もうひとつの再起動
その朝。
リッツ・サザントは困惑していた。
そして、苛立っていた。
朝から役場を訪れた、目の前に座る女の存在に。
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「越州清掃員の申請、ねえ。」
「…何か、ご不審な点でも?」
「いえ別に。」
思わず棘の混じった己の問いかけに対し、女は事もなげに首を振った。
まともに相手にされていない。その確信が、さらに苛立ちを募らせる。
何なんだろうか、この女は。
一分の隙もないスーツ姿で、何なら見惚れるくらい決まっている容姿。
しかし、明らかに役場の関係者ではない。と言うか、明らかに偽名を
名乗っているのが判る。相手も別に隠そうとは思っていないらしい。
ただ単に思いついた名を名乗った。そんな投げやりな印象を受ける。
もちろん、怪しい事を言ってくれば問いただす事もできる。とは言え、
ここは単なる役場。まとまった金が置いてあるわけでもなし、わざわざ
狙うような価値もない。と言うか、そういう不審な気配さえもない。
とりあえず、ふらりと訊きたい事を訊きに来た。そんな雰囲気である。
何でよりによって、自分が応対する事になったんだろうか。
心中で嘆きつつ、リッツは目の前の女の挙動を見逃すまいとしていた。
「ラモンド・ドルミレッジって名の特殊清掃員、まだこの街にいる?」
彼女の来訪の目的。
それは、あまりにもピンポイントでリッツの心を揺さぶっていた。
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とは言え、妙な嘘も言えない。
少なくとも彼女は、ラモンドがこの街にいた事を最初から知っている。
知り合いなのかどうかは別として、「まだ」この街にいるか…という
問いには答えざるを得ない。色々と後ろ暗い事をしていたと言っても、
ラモンドという男はあくまで一介の特殊清掃員だ。彼の動向に関しての
守秘義務はないのである。
それ故に、リッツは正直に答えた。ラモンドが越州清掃員の申請を出し
この街を離れたのだという事実を。
もちろん、目の前の女を不審人物と思っている。ラモンドの今の動向を
教える事が、どんな結果に繋がるか気にかかる。もしかすると、何かの
報復や陰謀が待つのかも知れない。どうなるのかは、想像もつかない。
しかし、だからと言って今、自分が庇い立てするというのは何か違う。
少なからず後ろめたい事をしていた以上、何があろうとも彼の責任だ。
自分には、そこまで彼の背負うべきリスクを肩代わりする理由はない。
それに、彼なら何とかするだろう。信じているからこそ、今は話す。
何の相談もなく越州清掃員の申請を出した、あの薄情者の動向を。
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「どこの街で仕事したとか、そんな申請は上がってない?」
「さすがにそこまで、仕事の情報を開示する事はできません。」
「そりゃそうね。失礼しました。」
きっぱりと即答したリッツに、女は怒る素振りも見せずちょっと笑う。
出で立ちの隙の無さに比べ、笑った時の顔は子供っぽさが感じられた。
少なくとも、後ろ暗い二面性などは感じ無い。そんな自分の見立てを、
リッツは信じたかった。
「…他に何か?」
「えーとね。んじゃあラモンド君、誰と一緒だったか判る?」
「越州申請は単独ですが。」
「いや同業者じゃなくて旅のお供。骨董屋と一緒じゃなかったっけ?」
「骨董屋?」
「そう。街外れにあったお店。今は移転しちゃったみたいだけど…」
「いや、移転も何も。」
リッツは、怪訝そうな表情を隠そうともせずに答えた。
「このノスタウに骨董商のお店は、昔から一軒もありませんよ。」
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沈黙は、長くは続かなかった。
「…あー、そうなんだ。失礼失礼。ちょっと勘違いしてたみたいね。」
「勘違い…ですか。」
「ええ。じゃあ、ありがとね。」
曖昧に答えた女は、そのままスッと立ち上がった。やはり背が高い。
同じように立ち上がったリッツは、軽く頭を上げる。
「ご利用ありがとうございます。」
「こちらこそ、お邪魔しました。」
礼を返した女は、踵を返して早足で去っていく。振り返る事もなく。
背を見送るリッツは、やがて大きなため息をついた。
何だったんだか、あの人。
骨董屋って何?
