12_薄明が時_2/2
朝焼けの紅い空。白い雲も今だけは黄金色に染まっている。昨晩とは違って屋上から見える景色は透明で、美しかった。
霞むカトチーニの山脈を見つめながら、メナは白い息をはく。
温かみのあるその光とは対照的に、杪秋の澄んだ空気は冷たく、凍えるほど寒い。
息はすぐに広がって空に溶けていった。
それを見届けたメナは、かたわらに座る白髪の少年を見下ろした。
「――視えますか」
インテネは声を聞いて目を開くと、ゆっくりと首を振った。
「どうですかね……あまりに微かで」
「そうですか」
メナは落胆するでもなく、ただ彼の言葉を受け取った。
こうなることは、昨日の時点である程度予測ができていたことだ。
「やはり、災厄の『領域』があなたとアミネの知覚を乱しているのでしょうか」
「――それでも、絶対に成功させます」
「そうですね、お願いしますよ」
インテネがまた目を閉じたのを見届けて、メナは階段を登ってきた足音を聞いて振り返る。
「おはようございます。マノンさん、セノイさん」
メナの挨拶に対して、マノンは寝起きを感じさせない優雅な仕草で手を振るが、セノイは意外にも気怠げで、大きな欠伸をして見せた。
「――どうにも最近は疲れがとれん」
「知らないわよ、歳じゃない?」
セノイはそれを鼻で笑うと、メナの前に立つ。
「覚悟は変わらないか、アントマキウスの姫君よ」
「元、ですよ」
「――肯定と受け取ろう」
セノイが皮肉気味に口を釣り上げたのに対し、マノンは心配そうに眉をひそめている。
「水を刺すわけではないのだけれど、本当に後悔はない? 今なら……」
「――正直、不安はあります。ですが、今は可能性があるのならやっておきたい気持ちが強いのです。……彼との約束もありますし」
メナは背後のインテネを流し見てからマノンに向き直り、微笑んだ。
「とはいえ、わたしが後悔することはないですよ。そもそも失敗するとは思っていませんし、わたしの場合、失敗したらそこで終わりですから」
冗談めかしてメナが言うと、マノンはメナの意図を汲んで小さく笑った。
「確かに、そうかもね」
マノンとメナが顔を見合わせて改めて破顔すると、セノイがインテネを一瞥して言う。
「ところで、奴の調子はどうなんだ?」
「やはり、災厄の領域は簡単には突破できないようです。『侵食』も試みましたが、どうにも上手くいかなくて……まずは領域を突破する術を考えなくてはならないのかも知れません」
集中しているインテネに代わり、メナが答える。セノイは、それに微妙な表情をする。
「――いや、前提からして間違えているのやも知れんぞ。おそらくは、あいつらの繋がりは領域を介した魔法的なそれとは違うのだろう。文字通り、生まれ持った『繋がり』だ。そうなると、あくまでも『領域』に干渉する『侵食』が意味を成さないことにも、ある程度は説明がつく」
「そんなことあるの?」
疑わしげな目線を向けるマノンに対し、セノイは「さあな」と肩をすくめる。
「まず考え難いが、一考の余地はある。俺が視る限り、こいつらの魔法はあまりに不自然だ。互いに領域に干渉できる、と考える方が従来のやり方なら自然ではあるが……それ以外の何かがあるということも存外、ありえそうだ」
メナはそれを聞き、確かにと頷く。
彼らの魔法はどう考えても二人揃って意味を為すものだ。
アミネが繋がりを作り、インテネがそれを引き寄せる。
彼らの魔法は、他人の魔法に直接干渉して、あまつさえ効果を増すような魔法なのだ。
それは彼らが双子だからなのか、しかし同じような話はあまり聞かないので、そこも謎だ。
「――まあ、何でもいいわ。いずれにせよ上手くいっていないのは問題じゃない?」
マノンはそういった細かい部分には興味がないようで、いかにも面倒くさそうに話を逸らした。
だが確かに彼女の言う通りで、理屈はともかくも繋がりを辿れていない現状は非常に都合が悪い。
何せ今回の件に関しては、インテネの魔法が使えることが前提条件だからだ。
「問題だが、そればかりはそいつ次第だ。俺たちにはどうすることもできんよ」
それもまた、セノイの言う通りだ。
現実的に、いま彼女たちにできることは「インテネの成功を祈る」ただそれだけだった。
やる気だけでは超えられない壁がある。メナはそれを嫌というほど突きつけられてきた。壁を越えるには、何か道具が必要だ。
(――文字通り、そういう魔道具でもあれば)
メナは腕を組んで考えを巡らせていたが、自分の持つ知識だけでは状況を打破できないと考え直し、腕を解いた。その時、コツリと彼女の肘に固いものが触れた。
――まだ試していないことがある。
「どうすることもできない、ということはないかも知れません」
メナがそう口にすると、セノイは顎をしゃくって話を促した。
「剣があるのです」
「剣?」
「わたしの剣ですが、――彼から渡された『魔道具』です」
マノンはそれを聞いてメナの腰の剣を見、手を打ち合わせる。
