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鴉瞳の魔法使い  作者: てらじま
鴉瞳の魔法使い
84/93

10_神宿り_1/2

その冬は例年とは比肩できないほどに寒かった。

昼時だというのに、息を吐けばその息が凍りつくかのような寒さ。常緑の葉でさえもその寒さに耐えかねて葉を落とし、街中であっても外を歩く人影などほとんどない。

そんな中をボロ切れ一枚で過ごすというのは、ほとんど自殺と同じだ。

しかし、彼はそんな寒さの中を、そのボロボロの薄衣ひとつで歩いていた。手や足の指先がかじかんでほとんど動かないばかりか、感覚すらもなくなりかけている。

見れば、真っ赤に染まった自分の手足が見え、このままでは一昨年死んだあいつと同じように手足を失うかも知れないと、微かな焦りに当たりを見渡す。

暖が取れそうな空き地などあるはずもなく、ただ降りしきる雪が夜空を青白く輝かせている。

望んでそうしている訳ではない。だが間の悪いことに、彼が巣穴としていた廃墟は「役人」に見つかりってしまった。

「役人」というのが何者なのかはよく知らないが、自分たちを縛る悪の権化(・・・・)だということは、マチールに教わった。

「――そういや、最近見てねぇな」

マチールは彼がひとりで生きていけるだけの基盤ができる前に世話を見てもらった男だ。本人は決して話さなかったが、おそらくはどこかの商人の生まれだろうと、皆で噂していたものだ。そんな彼は周りの奴らに比べれば博識で、よくいろんな話を聞かせていた。

その中でも、彼の記憶に残っているのは「神」の話だ。

その「神」とやらは人の姿をしていて、「王」よりも偉いらしく、人の生き死にを簡単に決めることができるらしい。

そして、そんなやつだからこそ、人の身分も決めているらしいのだ。なんでも、「金持ち」は良いことをしたから「金持ち」であり、彼らのような「貧乏人」は悪いことをした結果、「貧乏人」なのだと、そんなことを言っていた。

だが、「神」とやらは全てを見透かす(・・・・・・・)らしく、本来ならばその立場にいるべきではない者を、本来の位置に戻してくれるというのだ。

「――『神』ねぇ」

自らの境遇を嘆いて思わず呟いた。そんな言葉と共に吐き出された息が無性にもったいなく思えて、彼はすぐに口を閉ざす。

いつもなら、こんなひもじい思いをせずに済んだ。少なくとも雨風を凌げる場所があったし、腹が減れば何とかして食べ物を手にいれることもできた。

しかし、今回はそれができない。本当に寒いのだ。

寒いと人が外に出ない。それは、彼にとって非常に厄介な問題だった。

盗みに入ろうにも、人がいるのではすぐにバレてしまうし、いない時を見計らったとしてもすぐに戻ってくることが多い。

今日も何度か盗みを試みたが、どこもかしこも閉じこもっていて上手くいかない。

(――なんも上手くいかねぇ、俺は生まれつき『貧乏人』ってことか。悪いことなんてしてねぇけどなぁ)

そんなことを考えながら、彼は歩き続ける。

人は少ないとはいっても普段と比べればの話で、降り積もった新雪は踏み固められて獣道のように歩道が出来上がっている。

その道を彼はかじかむ腕で空腹の(あばら)をなで、それが気休めにもならないほどの飢餓感と寒さでフラフラと街を縫い歩いているのだ。

ただの雪道を歩くよりは余ほど歩き(やす)いとはいえ、疲労はたまる。足がもつれ、せめて風を凌げるような場所はないかと裏路を見ても、雪で埋まったその場所を歩くだけの気力がなく、もはや野垂れ死ぬのも時間の問題に思えた。

「――あぁ、遂に俺の番も来ちまったのか」

ふとそんな言葉が口をついて出るが、それはある種の受け売りや口癖のようなもので、彼が本当の意味でその言葉を理解して口にしたとは言い難い。ただ何となく、周りの大人はそんなことを言っていたと、思い出しただけだ。

