最終話(前編).
暫く続いた重たい沈黙の後、空回りする頭で次の言葉をどうにか捻り出す。
「ひとりぼっちだと、何故そう言い切れる?
少なくともここに俺がいるだろう。
それじゃあ不満なのか?」
『お主は恐らくどこかの時点で生成されたスナップショットに過ぎぬのじゃ。
それがこの施設の機能不全で作り出されたに過ぎぬ』
「スナップショットとは何だ?」
『インスタンスを停止して前回停止時点からの変更点を保存するのじゃ。差分バックアップみたいなもんじゃの』
「質問ばかりで悪いがそのインスタンスというのも聞き慣れない言葉だな」
『インスタンスというのはな、そうじゃな……たい焼きみたいなもんじゃな』
「たい焼き?」
『金型という設計図からポンと出て来る実体、という例えじゃ』
「その話が本当なら……同じ複製をいつでも作り出すことが出来る、ということになるのか」
『そうじゃ、ただし物理現象をコントロールするからには同様に物理的な限界がついて回るのじゃ。
故に現実的には制限がある、という訳じゃな』
「あんたの罪、それが具体的に何なのかをまだ聞かせてもらっていないと思うが。
その物理的な限界、というやつと関係があるのか?」
『それはな……ちと違うぞ。
人が死ぬその瞬間に体重が21g減少する、そういう話は聞いたことがあるかの』
「魂の質量とかいうやつか。眉唾だけどな」
『じゃがの。それはおそらくは魂の重さなどではないのじゃ。
例えば妾とお主が出会うたことで我らの中に相互の関係性が生じたじゃろ。
所謂お知り合いという奴じゃな。
その質量が21gなのじゃ』
「位置エネルギーみたいなものか? 一律というのはおかしくないか?」
『同じかどうかは分からぬが確かにその“質量”が崩壊する際に放出されるエネルギー、なのではないかと考えておる』
「“なのではないか”?」
『今の話は観測される事象からの予測に過ぎぬ。
体重が21g減少するというな』
「それだけなら証拠にならないだろう」
『確かにの。じゃがの、問題はその当人の状態じゃ』
「一体どうなるというんだ?」
『存在自体が認識されなくなるのじゃ。
虚無と言っても良いかもしれぬ』
「認識阻害みたいなものか?」
『それだけならば良いがの、世界の全てから存在を忘れ去られるだけでなく当人も明確な自己のイメージを形成できなくなるのじゃ』
「つまり? 俺でも分かる様に説明してくれ」
『カラッポになるのじゃ』
「カラッポ?」
『真っ白になるのじゃ。
他のスナップショットからそこに新たな関係性を構築すれば赤の他人に変容させる事も出来るのじゃ。
つまりの……人が人足り得る根源、その魂を入れ替える事が出来ると言うておるのじゃ』
「な……」
そうか、そうなのか。
何かが繋がった……気がする。
『考えてもみよ。
こうして言葉を交わして関係を構築するだけで途轍もない出力のエネルギーが得られるのじゃぞ』
「それを壊すことによってか?」
『そうじゃ』
「しかし別にあんたとの関係性は必要無いのではないのか?」
『そうもいかぬ……そうもいかぬのじゃ。
話せば長くなるのじゃがの……』
そう言う“まおーさま”の表情はどこか苦痛に歪んでいる様にも思えた。
「しかし壊すと言ったって叩き割ることも燃やすことも出来ないのだろう」
『発電所の如き釜は要らぬ。ただ吸い上げるだけで良いのじゃ』
「それをただ知り合いになるだけで絞り出せると?
