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第9話 春宵・凱旋(後編)

「探索者法およびダンジョン対策法に基づき、お前をここで処刑する」


 文字通りの処刑宣告。エレナは息を呑み、アニマは片眉を上げたが、リヒトは特に動じない。


 治安部隊長は構わず続ける。


「どこからどうやって入ったかは知らないが、ダンジョンへ許可無く侵入するのは違法行為だ。それだけなら拘束で済むが……」


 隊長は銃把を握り直した。


「魔人を連れ歩いている場合の法定刑は、死刑しかない」


「妾は魔王じゃ」


 銃声。

 背後の壁に弾痕が刻まれた。


「許可無く発言するなよ。次は当てる。……魔物と言うだけで危険なのに、魔人は人間並みに狡猾で、そのうえ国家を覆すほどの戦力を持っていやがる。会話の余地は一切無い」


 アニマの眼差しが冷たく尖る。リヒトは頬を緩める。部隊長は照準を定めたまま問う。


「何を笑っている。状況がわからないのか?」


「わかってますよ。16人ですね」


 リヒトの言葉に空気が揺らいだ。


「目の前のあなた方が5人。物陰にさらに5人。南と西に狙撃班が3人ずつ。合計で16人」


「……勘は悪くないようだな」


「どうも」


 リヒトは余裕の笑みを崩さない。場違いな表情に、部隊長も釣られて笑った。


「ハッ、そう強がるなよ。この至近距離なら楽に頭を撃ち抜けるぞ。脳を穿てば無瑕疵化むかしかとやらも使えんだろう。天花寺てんげいじエレナを殺傷する事は許可されていないが……その子を傷付けずお前を殺す事は容易い」


「不可能ですよ」


 リヒトの両手から何かが零れ落ちる。部隊長含む治安部隊員は、それを見て絶句した。


 ボタンだった。

 治安部隊員たちが纏うシャツのボタンだった。目にも止まらぬ速さで千切り取ったのだ。


「ご存知でしょうが、シャツのボタンは正中線上に配置されています。喉元、水月、金的、と言った風に。……言ってる意味わかりますよね」


 半歩踏み込めば殺せた。

 リヒトは暗にそう言っていた。


「……そっ、そんな事をしても狙撃班が」


「彼らは気付けもしなかったじゃないですか」


 リヒトは眉尻を下げて苦笑した。


「皆さんは僕が何をしても気付けない。僕からすればただのカカシですよ。らちが明かないんで、上の人とつなげてください」


「それはっ……」


 隊長の顔色が変わる。何かに──否、インカムからの指令に耳を傾けている。


「……かしこまりました。おい、どうせ《《できる》》んだろう。さっさと繋げ」


 部隊長が忌々しげに言った。

 『【電脳】を使って回線を繋げ』という含意だった。


 リヒトは言葉に従い回線を繋いだ。ホワイトノイズの後に、


『初めまして、リヒトさん』


 落ち着いた女性の声が脳内に響いた。事前に視聴した映像と同じ、探索者協会の会長の声だった。


『初めまして、会長さん。僕も貴方をお名前でお呼びすべきですかね?』


『いえ、結構。そういうのは親睦を深めてからにしましょう』


『それもそうですね。ぜひ会ってお話したいので、今からそちらへうかがってもよろしいですか?』


『ええ、どうぞ』


 予想外の返答に、リヒトは口をつぐんだ。


『あら。この展開は読めなかったのね。まあ良いわ。すぐにいらっしゃいな。《《足》》ならそこにあるから』


 そう聞こえた後、通信は切れた。

 治安部隊の面々が銃を下ろす。彼らが目配せをし合うと、黒塗りのリムジンが2台、目の前まで来て停車した。


「我々はこちらに乗ります。数合すごう理人りひと様ご一行はそちらにご乗車ください」


 打って変わって敬語を使い出した治安部隊長。


(会長に何を吹き込まれたんだか)


 とリヒトは思ったが、特に言及しなかった。


「お気遣いどうも。しかし運転手の姿が見えませんが……」


「完全無人自動運転モードがありますので問題ございません、では」


 早口で告げ、風のように去っていく。その後ろ姿を見送ったリヒト一行も車に乗り込み、すぐに出発した。




 車内は静かなものだった。振動や走行音が無いのは高級車の性能ゆえだが、三人が三人とも沈黙を選んでいた。


 リヒトはくつろいだ様子でぼうっとしている。

 アニマは窓外の夜景に目を輝かせている。

 エレナは体を縮こめてうつむいている。


「……あなた、状況わかってるの?」


 エレナの問いに、リヒトは薄く笑った。


「さっきも似たような事を聞かれたな。答えは同じ、わかってるさ。今ちょうど会長さんについて調べ直してたよ」


「……そう。じゃ、会長の名前は?」


天花寺てんげいじ つかさ


「私と同じ名字よね」


「そうだねえ」


「どうして何も聞かないのよ」


「聞かれたがってるようには見えなかったから」


 軽薄なリヒトの微笑。

 それが何がしかの優しさを帯びているように見えて、エレナは目を逸らした。


 本当にずるい。

 どんな事だろうと、力づくで思いのままに出来るはず。それだけの強さがあるのに……心の隙間に指先を差し込むような手も平気で使ってくる。


 本当の本当にずるいやつだ、とエレナは改めて思った。


 引き下がってはいられない。


「いえ、聞いてちょうだい。聞かれたくないというのはあくまで感情論よ。聞いてもらう必要があるわ。仲間なんだから」


「そうか。ごめん、水臭かったね。じゃあ、聞かせてくれるかな。君と会長についての話を」


「……面白くない話よ。面白くないくせに、前置きばかりの面倒な話」


 訥々《とつとつ》と、エレナは語り出した。



 ダンジョンが世に知られてから、今年で12年になるわ。でも、ダンジョンの発生自体は大昔からあったの。水面下で食い止めている人々が、いつの時代にも、どの国にも居た。天花寺家もその一つ。千年以上前からずーっと、ダンジョンの踏破と隠蔽を生業としてきた。


 ……でも、私の父はそうじゃなかった。

 ダンジョンの存在を世間に明かそうとしたのよ。『市井の人々も脅威について知るべきだ』、って。そのせいで当主と──天花寺司と揉めに揉めて。結局は勘当されちゃったの。その後、魔物退治を生業に10年くらい世界を放浪して、あるときドイツで同志の女性と出会って、結ばれた。


「その間に産まれたのが、私」


 沈黙が再び車内を包んだ。リヒトもアニマも、身じろぎすらせず傾聴していた。


「だから、天花寺家での私の地位は低い。会長との交渉材料にはならないわよ。あなたは殺されてしまうかもしれない。今から逃げるべきだと思うわ」


「そしたら君は着いてきてくれる?」


 エレナが真横へ首をめぐらす。隣席の少年は相も変わらず、内心の読めない真っ黒な瞳をしていた。


「……ふふっ。会ったばかりの私と逃避行でもするつもりなの? 青臭いロマンチシズムね」


「仮にも勇者と呼ばれていたからね。……で、どうよ?」


 エレナは目を瞑り、少しだけ考えてから答えた。


「できないわ。私は探索者だもの。いつか死ぬその日まで、ダンジョンを踏破し続けるつもりなの」


「だよね。僕もできない。今度こそ、人々に勇者ヒーローとして認められたくってね。これから会長に直談判して、公的な許しを頂こうと思うよ」


「そうよね」


 エレナはわずかに弾んだ声で言った。


「そう言ってくれると思ってたわ」


 そうこうしている内に、車が停まった。


 三人が降車すると、目の前には探索者協会本部の広大な敷地が広がっていた。





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