「姫さまがわざわざ置いて行った『剣』ね」
「――その節はご迷惑をおかけしました」
メナは当時のことが遠い昔のことのように感じ、どこか恥ずかしくて頭を下げる。
「別に謝ることではないわよ。私としてはそれなりに面白い経験ができたし」
マノンのイタズラっぽい表情に苦笑しつつ、メナは剣についての話に戻った。
「この剣はもともと、魔道具でも何でもない物でした。――それなりに品質は良いのでしょうけれど、ただの剣には違いありません。ですが先日、村に行く前にこの『剣』を渡されたのです。――いまなら上手く使えるはずだ、と」
「――あいつが何らかの魔法を込めたということ?」
メナは相槌を打ち、剣を引き抜いて軽く構えを取る。慣れた重みが両腕にかかる。
「これに込められている魔法は、何というか……上手く言語化することができないのですが。力を増幅させるもの、のように感じます」
セノイはそれに何を感じたか、皮肉げな笑い声をあげる。
「――また妙な物を残したものだな、あいつも」
セノイは剣を見ていたが、その目が実際に映しているものは剣ではないようだ。
その証拠に、彼は剣についてメナが知る以上のことを語り出した。
「姫さまの言う通り、それは魔法の補助に使える魔道具だ。加えて言うなら、それは正確には『魔道具』ですらない上に、姫さまにしか使えない代物だ」
「――一体、何を見たのよ?」
セノイはため息混じりに頭をかくと、メナの剣を指差した。
「姫さまは、それの――材料についてどれだけ知っている?」
「材料? 剣のですか?」
「――いや、いい。それで分かった。単刀直入に言うが、それは姫さまの従者の『意思』が込められた『魔道具』もどきだ」
メナは一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
だが、その言葉を噛み締めるうちに、初めて手にした時に感じた懐かしさの正体が分かったような気がした。
「――もどき、と言うのは?」
「それには、魔法が込められている訳ではない。だが、どういう訳か、それに近い『力』はある。本当に、彼らは姫さまを思っていたんだろうよ、三人揃ってな」
薄々は気づいていたとはいえ、それを面と向かって保証されると、溢れそうな気持ちは行き場を失って双眸から溢れ出す。
メナは頬を伝って流れる涙を拭い取ると、セノイに問いかけた。
「――この剣の力は、インテネの力になると思いますか?」
セノイは、過去を見通すその目でメナをじっと見つめた。
「一応言っておくが、その剣は……」
メナはセノイが何を言わんとしているのかを察し、機先を制す。
「一度しか使えない、ですよね」
「――知っていたか、それなら何も言うまい。俺の直感では、それは使える。と同時に、矛盾するようだが、それを使えるのは姫さま、お前だけだ。――つまり」
「――使うにしろ、使えるようにするにしろ……それが上手くいくかどうかさえ、総べてわたし次第」
「そういうことだ。なに、本番前の準備運動だとでも思え。つまりは、それができないようでは話にもならん、ということだがな」
メナはそれが彼なりの手助け、激励の形なのだと、直近の出来事で理解していた。
鴉羽の兵団において、彼は兵団長であったという。兄は初めから自身の命を賭すことを定めていたから、その地位に着かなかったのだと、初めは思っていた。
しかし、いまは違った考えがある。
兄は、彼をこそ兵団長という地位に据えたのだ。
時に残酷なような態度を取り、口にもするが、それは単純に自身の「利」のみを計るものではなく、彼なりの情に溢れた意図がある。
過去を見通す力があり、それゆえに一の事象から十を知りうる。彼は少なくとも、その人物にとっての最善の未来を知り得た知識から導き出してくれる。
それは未来を見通す力ではないが、それに比肩する人の上に立つ力だ。
「――インテネ、聞いていましたか?」
メナはインテネに声をかける。インテネはふっと視線をこちらに向け、俯き気味に立ち上がった。
「僕が不甲斐ないばかりにメナ様にまで負担をかけてしまっている、情けない。――ですが、僕は……」
顔を上げてメナを見据えるインテネに、強い覚悟があることを再確認し、メナは彼を奮い立てる。
「皆まで言う必要はありません。それに、不甲斐ないなどと言うことはないですよ。あなたが居て初めて、一歩目が踏み出せるのですから」
事実メナは、頼まなければならないのは自分の方だと考えていた。
さまざまな面でメナは、インテネやマノン、セノイ、シオに遠く及ばない。その差はきっと、一生縮むことはないだろう。
だがきっと、それは比べる基軸が違っているだけの話だ。一見輝いて見える才覚や実力は、その幅を広げる要素の一つにすぎない。
彼らには、リョウやアミネを救い出すだけの力はないのだから。
その点、メナは今回たまたま役に立つだけだが、それができる。偶然だが、できるのだ。
(できもしないことを求めてきたけど、役に立つって、本当はそういうことなのかも知れない)
