3_瞳にうつる、正解の虚像_2/2
部屋から飛び出したメナとインテネの二人は、王宮の会議に使われている広間を目指して走りだした。
部屋に近づくにつれて不穏な血溜まりと死体が散見されるようになり、主人を守るための彼らが、この先に主人がいるという道標となっているのは、何と言う皮肉な話だろうか。
(彼らは、どのように供養されるのだろうか)
頭にチラとそんな考えが過ぎるが、その間に広間に辿りついてメナの意識はそちらに引き付けられた。
「―――っ」
焼けつく肉の匂い、鉄臭い血の匂いが鼻腔を見たし、メナは思わず息を詰まらせた。
吐き気を催す匂いと惨状に目眩を覚え、周りの状況を深く観察しないうちに、とにかくメナは叫ぶ。
「災厄が、復活しました!」
メナが声を発すると、一気にその場の視線がこちらに向いたのをメナは感じ取った。
特に印象的だったのは白髪の男の死体を見下ろしていたシオで、その目が驚愕に見開かれる。かと思うと、すぐに怒ったようにこちらを向き、顔をしかめる。
「馬鹿な。そのような『予見』は―――……」
シオの言葉の端々には「信じられない」という感情がにじみ出ていた。
それはシオ自身が自分の能力に対して持っている自負であったかもしれないし、単純にメナという存在が持ってきた情報の確度を疑っているからなのかもしれない。
あるいはその両方か。
メナが言葉を撤回する様子がないと分かると、シオはメナを見、隣のインテネを見ると、彼女に問いかけた。
「―――シシャ・リョウはどうした?」
「カトチートァ村で爺……デウダリ・オウマと闘っています。我々だけ戻ったのは、彼の指示です。災厄の復活を伝えろ、と」
メナの返答を聞き、シオは眉をひそめた。
「オウマ……『癒し手』か? なぜそんな相手に……」
シオの後ろにセノイが現れ、シオの独白に割り込んだ。
「なんだ、知らないのか。あいつは、リョウの天敵だぞ」
「―――何、どう言う意味だ?」
「そのまんまだよ。この国であいつと正面からぶつかって、単独で打破し得る誰かがいるとすれば、それが『癒し手』だ。……姿がないと思ったら、ゾークについたか?」
メナもそれについては初耳だったが、リョウがこうしてメナたちだけに戻る指示を出したということはそういうことなのだろうと、納得できた。
それはシオも同様のようで、苦虫を噛み潰したような表情をした後に、吐き捨てるように言った。
「クソ。やはり、彼をカトチトァに向かわせるべきではなかった」
シオの視線がメナに向き、彼女はその言葉に含まれた「何か」を感じてシオに噛みついた。
「―――どういう意味です?」
シオもメナの売り言葉に買い言葉で切り返す。
「分からないか? わざわざろくに戦略的な価値のない村に出向いた結果、災厄が復活した場合に正面から対抗でき得る最高戦力を失った、と言う意味だ。我々は今、窮地に立たされている。『災厄』は、国の危機で済むような代物ではない、理解しているか?」
それは確かに正論であった。メナとしても理解できない理屈ではない。しかし、それはやはり強者の理屈、ある種の傲慢だ。彼があの村に向かったのは、メナが頼んだからではない。彼自身がそうしたいと思ったからだ。それを否定していい理由はない。
メナはシオを睨みつける。
「さすが、目的のためには手段を選ばない、あなたらしい意見ですね。それに、まだ彼を失ったとは限らないのでは?」
「私は最悪を避けるために、あらかじめ最悪を想定する必要がある。綺麗事で物事が解決するのなら、この世界はもっと清潔で、美しいものだろうな、アントマキウス・カレン・メナ。そのつけが私に回ってきたのだが」
「―――つけ? わたしがあの村に行ったことが災厄を引き起こしたとでも? そもそも、この状況はあなたが導いたものでしょう。わたしたち王族が作った惨事ではありませんよ。……自らの不手際をこちらに擦りつけないでいただけますか?」
「ああ、そうか、それは済まない。それならば、是非とも君たちの手立てを教えて欲しいね。君たち王族が知り得もしない災厄に対して、どのような対策を取るのかは、後学のためにも知っておきたいところだ」
