?」
ベータの言葉が終わるのを待たず、店全体がいきなり大きく傾いた。
不意を突かれた三人は、抗う事さえできずに入口から転げ出る。まさに
「強制退場」と形容すべき蛮行だ。さっさと降りろと言わんばかり。
「痛たたたた…」
無様にすっ転んだベータが、何とか立ち上がった刹那。
「お?」
「あれ?」
「え!?」
向き直った三人の目の前で、蜘蛛足が急速に「縮み」始めていた。
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「ちょっとちょっとォ!?」
慌ててカンドフが駆け寄るものの、既に入口は人が潜れるサイズよりも
遥かに小さくなっていた。そして、建物全体もぐんぐんサイズダウン。
あっという間にラモンドの背丈より低くなり、さらに縮んでいく。
「ええー…」
立ち尽くす三人の眼前で、とうとう蜘蛛足はネコくらいの大きさにまで
縮んだ。と同時に、各部分の形状も満遍なくシンプルに変わっている。
たとえて言うなら、ディフォルメに近い変形だった。
コイン投入から、およそ三十秒後。
「と、止まった?」
ようやく縮小が終わった事を察し、カンドフが屈み込んで凝視する。
しかし、既に窓も覗き込めないほど小さくなっている。言うまでもなく
中の物がどうなったかも判らない。物理法則には期待できなかった。
「あたしのお店が…」
「いや、あの…うん、ゴメンね。」
声を掠れされるカンドフに、背後に立つベータが申し訳なさそうな声で
詫びた。軽い気持ちでやった事ではあるものの、後悔先に立たずだ。
困った時に使った結果がこれでは、さらに状況が悪化しただけである。
さすがのラモンドも、何も言えずに頭を掻く。
しばしの、気まずい沈黙ののち。
『ああ、やっと起動できました。』
「!!?」
唐突に聞こえてきた機械的な声に、三人は揃って瞠目する。その声は、
間違いなく目の前のミニ蜘蛛足から発せられていた。
『皆さんお困りですか?まったく、世話が焼けますねえ。』
「は?」
思わずベータが素の声を上げる。
何だコイツは。
いきなり店が縮んだかと思ったら、妙に偉そうな事を言い始めている。
…いやいやそうじゃない。ってか、それよりもっと先に確認すべき事が
あるじゃないかよ。コイツの声に、果てしなく聞き覚えがあるんだよ。
「…あんた、まさかシャクソン?」
『憶えていてもらえましたか!』
キュイィン!
嬉しそうなひと言を発すると共に、ミニ蜘蛛足はこちらに向き直った。
それまでの駆動とは違う、明らかに自分の意志を持った身軽な挙動だ。
挨拶をするかのように前足を上げ、体を少し傾かせて告げられた言葉。
それは、紛れもないあのシャクソンの声だった。
『ロタストリグ様から託されていた務めは無事終わりましたので、私も
ご一緒させて頂きたいです。どうぞよろしく!』
「ええー…………………」
思わず三人は顔を見合わせ、複雑な表情を共有する。
確かに、都合のいい展開を期待して蜘蛛コインを入れたわけだけど。
まさかそれが、こんなとんでもない起動トラップ(?)だったとは…。
何に困っていたかをちょっと忘れるほど、斜め上の展開だった。




