8_最強の魔法使い
リョウはその男がこのタイミングでここに現れたことに、不思議と疑問は覚えなかった。
その直感はジュゲンやシオのような「予見」などとは違うものではあったが、彼から感じられるその「何か」が、無意識下に今の状況と彼とを結びつけたのである。
「―――オウマ爺? なぜここに?」
メナが茫然と呟き、オウマはそれを聞きつけて彼女を見ると恭しく礼をした。
「おぉ、お久しぶりです、お嬢様」
メナはオウマへと駆け寄ろうとして、しかしリョウの横顔を見て思いとどまった。
「あなたがここにいる理由は分かりませんが、災厄に関係しているのは確かなようですね」
オウマはそれに対して直接答えることはなかった。
くるりと背を向けてカトチーニの山脈を仰ぐと、後ろ手に組んだ手を解き、大きく空へ向けて広げた。
夏が過ぎ、乾いたように澄んだ空が山の頂まで鮮明に見通している。その山々をかき抱くようなその動作には、強い歓喜の色が感じられた。
「―――この国にきて以来、もう二十年近くなりますな。やっと悲願の日が訪れようとしている」
その間にリョウはさりげなくメナとインテネを後ろに庇うようにして前に進みでる。
「お前の悲願とやらは知らんが、お前はかつて、災厄を止めるために活動していると言っていたな。あれは嘘か?」
リョウが問うと、オウマは腕を組み直し、悲しそうに俯いた。
「確かに、嘘ではありますな。嘘は悪行。好かんのですが、大義のためには致し方のないこと。神もお許しになることでしょう」
リョウはオウマのその言葉の節々に感じる違和感の正体を突き止めることができず、眉をひそめ、さらに問い詰めようと口を開く。
しかし、悠長に問答を続けている時間はなかったようだ。
再度、遠方から何かが崩れるような轟音が鳴り響いた。身体が揺れたと錯覚するほどの重い音。リョウはそれが、ひどく歪で自然なものではないことを感じとり、後ろの二人を振り返る。
「積もる話もあるだろうが、ここは俺に任せて、行ってくれ」
メナはリョウの目を見つめ、一瞬だけオウマに視線を向けたが、リョウが適当にはぐらかしている訳ではないと感じたのか、インテネと共に馬車へと駆け出した。
しかし、メナは去り際に一度振り返り、リョウに向けて言い残す。
「彼は、一度はわたしの命を救ってくれた恩人です。できることならば話を聞きたい。ですが今は災厄を止めねばならない」
リョウはメナに振り返る。メナはそのままリョウの目を見て、続けた。
「―――全力を尽くしてください」
「そうか。わかった」
メナとインテネが去り、リョウが向き直ると、オウマはそれを見て何を思ったか、微笑んでリョウのことを見ていた。
「村を巻き込みたくはないのでは?」
それが場所を移すという意味だと察したリョウは、それに従う。仮にここで本気で戦おうものなら、災厄の前にこの村がぐちゃぐちゃになってしまう。
「―――今のあなたはどこか、吹っ切れているように見えますな。余裕がある。あの時はもっと、カリカリしていたのに」
村から少し離れた比較的平らかな丘にたち、オウマは言った。
リョウはそれを鼻で笑い、武器を引き抜く。
「それが何だ。耄碌して俺が自分の息子にでも見えたか。癒し手?」
「全く、気が早くていらっしゃる」
「生憎、俺はあれを止めなければならなくてな。ここでいらぬ足止めなど食っていられないんだ」
オウマは今までのそれが嘘であったかのように笑みを消す。その顔に彫られた優しげな皺は、無機質な表情に引きずられて暗い影を顔に落とし、酷く不気味で恐ろしげな雰囲気を引き出していた。
「いま、あなたに動かれては困りますな。あなたは、一人で状況を変えてしまいますから」
「ならば尚更―――」
唐突に目の前に現れたオウマの拳をリョウはかろうじて身をよじってかわした。
その速度は常人では到底捉え切れるものではなく、リョウが反応できたのは偏にその広い領域のおかげであった。
(初動が分かっていてもこれか!)