「知りもしないと断定するのなら、なぜ、何も知らせなかったのです。知っていれば対策が取れたかもしれない。それとも、一方的な断罪が最善の対策だったと言うのですか。そのせいでどれだけの人が死んでしまったか……あなたは知っていますか? どうせ今回も、あなたは対策と称して何かを切り捨てる道を選ぶのでしょうが」
二人の視線が交錯し、睨み合う。しばらくの間、その場にはシンと耳が痛い静寂が拡がり、部屋の中の惨状は忘れ去られたようだった。
「それこそ―――」
「そこまでだ!」
セノイの叱声が、息継ぎを終えたメナとシオを遮るように、響く。その裂帛の声は、二人の気勢を削ぐのに十分なすぎるものだった。
「っ!」「む……」
二人がほとんど同時にセノイを見たところで、セノイは先ほどとは打って変わって低く落ち着いた声で二人を宥めた。
「―――落ち着け、二人とも頭に血が上りすぎだ。今は別に考えるべきことがあるだろう」
セノイの話し方は、流石にリョウやマノンといったキワモノを束ねていた人間なだけあり、自然と耳目を彼に集めさせていた。
シオは何かを言い換えそうと口を開きかけ、やめ、眉根にしわを寄せながらも目をつむった。そして、しばらくしてから息を吐き出した。
「―――済まない、貴公の言うとおりだ。いまは事の是非を問う時間ではない」
シオがセノイに謝罪を口にしたのを尻目に、メナは彼らに背を向けた。彼とは違い、なかなか怒りを収めることができなかった。
だが、怒りに身を任せていていい状況ではない。それが分かっていたからこそ、何かを言ってしまう前に、立ち去ろうと思ったのだ。
「どこへ行く」
シオがその背中に声をかけた。それは気遣いというよりも何かをしでかすのではないか、という猜疑の色が濃く、メナはそれに応えるために一度深呼吸をしなければならなかった。
「―――外の空気を吸いに。ここはあまりに……悲惨すぎます」
それに対する言葉が背後から聞こえることはなかった。メナはそのまま出口へと向かう。
メナが部屋を出ると、少しだけ遅れてインテネも出てきた。背後の足音でメナはそれに気づいたが、振り返りはしなかった。
歩きつつ、血の匂いが身体に染み付いたような気がして、ほこりを払うように何度か身体を叩く。
「メナ様。お気持ちは分かるんですが……」
追い縋ったインテネは、メナを嗜めるように言った。「今はそのような時間はない」そういうことだろう。
「インテネ、わかっていますよ。わたしのこれは、単なる我儘です。ですが……」
メナは続く言葉は口にせず、歩く速度を少し早めた。
そんな程度でインテネが困ることはないだろうが、少しばかりの腹いせだ。
先ほどのインテネの言葉は、メナにとっては焼石に水だ。余計な一言と言い換えてもいい。
インテネはメナの気持ちを知ってか知らでか、メナの早足に追従している。
ひとりになりたいメナからすれば頭の痛い話だ。
メナは唐突にピタと立ち止まると、インテネに向き直る。インテネは少し驚いた様子で立ち止まり、メナの顔を見て目を逸らした。
「すみませんが。少し、ひとりにさせて下さい」
「―――分かりました。ですが、何かあったら、呼んでくださいね」
メナはインテネのその言葉を聞いて少し、肩の力を抜いた。失言はあったとはいえ、彼は本心からメナを気遣ってくれている。
「えぇ、ありがとうございます。ですが、少し頭を冷やしたいだけですから」
メナはかろうじて微笑みを浮かべてから、インテネに背を向ける。
どうしても人には感情というものがある。それは理屈とは別の原理で人の心に存在し、時には理屈すら捻じ曲げてしまう。
(いまのわたしは……)
いまのメナの頭の中は、感情に思考が浸りつつも、小舟で揺蕩う理性が、その様子を上から覗き込んでいるような状況だ。小舟は、ひと風吹けばひっくり返ってしまうような脆弱な作りではあったが、かろうじて嵐を凌ぎ、過ぎ去るのを待ち続けている。
波の無い、落ち着ける場所が必要だった。
「……」
メナはなんとなく部屋に戻る気持ちにもなれず、フラフラと導かれるように城の展望場へと向かった。
