16_凶星は陽に焼かれて_4/4
メナはゾムイが剣を構えた瞬間に直感し、走り出した。
何か打算があった訳ではない。しかし、今しかないのだとメナは思った。
直後に眼前に現れたインテネの剣とゾムイの剣がぶつかる金属音が響くその隣を迂回して、メナはリョウへと向けて走る。
途中で何度も剣戟が打ち合わされるのを耳にしながら、メナは心の中でインテネに感謝を告げた。
メナはリョウに近づくにつれて、その異質な魔法気配の殆どが彼自身に向けられているということを感じ取っていた。
メナはセノイが言った事が正しかったことを確信する。
「――やはりあなたは」
肩で息をしながらもそこに辿りついたメナは上を見上げる。
リョウは何らかの力で宙に浮いていて、意識はないのか、動かない。
ゾムイの魔法は災厄ですら支配下におけるものだと彼は豪語していたが、少なくともすぐにそれができるという訳でもないようだ。
(――今なら間に合う!)
そうと分かれば迷う必要はない。
メナは胸元の紅き輝きに指を当て、意識を集中させた。
それと同時に、自分の領域が彼の領域に滲むように拡がっていくのをメナは感じた。
それはある種、冒涜的な行為と言えるのかも知れない。他人の、その存在だけの心の砦に無断で踏み入り、覗き込む。
もしも自分がそれをやられたらと考えると、虫唾が走るような気さえする。
しかし今は、今だけは――
(――許して欲しい)
次の瞬間、メナは目を閉じたままであるのにも関わらず、自分が広い青空を視ていることに気づいた。
「――ここは」
メナが見渡したその空間は、晩秋とは思えぬほどの暖かな陽気に照らされていた。高い草木がなく、開けた狭い平地のような場所だった。
足元には豊かに茂った青草がそよ風に揺らめき、キラキラと光を反射している。
それが彼の記憶に基づくものであるということは想像に難くない。
問題は、なぜ自分はこの光景を視ているのか、これからどうすれば良いのか、ということだった。
メナはひとまず移動しようと考え、草地を踏み締め、進む。
ここはカトチーニ山脈のどこかだろうか。
この場所は王都よりも座標が高いのだろう。遠くには小さくカトチーニの河が見えた。
記憶の中だというのに自由に動けることに疑問を感じつつ、メナは当てなく歩みを続ける。
何となくこちらの方に進むのが良いだろう、と。
振り返るとそこは完全に森だった。
メナはそれで、この場所が特別見通しの良い場所なのだと理解した。
だから何だ、という話でもあるが、何となく気になったのだ。
ふと、メナは森の木陰に人影を見つけた。
誰だろうと目を凝らすと、そのヒゲだらけの口元が何かを伝えようと激しく動いているのが見えた。
その内容を聞かんがために、メナは耳を澄ました。
聞き逃してはいけない気がした。
突然、いままで不自然なほど物音のなかった世界に、大きな声が響いた。
「――逃げろ!」
メナは紅い光を見ていた。
納屋が燃えているのだ。
メナが視線を巡らせると、村の通りに沿って、炎は見る間に村中に拡がっていく。
夕暮れ時の赤い光と合わさり、地獄のような光景だった。
そこかしこで黒煙を上げて燃え上がる炎は、とても偶発的なものには思えない。
焦げた臭いが充満し、刺すように鼻をつく。
メナはそれから逃れるように走り出した。
この場所にはいられないという、得体の知れない恐怖があった。
しかし、そんなメナの目の前に轟轟と燃える建物が崩落し、黒い影が頭上を覆った。
(――しまった!)
