彼女の創りたかったもの
自分は凡人だと、そんな事を初めて自覚したのはいつだっただろうか。
大学の頃か高校の頃か。それとも、もっと前だったかも知れない。
勉強ができないってわけじゃない。いや、むしろ常に成績は良かった。
運動は、さほど得意じゃなかった。けど嫌いになるほどでもなかった。
とりあえず、苦手だと明確に言えるものは特に無かったかなと思う。
そつなく何でもこなす自分の姿は、家族の目にはどう映っていたのか。
子供の頃からそんな事を考えていたあたしは、卑屈な子かも知れない。
家族仲はよかったけれど、あたしはそれほど期待されない人間だった。
それこそ、家族からも学校からも。
こんな卑屈な自分を変えたい。そう考えたのは、高校の頃だったっけ。
そっちは割とはっきり憶えている。思うだけじゃなく、行動したから。
あたしは、何かを創りたかった。
通り一遍の趣味ではなく、他の人の心や記憶に残る何かを、自分の手で
創造してみたいと思った。具体的に何なのかはまだ分からない。けど、
とにかく創造という爪跡を、世界にひとつでも残したいと思ったんだ。
本気で打ち込めるものを持ってない人間だなと、その時初めて思った。
何でもそつなくこなせる代わりに、のめり込めるものが何もなかった。
音楽を聴いたり映画を観たりという趣味はあったけど、自分で何かを
創り上げるような意志がなかった。
そこまで思い至った事で、あたしは自分の凡庸さをはっきり認識した。
個の充足こそが重要視される現代の世界に、頭まで浸かりきっている。
そんな自分を不甲斐なく思い、またそんな生き方に恐怖さえ覚えた。
何でもいい。
とにかく自分でゼロから創造する。いや、ゼロからじゃなくてもいい。
多少は他人の模倣になってもいい。それが誰かの心に残るというなら、
あまり大仰なプライドは持たない。…何と形容すべきなんだろうな、
こういう感情って。
そして。
あたしは、現実というものを知る。
================================
高校2年の時に、小説投稿サイトに自作を投稿し始めた。ちょっとした
ローファンタジーで、主人公の設定に自分の性格を当てはめてみた。
我ながらよくできたなと思ったし、140話できっちり完結に至った。
ちゃんと伏線回収もできたと思う。自分で読み返しても楽しめたっけ。
でもその作品は、最初から最後までランキングに乗る気配もなかった。
一日の閲覧者の数を確認するのは、50話を超えた時点でやめた。
求められていないんだと、これ以上ないほど明確になる数字だから。
途中で投げ出すのだけは嫌だった。
だから最後まで書いた。
少なくとも、その程度の矜持だけは自分の中にあると、少しは思えた。
それだけがこの作品の爪跡だった。
だけどあたしは、自分という人間に対する確信が持てないままだった。
創作が向いてないと、はっきりそう言えるほどじゃない。書いてる時は
楽しかったし、いいものが書けたという思いも決して幻じゃなかった。
少なくとも、そういう事を苦痛だと思ったりしない程度には頭が回る。
手も動いてくれる。だけど、結果がついて来ない。それが現実だった。
諦めろと言われても、そんな単純に割り切れるもんじゃない。むしろ、
次は何とかなるかもという、半端な思いだけが胸の中に残っていた。
それから、いくつかの投稿サイトにこの作品を転載し、次作も書いた。
結果はどれも似たり寄ったり。いやむしろ評価は右肩下がりだった。
やっぱりダメだったか。
そう思った時、妙な感覚を抱いた。力が抜けるというか、体がちょっと
軽くなるというか。挫折というのはこういう形をとる事もあるのかと、
変な納得が心を満たした。
まあいいや。
そんな言葉を心の中で小さく呟き、あたしは誰も望まない筆を置いた。
惜しむコメントさえなかった。その事実に若干の寂しさはあったけど、
やるだけやったという思いも得た。凡庸なあたしでも、このくらいなら
頑張れるんだと思えた。少なくともどの作品も、きちんと終わらせた。
その事だけは、自分を褒めた。
================================
子供の頃の自己評価なんてものは、ある意味ちょっとした気の迷いだ。
そういうのを的確に表現してくれる言葉だってちゃんと存在している。
思春期だとか、中二病だとかね。
大学に合格した頃、あたしは過去に抱いた焦燥感を、雑にそんな言葉に
カテゴライズして納得していた。
昔から、勉強は嫌いじゃなかった。さすがに好きとまでは行かない。
けど少なくとも、ほとんどの教科を「楽しむ」事くらいは出来ていた。
この感覚を持てない子供は、何歳になっても「勉強嫌い」なんだろう。
同級生にも友人にも、そういう子はいくらでもいた。とは言っても、
別にそれで相手の人格を否定したりはしなかった。って言うか、それは
程度の低いいじめだ。学校の勉強が楽しくないなんて、当たり前の事。
そんな事で他人を計るなんてのは、それこそ馬鹿の所業だろう。
至って普通に友人関係を保ちつつ、あたしは大学に入学してから勉強に
本腰を入れた。周りの人たちも割と真面目だったから、変に浮く事も
無かったと思う。努力相応の成績を収め、あたしは社会人になった。
大手企業の経理。
