3_混沌と転回
「なんだってこんな事になっている?」
「知らないわよ。でも急いで良かった、違う?」
夜の暗がりに少し離れた小高い丘からオクホダイの居城を見下ろしていたリョウは、呆然と呟いた。
オクホダイの本拠地はアントマキウスの西部に存在している。この城はアントマキウス国の城にしては珍しく、山城ではない。おそらくは古くからの名残であろう。
丘に囲まれるようにして城下町が広がっており、その奥にある一際目立つ建物は、平野に年季の入って黒ずんだ石質の城壁を堂々と晒してそびえ立っているのだ。
オウマにそこにメナとセノイがいるだろうと教えられてから、リョウとマノンはほとんど休む間もなく移動を続けて、その城下の宿にたどり着いたのが昨晩のことだ。
彼らはとらないよりはマシ程度の休息だけを取り、翌日の昼頃には城への侵入の段取りを行った。
彼らが現在、街から少し離れた丘にいるのもその一環である。
だが、想定は往々にして裏切られる物であるらしい。
その城は今、松明の光に照らされた兵団、おそらくはニコイのものと思しき兵士たちに囲まれていた。
そこまで数は多くはないが、全部で五百程度の数はあるだろう。それらが城への要衝を塞ぐようにして立ち塞がっていた。
それが何故ニコイの兵だと判ったのかと言えば、やけに派手な格好をしているからである。
ニコイは昔から派手好きで、見栄を重視する性格だった。
そして、他人に対してもそれを求める傾向にあった。
そのため、彼は一兵卒に至るまで口を出す。
その姿勢は一貫しており、自身の信念を反映させるための出費は厭わない。
信念を押し付けられる側としては厄介極まりない男ではあるが、国の兵である彼らは多少の見栄に気を遣った方が良いのも確かである。
威厳を示す上で豪奢な格好をすることは存外役に立つものだ。
故に、そこに対して自らが身を切るニコイは捉えようによっては、良い上司なのかもしれない。そもそもニコイは実力も確かで、金だけで動く人間ではないのだ。
だが、その『見栄』という信念を貫くには金が必要であるという、中々に損をしている男だとリョウは思う。
それはともかくとして、彼は今こうしてリョウの障害として再び立ち塞がっている。
少なくとも今のリョウにとっては、敵に回すには面倒な相手であることに違いはなかった。
「―――それで、どう?」
渋面で城の方を見ていたリョウだったが、マノンに声をかけられて我に返る。
「ニコイの兵団とオクホダイの門兵を除けば武装していると思しき集団は無い………いや、この気配は………妙だな、嫌に読み辛い」
「つまり?」
「行って見なければ話にならん」
「姫様とセノイは? 流石に判るでしょ?」
「いや、少なくとも気配は感じない。ただ、一室、妙な場所がある」
「了解、そこが怪しいって事ね。それで、どうやって入る?」
リョウが元々計画していた方法はマノンの魔法を利用して城門を通過するという物であった。
不完全な代物であるが故に一度使えば破損してしまうが、マノンの魔法が込められた魔道具も用意されており、それらを駆使すれば余裕だろうと高を括っていたのだが。
「当てが外れた。もう考えるのも面倒だ。無理矢理突破しよう」
それらの方法は秘密裏に城に忍び込み、密かにメナを回収する為の手段であった。
しかし、現状の警鐘鳴り響く騒然の場内にそのような手段が必要とは思えない。
マノンも同様に考えたのだろう。
「だからどうやって?」
「―――『追風』の力を借りる」
リョウは無意識に羽織っていた黒革のマントを摩る。
「久しぶりに聞いたわね、ベニー。というか、それは使えるのね」
「そもそも『追風』は正確には俺の力ではない。だがまあ、仮にそうだったとしても、俺の『制縛』は、あくまで無闇に殺さないためのものだ。こういう用途なら何の抵抗もない」
「―――それ、要るの? 確かに人道的で良い事ではあるけど、私たちはそうじゃない。そういうのは学者とか、政治家が口にすべき事柄でしょう?」
「―――俺は別に倫理的な理由でこんなものを自身に課した訳じゃない」
「まあ、いいわ。それは時間がある時に聞く事にするとして、私はどうすればいい?」
「別に、そこに立っていてくれればいい。最高速を求めるならコツがいるが、今回の場合、距離もそう離れていない、誤差だ」
