6_黒き羽、流る先に陽_2/2
「リョウ、こちらだ、見てみろ」
名前を呼ばれ、リョウは草木の生い茂った獣道をかき分けつつ、その場へと向かった。
そこには鴉のものと思われる黒い羽が落ちており、その羽の持ち主がこの辺りを通ったことを意味していた。
この羽の異常な大きさが、それが今回の目的のものであると知らしめている。
「―――通り過ぎただけかも知れないが、いい進歩じゃないか?」
リョウは彼のその言葉を聞き、思わず苦笑する。
「冗談はよせ。お前には分かるはずだぞ」
リョウのその言葉を受け、ジュゲンはイタズラっぽく口角を上げた。
「たまには、一般人をやってみるのもいいかと思ったんだ。お前も、最初から答えが分かっているんじゃ、つまらないだろ?」
リョウはそれには答えず、ただ肩をすくめて見せる。
少しずつ気温が上がり始め、例年以上に森が活気付いた蒼い初夏のことだった。
二人はある魔獣の目撃情報とその討伐の依頼が王国の兵士団に入ったことを知り、こうしてここに来ていた。
ちょうどその頃は、他国に怪しい動きがあるという情報もあり、下手に軍を動かせない王は、その件を後回しにしようとしていた。
しかし、ジュゲンはそれを聞くや否や、父である王に直談判し、戦闘はしないということを条件に、リョウを引き連れてこうして調査に訪れたのだ。
それは一見すると使命感によるものに見える。忙しい国王に代わって王子である自分が雑事をこなすのだと。
しかしリョウは知っていた。ジュゲンは確実に何かを企んでいる。
「鴉羽の兵士団」を動かさず、わざわざリョウだけを連れてここに来た。それは普通に考えてありえない。戦闘はしないという取り決めはあったとしても、突発的な戦闘を避けることはそうそうできることではないからだ。
一般兵よりは余程、実力があると自負しているリョウではあるが、一人で魔獣を倒せると考えるほど自惚れてはいなかった。
ましてや、黒など。
そしてそれはジュゲンも理解している、そのはずだ。
その上で魔獣の調査を敢行したということは、これには彼なりの理屈があるということだ。常人には量れない、神のごとき理屈だ。
未来を視る力。その完成形とも言えるジュゲンの魔法は、知る者の間では「鴉瞳の魔法」と呼ばれ、羨望の眼差しで見られていた。
未来を知り、その結末を操作する。確かにそれに憧れる気持ちも分からなくはない。
リョウもジュゲンに出会うまではきっと、同じことを思ったに違いない。
(―――いまはとても、憧れる気持ちにはなれんな)
そんなリョウの思いをジュゲンは理解しているのだろうか。立ち止まったリョウを置いて、ズンズンと先に進んでいく。
彼の背中に、リョウは叫んだ。
「―――いいかげん話してくれないか、何を企んでいるのか」
「いいかげん理解してもいい頃だと思うよ。僕が話さないってことは、そういうことだ」
「―――分かってて言ってんだよ」
「ああ、それも知っているとも」
リョウはため息をついて、仕方なしに彼の後を追う。
ジュゲンのことだ。何はともあれ、悪いことにはならない。
リョウはそう信じていた。
**
「さて、着いた」
ジュゲンが言った場所は、そこの部分だけ木々のない、いわゆる森穴だった。
「―――でかい森穴だな。何があったんだ?」
リョウが呟くと、ジュゲンは「さぁね」と中央へと歩いていく。
「それに関しては、セノイに訊いた方が適任だよ。あぁ、でも、少なくとも崩落はないから安心していい」
未来を知れるからと言って、全てを知っている訳ではない。ジュゲンはよくそんな旨のことを言っている。
確かに、過去に何があったのか、は未来を知る力で直接知ることはできないだろう。だが、直接でなければ知っているはずだ。
わざわざここに来た理由は、それに繋がっている。
「―――どうせ知っているだろうに」
リョウが言うと、穴の中央に立ったジュゲンが急にリョウを振り返った。
そこに浮かんでいる真面目な相貌に、リョウは嫌な予感を覚える。
「済まないね、リョウ。先に謝らせてもらうよ」
「何を―――……っ!」
リョウはその時、頭上を黒い陰が横切ったのを認識した。
そしてそれが意味することを、考えるまでもなく直感する。
「―――黒の災厄」
リョウは森穴の上空に旋回する黒い魔獣を見つけ、呟く。
村を滅ぼす原因を作った憎き魔獣、黒い災、その火種。
リョウは、あれは災厄そのものと考えていた。村の定義からは外れているが、あれはどう考えても種でありながら種ではない。例外中の例外な存在だ。