まあいいや。
気をつけてよ、ラモンドさん。
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「ふぅ。」
役場の正面入口の階段を降り切り、スーツ姿の女は大きく伸びをした。
朝の喧騒の中、その緊張感に欠ける動作は独特の違和感を生んでいる。
しかし気に留める者はいなかった。
「骨董屋なんてありません、かぁ。…意外と雑だねえ、色々と。」
『まあ、そんなものでしょう。』
小声の独り言に、誰かが答える。
その声は、間違いなくスーツ姿の女にしか聞こえないものだった。
『何もかも完璧とは行きませんよ、色々とね。』
「だよね。まあいいけどさ。」
答えた女は、やがて歩き出した。
「さあて、んじゃ実際に見に行くとしましょうか。」
『何をですか?』
「決まってんじゃん。沼ガエル。」
『スワンプトードですか。』
「そう!」
『道は分かりますか?』
「分かんない。ナビよろしくね。」
『了解です。手がかかりますね。』
「頼りにしてまぁす。」
ぼそぼそと呟きながら、迷いのない足取りで女は進んでいく。
北の森を目指して。
空には、灰色の雲がかかっていた。
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「拓かれない森ねえ、いつまでも。前来た時と変わんないじゃん。」
しばしの後。
スーツ女性は、その出で立ちのまま森の中を歩いていた。周囲の光景と
服装のギャップが、実に大変な事になっている。しかし当人は気にする
様子も見せず、またパンプスのまま平然と悪路を身軽に歩いていく。
身体能力が突出しているのか、森の状況を全て知り尽くしているのか。
いずれにせよ、服を汚す事さえなく進んでいく。少し前に、ラモンドと
カンドフの二人が分け入った森を。
沼に辿り着いたのは、正午だった。
「…あー、確かにもぬけの殻ね。」
『それは当然でしょうね。』
周囲を見渡す女の独り言に、先ほどの声が答える。
『スワンプトードと彼女の運命は、ある意味で一蓮托生ですから。』
「その言い方はどうかなあ。」
苦笑した女は、迷うことなく沼へと足を踏み入れた。さすがに靴の先が
ズブッと泥の中に沈み込む。しかし沈んだのは、足首の下までだった。
『汚れますよ。』
「いいよ別に。こんなフォーマルな格好、あんまり好きじゃないし。」
ズブズブと沼の表面を歩いていった女は、やがてスワンプトードの骸が
溶けて消えた場所に至り、ピタリとその強引な歩を止める。
「ここでやられたのか。」
『そのようですね。』
「ま、初見殺しの泡のタネが割れてしまえば、ただのカエルだからね。
この時代の人間でも倒せるか。」
『身も蓋も無い言い方ですねえ。』
「はは、確かに。」
愉快そうに笑った女性は、そのままぐっと屈み込んだ。重さで足が更に
沈み込み、膝辺りまで泥に没する。しかし、やはり気にする風もない。
「コイツが死んで彼女が目覚めた。んじゃ、ゲームは本格的に終局へと
進み出したって事よね。」
『やはり終局と形容しますか。』
「その方がカッコいいでしょ?」
『まあ、確かに。』
相手も可笑しそうな口調で答える。語られている内容とのギャップが、
何とも不穏な空気を醸していた。
数秒の沈黙ののち。
「じゃ、あたしもラストプレイヤーとして参戦と行きますか!」
ズブッ!!
言い放った女性が、スワンプトードの残骸へ迷わず右手を突っ込んだ。
と、次の瞬間。
ゴボオッ!!
一瞬で沸騰したかのように、沼全体が泡立った。やがて泥が巻き上がり
女性の体を一気に包み込んでいく。それは、どこか生物的な捕食にさえ
見える、異様な光景だった。やがて泥は瞬間硬化し、かつてのベータが
封じられていた塊にまで変化する。表面の光沢は一瞬ですべて失われ、
沼はそのまま岩場と化していた。
死を思わせる、数秒の沈黙ののち。
バガアァァァァン!
たったいま固まったばかりの泥が、凄まじい音を立てて破裂した。
中まで完全に乾燥していたらしく、泥の飛沫ではなく粉塵が舞い散る。
やがてそれが落ち着いた爆心には、ひとつの奇妙な人影があった。
ボディコンシャスを思わせる細身の体に、記号化されたカエルの体表。
頭部には、シニョンを思わせる一対の大きな球。表面がキョロキョロと
動くさまは、まさにカエルの眼球を思わせる。そしてその顔は、先ほど
泥に呑まれた女性が少し若くなったような雰囲気に変わっていた。
やがて。
『問題はありませんか?』
「もちろん。お堅い格好は飽き飽きしてたし、テンション上がるよ。」
『とは言え、あまりその姿で往来をウロウロしない方がいいですよ。』
「わぁかってるってば!」
ピョン!!
可笑しそうに答えた彼女が、一瞬で沼から跳び出した。その姿の通り、
カエルを思わせる圧倒的な跳躍で。
音もなく着地すると同時に、彼女の姿はほぼ一瞬で変化を遂げていた。
裸に近いシルエットから、パーカーを羽織ったような独特の姿に。
「これで問題ないでしょ?」
『ええ。ちょっと若返りましたね。イメージチェンジですか?』
「まあね。」
短く答えると同時に、頭部の眼球がぎょろりと動いて道の方に向いた。
「さーてと。じゃ行くか。ちなみにそっちの進捗はどんな感じ?」
『体感的には、もう終わりですよ。これ以上は意味がないのではと。』
「あー、ケータイとかPCで言えばフル充電って事ね。結構じゃない。
お疲れさま。」
『これで私はお役御免ですか?』
「そんなつれない事は言わないよ。感謝してるんだからさ。」
そう言いつつ、女性はニッと笑う。姿の見えない相手に対して。
「じゃあ、逆にどうしたい?」
『私も、少しは遊びたいですねえ。それなりに貢献しましたから。』
「それは全然構わないと思うけど、どうすんの?ラストプレイヤー枠は
とっくに埋まっちゃってるよ?」
『なら、違う形でお邪魔します。』
「おお、かなり本気みたいだね。」
『いけませんか?』
「いやいや、大歓迎だよ。じゃあ、もしかしてもう準備もしてるの?」
『ええ、それなりに。』
「おみそれしました!」
パンと手を打ち鳴らし、女性は虚空に向かって嬉しそうに言った。
「んじゃ、待ってるよ。」
『ええ、またいずれ。と言っても、連絡回線は維持しておきますが。』
「抜かりがないねえ、ホントに。」
仰ぐ空は、いつの間にか雲も絶えて蒼く晴れ渡りつつあった。
「オッケー、楽しみに待つよ。」
『大いに楽しんで下さい。そちらの世界をね。』
「了解!」
子供っぽく敬礼した女性が、大きな声でひと言だけ言い放つ。
それが、事実上の開始宣言だった。
「楽しませてよ、アミリアス!!」