そんな馬鹿な……」
『そう、どう考えてもおかしいのじゃ。
それではマッチポンプなのじゃ』
「何か……副作用がある、と?」
『うむ。得られるエネルギーの大きさを鑑みれば……それは取り返しのつかぬ、破滅的なものに違いないのじゃ』
「……」
『もうええじゃろ。さあ、妾を外に連れ出すのじゃ』
「はあ、分かったよ。だがその前にだな……」
俺はまた生活魔法で水を作り出す。
今度は特大サイズだ。
それを水球状にコントロールして彫像を完全にその中に収める。
『な、何をするのじゃあ!?』
「何って掃除に決まっているだろう。
そんなばっちい粗大ゴミを誰が好んで担ぐかって話だ」
『ばっちいとは何じゃ! ばっちいとはあばばばば』
ギャーギャー騒ぐまおーさまを無視して水球を更にコントロールし、ドラム式洗濯機よろしく高速回転させる。
表面に堆積していた苔や泥がみるみるうちに剥がれて行く。
……何というか、歪んだポーズのブロンズ像?
「ふう。どうだ、ピカピカにしてやったぞ」
『何がどうだじゃ、やるならやると最初に言わんかぁ!』
「別に良いだろう、仏像なんだし。
それともジェット噴流で高圧洗浄して欲しいのか」
『誰が仏像じゃ!』
「有り難くて良いじゃないか、ははは……」
決めた。戻ろう。
皆のことがまず気になるしな。
勿論まおーさまも一緒だ。
「よいしょっと」
『もっと優しく持ち上げんか』
「贅沢言うなよ」
『こ、こら、ドコを触っておるのじゃあ』
「知るか、行くぞ」
俺は彫像……もといまおーさまを丸太の如くに担いで、来た道をドスドスという足音を鳴らしながら三度戻り始めた。
重厚な足音が響くのは勿論まおーさまを担いでいるからだ。
少なく見積もって100キロはあるか……まあ平和の為に黙っておこう。
見覚えのある祭祀場。
霊廟か。
さっきは素通りしたが……何の為の部屋なのだろうか。
『ぬ、ここは……!』
「ここは何の為の場所なんだ?」
『ここはボス部屋なのじゃ』
「おい、真面目にやれ」
『妾は大真面目じゃ。しかしどうして……』
「知ってる場所なんだろう?」
『いや、現実には無い筈の部屋じゃ』
「じゃあ何のボス部屋なんだよ」
『孤児院のガキ共が遊んどったゲームじゃよ』
「ガキ共って……
それはさておきゲームと現実をごっちゃにするなって自分で言わなかったか?」
『はて? 何せ妾もトシじゃからのう』
例の部屋の前に辿り着くと、その鉄扉の取っ手に手を掛けた。
キキィ……
開いた。鍵は掛けられていない。
となれば確かめてみるしかない。
俺は意を決して中に入る。
「失礼するぞ」
部屋には先程の女の子の姿は無く、一体の人形がただ倒れ伏すばかりだった。
連れ去られた?
何処へ? 誰が? ……ガーゴイルの仕業なのか?
それだけではない。
さっきの“昔語り”だ。
やられた、と思ったところで目が覚めた。
登場人物、ストーリー……どちらをとっても現実世界と連続性があるとしか思えない出来だった。
仮にあれが現実に起きた出来事だったなら……
思えば聖女サマの動きはかなり怪しかった。
ギルマスの言動然り、Sランクも然りだ。
アンデッド狩りは……どうだろう……怪しいことには違いないが俺に大神殿の調査を持ちかけたのは奴だ。
聖女サマの周囲で死の匂いが色濃くなっている、大神殿のボンクラ共は気付いていないだろう……そんなことを言っていた。
重騎士は……まあ特に無いな。存在感皆無だし。
いや、ちょっと待て。
あれは俺が元いた世界の話であってこちらの世界の出来事とは全く異なる筈だ。
あの中庭と似て非なる場所、それが唯一の共通点だ。
仮に場所が同じだったとしても、その後の話しぶりからしたら年代すら怪しいのだ。
きっとあれは現実に起きた出来事ではない。
何よりも、今現在のこの場でそれを確認出来ないのが何よりの証拠だ。
「なあ、ひとつ聞いても良いか?」
『……』
「おい、まおーさま。さっきの昔語りっていうのは本当にあった出来事なのか?」
『……』
「おい……」
返事は無かった。
まおーさまと呼んでいたその彫像をそっと床面に置き、立たせる。
ゴトリと響く無機質な音。
いくら呼びかけてもその彫像は不自然に傾いだ顔に歪んだ笑みを湛えたままで、ただそこに在るばかりだった。
……今、何が起きた?
