5_黒き羽、流る先に陽_1/2
ふわりとメナの前を通ったマノンは長椅子の、メナのすぐ脇に腰を下ろした。
彼女の動きに合わせて螺旋草の柔らかな香の匂いが漂い、メナの鼻をくすぐる。
メナは隣で一緒になって何も見えない空を眺め出したマノンを見て、どうしてここに来たのかを問う。
「一体?」
「正直、行き詰まっているのよ。それこそ猫の手も借りたいくらいにね」
マノンはそれを言ってから、しばらくしてメナの方を見ると「ああ、姫さまは猫と言う意味ではないですよ?」と、メナが一瞬考えたことを否定した。
「―――いえ、気を使う必要はありませんよ。あなた方からすれば、わたしには猫ほどの力しかないでしょうから」
マノンはしかし眉をひそめて「う〜ん」と唸った挙句、メナの目を覗き込むようにして身を乗り出した。
「どうも、あなたは周囲の人間を過大評価しすぎね。自分の評価が低い訳ではないのだけれど、相対的に低くなってる。客観的に見られていると言えなくもないけれど……それが思考の幅を狭めているのかしら。まあ、あんな化け物たちに囲まれてたら、そうなるのも当然といえば当然なのかもしれないわね」
マノンは自分を棚上げにしてそんなことを言った。
彼女の身が引くと、螺旋草の香りだけではなく、なんともいえない良い香りが残る。
訳もなくドキマギしているメナに対し、マノンは付け加える。
「―――でも、相手を過大に評価するのは良くないわね。本当に必要なときの判断を鈍らせるから。おだてられて、祭り上げられて、結局はできもしないことを期待される人の気持ちにもなってみなさい」
メナはマノンの言っていることに、極端だな、とは思いつつも、思い当たる節があったこともあり、顔を伏せた。
「結局、何が言いたいって、私は姫さまの力を借りに来たってこと」
メナが顔をあげると、マノンの金色の瞳と眼が合った。
相変わらずメナに対する遠慮や敬意をかけらも感じないその妖しい輝きに、メナは「やはりこの人は普通の人とは違う」と思わされる。それは彼女の内に眠る恐ろしいまでの力と、それを培った経験が、彼女の瞳という窓を通して投影されているからなのだろう。
だが、そんな冷たい印象と同時に、メナは彼女からは不思議な温かみをも感じていた。それはきっと、彼女の力とは別のところに起因するものだ。
「―――わたしに、何ができるのです?」
マノンの瞳に見つめられていることに耐えかねたメナが目を逸らすと、マノンは小さく微笑んだ。
「とりあえず、話を聞いてもらえる?」
メナは彼女の意図が読めずに曖昧に頷いたが、マノンはそれに何を思ったか、満足気に頷き返した。
「いま、あのバカが直面している状況と、それを打破するための方針について……私は、あなたには話しておかなくてはならない、そう思うのよ」
メナはその「バカ」が誰を指すのかを察して話を聞く心構えを作った。
彼女が「行き詰まった」とまで口にする出来事が今、起こっている。そして、それはメナにとってはあまり考えたくない事態だった。
そんな彼女の気持ちは置き去りに、マノンは言う。
「結論から言うと……リョウは戻ってこないわ」
メナは信じられないという思いと、やはりシオの言う通り「彼をカトチトァ村に向かわせるべきではなかった」という悔恨の情から、思わず腕を掻き寄せる。
「それは……」
しかしそんなメナに対し、マノンはそれを否定するようにあっさりと言い切る。
「安心して、とは言わないけれど、死んだという意味ではないわ」
「―――え?」
「死んではいないのよ、アイツ。ただ、セノイの話では今、アイツは災厄を自身に閉じ込めて、諸共に封じようとしているらしいのね。結局は動けない訳だから、大した違いはないのだけれど、生きてはいるのよ」
マノンは、メナが疑問を口にしようとしたその口を指で制してから、肩を摩って立ち上がった。
「ちょっと、寒くない?」
メナは言われて初めて、自分の指先が冷えてかじかんできたことを認識した。
「そうですね。確かに、もう外気を浴びるには寒い時期かもしれません」
メナもマノンに続いて立ち上がり、何となく肺に溜まった息を吐き出してみる。
暗空に慣れた目に、白い煙のような吐息が上って消えていく。もう時期、冬がやってくる。
「行きましょ。歩きながら、話すわ」
マノンが展望場を下りはじめたのに続いて、メナも歩き出した。彼女は、後ろを半歩ほど引いて歩くメナをチラリと振り返った。
「姫さまはセノイの魔法については知らなかったわよね」
「そうですね。というより、彼についてはほとんど……」
「それもそうね。姫さまは成り行きで一緒に居たようなものだし、正直私もアレについてはまだ分からない事の方が多いわ」
そう言って笑う彼女笑みは、正面を向き直す直前に、消えたように見えた。
「―――でも、分かることもある。例えば、セノイの魔法は『過去視』とかね」
「過去視……」
「そのまんま、今見えている物事からその過去を読み取る魔法よ。過去は我々でも知れるから未来視ほどの特別感はないし、パッとしない能力に思えるかもしれないけれど……」
最後の方の階段をするりと駆け下りたマノンの言葉が少し遠くなり、メナは聞き逃さないように残りの段を駆け下りる。
「セノイの過去視は、知りたいことを知ることができる、便利な力よ」
先に行っていると思っていた声が不意に横から聞こえ、メナはピクリと肩を振るわせた。
マノンはメナを階段の脇で待っていた。
「―――驚かせないでください」
メナの抗議にもマノンは気にした様子はなく、「ゴメン、ゴメン」と心のこもっていない謝意を口にする。