リョウはそのまま『魔法格闘』を応用した移動術でオウマから距離を取るべく跳躍するが、オウマはそれを許さなかった。
「甘いですよ、リョウ殿」
その静かな語りかけは、戦闘中であるにもかかわらずリョウの耳にはっきりと届いた。
リョウは、その臓腑を穿つような突きを、地面から土を迫り上げてかろうじて押し止めた。
バツンッ。と拳が土に突き刺さったとは思えないような破裂音が響き、土壁が弾け飛ぶ。
リョウはその間に跳躍し、オウマから大きく間合いをとった。
元の位置よりもはるか後方に着地し、リョウは止めていた息をはく。
オウマのそのでたらめな速度が『魔法格闘』を極めたものであることをリョウは看破していた。それは同時に、それが普通の『魔法格闘』ではないことをも理解させられたということである。
身体が耐えきれずに崩壊するような行動に耐えうる身体。
それにより生じる速度を使いこなせるだけの直感。
多く魔法の展開を必要とされるため、それができる才覚。
さらにはこれらを使いこなすための莫大な修練。
先のオウマのやったことを行うには、それら全てが必要になる。普通はそれらを全て解決することはできない。練習しようにも身体が壊れる技術を繰り返せるはずがないからだ。ゆえに、それらは所謂「理論上」の話であり、本来ならば「実用性」などありはしない机上の空論である。
―――しかし、オウマはそれらを自身の「才覚(魔法)」で全て解決していた。
「『癒し手』。文字通りという訳だ。まったく、でたらめもいいところだ」
オウマはそれまでの攻めなどなかったかのようなゆっくりとした動きで姿勢を元の起立状態に戻すと、リョウの土壁を一瞥して苦笑する。
「それはあなたも大概でしょうに。『多重継承者』。なぜあなたは、そのままあなた(リョウ)でいられるのでしょうな」
リョウはそれには答えず、普段は使わないような魔法を展開する。
足元の土を自身の周りを回転させるように舞い上げ、自分の周囲に堀を作るのと同時にその土を全て一つにまとめていく。
堀はオウマの踏み込みを妨げ、舞い上がる土は壁となり、オウマはリョウに肉薄できない。
「―――いけ」
リョウの宣告とともに、グワン。と風が鳴り、人の身長ほどの大きさを持った土塊がオウマへと直進した。
対して、オウマは平然とそれを見ていたかと思うと、忽然と姿を消す。
オウマの独特な踏み込みと単純な速度を前に、リョウの視界はもはや役には立たなかった。領域の感覚を頼りにリョウの攻撃の隙をついた飛び蹴りを避け、うめく。
「くっ」
操作を外れた土塊はそのまま地面へと落下して崩れ、リョウは代わりに魔剣へと意識を向ける。
「『穿通』!」
オウマが自分の後ろに回り込もうとしているのを察知したリョウは背後に剣先を向け、魔法を放つ。
完全にタイミングを合わせたはずのその魔法は、先ほどまでオウマがいた地点を直進し、轟音と共に後方の低木の細い幹を丸く消し飛ばした。根幹を失った枝葉は地面に墜落し、ガサガサと騒々しい抗議の悲鳴を上げる。
『制縛』のこともあり、普段ならば絶対に人に向けては放たない破壊のための魔法。
今回それを使ったのは外すために手を抜いた訳ではなく、今回ばかりは「当たらない」と、リョウはそう確信したからこそ、それを放った。そして実際に、オウマはそれをかわして見せた。
だが、少なくとも回避行動を取ることを強制されたオウマの追撃は止まる。
「その剣、魔道具ですな」
いつの間にかリョウの正面に現れたオウマが言った。
リョウはその質問の意図について逡巡するが「そうだ」とそれを首肯した。
「察するに、あなたの呪いは『譲渡』でしたかな」
リョウは思わず、オウマをまじまじと見つめ、黙り込んだ。
オウマはリョウのその反応からある程度の察しをつけたのか、くつくつと小さく笑う。
「そこまで驚かれずとも、流石に察しがつきますよ。その剣に込められた魔法は、いささか強力に過ぎる」
リョウは目の前の老人がより得体の知れぬものに思え、唸るように声を低めた。
「―――お前、どこまで知っている?」
