五話.
俺は救出した女の子を抱えたまま“聖女サマ”を名乗る老女の後を歩いていた。
例の隠し部屋をも通り抜け、さらに奥へと向かう。
先程までは働く者達とすれ違い、女の子を抱えた俺を見て皆怪訝そうな顔をしながらも聖女サマに会釈をする、といった場面が幾度かあった。
しかし今、周囲には誰もいない。
どうやらここは大神殿の中でも特に立ち入りが制限された領域であるらしい。
暫しの無言。
背格好はあの聖女サマとは似ても似つかない……それに話し方も少し違う。
年月を経て色んな経験をすれば人は変わって行くものだ。
しかし再会、と言われたからには俺はこの人と面識がある筈なのだが、生憎とその面影に見覚えはない。
つまりこの人はあの聖女サマとは別人、ということなのだ。
まあ折角だ、今さら人攫いに敬意を払っても仕方が無いしざっくばらんに聞いてやるとするか。
「申し訳ないが、知り合いに貴女の様な人物はいないのだが。
貴女が何者か教えては貰えないだろうか」
「貴方が知らなくとも私は良く知っていますよ」
「それはそれで怖いんだが……結局あんたが誰で何で俺を待っていたのかは教えるつもりはないのか」
「いえ、その様なことはありませんわ。
もっともあの日から何年経ったか、もう正確に覚えてはおりませんが」
「……」
果たして本当の話なのだろうかと思案を巡らせながら歩く。
聖女サマも歩きながらの会話はこれ以上望んでいないらしく、再び沈黙が続く。
「さあ、こちらへ」
案内されたのは奥まった場所にある一室。
そこは神殿らしからぬとまでは行かないが、他とは少し趣の異なる様式の調度品で飾られていた。
「ここは内密に進めたいお話をするときのために用意された部屋です。
防音設備が整っておりますので誰にも聞かれる心配はありません」
「警備、それかお庭番みたいな者が控えているだろうし、誰にも、という訳には行かないだろう」
「“お庭番”というものについては存じませんが、警備の者ならば心配は無用ですよ。ほら、この子がいますからね」
『ギッ』
……ガーゴイル? 何か禍々しいのがいると思ったが……
「そいつも魔物なんじゃないのか?」
「ええ、私のお友達です」
「はあ?」
「ふふ、冗談です。この部屋の防犯装置の一部とでも理解して頂ければ」
「別にそんなことをせずとも結界でも張れば良いだけだろう?」
「何分、聖属性の扱いは苦手にしているもので」
「……まあ、これからするのが何やら後ろめたい話だってことだけは理解した」
聖属性が苦手な聖女サマか……
「実際のところ、私は聖女などではありませんし」
「な……本当か——」
「それは本当なのっ!?」
「おわ!? びっくりした!」
俺と聖女サマの会話に突然大声で割り込む者が一人。
といってもこの場にいるのは三人だ。
状況からしてそれが誰の声なのかは明白。
さっき助けた女の子だ。
この様子だと大丈夫そうだな。良かった良かった。
ていうかだ。
「場所が場所だろう。この子はこのまま放っておいて良いのか?」
「ええ、構いませんよ」
「ねえ、本当なの?」
「ええ、本当ですよ」
「おい、さっきから何を聞いてるんだ? 捕縛云々の話じゃないのだろう?」
「それでおばあさんは聖女様じゃなかったら一体誰なの?」
「私はしがないCランク冒険者ですよ」
「ボウケンシャ?」
「おい!」
グイグイ来るな。
俺が躊躇してる質問をホイホイとしやがって。
しかし冒険者だと?
「その前に……言い忘れているでしょ? 大事なこと」
「大事なこと? ああ、おばあさんなんて言ってごめんなさい」
「違うでしょ、ほら」
聖女サマに促されて女の子は渋々といった体で俺の方に向き直り、ペコリと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「はい、良く出来ました」
聖女サマは笑顔で女の子の頭を撫でる。
何故“ごめんなさい”が正しいのか……意味が分からんな。
そこは“ありがとう”じゃないのか?
「続きを聞こうか」
「私が掌を返した様にこの子を可愛がり始めたのがそんなに意外なのですか」
「それもあるが、そもそも俺を犯罪者として捕縛すれば済む話がどうしてこうなった。
それに今の会話、本当にこの子に聞かれても大丈夫なのか」
「あら、やはり何も分かっていないのかしら」
「勿体ぶるなよ、偽聖女サマ」
「この子がなぜ、大神殿の中を一人でもふらふらと歩いていたのか。
そこは疑問には思わなかったのですか」
「今さっき会ったばかりの相手の行動の理由など分かる訳がないだろう。
それが分かるのは本人だけだ。
大方さっきの“ごめんなさい”ってのと何か関係があるんだろうがな。
まあその前にひと休みさせたら良いんじゃないのか?