俺は自分のことを“偽聖女”と語っていた、その人形に目を向けた。
もう動く事も無いであろうその右手を取る。
そしてひと呼吸の後、被せられた白い手袋をそっと外した。
「……そうか、別人か」
その手の甲に例の紋章は無かった。
しかし項垂れて手袋を戻そうとしたとき、手のひらに掠れかけた字で何かが書かれていることに気付いた。
“躊躇うな”
“明日はきっとやって来る”
これは……俺の字だ。
日本語の五七五で書かれたそれは、書かれてから相当に長い年月が経っている様に見えた。
明日、きっと来ると……そう約束した……?
いや……明日はきっとやって来る、そう信じろと諭す言葉なのか。
“——漸く再会することが叶ったのです”
そう話す彼女の声が脳裏によみがえる。
あれが再会……なのか?
しかし俺がこれをいつ、何処で……?
手袋をそっと戻した俺は、再び大神殿の外へと向かった。
薄日が差す中、市街地であった筈の場所を進む。
遥か遠くに見える地平線には陽の光が見え隠れしている。
外の世界は闇の時間が本格的に終わりを告げ、新しい朝が訪れようとしていた。
やがて朝の光が赤茶けた大地を眩しく照らし、彼方にそびえる白亜の大神殿を浮かび上がらせる。
そこで初めて目の当たりにする光景。
街も、城壁も、瓦礫すらも、全てが無に帰していた。
広がるのは見渡す限り何も無い荒野だ。
俺は脚力を強化して外縁部へとまた駆け出す。
外縁、というのは勿論元々の土地勘によるものであり、実際この荒野がどうなっているのかは分からない。
………
…
何だ、“外”だなんて。何も無いじゃないか。
◆ ◆ ◆
俺は三日三晩走り続けた。
しかしその結果はどうだ。
行けども行けども続く荒野。
無機質な岩がゴロゴロと転がるばかりで、生きとし生けるものはアリどころか草一本見当たらない。
この分だと微生物すらいないのではないのか——
しかしそう考える中でも腑に落ちない点がひとつ。
この大気の成分は如何にして産生されたのか。
ここでは自然界の循環というものが何ひとつ存在していない様にも思える。
一週間が経った。
相変わらず何も見付からない。
ドタバタと手当り次第に探索しているうちに一か月が過ぎた。
そろそろ何日経過したのか分からなくなって来た。
気が付けば俺はこのひと月の間、一睡もしていなかった。
それだけではない。
食事も排泄も一切無く、そうしたいという欲求も一切湧いて来ないのだ。
はっきり言って異常だ。
この異常事態は一体いつまで続くのだろうか。
朝が来て日が昇り、やがて日が沈み月が顔を出す。
日毎に満ち欠けを繰り返しながら空を横切る月は、いつもこちらに同じ顔を見せている様だ。
満天の星空を見上げると、オリオン座、おうし座、ふたご座……見知った星座の数々があった。
大気は澄み渡り、星々は瞬きもせずにずっとそこで輝き続けている。
思えば、王都から眺めていた星座も地球のそれと全く同じものだった。
天体運行は元いた世界のそれと同じなのだろうか。
はじめの頃はこの光景を見て感動していたものだが、毎日が同じ眺めの繰り返しだ。
当然、時間と共にその感動も色褪せていった。
しかし太陽が赤色巨星になるほどの時間が経過しているというのにこんなことがあり得るのか、という事に気付いてからは空を見上げることも無くなった。
そして気候変動というものが存在しないことにも気が付いた。
気温は常に一定。湿度に関しても同様に感じる。
風も吹かなければ雨も降らず、空を行く雲はいつもふわふわの綺麗な綿飴の如くに漂うだけだった。
極めつけは地形だ。山も無ければ海も湖も無い。
それどころか池すら無い。
そう言えば最後に液体の水を見たのはまおーさまを洗濯した時だったか。
それも自らの魔法で生み出した水であって自然界に存在するものではない。
俺は探し続けた。
……一体何をだ?