何と言うか、自分らしい堅実な就職だったと思う。家族も喜んでいた。
その会社なら間違いないねと、実に分かりやすい喜び方だった。別に、
その事に思うところなどなかった。仕事は楽しいし、充実もしていた。
大きな波乱もないけど、特に悩む事などもない日々。だけどあたしは、
いつもぽっかりと大きな穴が開いているような感覚を抱いていた。
理由が分からないわけじゃない。
きっかけを忘れたわけじゃない。
凡人なりの爪跡を残したいという、あの頃の思いは宙ぶらりんのまま。
大人になるという道程が忙しくて、それに目を向ける余裕がなかった。
それに、今だから気づく事もある。
投稿した小説が、結果の出ないまま終わった時。
本気で悔しいと思わなかった。いやむしろ、清々していた気さえする。
思春期とか中二病とか、都合のいい言葉で箱の中にしまい込んでいた。
あんな終わり方だったせいで、今もその火種は消えていないんだろう。
諦め切れないと言うより、まだまだ最後までやり切っていない感じか。
どんな形でもいい。
ありきたりな手段でも構わない。
ゼロからカテゴリーを創れるような才覚が無いのは、知ってるから。
他人と同じ手段でも構わないから、もう一度何かを創造してみたい。
社会人として少しは余裕を持つ事が出来るようになった今だからこそ、
もう一度だけ挑戦してみたい。
そんな思いを抱きつつ、いつも通りの生活を続けていたある日。
とある大型店舗の宣伝用ボードに、あるゲームの発売告知が映された。
オンラインで、自分の創ったゲームを公表して互いに遊べるシステム。
やり込み要素だけでなく、創り込み要素も大いにありそうな内容。
これだと思った。
今更だけど、あたしの心の中にある世界をもう一度アウトプットする。
そのための手段として、このゲームはまさにうってつけだと思った。
あまりゲームには詳しくないけど、発売と同時に即購入した。もし仮に
難しい仕様だったとしても、大いに勉強して習得してやろうと思った。
あたしはこれで、爪跡を残す。
たとえそれがゲーム世界だろうと、世界の構築には変わらないはずだ。
そうでしょ?
ねえ『オメガクリエイター』。
あたしはこのゲームで、己の世界を創り上げてみせる。
子供の頃から抱く、夢を形に。
================================
正直、ゲーム自体にはあまり詳しくない。
技術進歩によって、体感型ゲームは想像を超える発展を遂げている。
だけど、個人的には過度な没入感はあまり好きじゃない。あくまでも、
現実とゲームの線引きはきっちりとしたい派だ。そういう意味でも、
『オメガクリエイター』はあたしの好みにピッタリだった。
もちろん体感システムはある。いや実際のところ、それが未搭載では
ぶっちゃけ絶対に売れないだろう。このゲームがあたし好みなのは、
体感の没入度をレベルで調整できるという点だ。
レベル1では、VR要素自体無い。非常に古典的なコントローラーや
キーボードなどを使い、パソコンやテレビのモニターの中で展開される
ゲーム世界で遊ぶ。懐古主義とでも言うべきか、レトロゲームが好きな
世代向けのオプションである。
レベル2になると、簡易ゴーグルを装着する体感型に進化する。ただし
没入と言えるほどではなく、視覚と聴覚でゲーム世界を楽しむだけだ。
ずっと昔のVRが、まさにこういう感じだったと言われている。
レベル3から、標準的な体感形式に切り替わる。専用デバイスを装着し
ベッドに横になった状態でゲームの世界に入る。感覚器に対する同期も
高度なレベルになり、触感や味覚もかなりリアルに再現される。まあ、
今のゲームの大半はこのレベルだ。おそらくユーザーの大半が選ぶ。
そしてレベル4。
別売りのデバイスを使い、感覚器に超高精度のシンクロマシンを接続。
これにより、完全な「現実」としてゲーム世界を認識するようになる。
「現実そっくり」ではなく、疑似的に完成した「ゲームの現実」だ。
装着したデバイスを認識する事などできず、見えている容姿そのものを
脳が現実として認識する。ここからログアウトするには、ゲーム世界で
正式な手順を踏むしかない。かつてこんなVR世界を舞台にした映画が
制作されていたらしい。三部作まででやめておけばよかったのにという
怨嗟は、時代を経た今でも残る。
以上の4段階だ。
ゲーム単体で実装できるのは3までであり、4は上級者向けと言える。
もちろんあたしは、3までで十分。正直言って、4はちょっと怖いし。
『オメガクリエイター』が優秀だと思うのは、どのレベルであっても
同じゲームで楽しめるという点だ。他のプレイヤーレベルは、外見では
判別できない。知りたければ本人に訊けばいいけど、あえて知る必要は
無いという考え方が大半だ。まあ、ゲームなんて楽しめればいいしね。
見えてる世界の解像度が違っても、同じ世界のプレイヤーとして遊ぶ。
こういう隔たりのないシステムは、とっても心地良い。だから選んだ。
どのレベルであろうと楽しめる。
どんな年代の人でも楽しめる。
『オメガクリエイター』を使って、そんな独自のゲームを創りたい。
それで満足してくれる人がいれば、己の凡庸さに少し光も射すだろう。
さあ。
時を経て、もう一度挑戦しよう。
自分なりの世界創造に。