この子が俺達の話に関係があるのなら話は別だが」
「そうね、それなら出来ればこの子にもお話を聞いて貰いたいのだけれど。
良いわよね」
「ボクならピンピンしてるし全然大丈夫だよ!」
「だそうよ?」
「誘拐されそうになって助けてとか言っていただろう、それはどうなんだ」
「許すよ、はい解決!」
「そ、そんな軽いノリで良いのか……」
「お話も纏まったことですし、続けましょうか」
「どうせ後で始末するから、とかその手の物騒な理由でなければな」
「ええ、貴方の意見なら通して良いという道理も無いですしね」
「はあ……分かったよ。だがまずはその意図を聞かせて貰おうか。
“冒険者”、という言葉を出して来たな? まずはそれだ」
「貴方は冒険者という言葉をご存知なのですね」
「俺もしがないいちCランク冒険者に過ぎないんだがな」
「まあ、それは奇遇ですわね」
「本当か?
偶然にせよ会うことが出来たとか言っていただろう。
俺のことを知っていて待っていたかの様な言いっぷりだと思ったが」
「そうですね、まずはあの日の出来事からです——」
そうして彼女が語った話の概要はこうだ。
あれから程なくして魔王軍との戦いが始まった。
俺がギルドホームの裏口に向かうのを見て聖女サマもすぐ後を追った。なぜそうしたのかはまたしても教えてくれなかったが——あの建物には聖龍様が特殊な結界を貼っていたらしい。
そして聖女サマ……いや、偽聖女サマにはその戦いに参戦した記憶が無いそうだ。
俺を追ってホームに入ったところで何かの手順を踏むと発動する罠に掛かり、ギルド内のどこかの部屋——全面金属製で物理攻撃も魔法も無効化する術式が仕込んであった——に閉じ込められたのだそうだ。
だから戦いの一部始終をその目で見ていた訳ではない……彼女はそう主張した。
「その様なものを用意する技術があるのなら、それを街の護りに役立てれば良いものを……そう思いましたが時既に遅しで……」
つまり王国は外縁で既に接敵していた正規軍と王都に駐留する近衛軍、街の警邏隊やら門番やらの烏合の衆、そして居合わせた冒険者達だけで四方から押し寄せる魔王軍と戦ったのだ。
ここまでの話を聞くとこの婆さんが本当にあの聖女サマと同一人物なんだという気がして来た。
「それで何がどうなったらこうなる?」
「冒険者の存在……ですか」
「俺を待っていた、という話もだ」
「流れから言えば当然のことです。
王都の防衛戦では、身体強化を容易く扱い数多の魔物狩りの奥義を身に着けた冒険者達は縦横無尽の活躍を見せました。
頼みの綱の国軍が外縁部で釘付けになっていたのですから、王都の護りは彼らの肩に掛かっていたと言っても過言ではない、そんな状況でした」
「そして?」
「幾ら彼らが強いと言っても多勢に無勢です。最終的に、彼らは全滅しました」
「Sランクやアンデット狩り、それに神殿騎士の連中もか」
「はい、私が外に出されたときは誰も——」
「待てよ、Sランクは数日前に配下のレンジャーを斥候に出したと言っていただろう。
それに対策も講じた、そう言っていた筈だ」
「それこそ、分かりません。全てが終わった後でしたから」
「そうか……」
女の子は目を丸くしながらも黙って話を聞いていたが、意を決したのか偽聖女サマをキッと睨んで声を上げた。
「じゃあ……お祖母様を殺したのは……貴女じゃないのね?
あの戦いには無関係だったと」
「もちろんですわ」
「そこだ。貴女は俺を待っていたと言っていたが本当は何者なんだ?」
「何者とは……?
本当に私が誰なのか分からないと……?」
「俺の知る聖女サマの冒険者ランクはSSランクだ。
その強さだって俺なんか小指の先で木っ端微塵にされる位の実力差があった。
Sランクが“魔王より怖い”などと評してた程だからな。
だが貴女から感じる気配は俺と同等か、それ以下だ。
まあ若い頃はもっと高ランクだったのかもしれないが」
「SSランク……? その様なランクが存在するのですか?