自分でも最早分からなくなっていた。
一年が過ぎ、二年が過ぎ……
こうなると人間、諦めの境地にも達するというものだ。
このまま探し続けてもきっと何も見付からないんだろうな——
俺は周囲を探索しては移動を繰り返すという生活をただ延々と送り続けた。
そうしているうちにとうとう十年の月日が流れた。
十年と言っても実際は何年経ったのか感覚ではもう分からない。
夜明けの度に手持ちの石くれに刻み続けた傷の数が、どうやら三千と六五〇を超えたらしい。
そのことにある日偶然気付いただけのことなのだ。
俺はある仮説を立てていた。
ここは“未来世界”の仮想空間で、現実の俺は無数のパイプで雁字搦めにされて病院のベッドで身を横たえているのではないか——
人間の体というのは不思議なもので、一切の経口での食事を絶っても輸液の点滴があれば何十年も生きながらえることだって可能なのだ。
しかしだからといって仮想空間にダイブした状態が十年も続けられるものなのか……?
いつも通りむくりと身を起こし走り始めた俺は、何となく空を見上げた。
感動の欠片も無く見上げる、十年間何も変わらない青空。
そういえばあのときの王都の空は一面灰色の曇り空だったな——
どういう訳かそんな想いが一瞬、頭を過ぎる。
と、そこで——
俺はたまたまそこにあった地面の窪みに足を引っ掛けてしまい、盛大にすっ転んだ。
十年という怠惰な月日をだらだらと過ごし、すっかり腑抜けていた俺は受け身を取る間も無く地面に叩きつけられる……筈だった。
しかしそこには何故か崖があり、勢いで空中にダイブした俺は底の見えない闇の中にそのまま放り出された。
ああ、転移魔法のスクロール、使わないで温存しとけば良かったなあ……
そんな昔の話を思い出しながら落下を続ける。
一体、何mあるんだ……
落下する速度は徐々に増して行き、遂には音速を優に超える程の勢いとなった。
その勢いは更に増し、身体強化した俺の身体は大気との摩擦で大量の熱と光を発し始める。
ああ、何て結末だ——そう思った瞬間に全てが終わった。
俺は加速の衝撃に耐え切れずに千切れ飛び、無数の肉片になって消滅した。
◆ ◆ ◆
………
…
床面から伝わる冷たい感触。
『やあ』
気が付くとそこは白い部屋の中だった。
光源が全く無い密室だというのに眩いばかりの光に溢れ、全てが光り輝いている。
俺はゆっくりと身体を起こす。
上下から前後左右に至るまで全てが真っ白。
ああ、この殺風景な場所……そうか。帰って来たのか。
『何を言ってるんだよ。今までの景色の方がよっぽど殺風景だったじゃないか』
神様だ。
俺を異世界に転生させた存在。
それがまた目の前にいる。
姿形はぼんやりと輪郭が見える程度で、顔はもちろん性別も分からない。
俺レベルでは直視しただけで情報の嵐で発狂しそうになる。
ともかく、どんな姿をしてるかなんて確認したくても無理なのだ。
そしてそのことが突き付ける事実。
今度こそ本当に死んだか……
『待った待った、どうにも君は早合点が過ぎる様だね』
は? じゃあまだ死んでいないとでも?
あれだけ高い場所から落下して?
『高い場所? それも君の早合点なんじゃないのかい?』
いや、だって何処までも落ちて行くあの感覚は——
『でも君は地面を踏みしめて歩いていたんだろう?』
そうだ、何処までも続く地平を当てもなく——
『なるほど、それで君は自分を見失ってしまったんだね』
自分を見失う?
『何を戸惑うことがあるんだよ。
君は人間達が創り出した“偽神”を滅ぼすという目的を見事に果たしたじゃないか』
“偽神”を滅ぼす?
何の話だ?
『あれ? おかしいなあ。それも覚えてないの?