メナはため息をついて気を取り直す。
「つまり、セノイさんの過去を視る力で、災厄の現状を視て、そこに彼が関わっていることを知った、そういうことですね?」
「そうね、そういうこと」
彼女たちがどうやってリョウと災厄の現状について知ったのかは理解できた。
だが、それは単なる事実の確認でしかなく、マノンがメナに何を望んでいるのかが一向に見えてこない。
考えている間に、マノンはどんどん歩いていくので、メナは慌てて彼女に訊ねる。
「―――あの、ところで、どこへ向かっているのです?」
「う〜ん。ちょっと、ね」
マノンの煮え切らない返事に嫌な予感を覚えつつも逃げ出すわけにもいかず、メナは仕方なしにその背中を追う。
そして、マノンに追いついたメナは、もう一歩踏み込んだ質問をする。
「今後、災厄の対策はどのようにするのですか?」
自分が部屋を出た後、それについての話合いがあったことを前提とした質問だったが、その読みは当たっていた。
マノンは歩みを止めずに、メナを振り返る。
「―――それが問題なのよ。セノイの魔法でリョウの現状と災厄の現状を同時に知った。そしてリョウは少なくとも災厄の抑制に成功している。つまり……」
「―――無理に動く必要はないということですか?」
マノンは流し目でメナを見て、頷く。
「シオは、災厄を刺激することを避けたいそうよ。……まあ、分からなくはないわ。ただでさえ『災厄』なんていう訳の分からないものが『封印』されているのだものね。下手に手を出して齧られたら堪まったもんじゃないわ」
「彼の『予見』はどうなのです、それで上手くいくと? 今回の災厄は予期できていなかったようですが」
メナが問うと、マノンは苦笑する。
「シオは今回のことで自分の『予見』に自信を持ったみたい。災厄の復活を予見できなかったのではなくて、リョウが災厄を抑制するところまで踏まえた『予見』だったんじゃないか、ってね。確かに、否定はできないわ。ジュゲンほどの精度はないとは言え、ある程度の予見は本当にできるみたいだし、その曖昧さも彼自身、理解しているから、色々と手を尽くしている。災厄自体には触れないけれど、避難にせよ何にせよ、災厄から身を守る対策の計画自体は立てているの」
マノンは納得した風に話しつつも、うかない表情をしていた。
言葉は繕えるが態度というものはなかなか繕えない。マノンのその顔は、今回の件に関しての彼女の思い、その全てを物語っていた。
「―――マノンさんはそれに反対しているのですね?」
メナのその問いかけにマノンは答えなかったが、代わりにニコリと微笑んだ。
そして、ある扉の前に立つと、メナを振り返る。
「はい、ここで問題です。ここはどこでしょう?」
メナはマノンに言われて初めて扉に意識を向けた。
それはしっかりとした作りだが飾りのない扉。しかし、材料の木材がくすんで、どこか気品を感じさせる年季ものの扉だ。
城の高い位置にあり、どことなくそれなりに地位のある人間の部屋だと思わせられた。少なくとも、メナが知る部屋ではない。
「あの……」
メナは少し呆れてマノンに向き直るが、彼女はそれに対してにこやかに言い放った。
「―――正解は、シオの部屋でした」
マノンは驚くメナを差し置いて、扉に手をかけ、押し開く。
なぜか鍵のかかっていないシオの部屋の扉は、驚くほど簡単にその間口を広げたのだ。
「何を……押し入りは流石に!」
マノンが何をしようとしているのか、その最悪の事態を想定して、メナはマノンをそう諌める。
しかしマノンはククと含み笑いをしただけで、堂々と部屋に足を踏み入れた。
メナはどうしたものかと逡巡する。
しかしすぐに「家探しが入り込んだ部屋の前で、見張りのように立っている方が気づかれ易い上に怪しい」と気づき、乗り掛かった船だと割り切ってマノンに続いた。
部屋に入ると書物の紙とインク、少量のカビの臭いが鼻をついた。
見た目は驚くほど質素だ。必要最低限の家具が置かれ、それらには飾り気がない。しかし無造作という訳でもないので、彼なりのこだわりが見え隠れしていた。
だが、一番に目を引くのは、無数の蔵書と書類の量だ。本棚や机の上に広げられたその数々は、彼の普段の苦悩が見てとれる。
メナがそれらを眺めていると、何かを探して書類を漁っていたマノンが急にメナに言った。
「そうそう、さっきの質問だけど、私はシオの方針に反対はしてないわ。彼がやろうとしていること自体は必要だもの」
マノンはそこで一旦話を切って、手に持った紙束をペラとめくって眺めてから、遠くへ追いやった。
「―――ただね、リョウを救う手立てを何も立てないのは、気分が良くないのよ」
マノンの口調は相変わらず軽いものだ。
しかしその陰に、リョウに対する強い感情が見え隠れしていた。
メナはそれが感じ取れたからこそ、以前より気になっていたことを口にした。
「―――それは、兄に……『鴉羽の兵士団』に関する人だから、ですか?」
マノンはそれを聞いて、何かを思い出したかのように作業を止めたが、すぐに再開する。
「―――確かに、その通りかも知れないわ」
また何かの紙片を取り上げて投げ捨てたマノンは、姿勢を正してメナを見た。
「いい機会だし、探し物ついでに話してあげましょうか、我々『鴉羽の兵士団』の私たちが、なぜ『鴉』なのかを、ね」
メナの返事も待たず、マノンは語り出した。
兄が、なぜ「鴉羽の兵士団」を発足し、それをそう呼んだのか。
そして、その役割についての話だ。




