9_黒
オウマはアントマキウスの人間ではない。
しかし、もう長いことこの国に身を置いていたことで、オウマはこの国に愛着を持ってしまっていた。
故国への憧れがないかと言われれば、あると答えるだろう。しかし、どうしても戻りたいかと問われると、その時点でオウマは口を閉ざすに違いない。
人の気持ちというものは何とも移ろい易いもので、二、三年もすれば抱いていた強い郷愁も、単なる思い出へと変わっている。
オウマもその例外ではなく、国を出た時には強い意志を持って臨んでいたその役割も、いつしかアントマキウスの風土に飲まれ、彼を縛る義務となっていた。
彼は彼の神を信奉している。
それだけはあの時から欠かせず、毎日のように祈り続けている。だからこそ風化せず、オウマという人間を壊さずに保ってくれていた。
オウマはアントマキウスの人間ではない。
本来ならば、この国の姫君となど、知り合うことも無かったであろう。それはどこで崩れてしまったのか。
オウマはどこの人間なのだろうか。
**
オウマはリョウの呟きをきっかけに、彼が放つ雰囲気が様変わりしたのを感じ取った。
それは、これまでの彼の放つ超然としつつもどこか優しさを感じる気配と異なり、文字通りの針の筵に覆われたような威圧感を感じるものへの変貌だった。オウマはその変化をまさに手に取るように感じ取った。
そして信じられない気持ちで呟く。
「―――まさか」
オウマはリョウが自身に課した「制縛」により、「人を殺すこと」ができないことを知っていた。
それを知っていたからこそ、災厄の覚醒まで彼をこの場に足止めすることを考え、行動してきたのだ。ここで彼を殺せずともオウマとしては別に構わなかった。
しかし今、彼から放たれている気配に混じるこの威圧感は、「殺意」と形容するにふさわしいものである。
(―――このまま遊んでいては足元を掬われる!)
オウマはそう判断して、全力でリョウの間合いに入り込んだ。
そのまま身体を沈み込ませ、自分が持てる最大の破壊術を放つ構えをとる。その時のリョウの視界には、突然オウマの頭頂が現れたように見えたことだろう。
実際、オウマ自身ですら目の前にいきなりリョウが現れたように感じるのだから。
「壊っ!」
空が裂けたかのような、雷鳴にも似た音がカトチーニの山野に響き、幾重にも反響した。
ドサドサと土塊が降り注ぐ様は、その威力の凄まじさを如実に物語っていた。
それが人間の手により放たれた音であるとは誰も信じないだろう。まさに天変地異の如き轟音であった。
そして、その異常の中心、轟音と共に巻き上げられた土塊は砂煙を伴い、その爆心地を覆い隠していた。
「―――流石に、負担が大きい」
煙のうちから苦笑混じりの声が聞こえ、オウマの姿が顕になる。
その姿はボロボロで、拳を放った方の腕などは皮膚が弾け、自身の血と傷で真っ赤に染まっている。
しかし、その傷は見る間に塞がっていき、オウマは軽く手を振ってその状態を確かめた。
問題なく、動く。
オウマは砂煙から抜け出すと、その中心に向き直った。
多重継承者であるリョウとはいえど、あれを受けて立っていられるとは思えなかった。
オウマはメナを守るために奔走したリョウという男のことを密かに気に入っていた。だが同時に、それを理由にその命を奪うことは厭わなかった。
とはいえそれは、オウマに感情がないということではない。
「すまないね」
自然に口からこぼれた謝罪の言葉は、届く宛もなく、虚しく風に溶けていく。
そこに後悔はない。オウマにとって災厄の復活は、他の何に替えてでも達成するべきものだ。そこからが始まりと言っていい。
それこそが、オウマがこのアントマキウスに居る理由だった。だが、だからこそ、彼はそこに無情を感じる。
ため息をつき、動く気配はないなと、背中を向けようと足を動かした。
その時、ふと、オウマは一向に砂煙が晴れないことに気づいた。
(―――待て、これは……砂塵ではない?)