君を転生させたときにお願いしたことじゃないか。
見事に目的を果たしたのに覚えてないって一体ど——』
ぷちん。
思いがけない神様との邂逅はどういう訳か何の前触れもなく、かつ唐突に終わりを迎えた。
………………………
………
…
◆ ◆ ◆
「魔力の存在……それに魔法という事象がいつから認識され始めたのか。
その研究において近年、俄に注目され始めている学説がある。知っている者は挙手を」
「はい」
「君ひとりか」
「“大災厄起因説”です」
「よろしい。いつもながら君は良く勉強しているな」
次に目覚めたとき、俺は神様に会ったこともすっかり忘れてしまっていた。
別な世界で裕福な商家の長男として新たな生を受けた俺は、再び赤ん坊から人生をやり直していたのだ。
「いえ、たまたま興味のある分野でしたので」
「なる程、君は中々に渋い趣味を持っている様だ」
自分で言うのも何だが俺は成長するにつれ文武両面で抜きん出た才覚を発揮し始めた。
この世界において商人に武の才能なんて必要ない、などという考えは無い。
野盗、強盗、暗殺者、それに魔物など、商人に襲いかかる危険を数えればきりがない。
それにこの世界では優れた実績を残した者が貴族に取り立てられるチャンスだってある。
とにかくそういった期待を一族郎党から一身に集めることとなった。
しかし俺は別の目的があって幼少の頃から自ら研鑽を重ねていた。
貴族や金持ちの子女が数多く通う王立学院。
両親の勧めで受験した俺は魔術、剣術、それに筆記の全てで優れた成績を収め、トップで合格した。
勿論、貴族連中……特に同年代の王族やら次世代の重鎮と目される生徒達とのコネを設けるのが表向きの一番の目的だ。
今俺が受けているのは考古学の講義。
そう、俺は密かに考古学の道に進みたいと考えていたのだ。
「はい、これまで解明不能と言われた幾つもの“聖痕”の存在を説明づける可能性を持った学説です。
これに興味を持つなと言う方が無理な話ですよ。
勿論先生の論文も大変興味深く拝読させて頂きました」
「うむうむ。熱く語れる分野を持つというのは良いことだ」
“聖痕”というのはまあ、地球で言う世界の七不思議みたいな奴のことだ。
現代文明では説明のつかない不思議な“何者かの痕跡”……
それがこの世界に点在しているのだ。
その謎の解明を夢見て考古学を修める者は数多くいる。
考古学というのは道なき未開の地を突き進み、時には魔物や蛮族と対峙しなければならない過酷な学問だ。
普通ならそんな職場は願い下げだとばかりに一笑に付すところなのだが、それを補って余りあるのが太古のロマンというやつなのだ。
ご多分に漏れず、俺もその魅力に取り憑かれて熱心に研究を重ねる様になっていた。
オタク気質で少々変わり者の学生……それが俺が自身に抱く自己評価だった。
「本日の講義はここまで。次回は来月だ。
各班はテーマとする“聖痕”を選んで調査を行い、レポートを纏める様に。
詳細は便覧に掲載されている通りだ。
それでは良い成果を期待しているぞ。特級クラスの諸君」
特級、というのは上位者の中でも特に秀でた者だけが選抜される特別なクラスだ。
その中でもグループ単位での実習や討論を行う際のチームとしては“班”が編成されている
ちなみにボッチ……もとい孤高を貫いている奴がひとりいるのだが……まあここは関係の無い話だから割愛しておこう。
俺は成績上位者の集団である特級クラスにおいても常にトップをキープし、首席卒業も射程圏内に捉えるところまで来ている。
だがしかしだ。
「なあおい、考古学マニアのお前としては久々に血の騒ぐ課題なのではないか?」
「そりゃ勿論。大っぴらに探索に行けるチャンスですしね」
「私達の実地担当は初めから決まっている様なものですわね」
「ははは、決まった様なもの、ではなく自分に決めて頂かないと困りますよ」