しかし不思議なことに、村を壊滅させたのちに、この災厄に関する報告はなかった。国中の情報が集まるはずの王都にも、その手の話はほとんどない。
魔獣の出現自体が珍しいことではあるが、これほどの存在が起こす惨事が噂にすらならないとなると、そもそもこの災厄がこの国にいなかったと考える他ない。
だからこそ、リョウは半ばこの魔獣を殺すことを諦めていたのだ。
(本当に、今になって現れるとは)
話を聞いた時には半信半疑だったその因縁の相手を前にして、リョウは剣に手をかけ、ジュゲンの隣まで進み出る。
「ジュゲン、どうするつもりだ?」
「―――こいつはね、放っておくと碌なことにならない。始末したいね」
「―――簡単に言ってくれる」
「まあ、大丈夫さ、僕には視えるからね」
ジュゲンのその言葉を最後に、低い鳴き声と共に鴉が降りてくる。
それは、優に人を倍する体格を有し、それでいて空を自由に舞えるだけの力を持つ存在。
それが放つ威圧感は何とも形容し難く、値踏みをするようにこちらを見るその瞳は、火のように赤く、激しい。
金属を引き裂くような声を上げる鴉の魔獣。
隣の親友の朗らかな顔を見、逃げられないことを確信したリョウは、背中に冷や汗が伝うのを感じつつも、剣を構えた。
**
気づけば、まだ明るかった森は、暗い闇に覆われていた。
文字通りの激闘。身体の節々は痛み、擦り傷と打ち身だらけ、興奮状態で痛みはあまり感じないが、もしかしたら思っているよりも酷い怪我があるかも知れない。
そして、この鴉はやはり獣とは呼べる存在ではなかった。
獣であれば、怪我をすれば引く。
彼らとて生存のために行動するのだ。不要な体力の消耗など、彼らは求めない。
そしてそれは、魔獣であっても同じだ。
しかし、この存在は違う。
いくら傷を負おうとも、その傷を作った原因を排除した結果に手に入るものが、細い肉の骨だけだと理解していようとも、決して引かなかった。
この鴉は言葉を持たずとも明確に、合理の外を飛び、追及していた。
「化け物が!」
リョウは自らのうちに燻る憎しみを糧に、黒に飛びかかる。
黒はそれを空に飛び上がって避け、避け際に爪でリョウを引き裂こうとする。
ジュゲンはそれを剣で弾き、鴉は追撃を逃れるために高度を上げる。
先まではまだ、地表付近で戦っていたあの鴉は、リョウとジュゲンが傷を負わせて以来、空を存分に使った戦略を取るようになった。
どうしても、決定打が入らない。
(どうすればいい……!)
考える間もなく、黒は再度、強襲を仕掛けてくる。
リョウはそれを加速で横合いに躱し、剣を突き立てるが、浅い。分厚い羽は見た目以上の強度があり、それが尚更二人を追い詰めていた。
しかも悪いことはそれだけではなかった。
「―――ジュゲン、『予知』は戻らないのか!?」
「残念ながら」
ジュゲンが『予知』がなくとも戦えることは少し意外であったが、考えてもみれば戦闘において予知の有用性は、不意打ちに気付けることと、読み合いに負けないだけで、そもそも実力が伴っていて初めて役に立つものだ。
しかし、こうも戻らないとなると、これは黒の魔法の力と見た方がいいだろう。
そして現に、それ以来攻撃を躱される頻度が増えている。
(魔法自体に干渉する魔法など、聞いたこともない。村の皆がやられたのは、これが原因か!?)
「―――っく」
リョウは黒の爪による一撃を正面から剣で受け、それに合わせて『穿通』を意識から呼び起こす。
「ジュゲン!」
リョウの掛け声よりも早く、ジュゲンが飛ぶように黒の側面に切り掛かり、黒の意識が少し逸れた。
そしてその隙をリョウは見逃さない。
「『穿通』!」
リョウの持つ最強の破壊魔法、かつて村最高の狩人が使っていた災厄狩りの魔法。
突きつけたその直線上を貫く、壊すための術。
普段は危険すぎて使わないその魔法だったが、今のリョウに四の五の言っていられるだけの余裕はなかった。
「ギャッ―――!」
それは初めて黒があげた悲鳴だった。脚を掠め、左脚の指を何本か吹き飛ばし、それでも収まらない魔法の余波は、黒の背後に高く伸びた大樹の枝を吹き飛ばした。
黒は血を滴らせながらも空へと飛び上がる。
「通った……だが、浅い。このままだと、ジリ貧だ。同じ手は通じない。何か、ないのか?」
リョウは息を切らせてジュゲンに問いかける。
ジュゲンも同じような状況であったが、不思議とその顔に絶望の色は見えない。
「―――まあ、焦るな。必ず、僕が隙を作る。怒り狂っている今なら、通るはずだ」
リョウはその時、とてつもなく嫌な予感がして、ジュゲンを見る。
しかし、その間にジュゲンは黒を見上げ、構えた。
(息つく暇もありはしない……!)