オウマの胸中にその猜疑が浮かんだ瞬間、それを察知したかのようにその「霞」は急速に拡がっていく。
成す術もなくその波に飲まれたオウマは、完全に乳白色に染まった視界のうちに、黒い影を見つけ、声をかける。
「―――まさか、あれを受けて立っていられるとはね」
返事のない黒影は霞んで消え、世界は白の帷に覆われた。
しかしオウマは確信する、あの影はリョウであると。
それと同時にオウマの肌が、リョウの放つ威圧感を思い出したように粟立った。先の一撃の余波で負った傷は治していたが、感覚は戻り切っていなかったらしい。今になってその感覚が帰ってきたようだ。
(あれにこんな反動があるとは)
この反動は普段ならばそう重いものではない。気づけば治っている程度の些細なものだ。
しかし、リョウとオウマ。二人の実力者同士がぶつかる渦中において、その一瞬の判断の遅れは致命的な結果を生むのに十分すぎる間となった。
しかしオウマはこの時、リョウが無傷で済んでいるはずがないと踏み、その間を軽く見ていた。
**
「ああ、そうだ。お前たちには教えておこうと思うことがあるのだが」
カトチーニの村へと向かう馬車の中、唐突にリョウが言った。
メナとインテネは互いに手持ち無沙汰で、車窓から外の様子を眺めていた最中であったため、すぐにリョウの話に耳を傾けた。
「何です?」
「俺の『制縛』についてだ」
メナは「制縛」と聞き、なんとなくマノンに聞いた概要を思い出した。
「確か、自身の行動を縛る―――魔法、呪い? とかそのような類だとは記憶していますね。あなたはそれで『不殺』を誓っているとか」
リョウは「少し違う」と首を振り、説明した。
「正確には、『自分の意思で誰かを殺さない』だ。細かいようだが、こういう決め事では細かい部分が重要になる」
「それが何だって言うんです?」
リョウはインテネのそのあっけらかんな問いかけに苦笑して「すまん」と軽く詫びを入れた。
「カトチトァに着いて、とても『不殺』などとは言っていられない状況に陥ってしまった場合があるとする」
メナはそのような状況が本当にくるのかを想像できず、首を捻る。
リョウは「不殺」であっても十分に強大な魔法使いだ。それはインテネとアミネを相手取って戦っていたことからも明白である。二人を超える存在があの村にいるとは思えない。
顔に出ていたのか、リョウはメナを見て「仮に、だ」と釘を刺した。
「―――知っての通り、俺は『制縛』がある限り全力では戦えない」
メナは話の流れからリョウが何を言いたいのかを察したが黙っていた。しかし、インテネは我慢できなかったのか、先回りをした質問をする。
「我々に話すことで『制縛』を外す目処があるということですか? そもそも僕は『制縛』というものがよく分からないのですが」
リョウは「ある」と答えた上で「だが、外す訳ではない」と付け加えた。
「そもそも『制縛』はその意志さえあれば誰にでもできる、魔法の一種だ。本来であれば自分の行動を制限するだけの、何の意味もなさない魔法だ。他人に課せる訳でもないからな。―――実際にそれを行ったかどうかすら確認できない。その上、制縛をかけたとしても、その制縛の内容を行いたくなくなるだけ。抜け道なんていくらでもある上に、それが有効だ。とんだ出来損ないの魔法だよ」
「つまり?」
メナが問うと、リョウはメナの目を覗き込むように真っ直ぐ見つめた。
「―――どちらでもいい。命じてくれ。目の前の敵を殺せ、本気で戦え、とな」
その時、馬車がガタンと揺れ、メナの身体が大きく跳ね、倒れかける。
それをリョウの腕がさりげなく支え、すぐに離れた。
メナはこの男が、何をそんなに恐れているのか分からなかった。わざわざ自分を縛ってまで『不殺』を背負っている理由と、それをわざわざ自分たちに明かした理由。
しかしメナには何となく、それらは同じ一つの事柄に起因しているのだと思えた。
その正体を探りたくて、メナはリョウに訊ねた。
「何故あなたは、そのような『制縛』を自身に課さねばならなかったのですか?」
**
リョウは当初、オウマを殺すつもりはなかった。
メナの願いもあるが、それ以上にオウマの行動に、矛盾のようなものがあることに気づいたからだ。
それがリョウには彼との和解の目となるのではないかと、そう思ったのだ。
しかし、実際に戦ってみて分かったことがある。
この男は、絶対に折れない。
リョウはオウマの戦い方が自傷を辞さない捨て身のものであること、それを意にも介していないということに、彼の本質を見たのだ。
だからこそ、リョウは覚悟を決めねばならなかった。