言葉のまま解釈すればSランクのその上、ということになるのでしょうけれど」
「な……勇者サマ、聖女サマに神官長、この三人か規格外だとして特例でSSランクを与えられていた筈だが、違うのか」
「与える、とは誰が与えるのですか?」
「誰って……国王陛下だろう」
「お待ち下さい、冒険者というのは国王が与える身分などではない筈。
そもそも冒険者ギルドというのは国際的な組織です。
一国の国家元首にどうこうされるなどあってはならないことです」
「……そうなのか」
思えばラノベの世界に登場する冒険者ギルドというのは決まって国家権力に反抗する組織だった。
今までだって違和感が無かったという訳ではないが、それが現実だと割り切って考えていた。
「冒険者のみならず、人々が就くべき職業やその才能に応じたスキルというのは神の加護により与えられるものです。
そしてそれを皆に告げるのは神に仕える神官の役目、魔王軍がその脅威を看過する筈がありません」
「あの、やっぱりお祖母様は」
「そうですね、詳しい経緯は分かりませんが魔王軍の計略に嵌められ——」
これはやはり……“世界”がまるで違う。
やはりここはまた別の“異世界”で間違いないんだ。
じゃあここでの聖女サマってのは何なんだ?
いや、翻って——
「待ってくれ、その子の言う“お祖母様”というのは……」
「……勇者様のことですわ」
何だと?
勇者サマはハーレムパーティーを率いるイケメンの若造じゃなかったのか!?
「では勇者、というのは——」
「ええ、竜人族の女性です」
「俺の知る勇者サマは人間の若い男性だ」
「ああ、流石にもう分かりました。貴方は……」
「残念だが、人違いだろう。貴女の待ち人が誰なのかは分からないが」
「ですが」
「ですが?」
「逆に質問させて下さい。
察しておられるでしょうが魔王軍との戦いに敗れた後、人類はあらゆるモノを失いました。
信仰に関しても同様です。
私は支配の道具として敢えて生かされている身。
そんな私以外でスキルを使いこなし、冒険者を名乗る貴方は一体何者なのですか?」
「俺は——」
この街が魔王軍の支配下にある、そういうことなのか……?
この人が自分を偽聖女だというのは、それが魔王軍から与えられた役割だからだと、そういうことなのだろう。
多少寂れているとはいえ、そんな風には見えないが……
いずれにせよ、これは……不味いことになったな。
これまで少々目立つことをし過ぎたかもしれない。
スラムの三人や宿屋の女将さんがガサ入れなんかで巻き添えを食ったら申し訳無さ過ぎる。
「俺は魔王軍との戦いを前にした王都からこの“世界”に迷い込んだ、“異世界”のCランク冒険者、ということになるんだろうな」
「“異世界”、ですか……
俄には信じ難いお話です。
ですがお話を聞く限り……貴方がお住まいになっていた世界はこの、私達の世界と無縁ではないのではないのでしょうか。
詳しく聞かなければ認識できない程に、二つの世界は似通っている……そう感じます」
「だが俺は貴女の待ち人ではなかった」
「そう……待ち人といっても会えるかどうか分からない、それこそ遠い存在のお方。
ですから今は目の前にいる貴方と協力して——」
しかし……これではやはり納得が行かないな。
「待ってくれ。皆まで言わないで欲しい」
「ですが……」
「話は分かった。
分かったが貴女達がやっていることの意味は全く理解し難いと言わざるを得ない。
何故薬を嗅がせて麻袋を被せるなんてことをする必要があるんだ。
実行してる奴らは賊、それも有象無象の輩じゃないか。
おまけに大神殿の中で白昼堂々とだ。
そこらのゴロツキなんぞを手懐けて使うとは一体何を考えている?
その子が許すと言ってくれたのだって個人的な目的を果たす為だ。
それを置いておいて協力だ?
