5_嚆矢濫觴_1/3
「………殊の他、あっさりと抜けましたね」
小さくなっていく石造りの橋を背後に、ギノーが拍子抜けといった風にぽつりと呟いた。
正直メナもそれに同感で、あんなに緊張していた自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
「……確かに闇夜に紛れれば見つかり難いとは考えていたが、これほどか」
いつも緊張を解かないドウカイも珍しく、燻銀の渋い顔に苦い笑いを貼り付けて、脱力するように船の縁にもたれ掛かる。その拍子にギシリと、木製の船が軋む音がした。
セジンカグもそれにつられて笑い、音を立てないように止めていた魔導炉を確認して、それを動かした。
炉が動き出す低い音が再度誰もいない河に鳴り響き、船は河面を走る速度を上げていく。暗いが、川幅も広いので運転に支障はない。
推進力を得た船は風を切り進み、船上に座るメナの短い髪を巻き上げた。
涼やかな風が、緊張で高揚した額に心地よい。
改めて周りを見れば、月明かりが照らす世界は思っていたよりも明るく、あらゆる物の輪郭を白黒に浮かび上がらせていた。
河原の砂利。小高い坂の上に生い茂る雑草たち。その向こうに見えるのは畑の柵だろうか。
柵の向こうで何かが翻ったのを視界の端で捉え、メナの心臓は跳ね上がる。
(鳥除け………、か)
改めて目を向けて安堵したのと同時に、そのカカシの纏ったお古の外套の暗い色が、鴉羽の使者のことを思い出させた。
結局、彼女のあの思わせぶりな言葉はなんだったのか。
緊張して握りっぱなしだった煙芯管を船底に投げ捨てるように置いて、切り替えるように、メナはこれからのことに思いを馳せる。
カトチーニ河は一本筋の河だ。その流れは彼女たちの目的地、アーデリの森へと続いているが、その距離はそれなりに長い。
ずっと船に乗っている訳にもいかず、どこかで停泊する必要もあるだろう。
しかし、街から近い今は当分、その危険を犯す気にはなれないし、多分ドウカイもセジンカグもそれをしたがらないはずだ。
メナは、ふと、ギノーに目を向けた。
ギノーは気が抜けたのか、船の揺れにウトウトと揺蕩う意識を、必死に現実に引き戻そうとしていた。
それを見て微かに微笑む。
ギノーにはなんというか、小動物的な愛嬌を感じる。思わず甘やかしてしまいそうになる程には、可愛らしい。
そして、この非日常の中にあっても日常を損なわず、そのままでいてくれるギノーの存在はメナにとって大きな支えに感じられた。
(うん。まあ、当面はいいよね………)
メナは一旦、思考を脇に避けて置いた。
そしてギノーの眠気に当てられて、小さな欠伸をする。
「姫様、おやすみになって下さい」
ドウカイが目ざとく反応して言った。
船を操縦していたセジンカグも隣でニヤリと笑った。無精髭が口角の動きに引っ張られて大きく動いたので、暗い中でも良くわかった。
「えぇ、それでは、お言葉に甘え………て………?」
メナの耳は、何か、異質な物音を拾い上げた。
それは眠りにつく前の彼女の耳に、やけに大きく聞こえ、心臓が締め上げられるような感覚で眠気が一気に吹き飛んだ。
(まさか、今の………!)
そして、目を見開いたメナの目の前に、肩口に矢を受けたセジンカグの姿が見えた。