インテネがはにかむように笑ったのを見て、メナはそれに微笑み返す。そして、セノイとマノンに向き直った。
「――セノイさん、マノンさん。色々とありがとうございました。私たちだけでは決して成し遂げられなかった」
「気が早いわ。そういうことは全てが済んだ時に言うものよ?」
「――確かに、そうかも知れません」
メナは微笑み、インテネに声をかけた。
「それでは……インテネ、準備は良いですか?」
インテネは先ほどまで自分が下げていた鴉瞳の落火をメナに手渡すと、頷いた。メナはそれを自分の首に下げ、彼の肩に手を当てた。
やり方は、何となく分かっている。
それがそうであると「認識」して以来、メナは自分の魔法についての理解が急速に進んでいた。まるで、絡まった紐の一つ目の結び目が解けたように、一箇所が解けてしまうと後は思いのほか簡単に進んでいく。
そしてその力はいま、役に立つ。今まで助けられるだけであった自分が、誰かのために役に立てるという事実は素直に嬉しいと感じさせる。
しかし同時に、こうも感じるのだ。
怖い。この魔法は、自分が初めて感じたそれ以上に、奥が深く難解だ。本当に自分などが上手く出来るのだろうか。そんな思いが去来する。
それらの思いを押し込み、メナが集中しようと目を閉ざす寸前、マノンがそれに静止をかけた。
「あ、ちょっと待って。今のうちにこれ、渡しておくわ」
マノンがメナに手渡したのは、小さな装飾のついた指輪だ。白金だろうか、高価なものにも見える。
「――お守りよ。多分だけど、あいつが自分に災厄を封じたのは、インテネくんの妹さんを救う道筋を残すため、あいつはそういう男よ。――こうなったなら止めはしないわ。私たちはジュゲンが仕組んだ粗筋の上よ、全部上手くいく、信じなさいな」
メナはその指輪に不思議な力を感じたが、インテネの魔法に意識を集中していたこともあり、その詳細を掴むことはできなかった。
しかし、マノンの気遣いはメナの心に刻まれる。
「ありがとうございます。ですが、兄の予言は関係ありません。わたしたちは、わたしたちに出来ることをやる他ないのですから。わたしは、わたしを送り出してくれるあなた方を信じます」
マノンは少し驚いたようにメナを見たがふっと破顔したあと、頷いてメナから離れた。
マノンが離れたあと、メナは指輪をはめ、一度深呼吸をした。
今度こそ、準備はできた。
「――行きますよ、彼らの元へ」
「はい!」
インテネの返答と同時に、メナは胸元に下げたペンダントの『侵食』を発動する。
それはメナとインテネの領域を溶け合わせ、一つにする。同時に、意識的に発動させたメナの魔法が、インテネの感じている感覚を探り始める。
魔法の発動と共にメナの意識の中に、さまざまな感情や思いが流れ込む。それが誰のものなのかは、雪崩のように移ろう勢いに飲まれ認識しきれない。
だが、そんな中でも、メナは一つだけ確かなものを放さぬよう、それを『認知』し続けた。
そして、そこから認識の手を伸ばし、目的のものを探し出す。
やっとの思いで、それが見えた時、メナはやはり今のままでは足りないのだと思った。今にも消え入りそうなほど細い糸。しかし、それは確かにインテネと繋がっている。
メナはインテネに触れたてとは逆の手を剣に手を当てると、その名を呼ぶ。
「――力を貸してください、『姫の守護者』」
おまかせください。
メナがそんな声を聞いたのと同時に、インテネとアミネを繋ぐ光の糸は眩い光を放った。
インテネの歓喜が伝わってくる。
そして次の瞬間、二人は薄暗い洞穴に倒れたアミネとの側に移動していたのである。
**
「――行ったな」
セノイは今し方二人が消え去った場所を一瞥して言った。
マノンは、それにため息で返す。
「本当に上手くいっちゃうとはね」
「失敗して欲しかったのか?」
セノイが揶揄うように言うと、マノンは珍しくそれには反論せず、遠い目をしてボヤいた。
「――結局、姫さまもあいつらと同じってことかしらね」
セノイはしばらく沈黙を保っていたが、マノンに「何かいいなさいよ」とどやされて口を開く。
「――いや、お前も他人のことは言えないだろうと思ってな」
「――……視たのかしら?」
「わざわざギリギリになって渡したのは、追及されないためだな? まったく、俺たちだってやることは残っているというのに……」
セノイに図星をつかれたマノンは、面倒くさそうな声音で言う。
「そっちはあんたらがどうにかしなさいよ、出来るでしょ? 私はもう疲れたし、休むわ」
マノンのあんまりな言い分に、セノイは苦笑する。
「――よしみだ、大目に見てやるよ」
それに手を挙げて去っていくマノンを見つめ、セノイは呟く。
「――ジュゲンよ。まさかとは思うが、流石にあの指輪もこのために、と言うことはないよな?」
流石にそれくらいの分別はあるかとセノイは苦笑するが、これ以上考えるのは止めるべきだなと思い、彼はシオの待つ王宮の部屋へと向かった。