馬鹿も休み休み言え。
貴女が俺をすぐに捕縛しようとしなかったこと、それに敢えてこの子に話を聞かせたことが誠意の証だとでも言うのか?」
「……それだけでは不服だ、と」
「当たり前だ。
アンタは俺達の生殺与奪を握っているんだ。それを分かった上での提案だと言うのだろう。
脅迫と何ら変わらないじゃないか」
「……今のお話だけでは私のことを信じるには不足だと」
「そうだな、じゃあ聞くが俺がいつスキルを使ったというんだ。
先の一件だって身体強化をちょっと掛けただけで、他は純粋な格闘術に過ぎない。
何故俺がスキル持ちだと思った?」
「……私にはそれが視えるのです。神官のスキルなのですが」
「そんなスキルがあるのか。しかし聖属性が苦手で神官スキルか」
「スキルは属性魔法とは違いますから。それにちゃんとした理由もあるのです」
「抜け道みたいなものか」
「初めから持っていたスキルですので」
「それだけ?」
「ええ、特に改宗もしておりませんし」
「改宗? 何から何へ」
何かゲームみたいな抜け道だな。
一体どうやって知ったのやら……
「神官としての志は失っていないからとか、そんなところか」
「ええ。先程も見ていたでしょう、この世界の人々のどうしようもない有り様を。
貴方の必死の呼び掛けにも関わらず誰一人として動き出そうとしない、あの醜さを。
卑屈になるのも当然です。戦に敗れたのですから。
私は、それを救いたいのですよ」
「随分とネガティブな動機だ」
「人とは、得てしてその様なものなのです」
それの何が抜け道だというんだ?
それとも忌道故の誤魔化しか?
「それで、人攫いの理由をまだ聞かせてもらっていない。
あとは貴方の目的だ。何に協力してほしいのかを説明して貰えなければ協力のしようもない」
「それはすぐに分かります。そろそろですから」
「そろそろ? 何の話だ?」
「外では夜の帳が降りる頃合いです」
「ギャアアアアアアアッ!」
「な、何だ!」
場をつんざく様な獣の咆哮。
それが突然周囲で木霊した。
「申し訳ありませんが、後のことはお願いします。
外の有様をご覧になれば分かるでしょう。
貴方の実力ならば然程の心配もありませんし」
「何!?」
「ただ……躊躇ってはいけませんよ。
何故なら……」
偽聖女サマはそう言うと蝋人形の如くピタリと動きを止めた。
そしてグラリと傾き、力無く倒れ込む。
「お、おい、どうした」
バタリと床面に激突しそうになるのをすんでのところで抱き止める。
「おい、しっかりしろ、おい!」
しかし俺の呼び掛けにも反応は無く、偽聖女サマは魂が抜けたように半目を開いて脱力したままだった。
「ッ!」
——死んでいる!? い、いや……
これは……人形、だ……?
「ガルルルル……」
……ッ、魔物か!? どこから!?
咄嗟に振り向くと、その唸り声の主はそこにいた女の子だった。
しかし四肢に鱗が見え始め、指先からは鋭い爪が伸びる。
そして目つきが明らかにおかしい。
正気かどうかも怪しいぞ……一応だが警戒はしておくか。
魔法袋から予備の盾を出して構える。
人化が解けた?
……いや、この子は竜人族の勇者の孫だ。
身体的特徴はあれど、人間であることに変わりは無い筈だ。
「おい、どうした。
冗談にしても質が悪すぎるだろう」
『イセカイヨリオトズレシ……ニンゲン……ノ……エイユウ……コンドコソ……キサマノ……イキノネヲ……』
「な、何だと!?」
『ハザマニイキルモノノ……シュクメイ……ヲ……』
「全く意味が分からん……ッ誰だ!?」
『〈催眠〉』
「さっきのガーゴイル!?」
『まあ落ち着け』
横から割り込んで魔物と化した女の子を魔法で眠らせたのは、ただの防犯装置だとばかり思い込んでいたガーゴイルだった。
ガーゴイルはその場に頽れる女の子を抱きかかえ、静かに寝かせる。
『ここで暴れられたりしたら面倒だからな』
「喋った!?」
『人間だって喋るだろう。
ガーゴイルが喋ったところで大差無い』
「いや、あるだろ……じゃなくてこの有様は一体何なんだ?」
『そういうお前は何故これを知らぬのだ』
「さっきそこで話していたのを聞いただろう。
俺は異世界からこの世界に迷い込んだ人間だとな」
『何かの冗談だと思っていたが、本当なんだな?』
「こっちから言っておいて何だが、他国の人間とかそういった観点は無いんだな」
『成る程、その疑問こそお前がこの世界のことを何も知らないことの証左か』
「どういうことだ?」
『ここに他国など存在しない、ということだ。
この世界に存在する国……いや人の住む街はここしか無いのだからな』
「もう少し理解出来るように話してくれ」
『説明してやっても良いのだがな、そんな暇があるかどうか』
「何?」
『今頃街は火の海だ』
「何だと!? 一体何が!」
『“やり直し”が始まったのだ。早くしないと我々も巻き込まれるぞ』
「済まん、切羽詰まった状況なのは十分理解したが話が全く見えん」
『取り敢えず一緒に来い。見れば嫌でも分かる』
「しかしこの場は……」
『捨て置けば良い。この部屋は大神殿の中でも最も安全な場所だからな』
「し、しかし今……“巻き込まれる”と……?」
仰向けに倒れる“偽聖女”サマ。
本当に何の救護も必要としないのか?