(メナはこうなると、分かっていたのだろうか)
リョウは去り際のメナの表情を思い出すが、確かなことは何一つ分からなかった。
(そうだとすれば、その覚悟を無碍にすることはできないな)
少なくとも「不殺」の縛りは今のリョウにはない。
(―――全力を尽くす)
「起きろ、黒」
リョウの呟きと、オウマの踏み込みが重なった。しかし、オウマの踏み込みよりも少し早く、リョウはその魔法の起動を終えている。
そしてリョウは、オウマのその拳を「魔法格闘」技術で真正面から受け止めたのだ。
衝撃と身体中の痛みが走るが、リョウはそれを全て無視する。
同時に、『霞』の魔法で煙幕を発生させていた。
身体中の骨が砕け、腱が千切れ、出血する中で、リョウは「黒」の魔法が奪った力を使う。
それはまだ完全なものではないため時間はかかるが、時間さえかければ問題なく機能するようだった。
リョウは霞の中で次第に癒えていく傷を望洋と眺めていたが、オウマの動きが止まったことを感じ取った。
気付かれた可能性を危惧し、リョウは霞の範囲を拡げる。
「―――まさか、あれを受けて立っていられるとはね」
鎌かけだろう、オウマの声が聞こえてくる。リョウはあえて応える必要はないと判断し、一旦、霞の奥に身を潜めた。しかし、時間の問題だろう。
リョウはオウマほどの男をいつまでもこの程度の小細工で欺き続けることができるとは考えていなかった。
(―――どのみち、あまり時間をかけてもいられない)
リョウは身体が動くのに支障がない程度に回復したのを確認し、「霞」を払う。
バウ。と風が吹き抜け、白の帷が割れる。
目の前にはオウマの姿。オウマはリョウの姿を見て一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐに目を細めた。
「―――どうやって凌いだのですかな?」
リョウは皮肉な笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「さぁな」
リョウのその態度をどのように取ったのか、オウマは眉をひそめ、自分の手をその目の前に掲げ、何度か握っては解く動作を繰り返した。
「―――やはり、あなたは油断できない」
「お互い様だ。あいつの意志がなければ、いや、あったとしても、迷っていたあの時ままで、俺はお前になす術もなかった。これまでお前ほどの化け物にあったことはないよ……セノイですら、お前には及ばない。だが―――」
リョウは控えていた魔法を並列で起動した。
「―――今の俺は、迷ったままのお前では、倒せない」
「はは。豪語しなさる。先の今で何が変わったと」
しかし言葉とは裏腹に、オウマの額に汗が伝ったのをリョウは見る。
「俺の『覚悟』だけだよ」
リョウの言葉と共に、周辺が一瞬で闇に包まれた。
**
リョウはオウマにある違和感を感じていた。
すなわち、「熱」の不在である。それは、このオウマという存在がこうして動く理由の不明であり、不自然さ、不気味さの源泉であった。
こればかりは共にぶつかりあった今なお分からないままでいる。
「初めからあの一撃を放っていれば、お前は俺を殺せた」
リョウが仰向けに倒れたオウマの元へと向かうと、オウマは微かに笑みを浮かべた。さすがに癒しの魔法の所持者なだけあって、致命傷でも死ぬまでには時間があるようだ。
「それは、どうでしょうかね。現状を見る限り、そうとも言えないのでは?」
リョウはそれには応えず、逆にオウマに問い返した。
「お前は、何を望んでいた?」
リョウはこれをオウマの息があるうちに聞いておきたかった。
「―――故国のため、災厄を復活させること、そしてその知見を得ることが、私には求められていたのですよ」
「故国とは、魔国のことか?」
「―――えぇ」
「随分と遠くから来たのだな、お前は」
「そうですな……もう、遠い過去の話にしか思えませんが。―――あぁ、そうだ。そんなことより、訊いておきたいことが」
オウマが弱々しく咳き込んで話を変えたので、リョウは彼も限界が近いのだと察する。
「なんだ?」
「ずっと気掛かりだったんですよ。メナ様を送り出してから」
リョウは、そこでふとオウマに対して感じていた違和感を思い出して訊ねる。
「あいつは災厄と関わりがあるのか?」
「―――いえ。恥ずかしながら、彼女と災厄は全く関係がありません。逃したのは単に……」
「そうか―――」
リョウはそれがオウマに「熱」を感じなかった理由かと納得し、何と答えるべきかと少し考える。この時、リョウの思考は少しまとまり難くなっており、思ったよりも時間がかかった。