リョウがそう思って構えると、ジュゲンが叫んだ。
「―――おい、必ず拾えよ!」
リョウは咄嗟のことに返事もできなかった。
しかし、ジュゲンがそのとき何をしたのかは、聞かずとも分かったのである。
ドバン。
何かが弾けるような音と共に、ジュゲンに肉薄した黒がのけぞった。
赤い飛沫の隙間に見えた瞳孔の黒色は、リョウを見ていない。
リョウの身体はその時、考えるまでもなく動く。
「『穿通』!」
リョウが放った剣先から放たれた魔法が、黒の頭を貫く。
遠くで木々が倒れる音が連続するが、リョウはそれには目もくれず、地面に倒れ伏した親友に駆け寄る。
「―――何やってんだ、おい!」
リョウの叫びに対して、ジュゲンは驚くほど平静に笑う。
「言っただろ? 隙を作ったんだ。上手く始末もできた」
リョウはその顔を引っ叩きたい衝動に駆られるが、腕をまるまる吹き飛ばし、その勢いで大量の血を失ったであろう目の前の友には、何をどうすることもできなかった。
とりあえず止血だけでもしなくてはならない。とリョウは来ている衣類を引き裂こうとするが、ジュゲンはそれを静止する。
「焦るな、どうせ間に合わない。今はまだ話せるが、すぐに僕は死ぬ。服の無駄だ」
自分の命に対してあまりにも無頓着な物言いに腹が立ち、リョウは「なぜだ」と怒鳴る。
リョウの頬を涙が伝う。
「なぜ、お前は……」
「―――分かるだろ。できるから、だよ」
リョウは信じられない思いでジュゲンの瞳を覗く。そこに渦巻いているものはあまりに深く、見透かすことはできないが、後悔の色は一切ない。
「僕にとってより良い未来に導く。そのために『鴉羽の兵士団』を作った。僕には、それくらいしか楽しみがないのさ。とはいえ、僕にできるのはここまでだ。この先はお前たち次第だな」
「―――ここでお前が死ぬことが、最善であったと?」
リョウは納得できない気持ちで言い返した。もし仲間を連れてくれば、ジュゲンは死ななかった。少なくとも、限界を超えた動きで身体を吹き飛ばすような無茶をしてまで、黒の足止めをする必要はなかったはずだ。
「それはまあ、その通りなんだよ、固有魔法を失った今じゃないと残念ながらね。それに、いつも言っていたはずだ。僕は鴉の羽だ。真っ先に落ちる、飛ぶための末端さ。実際に飛ぶのはお前たち『鴉』だ」
鴉羽の兵士団。それはジュゲンによって組織された王族直属の近衛兵団だ。
この構成員はことごとく「鴉」と呼ばれ、ジュゲンの指示の下、表にはならない場所で暗躍していた。しかし、名付け親であるジュゲンだけは、頑なに自分のことを「鴉羽」と称して譲らなかった。
リョウはそれをただの気まぐれだと考えていた。
しかし今、それが勘違いであったと知る。
「―――瞳も羽もなしに、どうやって飛べと言うんだ」
「心配するな。お前たちが思うようにやってくれれば、全部上手くいく。―――まあ、お前ら好みかは分からないけれど、そこは信じてくれ」
リョウはジュゲンの血まみれの胸に手を当てる。
弱い鼓動と、次第に冷めていく身体が、その最期をリョウに感じさせた。
「―――と、忘れていた。視えないってこんな感じなんだな」
ジュゲンが不意にそう言って、リョウは顔を上げた。
「マノンにも『済まない』と伝えておいてくれ。セノイは……いいか、どうせ分かるだろうし、頼んだからな、親友」
「―――分かった」
リョウはかろうじてそれに笑みを返す。
「―――ああ、いよいよ、身体、冷えてきたな。さて、僕は、羽らしく、早、々にあの世に流れ着いて、お前らが、来るのを、笑いながら待って、るよ」
眠りにつくように気を失ったジュゲンだったが、リョウはその細い息がすぐに止まることを知っていた。
リョウはその事実に耐えられず、彼から離れるために立ち上がった。
しかしその時、リョウの中に何か大きなものが流れ込むのを感じ、よろける。
(なんだ。これは、『意思』か? いや、それにしては……)
その何かが自分の中で膨れ上がっていくことを感じ、リョウは慌ててそれを押し込める。今まで外側に使っていた力、そのほとんどを内側に向け、それを自分と切り離した。
それが落ち着いた時、実際には何も身体を動かしていないにもかかわらず、リョウの息は全速力で走り続けた後のような上がり方をしていた。
自分に入り込んできたその「意思」。それは今まで預かってきたどれとも違う。指向性のある「意思」の集合体だ。それは切り離されてなおも、リョウの中で不気味に蠢いている。
そして、リョウはその性質を自分から切り離す際に理解し、村の伝承に交えて独白した。
「……なるほど、『強奪の呪い』と言ったところか」
苦笑しながらも、リョウは気づく。
領域が、以前とは比にならぬほど拡がっている。
空気の流れ、地面の蠢き、命の気配、その全ての情報が騒音としてリョウに届けられる。
だが、以前のようにそれらを操ることはできないだろう。
今のリョウは、その身に取り込んだ「呪い」を封じることに手一杯だ。
「―――これは、しんどいな」
リョウの領域に触れるジュゲンの身体が、彼の死をリョウに突きつけている。
しかしリョウは、それでもしばらくの間、現実から目を背けるように、その姿を直接見ることはできなかった。
「―――本当に、これがお前の希望なのか?」
訊ねる声に、返事はない。