マノンにそう説明しながら、リョウはマントに込められた魔法を発動した。
**
「きゃっ」
喧騒の中にあってさえ目立つ轟音と共に着地した際、見合わぬ小さな悲鳴をあげたマノンに、リョウは一瞥をくれた。
怪我をしたという訳ではないようだ。
リョウは自身の初めての試みの一つがひとまずは上手くいった事に密かに安堵する。
というのも、いままでこの魔法で他人を運んだことが無かったのだ。
しかし、マノンはその視線を別の意味に捉えたらしく、リョウに軽く嫌味を言う。
「―――慣れてないのだから仕方ないでしょう?」
リョウにはそんな意図は無かったのだが、その方が都合が良いと思い、適当に空返事を返す。内心ではヒヤヒヤしていたことなどお首にも出さない。
「―――そうだな。急ごう」
言下に、魔法で飛び乗った城の連絡路を走り始める。
流石にこの騒ぎで城の上を警備している者はいないようで、二人はなんら障害もなく城内に侵入した。
目指す場所は決まっている。
そして二人は城の中の階段を駆け下り、すぐに問題の場所へと辿りついた。
相変わらず内部の様子は分からない。
しかし、近づいてみれば、リョウはその感覚に覚えがあった。
「北の牢獄と同じだ」
「領域が使い難いってやつ?」
「そうだ。―――とりあえず壁を破ってみようと思う。その方が良さそうだ」
リョウは、領域がその部屋の中に入ると急に上手く機能していない事から、部屋の中にあるものがその原因であると考える。
そしてそれが何にせよ、部屋に入らずに中の様子を探る必要があると考えたリョウは、ひとまず不意をつく意味でも壁を吹き飛ばす事を考えた。
中に何があるにしても、密閉状態を解いてしまえばそれが乱れる可能性は高い。
「さっきから、なんかヤケになっているんじゃない?」
「―――そうかもな」
リョウはマノンに言われて自身を省みるが、方針を変える気にはならなかった。
「正直、考えるだけ無駄に思ってきたところだ!」
リョウは、剣を鞘から引き抜き、『追風』を使った時と同じように剣に込められた魔法を発動した。
それと同時に突き出した剣先から空間が歪んだように見えた後、身体を揺らすほどの衝撃が走った。
そして後には、粉々に砕け散ったその部屋の堅牢な石壁に開いた大穴、そしてその内からリョウを見つめる複数の目線があった。
リョウは広間を観察するが、妙に霧がかっているように見えた。
それは彼が崩した石壁から発せられた砂煙とは別物なようで、部屋全体が覆い尽くされるように広がっており、特に中心にいる老人に向かっていくにつれて色が濃くなっている。
「―――領域がうまく機能しないと思ったら、そういうことか」
リョウはそれが領域を遮っている正体であると看破し、再度『追風』を発動。広間の中に風を吹き込ませ、その粒子を吹き飛ばした。
しかし、その全てを除去するのは直ぐには無理だ。粒子の霧が領域に干渉して魔法を阻害してしまうからだ。
粒子の影響が少ない部屋の外から風を吹かせることはできても、それらを排出するように操ることはできない。
それでも風を放ったのは、一時的でも干渉の影響を緩和できればと考えたからだ。
しかし、相手もそれを許すほど間抜けでは無かった。
老人を中心にした白衣の集団が動き出す。
再度ばら撒かれたその粉は、先ほどのものと同様のものだろう。
結果として粉の濃度は先ほどにも増して部屋に霞が満ち、もはや燻されているのかとでも思うような光景と化してしまった。
「領域が使い難いって、なるほどね」
リョウの少し後ろでマノンが納得したように呟く。
どうやら広間の外にまで影響が侵食してきているらしかった。
(―――こうなってくると迂闊に手は出せないな)
リョウは一旦様子を見るために広間を一瞥し、そこにセノイとメナの姿を見つける。
面倒事は後回しにすることも視野に入れていたが、どうやらそうはいかないらしい。
「一体全体、どういう状況だ?」
リョウは、白衣の集団を半視界から閉め出して、二人に向けて語りかけた。
「ひとまず、そこのオクホダイのクソジジィが全ての元凶だ」
セノイが言う。
リョウは彼の指の先にいる存在、すなわちオクホダイ・ウイキ・ゾークを見やった。
老骨にしてはギラギラとした目を持つ、一癖も二癖もありそうな男。
リョウの印象はそれだ。
「これはこれは、シシャ・リョウ殿。お初にお目にかかります」
