地境線
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
え~、本日6月27日、晴天。つつがない一日でした……と。
ねえ、こーちゃん。日記つけるのって、なんか面倒じゃない? ここんところ毎日毎日、同じことの繰り返しでさ。生きている感じがしないよ。生かされているって感じ?
自分からもまわりからも、やらなきゃいけないことに取り囲まれてさ。イレギュラーな動きが全然できないっていうか。あーあ、そりゃ冒険とか異世界とか、普段できないことに憧れるもんだよねえ。
――え? 将来で好き勝手できるように、いま好き勝手を押さえることが大事?
はいはい、こーちゃん以外の大人もたいていそういうよ。で、それはたぶん間違っちゃいないんだよね。
こーちゃんも、他の大人たちも、昔はみんな子供だったんだ。きっと僕たちの気持ちも理解した上で、そういってくれているんだろう。自分の取りこぼしたものを知っているから。
でも、これだって分かってくれるだろ? 僕たちには将来よりも、今で手いっぱいだってことも。
いくら諭されても、どこかで理解しきれていない未来より、肌で感じて苦楽を味わっている今こそが深刻で、真実だってさ。未来も過去もなくって、あるのは一秒一秒がつむぐ「今」だけ。
ならば、こうしている「今」も不思議に出会う可能性はゼロじゃない。僕は心の中でそれを期待しながら生きているんだ。こーちゃんも、実のところはそう考えている点、ない?
今日の分の課題も終わったし、ちょっと「今」に関する奇妙な話、聞いてみない?
お父さんから聞いた話なんだけどね、この世界にはところどころ「地境線」が引かれているんだって。
読んで字のごとく、地面にある境目のことらしいね。
僕たちは多かれ少なかれ、他者との境を引くことによって生活を保っている。自分が自分でいられるようにだ。境界線なく他者のことを知りたい……という表現もされるけれど、それは他者と同一になることで、自分ではない存在になっちゃうってこと。
いくら近しいものであっても、きっちり区切らなきゃあ相手も自分もいないわけだね。
この地境線、多くは建物の建ち方などで巧妙に隠されたり、同化していたりして普段は見えることが少ないらしいんだ。
僕たちは日ごろ、平然とそれを踏み越えて出たり入ったりを繰り返している。多くはそれで問題がないのだけれど、もしはっきりとしたものが見つかったら警戒したほうがいいかもしれないんだってさ。
お父さんが出くわしたのは、ここから遠方で暮らしていた子供のときのこと。
いつも通っていた駄菓子屋さんが、その日はシャッターが閉まっていて「おや?」と思ったらしい。
臨時休業は、今までにも何度かあったものの、そのときにはシャッターに張り紙がいつもされていたものだ。けれども、今回はそれがない。
よっぽどの急用なのかなと、予定を変更してよそへ遊びにいったお父さん。けれども駄菓子屋さんは次の日も、その次の日もお店が開くことはなかったんだ。
お父さんも友達と「変だなあ」と思いつつ、お店の前で様子をうかがっていて、ふと気づいたことがあった。
閉まっているシャッターよりも、ほんの十数センチ外側に、細いながらも深々とした溝がいつの間にかできていたんだ。
幅は縫い針の先でつけた程度の細さだけれども、底が見えない。それがお店の敷地内をぐるりと囲っている状態だったとか。
シャッターのずれた跡などとは、明らかに違うもの。かといって、人力でこれほどの深さを掘るのなら、相応の道具なりが必要になるだろう。そしてこれは明らかに何かしらの意図を持って、作られたもの……。
不審に思ったお父さんたちが、おのおの家へ帰って、このことを祖父母に報告したところ「地境線」の存在を知ったんだとか。
「それは、こちらとあちらを異にする線だ。その線より内側へ入ったが最後、お前はお前という存在ではなく、あちらのものになってしまう。
くれぐれもまたぐ真似はするなよ。お前がお前でいたいならな……」
その意味を、お父さんは数日後に知ることになる。
その日は用事があって、例のお店の前を通るところになったところ、背後からチリンチリンと自転車のベルを鳴らされる。
とっさに脇へ寄ったものの、肝心の自転車はお父さんからだいぶ離れたところを通過。そう思いきや、大きく蛇行してお父さんの前方を遮り、かと思いきやまたスラローム……。
昼間から酔っ払っているのか? という危なっかしい運転は、例の駄菓子屋の前まできたときに、一番ひどくなる。
乗っていた人が身体ごと、思い切りシャッターに激突してしまったんだ。その人は大きく傾きこそすれ、倒れるまではいかず。わずかによろめいたあとに、またスラロームをはじめるかと思ったけれど……かなわなかった。
シャッターから腕が飛び出たんだ。
シャッターを開けてはいない。そのまま表面から突き出たかのような、灰色の無数の腕。それは自転車もろとも、乗っていた人をシャッターの内側へ引き込んでしまったんだ。これもまたシャッターを開けず、穴もあけない。
目にもとまらぬ早業で、一部始終を見た人じゃなければまず信じられないレベルだったとか。そして、自転車の人を取り込んでほどなく、駄菓子屋さんの建物は自壊を始めてしまったんだ。
誰の手を借りたわけでもなく、例の地境線の内側へきれいにとどまった瓦礫たち。その中から駄菓子屋を経営していた老夫婦はおろか、自転車の人も自転車自体も見つかることはなかったとか。