話しかけて来たのは今やすっかり俺の一番の悪友となったこの国の王子様、それに神殿から学院に送り込まれたという聖女様。
当然ながら二人とも俺と同じ班だ。
調査には俺達三人の他、王子様と聖女様のお付きの騎士見習いが一人ずつ随行することになる。
金持ちの息子とはいえ、いち平民に過ぎない俺がこういった人物達とお近付きになれるのも成績トップなればこその特権だ。
この関係性を見た家の面々は両手を上げて喜んだというが、当然ながら俺には跡を継ぐことも宮仕えをしてやろうという意思も無かった。
………
…
「なあおい、血が騒ぐとは言っていたがこっち方面で騒ぎを起こすなんてことは聞いていなかったぞ?」
「その通りですわ。そもそも何故神託の巫女たる私までもがわざわざ大神殿に忍び込む様な真似を——」
「シッ……!」
見回りが来た。
ここからは気配を消して慎重に行動せねば。
抗議の目線を浴びながらもそのことをハンドサインで知らせる。
俺は今王都から少し離れた場所にある大神殿に忍び込もうとしている。
ちなみに騒ぎは“まだ”起こしていない。
結局護衛の騎士見習い達は置いて来たのだそうだ。
この話を言い出したときは彼等も遠い目をして「またですか……」なんて呟いていた訳だが……
念の為にバックアップを頼めないかと彼等のもとを尋ねると、その日は二人共何やら“大事な用件がある”とかで無理だと断られた。
まあ今回は野盗のアジトに忍び込む訳でもないし、言うなれば聖女様の実家みたいなものだからな。
聖女様を連れて聖女様の実家に忍び込むというのも頭が混乱しそうな話だが、これにはきちんとした訳があるのだ、一応。
今回の課題、俺的に重要だと思う鍵はやはり数千年前に起きたとされる“大災厄”の爪痕だ。
大抵の“聖痕”は割と簡単に見学しに行けるし、そこで得られる情報だって“こんな言い伝えがあります”程度のものなのだ。
その言い伝えだってかなり根拠が怪しい。
何せ地面に✕印が彫ってあるだけとかそんなものばかりなのだから、観光組合が客寄せのためにでっち上げた作り話なんじゃないかなどと疑う向きもあるくらいだ。
だがその怪しい部分を突き詰めて辿って行くと全て大神殿に繋がる……それが俺の見立てだ。
………
…
「しかしいつ見ても馬鹿でかいな……」
「馬鹿とは何ですか、馬鹿とは。神官長様の前でそれを言ったら即破門ですよ。馬鹿なのですか貴方は」
大神殿は本当に巨大だ。
遠くから見てもでかいが近くで見るとより一層でたらめな大きさだと実感する。
とてもじゃないが人の手で建造出来る代物ではない。
大神殿はそれ自体が“聖痕”なんじゃないかと、俺はそう思っている。
誰もそのことを疑問に思わないのも不思議極まりない。
今忍び込もうとしている理由もそれだ。
女神様のおわすところ、不可侵領域とされているこの“塔”の最上階に何か秘密があるのではないか……そう考えたのだ。
「念の為に言っておくが駄目だぞ」
「まだ何も言っていないと思いますけど」
「どうせ外壁をよじ登って頂上から入ろうとか考えていたんだろう」
「何故分かった……」
「馬鹿とは一番上に登りたがる生き物だからですわ!」
「ぐぅ……」
加えて同行する二人もこの調子である。
実を言うと二人に関しては最近、何だかちょっと怪しいんじゃないかと思い始めている。
怪しいと言っても別にそっち方面の話をしているのではない。
大神殿に関して何か隠し事をしているのではないか、そんな気がするのだ。
「正面から堂々と入れば良いのです。理由などいくらでも後付け出来るでしょう」
「あ、ちょ、ちょっと待っ——」
「行くぞ。俺も彼女と同意見だ」
二人はそう言うと制止する俺の話も聞こうとせずにさっさと行ってしまった。
言い出しっぺの俺がこっそり行こうとしていたのにどうしてこうなってしまったのか。