そう考えた時にはもう遅い。彼女は完全にその崩落の下敷きになるはずだった。
頬を風が撫ぜる。
後ろを見ると、そこには倒れ伏した女性の姿があった。
木の根に寄りかかるようにして誰かが倒れている。
もう陽は暮れたのか、辺りは暗く、冷たい。
彼の腕には大きく引き裂かれたような血の痕とそれを無理やり止血したような布切れ。左足は足先を失っているようだが、裾に隠れてよく見えない。
しかし、彼は未だ生きている。ゆっくりとこちらに手招きをしている。
その髭面の隙間から見える黒い瞳は望洋としていたが、彼が震える口で何かを呟いたのを、メナは微かに聞き取った。
「――悪いなぁ、余計なものをお前に背負わせる」
「――見つけたよ」
声を掛けられてメナは反射的に振り返った。
その主人の姿は逆光で影にしか見えなかったが、その声だけは印象に残っている。何人もの従者を引き連れて現れたその男は、手を差し伸べて言った。
「私はね、君のような人間を探していた。未来の最強の魔法使い。――私と共に来てくれるね?」
楽しそうに並び話す三人の背中が目に映る。
彼らは互いに互いのことを罵倒しながらも、それが信頼の証なのだと知っていた。
そうだ、楽しかったのだ。
初めてできた、同じ視野を持った仲間たちだ。
「――リョウ、お前もそう思うだろう?」
日暮の燃えるような陽光を背にしたその三人の元に、メナは面倒を振る舞いながら駆け寄った。
誰かが倒れている。
片腕がなく、血まみれで、その下の地面には彼のものと思われる血の染みができている。
――いや。だれか、ではない。
兄だ。
フラフラと彼の顔を覗き込む。彼の顔はその惨状に反して一片も苦しみを感じさせない満足げな笑みを浮かべていた。
そうだ、ジュゲンには後悔などないのだ。
しかし、そうだと分かっていても、メナはこれ以上見ていることができずに目を逸らした。
それがジュゲンの死を否定する訳ではないと、知っているのにも関わらず。
しばらく暮れの空を茫然と見上げる。
持って帰らなければ、と漠然と思った。
「――何でアンタがいながら!」
聞き覚えがある声が彼を詰った。
顔をあげると、涙で顔を濡らしたマノンの姿が見える。
黄金の瞳は、きつくこちらを睨みつけている。
その表情にはどことなく幼さが残っているようにも見えた。認められない現実に直面して、その責任をどこかに求めている。
メナにも気持ちは解った。
分かっていても、受け入れられる訳ではないのだ。
泣きじゃくる彼女の声は彼の耳にやけに痛く、すぐにその場を離れた。
後からやってきたセノイは、最後まで何も言わなかった。
手紙を読んでいる。
そこに書かれている丁寧な文字の形は、懐かしくも、恐ろしい。
また何かを失うのではないか。そんな気分が湧き起こる。
そこには「妹を頼む」と書かれている。
何かを試すように、断片的な情報のみが手紙にはのっている。それは実に彼らしい。
メナは悩みつつも、それに逆らうことはできないなと、どこかで直感していた。
そうだ。これは予見の手の平の上なのだ。
白く霞む視界の先にひとりの女の横顔がある。
憎しみで相手を睨み、何もできない自分を恨み、それでも諦めきれない強い光を湛えた瞳をしていた。
――ああ、似ている。
誰に?
ジュゲンに?
自分に?
自分だ。
リョウの記憶を散策し、その旅路の中で自分が分からなくなりかけていた。
メナは、それを自分の横顔を見て、思い出した。
(わたしはリョウではなく、メナだ)
その瞬間、メナは記憶の本流から弾き出されるように何もない空間に弾き出された。
文字通り何もない。白とも黒とも言えないような色のない空間だ。
メナがそこはどこかを「認知」する前に、微かな違和感がメナを襲った。
それはまるで、実際にはない物が描かれた風景画を見せられているような、そんな違和感だ。
メナはその一角に目を落とす。
黒い。
庭の葉にこんな黒い斑点が付いているのを見たことがあった。
「――これは?」
メナが呟くと、声が返ってきた。
「『呪い』だ」
声の主人がメナの後ろに立ったのを感じ、メナは振り返る。
「――あなたに巣食う、災厄の元」
リョウ姿は霞のように曖昧で、そよ風でも吹けば消えてしまいそうな儚さを感じさせる。
しかし不思議とメナはそれを彼であると認識できた。あるいはその所作が見慣れたものだったからかも知れない。
「――なぜ、来た?」
リョウの問いに、メナは即答した。
「あなたを救うためですよ。シシャ・リョウ」
彼は言葉に詰まったのかしばらく黙りこんだが、メナが『呪い』に向き直るとまた口を開いた。
「――大きくでたな。『無謀な真似』と咎めたいところではあるが、正直、俺もヒトのことは言えん。自らの力を過信した結果がこの様だ。『呪い』は俺のことを蝕み始めている、少しずつな」
メナは視覚としてそれを認識していた。この何もないはずの空間に生じているその黒い班が、それなのだ。それは確実に、悪意を以ってそこにあった。
「止められないのですか?」
「――止まっているはずだったのだがな」
表情は見えずとも、彼が苦笑しているということは雰囲気で分かった。
メナが無言で先を促すと、リョウはそれを察して説明を始めた。
「何かが俺に干渉している。このまま時間がかかれば、本当に『災厄』になりかねない」
メナはそれに心当たりがあった。
「――ゾムイですね」
「さあな。だが、お前がそう言うならそうなのだろう。それを排除すれば、災厄は止まる」
「それさえ解消すれば、あなたは解放される……訳ではないですよね?」
「よく分かったな」リョウはそう言って笑った。