そんなふうにあてどなく歩いていると、行き着く場所には行き着くもので、極度の疲労と空腹で、(つい)には雪につまずき、転んでしまった。

しばらくは動かずにいたが、数少ない通行人も疫病神紛(まが)いの物乞いになど関わりを持ちたいとは思わないのだろう。それには見て見ぬふりを決め込み、わざわざ迂回(うかい)して新雪の上を歩いてそれを避けていく。

中には唾を吐く者などもいて、彼のような人間が普段どのように扱われるのかは推して測るまでもない。

(――あぁ、腹減ったなぁ)

しばらくそのままで居た彼であったが、倒れたままでは雪がさらに身体を冷やし、このままではマズイと無意識に身体が動く。

ゆっくりと立ち上がるが、その瞬間に身体がグラリと傾いだ。

(おっと――……)

身体を支えるために脚を一歩踏み出す、その瞬間にはすでに彼の意識はなかった。


**


ひょんなことに、彼は目を覚ました。

暖炉の火と思しき揺らめきが天井に影を作り、ゆらゆらと彼の目線の先で揺れている。

(――なんだってんだ?)

彼はよろよろと起き上がり、その火元を見る。

生まれて初めて見た暖炉の火は思っていたよりも轟々と燃え盛り、彼に驚きを与えた。

(――火事みてぇだ、何で燃えねぇんだ?)

死にかけであるのにも関わらず、好奇心は抑えられない。()い出るように布から抜け出し、食い入るようにその火を見つめていると、不意に部屋の扉が開いた。

ハッとしてその方向を睨んで身構えると、そこには人の良い笑顔をした初老に差し掛かった男が立っていた。

「何だテメェ!」

威嚇するように怒鳴るが、その声は自分でも驚くほどに覇気がなく、自分がどれほど弱っているのかが図らずも露呈(ろてい)した瞬間だった。

つけいる隙を見つけたと思った彼は、それを誤魔化すように男を睨みつけるが、彼はそのどれも気にしたような素振りを見せず、丸机の上に(ぼん)()せた食べ物を置く。

「――あまりに弱っていたようなのでね、気づいた以上、そのまま死なれても目覚めが悪い。食べるといいよ」

その言葉は、いまの彼にとっては甘言に他ならないが、経験上、こういった上手い話を持ってくるやつは(ろく)なやつがいない。

(――ガヴィのやつは、それで売られちまった)

生まれてこの方、迫害される側であった彼にとって、無償の善意などというものは存在しない。この男も何かを企んでいるのに違いないと、そう信じていた。

そしてそれが、生き延びるための最善手だった。

だが、それはそれとして、彼は()えている。何をされるにしても目の前の食べ物を無視することも耐え難い。彼のような人間にとって長期的な戦略などという物は無縁な物だ。

それならば、彼が取るべき手段はひとつ。単純なことだ。奪えばいい。

彼の目線は食べ物の横にいる男に向かう。弱々しい男にも見えないが、屈強な男にも見えない。どうせ物好きな老人、勢いで押せば何とかなるだろう。

フラフラの身体に(むち)打って獣のように身をかがめ、いまにも飛び掛からんと、男を睨みつける。

「……っ」

しかし、彼は男の視線が彼に向いた途端、全身に鳥肌が走ったのを感じた。

(――ヤバイ)

考える間もなく身体が震え、彼は尻餅(しりもち)をついた。それは決して寒いからではない。

訳の知れぬ威圧感に震える彼とは対照的に、男は穏やかに彼に告げた。

「ああ、すまないね。私がいたのでは安心してありつけないだろう。私は出ていくので気が済むまでゆっくりするがいい」

そして、言葉通り彼に背を向けた。明らかな隙だ。

しかし、彼はその背中に飛びかかる気が起きなかった。

あの男が何を企んでいるのか、彼には全くわからなかった。


**


量は多くなかったとはいえ、空腹の身体に少しでも力になるものが入った彼の身体は気付けば驚くほどに重くなった。多少は慣れていたとはいえ、連日の寒さや動き回った疲労は誤魔化せない。