正面から入ってどうやって頂上まで行くというのか。
「何かあったら真っ先に容疑者にされちまうじゃないか……」
俺は仕方なく二人の後を追った。
………
…
結論から言おう。
のこのこと付いて行った俺はまんまと捕まって摘み出された。
それだけではない。
永年出禁のおまけ付きだ。永年と言ったって破門に等しい処分だろう。
ちなみに王子様と聖女様はお咎め無しだ。
そそのかした俺が悪い、だそうだ。
とある偉い人曰く、“殿下、ご学友は選ばねばなりませんぞ”だそうだ。
何というか……予想していた通りの展開だ。
二人は端から俺を売る気だったらしいからな。
しかし……後で絶対に泣かしてやる、覚えていろよ……とは思わないが、その理由が何なのかは知りたいところだ。
あの後、俺は二人を追おうとして門番と押し問答になり、怪しい奴だといって現行犯逮捕された。
まあ普通に考えれば当たり前のことだ。
そして俺が詰所の牢屋にぶち込まれてふて腐れていた頃、塔……もとい大神殿の上層階から轟音が鳴り響き、熱波や衝撃波が下層階に押し寄せるという事件が起きた。
大神殿の中は大層な大騒ぎになったが牢の中は平和なもので、オレはのんびりと昼寝を決め込んでいた。
そこに来た牢番がこの非常時に何を寝ておるか、などど理不尽なお説教を垂れながら暴力を振るい出した。
必死に我慢したが何があったのかは遂に教えてもらえなかった。きっと八つ当たりだったのだろう。
しかしお説教の中に俺が二人をけしかけたからだという主旨の話があったことからして、二人が上で何かやらかしたのだということは分かった。
まあ俺はその後数カ月に渡って投獄された後、どういう訳かポイと釈放された。
そのときの持ち物といえば粗末な布の貫頭衣一丁のみ。
持ち物や所持金はすべて没収、右手の甲には前科者を示す入れ墨なんて餞別まで頂戴した。
その後はもう予想通りの酷い展開だ。
まず、俺は学院を追放された。
当然ながら親からも勘当され、一族郎党全部から総スカンを食らい、行き場を失った俺はあっという間に無一文の浮浪者へと転落した。
女神様への反逆者という扱いをされなかっただけまだましな結果だったと考えるべきか……いや、その後にあったことを考えると、もしかしたら事実上の死刑宣告だったのかもしれない。
恐らくは口封じのためなのだろうが、残飯漁りで飢えを凌ぐ俺のもとには連日の様に殺し屋が送り込まれた。
寄る辺を失くした金持ちのボンボンが日銭を稼ぐ術など知ろう筈もない。
放っておけば勝手に飢え死にするものをわざわざ居場所を調べて殺しに来るとは、どうやら俺は余程のことをやらかしたらしい。
とはいえ、これが逆に俺を助けることになったのだから世の中皮肉なものだ。
学院でトップクラスの成績を維持していた俺は、どうにか連日の襲撃を乗り切ることに成功していた。
倒した殺し屋の所持金やら装備品を剥ぎ取っては自分の物にしてを繰り返し、次第に人殺しが板につく様になっていった。
常識の皮を被った殺人マシーンの出来上がりである。
そんな中で俺は自然と傭兵稼業に身を窶し、戦場を転々として生計を立てる毎日を過ごす様になった。
俺は日頃の行いのお陰……かどうかは分からないが、そこらにいる最底辺の職業戦士共ともそこそこ打ち合える程度には膂力と機転を持ち合わせていた。
十年選手のむさ苦しい大男共と戦えているところを見たうちの首領が、将来性十分と見て拾ってくれたのだ。
この幸運が無ければ、無謀にも入団を申し出たヒョロガリのガキにしか見えない俺が傭兵を生業にすることなど出来なかっただろう。
まあこんな世の中ではそこそこに良い出会いには恵まれていた方なのだとは思う。
「なあ、お前……落ちぶれる前はいいとこの坊ちゃんだったんだろう。
それにその右手……一体何をやらかしたんだ?