現れるかどうかも分からない誰かをずっと待っていた、そう言っていたのは仮初めの虚言だったとでも——
『言っておくがそれは玩具に化ける類の呪いなどでは無いぞ。
そやつは初めから人形、舞台装置の一部なのだ』
「な……馬鹿な……舞台装置?」
『馬鹿なものか。御託は良いから付いてくるが良い。
繰り返すが、見れば嫌でも分かるのだ』
そうだ、外に出てみなければ何も分からない。
ただ、現実を見るのが怖かった……それだけだ。
「……分かった」
『良し、こっちだ』
“偽聖女”サマは自分のことを一介のCランク冒険者だと言っていた。
それが人形で舞台装置?
魔王との戦に敗れた、その結果がこれだということなのか……?
俺は黙ってガーゴイルの後に付いて、もと来た通路を逆に進んで行く。
そして例の隠し部屋。
先程ここを通ったとき俺の前を歩いていたのは偽聖女サマだった。
そのことに感慨を覚える暇も無く、先へと進んで行く。
そしてスタート地点である礼拝堂まで戻って来た。
「おい、その姿のままで表に出るのか」
てっきり人化して外に向かうものだと思い込んでいた俺は、慌てて引き止めにかかる。
『見れば分かると言っただろう。周りを良く見てみろ』
「何だと……?」
ここは大神殿の礼拝堂だ。
つまり先程まで多くの人が礼拝のために集っていた場所。
それが今はもぬけの殻になっていた。
思えば途中ですれ違う人も無かった。
その時点で気付くべきだったのだ……誰もいないという事実に。
「皆、どこへ……?」
『出れば分かる』
そう言うと無人となった大神殿の中を出口に向かってまた歩き出す。
「こ、これは……!」
『だから言っただろう、今頃街は火の海だと』
その光景はまさしく一面の火の海……それ以外の表現が思いつかない程に激しく燃え盛っていた。
「何故だ……何故そんなに冷静でいられる!
これを見て何が分かるというんだ!」
このままではあのスラムも、宿屋も、そして始まりの場所でもあるギルドホームも、何もかもが灰燼に帰してしまう……!
『何故だと問われても困る。
逆に何故それ程熱くならなければならないのだ』
「しかし……」
『この光景が燃焼という化学現象ではない、ということは理解出来ているな?』
「……! そういえば熱くない……これは……何か魔術的な現象か」
『お前の実力ならすぐに気づくと思ったが……まあ知らなければ無理も無いか』
「この炎は……浄化、か?」
『そうだ、大規模な浄化魔法だ』
「それじゃあここは……」
『この街は嘗て暮らしていた人間たちの思念が集い、形造られている。
放っておくと怨念が集まって人の形となって表出し始めるのだ。
それが外部に影響を及ぼさない様こうして定期的に浄化している』
「しかしこれは……聖者が行使するものとは異なるな?
……神聖魔法ではない」
皆魔王軍に滅ぼされた王都の住人の魂……?
「それじゃあここは……何処なんだ」
『何処、と言われてもな』
「それにあの人形……人攫いの様なことまで——」
『この廃墟で暮らしたがる変わり者がたまに現れるのだ。
魔族が瘴気に長いこと触れていると“人化”の障害が現れ始めるからな。
それを防ぐために遠隔操作の端末を使って彼らを保護しているのだ』
「それは——本当なのか」
しかし……ここで暮らす人々は確かに存在していた。
俺が宿屋に預けた武器と防具はどうした?
宿代だって現金で支払ったぞ。
それに……さっきの人形が遠隔操作の端末だ?
急いで外に出た理由だって——
廃墟の姿を晒していく街を目の当たりにしても、俺はこのガーゴイルの言うことを受け入れることが出来ていなかった。
「探し物がある。少し……辺りを探索しても良いか」
『構わん。が、城壁の外には出るなよ』
それは……出てみろと、そう言っているに等しいぞ……
「……分かった。感謝する」
俺は返事をするのも程々にその場を離れた。
向かう先はあの三人の住む家、それに宿屋だ。
『“異世界から来た”……か。フム』
それを見届けたガーゴイルは、何かブツブツと独り言を呟きながら大神殿の中へと戻って行った。