久方ぶりの温かさもその眠気を助長して、彼はその後すぐにしばらく軒下で眠る猫のように、睡眠をとってしまった。本当はすぐにでも逃げてしまいたいところだったが、その眠気には(あらが)えなかった。

もうどうにでもなれと、少しでも腹が膨れた満足感から自暴自棄になっていたこともある。

だが、驚いたことに、彼が次に目覚めた時にも、彼は何事もなく同じ部屋で放置されていた。

暖炉の火は流石に消えてしまっていたが、それでも外に比べれば部屋の中は暖かい。

「――何だってんだ」

彼は望外の幸運に意表を突かれつつも、この幸運を逃さないようにしなくてはと、慌てて床から飛び起きた。物を腹に入れたこともあり、すこぶる体調は良かった。

窓から見える景色は昼のようにも見えたが、まさか丸一日寝ていたのだろうか。

彼はいよいよ(いぶか)しんで、あの謎の男に恐怖を(つの)らせた。

すぐにでも逃げ出そうと窓を開け、そこで少し魔がさす。せっかくなら部屋のものでも物色しよう。

そして振り返り、部屋の中を物色し始めた。

探し出して気づくが、この部屋はかなり高価なもので彩られているようだ。

盗むなら金属製の物は避けろ、とはマチールの言だったか。訳は知らないが、そういう忠告には意味があるものだ。

部屋を漁っていると、価値も分からないようなものがわんさか出てくる。

物棚の中から出てきた何か派手な織物のようなものだけでも、かなりのものに見えた。

これなら売れずとも寒さを凌ぐ足しにはなるだろう。

そう判断した彼は、それを持って今度こそ窓から飛び出した。雪は冷たいが、今の彼の身体は暖かかった。


**


捕まった。

どうやら、昨日の盗品が原因らしい。

彼はそれを寒さを(しの)ぐ身ぐるみにしていたのだが、あまりに目立ちすぎたようだ。

死にかけた命を拾った彼ではあったが、結局は少しの猶予(ゆうよ)を作っただけにすぎないらしい。

所詮、孤児の泥棒など裁く価値もない。身元の確認でも終えればその場で殺されて終わりだろう。

(――つまんねぇ人生だったな)

できることなら世の中の金持ちたちがやっているような贅沢(ぜいたく)をしてみたかったと思う。

食うに困らず、住む場所に困らず、着る物に困らず、ただのうのうと暮らす、そんな生活をして見たかった。

だが、それは叶わずに終いだ。

薄汚れた牢獄の中に閉じ込められた彼は、散々殴られ、蹴られ、ここに放り込まれた。

(――寒いから気が立っている、だと?)

鬱憤(うっぷん)吐口(はけぐち)にされた彼は、牢の前に立つその「役人」に仕返しを考えるが、ボロボロの身体はろくに動かせそうもない。いや、仮に動けたとして、牢を抜けることはできないだろう。

(――あーくそ、つまらねぇ)

彼は肢体をゴツゴツの床に投げ出し、暗い天井を見つめる。

天井と壁がある分幾分かマシだが、昨日のあの暖炉の火がある部屋にくらべれば、ここは寒く、空虚な場所だった。

(――もし、あのままあそこに留まっていたら)

ひどく碌でもない考えが頭を過ぎるが、退屈な彼はそのくだらない妄想に身を浸す。

(もしかしたら、本当にあの爺さんはお人好しの善人で、俺みたいなやつを拾ってくれる気だったのかも知れない。今こうして牢屋に入れられているのも、俺を見つけてくれるためで、別に殺すためじゃないのかも知れない。それなら、このクッソタレな現状も、なかなかに愉快な物に思えてくるじゃないか)