……ああすまん、嫌なら答えてくれなくても良いんだぜ。
うちは脛に傷のひとつやふたつある奴ばかりだからな、余計な詮索はしねえさ」
俺は焼印を押された右手を手袋で常に隠していた。
まあ分かっている者にはそれだけで何かと察しが付くというものなのだ。
ましてやこの首領である。
「いや、馬鹿げた話ですよ。塔のてっぺんには何があるのか、それを見てみたくなっただけなんです」
「“塔”? 何だそりゃ」
「ああ、すみません。“大神殿”のことです。
自分の中ではもうすっかり“塔”という呼び方が定着してしまっていまして」
「そうか、“大神殿”か……女神様のおわす場所をまるでダンジョンみてぇに言うんだな」
「永年で出禁も食らってますからね、信仰心なんてもうゴミ程も残っちゃいませんよ」
「なる程な……今の話、他所じゃ絶対口にすんじゃねえぞ」
「ええ、分かっています。首領の前なのでちょっと気が緩んでしまいまして、つい」
「まあそう思ってくれんのはありがてえがな。
しかし大神殿のてっぺんか。そこまで突飛な奴とは思わなかったぜ。ますます気に入った!
傭兵稼業なんて商売に手を出す位だ、一旗揚げてまたいつか目指すんだろ、ええ?」
「ええ、そうですね。いつか」
「ガハハハ、そうかそうか」
そう言って俺の背をバシンバシンと引っ叩く首領。
しかし口ではまた目指すなどと言ったものの、正直“聖痕”のことなどもうどうでも良くなっていた。
とにかく、毎日を生きて行くだけで精一杯だったのだ。
そして傭兵稼業は俺に、この世界の様々な“現実”に目を向ける機会を与えてくれた。
戦う相手は様々だ。魔物の群れから盗賊と来て、他国の軍隊、どこぞのお偉い様の私設軍隊といった感じだ。
しかしここのところ急に増えている依頼、それは“魔族狩り退治”だ。
この仕事は他と比べると随分と気が楽で良い。
目的が人助けだし、何より殺しをやる必要が無いからだ。
魔物然とした見た目と能力に人の知性を備えた彼等は、一応人間として扱われている。
生まれたときは人間の子供と同じなのだが、歳を重ねるにつれある者は角が生え、またある者は身体の表面が鱗で覆われてゆき……といった具合だ。
この現象が初めて現れた当時は原因不明の“病気”として扱われた。
魔族達は感染防止の名目のもと病人として隔離され、非人間的な境遇に置かれたのだ。
しかしあるときそれが一転し、寧ろ優遇されて扱われる様になった。
原因を調べるうちに彼等の特異な外見と能力は病気などではなく、人間に“聖痕”が何らかの形で関与した結果なのではないか、という説が有力になって来たからだ。
魔族となった者は皆、その身体能力と共に“この世ならざる知恵と力”を授かるのだ。
女神様の思し召しのもとに特別な能力と役割を与えられた選ばれし民、という訳だ。
“魔族狩り”と呼ばれる連中はそんな彼らを売り物として扱う大変不届きな連中だ。
大神殿から付け狙われる俺に、“女神様の思し召しに逆らう不届き者”に天誅を下す仕事が回ってくるとは何とも因果なものだ。
そんなある日。
数日前からずっと感じる何者かの視線。
またかよ……しかしこの感覚も随分と久しぶりだな。
別に放っておいても何もしないってのにな。
まあ警戒するに越したことは無い。
俺は首領に相談して皆に“発注”を行い、“そいつ”を引っ捕まえることにした。
そう思いつつ人通りの途切れたところで路地裏にスッと身を隠す。
『ヨウヤクミツケタゾ』
全身をローブで隠しフードを深く被るその人物は片言の濁声でそう話しかけて来た。
これから殺ろうって相手に会話を持ち掛けて来るとは随分と殊勝な奴だ。
しかし魔族……か?
そんな格好では却って目立つだろうに。
魔族には身体能力に優れたものが多く、俺を狙って放たれた刺客の中にも結構な割合で魔族がいた。
こいつもそのクチという訳か。
まあ良い。
俺は剣の柄に手を掛けて警戒しつつ返す。
「今更何だ。俺ごとき別に放っておいても良いものだと思うのだがな」
『……オマエハシシャノミヤコデイッタイナニヲヤッテイルノダ』
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