当然のようにゾークに名前を呼ばれ、リョウは軽く顔を顰める。
リョウは侵入者である自分に対して妙に柔やかなゾークの顔に嫌な予感がしたのだ。
「気をつけろよ〜。こいつはお前について色々詮索してやがるからな」
セノイの言葉で自分の直感が正しかった事を知り、リョウはため息を吐いた。
「全く、有名人になった覚えはないのだが」
リョウはゾークに呆れ顔を向ける。
彼は「とんでもない」と目を輝かせる。
「貴殿は我々の研究に多大な貢献をしてくださった。英雄だ」
リョウはそれを鼻で笑って彼から目を逸らす。
その時ふっと、メナと目が合うが、彼女はバツが悪そうにリョウから目を逸らした。
リョウはマノンに小声で語りかける。
「―――隙を見てメナを部屋から連れ出してくれ。魔法はなんとかする」
「―――了解」
マノンは何も聞かず、リョウから少し離れた。
多くを語らずとも彼女なら上手くやってくれるだろうとリョウは思う。
(問題はむしろこっち)
大見得を切ったはいいが、正直なところ具体的な計画は無いと言っていい。
だが当面の問題は、この霞。この排除ができれば状況は大きく動くはずだ。
そして、それについては多少の目処が立っていた。
(―――おそらく『穿通』は届かない。だが、『追風』は有効………であるならば)
リョウは自分で開けた壁の穴から数歩下がる。
そして、天井に向けて剣先を向けた。
「『穿通』!」
穿ち、貫き、通す。それらの概念を内包したリョウの魔法は、不可視の力を発生させ、天井にぶち当たった。
途端に天井は崩落し、瓦礫の山と化してリョウに降り注ぐ。
しかしリョウはそれを問題としない。
地面に落下するはずであった天井と上階の床の石材は、リョウの力によってその場に漂う。
「久々に派手をする」
リョウはそう言って小さく笑う。
「本当、無茶苦茶」
マノンは呆れたように言うが、口元にはどこか懐かしむような笑みが浮かんでいる。
リョウはそれには応えず、自身の支配下にある瓦礫をずらりと一列に並べた。
その様は岩の蛇のようだ。
「『加速』!」
普段は唱えもしない呪文と共にその石弾は装填され、連続で射出される。
「―――リョウ殿、何を!?」
射出の直前、広間からゾークの狼狽する声が聞こえたが、リョウはそれを完全に無視する。
それらはリョウの領域の機能する範囲内で爆発的に加速され、吹き飛ばされた。
狙いもキチンと定めてある。
人にあたればまず命は無いであろう、単純な質量の暴力。
だが、今回の対象は人では無い。
彼らの頭上を飛び越え、爆発音にも似た轟音と共に対面の壁に石弾は衝突する。
しかもそれらは一撃で済まされる事なく連続的にその場所へと飛来した。
当然、壁は破砕される。
しかし、もはや過剰な威力で以って放たれたリョウの砲弾は、次いでにその隣の部屋の壁をも破壊して外に飛び出した。
リョウの視界の隅で、セノイが気を利かせたのか、メナを石片から庇うように立っており、白服もゾークを同じようにして守っていた。
しかし奇妙な事に白服のほうは何やら魔法を使ってゾークを守っている様子があった。
(あの服装、飾りじゃ無いな)
リョウは壁破壊が上手くいった事を目視し、間髪を入れず『追風』の用意をする。
「マノン!」
リョウは彼女へと呼びかけを行い、同時に風を発生させた。部屋の空気を一度に入れ替えるほどの突風。
本来であれば部屋を循環するだけだったはずのそれらは、もう一つの出口を得た事によって一気に押し流された。
その隙をついてマノンが動く。
夢幻の魔女。
彼女の魔法は人の知覚に左右する。
そしてその作用は、風に乗ってひと足先に白服の元に届いていた。
「姫様、こちらへ!」
並大抵の兵士であれば目を見張る速度で、マノンはメナの元へと駆け寄った。
そして彼女を抱え込み、これまた信じられない速度でその場を離脱、リョウの元へとかけ戻ろうとしていた。
あるいは幻覚などそもそも必要なかったのかも知れない。白服は誰一人としてマノンを捕まえる素振りすら見せなかった。
その時点で、リョウの急造の作戦は上手くいったかのように思えた。
しかし。
「待って、違います! 彼らが逃げてしまう!」
マノンの腕の中で、メナが叫んだ。
リョウはその言葉の意味をその一瞬で悟る。
(―――そう言うことか!)