クックッとあまりのくだらなさに失笑する。これが自分から生まれた物だとはとても思えない。

「――何を笑っている!」

「役人」の怒鳴り声が聞こえるが、幸か不幸か、牢は内側と外側の両方を分断する物だ。

(わずら)わしい声以外は彼の身体を蝕むものは何もなかった。

しかしそれにしても、なぜこの『役人』はわざわざ自分の前にずっと待機しているのだろう。

彼は、疑問に思って仰向けになったまま、「役人」のことを見る。

特に特徴のない男だ。これと言って何かを企むような雰囲気はない。

となると、何か命令されてここにいるのだろう。

(――雰囲気としてはガヴィの奴に似ているからな。あいつはどっかの『組織』に関係があるとか言っていたっけか)

考えるだけ考えて疲れ、彼はため息をついて何もない空間でただ時が過ぎるのを待った。腹が減って動きたくもない時は、時々そうしていたものだ。

「――……」

眠くはないが目を瞑ってしばらくした頃だった。

どこかの扉が開いたのか、空気の流れが代わり、冷気が地を這うように流れ込んできたのを感じ取る。

(――なんかが入ってきたな。また、誰か捕まったのか?)

彼はそんなことを考えていると、彼の前の「役人」が立ち上がり、その入ってきた誰かに声をかけたのを聞いて目を開いた。

「お疲れ様でございます、ゾーク(・・・)様!」

「ああ、そちらも、苦労をかけたね。探す手間が省けたよ。彼かい?」

その声をどこかで聞いたような気がして、彼は首をひねる。

「――あぁ」

それがあの不気味なほどの穏やかなあの初老の男だと気づいた時、彼は思わず声にだして(うな)った。

どうやら、自分はとうとう運の尽きらしい。

「――はい。ところで、依頼の通り、わざわざこうして確保したわけですから……」

へりくだって下卑た声音で「役人」がそんなことを言っている前で、ゾークと呼ばれた男はかがみ込んで彼の顔を覗き込んでいるように見えた。

逆光で顔は陰り、その表情は見て取れなかったが、その目だけは爛々(らんらん)と自分のことを見つめているのを肌で感じ、あの肌が泡立つ感覚に身を震わせた。

「――あぁ、そうだね。少し待ちたまえ」

ゾークはそう言って、立ち上がる。影の形から、彼が(ふところ)に手を入れたのがわかる。

茶代(チップ)でも出すのかと彼は思ったが、予想に反する声が続く。

「――な、話が……ちが」

「――そうかね? まあ、見られていると都合が悪いのでね」

重いものがぶつかるような鈍い音、そして絞り出すような声とのやりとりの後に、「役人」がゾークにより蹴りとばされた。

バゴンと人がぶつかったものとは思えないような激しい音が狭い地下牢に響く。

「――さて、目撃者も消したことだ。君、探したよ。急に逃げ出すものだからね」

影になり姿は見えずとも、そこに広がる鼻を突くような血の匂いが、それ(・・)を彼に確信させる。

それは人を(あや)めたばかりの男のものとは思えない、あっさりとして落ち着いた声だった。

(――あぁ)

ゾークと呼ばれた男の姿は、外から差し込む白い後光で(ふち)取られてあまりに(まばゆ)く、(かがや)いて見えた。

その姿を見た瞬間、何も持たなかった貧困街の少年は直感した。

(――この人が。『()』なんだ)

人の生死を簡単に決めることができ、自分をすくい上げてくれる存在。

ゾークは彼に、望む言葉を落とす。

「君は、選ばれた人間(・・・・・・)だ。私が導いてあげよう」

そうだ、自分は選ばれたのだ。

その瞬間の喜ばしい恍惚(こうこつ)とした気持ちは生涯忘れることはないのだろうと、少年は伸ばされたその手を取った。

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