「――……少なくとも、そのつもりはなかった。だが、どうせ来てしまったんだ。口ぶりから察するに、お前は手ぶらで帰るつもりはないのだろう?」
「当然です」
「それならば、協力はしよう……いや、協力してもらう、が正しいのか? ――何にせよ、お前が鍵には違いない。頼むぞ、メナ」
**
――父の意思を継ぐのは、私だ。他の誰でもない。
「父の思い描く世界を作るためならば、私はなんでもやる。たとえその結果、どれだけの人間に不幸を振りまこうとも構わない。私はその覚悟があってここにいる。お前はどうだ、何のためにここにいる!?」
もう何合打ちあったかも分からない程に自分に挑んでくるこのインテネという少年にゾムイは感心して内心を吐露する。
それは慢心だったのか、それとも別の何かだったのか、精細を欠いている彼には判別がつかない。
目の前の少年が気に食わない。
ゾムイの目から見ても並々ならぬ才能を持つ戦士。父が拾ってきた双子の片割れ。
そして災厄の種としての役割を持たされたがそれを放棄した「失敗作」でもある。
もっとも、妹の方がその役割は完遂しているので、それ自体は大した問題ではない。
だが彼らは、父の恩寵を直に受けた自分以外の存在だ。ゾムイにはそれが――
「――気に食わないガキだ」
ゾムイは何も反応を示さないインテネに吐き捨てた。
父は神ではない。しかし彼にとってゾークは、神以上に崇高で、掛け替えのない存在だ。
そしてその恩寵を受けるのは自分だけでいい。それを知らしめてやりたい。
身体中を切り傷だらけにして血で汚しながらも闘志を失わない、目の前の少年の意思を叩き折ってやりたい。自分の方が優れており、父に相応しかったのだと。
今やゾムイの頭はそれで埋め尽くされていた。
実力はゾムイの方が確実に上だ。
それは今までの斬り合いで確信した。いや、そもそも同じ技術を用いている時点で、習熟度が高いゾムイの方が実力的に上回るのは当然だ。
それでもなおインテネが倒れていないのは、ゾムイが手を抜いているからに他ならない。
投擲されたインテネの暗器をいくつか掴み取り、逆にそれを投げ返す。
そのくらいの芸当は造作もない。
インテネの頬を刃物が掠め、また新たな切り傷が生まれる。
――気に食わない。
もう十分、実力差は見せたはずだ。理解したはずだ。
これほどまで追い詰めても、新たな魔法の気配はなかった。
インテネにはもう、ゾムイに対抗し得る力などない。
そのことを、ゾムイは看破していた。そして、インテネもそれを理解しているに違いない。
だが、そうだというのに、インテネは折れない。
(――何だというのだ)
ゾムイはその時、ふっとメナのことを思い出した。
(そうだ、こいつはあの女と共に来た)
一度思いつくと自分がいかに躍起になっていたのかに気づいた。
別に直接的に心を折る必要などないではないか。
「――遊びはここまでだな」
ゾムイがそう呟いた時、インテネは目に見えて動揺を示した。
――そうだ、それでいい。
ゾムイはニヤリと頬を釣り上げ、インテネの背後で「災厄」を見上げる姿を目線に捉える。
微動だにせず、こちらを気にも留めていない。
(――何をしている?)
ゾムイは少なからず嫌な予感を覚え、しかし隙だらけの彼女の背中に暗器を構えた。
インテネはきっとそれは止めるだろう。だが、それならそれでいい。
「しっ!」
ゾムイが放った暗器の狙いは正確だった。空を切り、真っ直ぐにメナの背中へと飛んでいく。
しかしその一撃は、インテネが中途で弾き落とす。
「下衆が!」
インテネの怒声が木霊する。
ゾムイはそれに愉悦を覚えつつ、どうするのがもっと効果的なのかを考える。
「そうか、そんなに大事か?」
ゾムイは嘲笑し、インテネを睥睨する。
「――くっ」
インテネが飛び出して来たのをゾムイは軽くいなす。
「――動きが乱れているぞ」
インテネの身体が泳いだところをあえて追撃せず、すれ違うようにメナのもとに走り出した。
「――っ待て!」
背中からの声など意にも介さず、嫌がらせのためだけに。
ただ自分の正しさを証明するために。
一息の間にメナの背後にたどり着いたゾムイは彼女に剣を突きつけ、インテネを振り返った。
「お前は『失敗作』だ! 何も守れない―――」
しかしその時、ゾムイは振り返った先に誰の気配もないことに気づき、我に返る。
インテネの魔法は――
「――お前の敗因は、自分が見えていないこと」
自分の背後から聞こえた声に、ゾムイは咄嗟に剣を一閃する。
バキャンッ
剣同士が打ち合わさり、火花が散る。
目の前にあるインテネの青い瞳が、宝石のようにその刹那の煌めきを照り返す。
最後の隙だっただろう。
もう、ゾムイは油断しない。もう通じない。思い出したのだから。
敗因? 詰めを誤ったくせに何を抜かしている?
鍔迫り合いの中、ゾムイの疑問を投影するように、インテネの口元に嘲笑が浮かぶ。
しかしそこに意識を割かれている内に、また別の声が背後から聞こえた。
「――そして、口で言っている以上にはあのクソ野郎を信じきれていなかったこと」
強い衝撃を背中に感じ、ゾムイは首を捻ってその原因を見る。
白い長髪を靡かせたインテネと瓜二つの――
「バカな……!」
背中から短刀で貫かれたゾムイはしばらくヨタヨタと後退りをした後、口内から血を吐き出し、信じられない思いでその光景を睨む。
白髪碧眼の双子は、それぞれが満身創痍といった風体であったが、それでもゾムイを見下すように並んで立っていた。
「――信じきれていればきっと、証明なんて考えなかったでしょ」
倒れ伏す寸前の彼の耳に、どちらのものとも分からない声が響いた。