リョウは広間に駆け入り、即座に視線をメナからセノイへと移す。
セノイはリョウの行動に即座に適応し、解放された魔法に気づき、白服の集団へと肉薄しようとしていた。
そしてリョウは走りながらセノイの視線の先、ゾークに視線を移す。
彼の手元に握られた何かがある。
だが、それを認識した時には遅かった。
「―――できればとって置きたかったが、止むを得まい」
ゾークが苦々しげに呟いたのがリョウの研ぎ澄まされた聴覚に聞こえた。
そしてその瞬間、ゾークとその周辺を取り囲んでいた白服たちの姿は掻き消えた。
何かに引き寄せられたかのように、唐突に姿を消したのだ。
「―――遅かったか」
セノイが先ほどまでゾークが居た位置に剣を突き立てていた。
彼はもう既に三人程の白服を斬り捨てており、その遺骸が彼の背後に無造作に転がっていた。
リョウは、未だマノンの腕の中にいるメナに視線をやり、次にセノイに戻す。
「―――済まない、読み違えた」
リョウはかつての戦友に語りかける。
前提の情報が足りなかったとは言え、これはリョウの失態である。
リョウはメナが狙われているのだと思っていたがために、その救出を目的に行動の指針を組んだ。
しかし、セノイとメナは別の目的、則ちゾークの逃亡の阻止を目的に据えていたのだ。
結果としてリョウはゾークの逃亡の隙を生んでしまい、彼らは何処かへ消えてしまった。
「―――いや、これであれなら、どの道だった。結局魔法が封じられたままでは俺にもどうにも出来ん。この結果は捉えようによっては最善とも言える。―――口ぶりからして、奴さんは何かしらの『切り札』を切ったようだしな」
セノイは緊張を解いたのか、ため息をつきつつ剣を鞘に収めた。
リョウと敵対する心算は無いようで、リョウはひとまず安心する。
「久しぶりね、セノイ。何があったの?」
メナを降ろしたマノンが歩み寄り、セノイに訊ねた。
メナはどこか気まずそうではあったが、三人の渦中に加わった。
「災厄だよ」
セノイが発した言葉を聞き、リョウは盛大に顔を顰めた。
「あいつは………」
「―――一体これはどう言った了見だ、セノイ!」
リョウがセノイに問いかける寸前、広間内に怒声が響いた。
その声の主は部下を引き連れてズカズカと広間に入ってくる。リョウはその気配をつい最近思い出したばかりだった。
五人ほどの彼の部下はリョウたちの退路を引くように展開した。
「あ?」
セノイが明から様に苛ついた口調で首を巡らせる。
そしてそれを受けた男―――ニコイは思わず、といった風に立ち止まった。
「こっちは今話していただろうが、空気読めよ」
「―――それが牢獄を出した恩人に対する態度か?」
ニコイがこれ見よがしに腰の剣に手を当てるが、先の言動を見るにあまり説得力が無い。
「俺を利用する為だろうが。その時点で差し引き零だ。俺はお前の依頼通り姫様の居場所を調べ、その居場所への侵入まで手伝った。肝心の部分を濁した代償が出たな」
「―――貴様、初めからその算段か!」
ニコイはセノイにしてやられた事に本気で悔しそうな顔をして剣を半ば引き抜くが、彼は隣に立つフークーに嗜められて思い留まった。
ニコイの動きに対抗してリョウとマノンも武器に手をかけたためだ。
「人を騙すために動いている奴ってのは存外騙しやすいんだな、これが」
ニコイに対してセノイは豪胆に笑う。
「つまりお前は『こちら側』なのか?」
渋面で黙り込んでしまったニコイに代わり、リョウがセノイに訊ねた。
セノイはそれに対して何を言っているのだ、と言う顔をした。口にもした。
「こちら側、だ? ―――っは、違うね、俺はどちらでもない。強いて言えばニコイ側じゃないか?」
「ではなぜ協力しない!」
「強いて言えば、と言った」
ニコイが怒りを再燃させるが、セノイはどこ吹く風だ。
リョウは何となくその言動に懐かしさを感じて苦笑する。
「―――では、俺たちはどの道を進めばいい?」
リョウがそれを聞くと、その場のマノン以外の人間は何を言っているのだと首を傾げる。
しかし、セノイが次に放った言葉を聞き、メナなどはハッとしたようにセノイに視線を向けた。
「さあな、だが今のお前らの道筋はどん詰まりだ。そこら辺はそこにいる男から説明があるんじゃ無いか?」
セノイがニコイたちの背後に指をさす。
夜闇に溶け込むような黒衣の男は、注目を浴びて恭しく頭を下げた。
「皆様お揃いで。さすがシオ様の『予言』はよく当たる」
彼の低いがよく通る声は見た目も相まって宗教家のそれに似て、その場の全員に啓示と新たな転回を運んできたかのようだった。