城の階段を延々と上り、太ももが熱くなってきたところで、視界が開ける。
階段を登りきった彼女にゴウと冷たい秋風が吹きつけて、メナの髪が肩口でサラサラと揺れた。
視界の隅にはためく髪を見つけたメナは、それを指でつまんで少し弄ぶ。
(―――もう、こんなに伸びたのか)
そしてメナはかの日、リョウを引き連れて向かったカトチーニ川を思い出した。
惨劇のあとが消えやらぬ、湿った泥と葦の香りで満ちた、本当に冥界に続いているのではないかと思わせる、静かな川だ。
自分の身体の一部を川に流すのは、死んでいった親しい者たちが迷わぬように道標とするためだ。
それは生者から離れたものは死に、人の死よりも軽いので、早くあの世に辿り着くから、という考えに起因しているらしい。
だが、メナにとってそれは覚悟の意味もあった。
自分は絶対に生き残るのだと、彼らの努力を無駄にしないために。
自分のことは気にせずに、先に逝っていてくれ、と。
その時に切り落とした髪が、今やここまで伸びている。時の流れとともに、自分が生きているのだという、確かな実感を感じた。
「もし、災厄が本格的に活動を始めたら……」
今はカトチーニとは少し離れたこの地にそのような予兆は見えない。しかし、このままではその時はきっと来て、多くの命が失われる。ともすれば、自分も死ぬ。
(わたしは、彼らの努力の分だけ生きられているのでしょうか、それともまだ足りない?)
メナの視線は当て所なく暗い空をなぞる。
城の屋上にあたる展望場には灯りがほとんどなく、日暮れの時間帯に向いている場所ではなかった。
見えるものといえば、遠くの山の端の赤と、群青よりも暗い青い筋雲。―――あとは、ぼんやりとした黒い影としか見えない。
「……暗い、ですね」
何が見えることを期待した訳でもないが、気分転換を考えるのであれば、何か見えた方が良かったかもしれない。
メナはそんなことを考えながら、隅の方に備え付けられている長椅子に腰掛ける。
そこから見えた屋上の光景に、猫を救うために無茶をした自分のことを思い出して、かつての自分を少し笑ってから深いため息をついた。
(―――本当に、カトチトァは切り捨てるべきだったのだろうか)
結果として、リョウという存在を失った。それは事実だ。だが、得られた結果は本当にそれだけだろうか。
(少なくとも、カトチトァの人々の希望にはなっている。それは善か悪かでいえば、確実に善だ……)
仮に彼らが何も知らずに災厄の復活に遭遇したとしよう。その時、彼らの多くは戸惑いの内に災に呑まれたはずだ。
あの轟音の正体も知れず、気づいた時には手遅れになって―――
メナは首を振った。
(これは最悪の場合だ。彼があそこにはいかず、私たちだけが向かっていた場合はどうだった?)
その場合は、村人たちの説得が上手くいったかは微妙なところだ。村長に話を通すことはできても、その後にあの暴走する村人たちを鎮められたかどうかは判らない。
インテネでも役割は果たすだろうが、衝撃の大きさで言えば、リョウの方がはるかに勝る。
それに、あの音を災厄と断じて、こうして行動することはできなかった。
(ーーー分からなくなってきた)
メナはうつむき、手で顔を覆う。
そもそも、どうしてシオの予言は外れ、今、災厄が復活したのだろうか?
リョウは無事なのだろうか、もし危機に陥っているのなら助けに行かなくてもいいのか?
アミネは今どうなっているのだろうか?
ーーーこれらの問題に対して自分にできることはあるのか?
「―――……」
メナは再度ため息をついて空を仰ぐ。
「―――わたしは、どうすれば良いのでしょうか?」
メナが溢した言の葉は、溶けるように消えていくかに思われた。
しかし、それはメナが思いもしなかった人物に拾われることになった。
「―――それなら、まずは知ることから始めなきゃね」
絹のように滑らかな声音にメナが振り返ると、そこには濡鴉色の長髪を靡かせて立つ、美しく神秘的で、されど見知った女性が立っていた。
「―――マノンさん」
「こんなところにいたら風邪をひくわよ。……お転婆のメナ姫さま?」