「どこまで、と申されましてもね。知っていることだけ、としか」
オウマのとぼけた返答を聞きながら、リョウはオウマに対する警戒をさらに引き上げた。
実際的な戦闘力もさることながら、何かを企み、こうしてリョウの前に立っているところはゾークと同様、老獪さを感じさせる。
しかし同時に、このオウマという存在は、ゾークとは決定的に別種の存在であった。
ゾークとは違い、朗らかな表層に覆われ隠された深層の「熱」、その正体がいまいち掴みきれない。
しかしその存在は確かであり、それが今こうしてリョウに刃を向けているのだ。
「―――答える気がないのならそれでもいい。どちらにせよ、お前は倒さねばならぬ敵だ」
リョウは言下に外套へと意識を集中させる。
その瞬間、リョウを起点に風が巻き起こった。その風は次第に暴風へと変わり、周囲の草木や土を跳ね上げ、竜巻と見紛うほどの威力に変わっていく。
オウマは自分を吹き飛ばさんとするその暴風を浴びつつも、平然と呟いた。
「ほぉ。さすがですな。『最強』の魔法使いとされる理由も分かる。これでは兵団も役には立たないでしょうな。―――だが」
リョウは風の壁の内、自分の懐に血まみれのオウマが飛び込んで来たことに気づく。
リョウはそれを想定していたのにもかかわらず、その常軌を逸した行動に目を見張った。
だが、それで動きが鈍るリョウではない。
リョウはあらかじめ用意しておいた『追風』でその場を大きく離れる。
そして取り残されたオウマに向けて、四方から尖った石片が幾重も飛来した。
高速で飛び交う石片、しかし、オウマはそれらを全て拳で打ち砕いた。
拳が当たるたびに赤い血が花のように散るが、彼はそれを気にするような素振りすら見せない。
それもそのはずで、彼の傷は気づいた時には全くなくなっているのだ。
「こうも厄介か―――!」
リョウはその様を見ながら、このオウマという男が自分の天敵であることを再認識する。
確かにリョウは今、人を「殺す」ということに制限がある。それは、ただ自分を戒めるためにつけられた縛りであり、本来ならば利など何一つない枷だ。
だが、それがなくとも、今のこのオウマという男を倒し切ることは、リョウにとって難題であっただろう。
「ふむ。『最強』の定義は状況により異なるものですが、さしずめ私は『最強』に対を成す『最強』といったところでしょうかな」
オウマは平然とそんなことを言った後になって「差し出がましいようですがね」などと付け加えたが、リョウは内心で「然もありなん」とそれを認めた。
リョウの「最強」は自称でもなければ、誇張でもない。言わずもがな、その由来はその莫大な領域範囲である。
特に集団戦において無類の強さを発揮するリョウの才能は、戦術を超えて作戦に組み込める規模の力だったのだ。
遠く離れた場所から魔法による攻撃が絶え間なく飛んでくる。それは、同じような攻撃手段を持たぬ他国の兵士にとって、どれほど絶望的に映るだろうか。
しかし裏を返せば、それは単なる範囲の広い攻撃に過ぎない。それらの攻撃を突破できるだけの実力があるのであれば、それ以上の脅威は存在しないと言っていい。
それこそ理論上の話ではある。だが、オウマはそれを体現する最たる例であると言えた。
「くっ」
リョウは目前に迫ったオウマの回し蹴りをかろうじてかわす。
しかし、その回転の勢いを利用して放たれた手刀はかわしきれず、威力を逸らすように弾いた。まともには受けず、その上で魔法を使って衝撃を逃したのにも関わらず、リョウの腕はその衝撃にガンガンと痛んだ。剣を使わなかったのは、破損を恐れたからだ。
リョウは後ろ跳びに距離をとりつつ、苦し紛れに石片を飛ばしてオウマをその場に足止めする。
だが、それらは足止め以上の効力はなく、付けた傷はすぐに塞がってしまう。
避けては攻撃、足止め、お互いに決定打がないまま、その繰り返しが続いていた。
そして遠方で再度轟音が鳴り響いた時、リョウは覚悟を決める。
「―――なりふり構ってなどいられない、か」
リョウの呟きに、オウマは何かを感じたのか、その時初めて顔を歪ませて焦りを見せた。