「―――あいつは、そうだな、初めて会った時には目も当てられなかったが……今は良い顔をするようになった。俺から言えるのはそれくらいだ」
「そうですか……」
オウマの顔に寂しそうな笑みが浮かんだのを一瞥し、リョウはそれに背中を向ける。
「―――俺はもう行く」
「あぁ、お待ちを、最後に」
呼び止められたリョウは気だるげに振り返った。実際に面倒だった訳ではなく、少しの気恥ずかしさがあったのだ。
「何か?」
「メナ様のこと、よろしくお願いしますよ」
「……」
リョウはカトチーニの山嶺に向き直った。
その崩落した山肌からは白い砂煙がもうもうと空に拡がって、轟音の原因がそこにいるのだと知らしめている。
「―――少なくとも、あいつの望みは叶えるさ」
リョウはそう言い残し、無造作に魔法を展開して空へと飛び上がった。
黒衣の魔法使いが空を駆る。
その軌跡に迷いはなく、ただ真っ直ぐに白煙へと吸い込まれていった。
**
リョウがいなくなった大地に倒れ伏し、オウマはひとり孤独に冷えゆく身体を感じていた。
死期が迫っていることを感じ、もはや故国の土を踏むことはないと思いつつも、オウマは別段、それに苦痛は感じなかった。
(故国の……神のために働いてきただが……)
オウマはなんとか首を巡らせて、周囲の景色を見る。
彼は、本当は知っていた。彼自身が半ば厄介払いのためにこの国に送られたのだと言うことを。結局のところ、期待などされていなかった。オウマと連絡を取ろうとする者は終ぞ現れなかったのだから。
(もうあの国に、私のことを知る者もいないだろう)
オウマはそう思い、笑う。
それでもこうして役割を果たそうと働き、調べ、暗躍したのは、自身の存在意義が欲しかったがために他ならない。
そして、それができる才能が、彼にはあった、あってしまったのだ。
悔いがあるとすれば―――。
「―――迷わずメナ様といることをとるべきだった、ということだろうか」
オウマは独白する。耳が痛いほどに静かなその場所ではその独白は白地の布に墨を垂らすようなものであった。
「―――かつての災厄が用いたとされる魔法。それが、こうして再び現れる。何とも数奇な話。―――願わくば、かつてとは違う結末が待っていることを」
オウマは次第に自分の魔法が薄れ、消えていくのを感じ取った。
だが、オウマには恐怖はない。彼は、かつてこの地に来た時と同じように、未来への希望を抱いたままで、その深い深淵へと脚を踏み出したのであった。
8章終わり
反省会
・登場人物をどのように動かすのか
ストーリーラインを作っていくことにしか視点が向いていなかったため、どのように物語を動かすのか、どのように登場人物を動かすのか、その意識が低かった。
結果として物語としてもキャラクターを動かし難く、ストーリーラインとしても中途半端なものになってしまっている。
そもそも主役を引き立てるのが脇役であるのだから、各脇役には主役に対立する項目、要素を持っているべきである。そしてそれが物語を動かす要素でなければならない。
ストーリーラインがあってこそのキャラクターではあるが、キャラクターあってこそのストーリーラインでもある。その意識は忘れてはならない。
改善策としては、その物語に取り上げるテーマ、その結末を決定したのち、その結末にどのように至るのかを考えた上で、そこに直面しうる問題を列挙し、その中から使えそうな問題や対立を取り上げ、最後にそれをキャラクターとして肉付けを行う。
これならば、無駄なキャラクターは生じない(脇役を引き立てる脇役にはここまで考える必要はない。ただその脇役が持つ要素を支える存在であればよい)。
・伏線についてのそもそもの勘違い
伏線は分かりづらい方が面白くなる。と、考えていた。ぽろっと漏れ出るような情報が後から回収されるのが爽快であるという考えのもとのものだ。
だが、これは全くもって勘違いである(と考える)。
思うに伏線にも種類があり、ストーリーを進行させる伏線と、その伏線を引き立てる伏線、少なくともこの2種類がある。
そもそも、伏線は読者に「これは伏線である」と理解させる必要がある。少しポロリと出ただけの伏線(っぽい情報)は伏線として理解されずらい。その時点で伏線としての機能はしていないので、それならば初めからそれは「伏線である」と理解できるような書き方をすることが好ましい。つまり前者だ。
そしてその「分かりやすい伏線」に説得力を与えるための情報として「分かりずらい伏線」を用意することを意識することを心がける。
とりあえず今回は以上




