1_追憶が動く時
彼らは疲労した身体を引きずるように歩いていた。
しかし彼らのその足取りの重さは、身体的な疲れが現れた結果という訳では無かった。
「フークー。主は下がっていていい。どうせ、実のある話は無い」
屋敷を歩く最中、ニコイが副官であり親友でもある男に語りかける。
せめて友を下らない小言に付き合わせないくらいの親切心くらいはニコイにも存在していた。
「―――それでは、お言葉には甘えさせていただきましょうか。代わりと言ってはなんですが、こちらで手続きの用意くらいはしておきますよ」
「頼む」
命を削るような戦いを繰り広げ、挙句成果を得られなかった。
その報告をこれからヒエラーゾの元へと届けなくてはならない。
それは疲労感を倍増させるだけではなく、これから起こるであろう事を連鎖的に考えさせ、気持ちまでも鬱々としたものに変えてくれる。
いっそ重症でも負っていればそれだけの激戦だったのだと言い訳も立つだろうな、などと下らない考えが頭を過ぎる始末だ。
しかし一方で彼は、現在の結果は最悪では無いと考えていた。むしろ、よくやったと自身を褒めたいくらいだ。
そもそも、碌に下調べをする間もなく兵隊を動かさざるを得ない状況。
そしてそれらを全て動員することができない、もどかしさ。
挙句、その障害があの災厄の魔法使い。
それらを何とか乗り切ったかと思ったところに、隠れていた不確定要素がとんだ食わせ物だった訳だ。
油断をしていたわけでは無いが、そこまで気を回す余裕などありはしなかった。
仮にあの状況で食い下がったところで上手くいく保証は無い上に、今度は被害が出る可能性が高かった。
あの男の「不殺」の制縛、その詳細は知らないが、最悪、それを押して殺しを視野に入れてくるかも知れない。加えて「夢幻の魔女」はそもそも不殺の縛りを課していない。
結果として、あそこで引く事を選んだ訳だが、その道を選んだことは後悔していない。
ニコイとしてはむしろ、あの男をニコイとフークーの二人で抑えられる事を知れたのは大きな収穫と考えている。
フークーと別れ、誰に述べるでも無い言い訳を胸中に並べ立てたニコイは扉の前にたち、軽く深呼吸をする。
問題はこれらの状況をどう納得させるか。そして次点の方針を呑ませるか、だ。
「失礼します。ニコイでございます」
「入れ」
扉を軽く叩くと幾度も声を荒げてきた男の、上機嫌なしわがれ声が返ってくる。
その声も一瞬で本領を発揮するだろうと思うと、決めた覚悟も一瞬で揺らぐ思いがする。
改めて覚悟を決めたニコイは思い切って扉を開けた。
部屋では常の如く女を侍らせた男の姿がある。上機嫌だが、一応、ニコイが入ってきたのを見ると、表情を少し締めたような気がする。
あるいはそれは、女達に自身の良いところを見せようという下心からくるものなのかも知れない。
ニコイはため息を押し殺し、自身の叔父の前に立ち、膝を落とす。
「顔を上げろ、ニコイ。それで、報告とは?」
ヒエラーゾはにこやかにニコイに声をかけた。しかし、その内心はどうなのかは正直判断がつかない。
と言うのも、良い報せでは無いことは、ニコイの様子を見れば自明であったからだ。
今まで侍っていた女達もそれを察したのか、肩を組まれて動けない哀れな犠牲者を除く彼女らは、潮が引くように微妙な距離が開いていくのが顔を上げたニコイの視界の端に映った。
ニコイはそんな彼女らを哀れに思う。仕事でもそんなことに巻き込まれてはたまったものではないだろう。
(―――良からぬ事を企む者もいるだろうが)
ニコイは敢えて睨め付けるように彼女らを見渡す。
内政にも関わる話をすると言うのに、ろくな危機管理もしていないこの叔父は、どうやってここまで上り詰めたのだと、純粋な疑問がニコイに湧き上がる。
「―――叔父上、その前に、そこの者達は下がらせた方が良いかと。あまり口外できる事柄では無いと存じます」
「―――ワシに苦言を呈すとは大きく出たな、ニコイ」
少し不機嫌になったヒエラーゾの声を聴きながら、ニコイは「どうせもっと悪くなる」と半ば投げやりに考える。
撤回などはしなかった。
「―――まぁ、いい。お前達、少し下がっていなさい」
ニコイが不退の思いで黙って待つと、ヒエラーゾの声がかかり、彼女らは少し遠慮気味に下がっていく。
何人かの目線がすれ違い様にニコイに向いて、さりげなく視線を下に下げて行ったような気がしたが、ニコイからすればこれは彼女達のためでは無い。
的外れな謝意というものだ。
「―――それで?」
彼女達が皆下がったところで、楽しみを潰されたヒエラーゾが冷たい視線をニコイに向けた。
「申し訳ありません。姫君の捕縛及び抹殺に失敗しました」
再度頭を下げたニコイは一息に語ると、ちらとヒエラーゾの様子を伺い見る。
意外にもほとんど起伏のない、表情の抜け落ちた顔をした彼は、ため息のような息を吐いた。
それは夕立の前の静けさに似て、静かなのにも関わらずにじっとりとした緊張が場に満ちているような気がする。
「―――まあ、そんなところだろうとは思っていた」
「申し訳ありません」
「ワシが何のために貴様を兵隊長の地位を与えたと思っている?」
「叔父上の利潤のためです」
「そうだ。お前はワシの役に立たねばならん………それがどうだ! この様は!」
次第に語気が荒くなるヒエラーゾに、ニコイはどうやって宥めたものかと思案するが、その間にも叔父の苦言は続く。
「現状、我々の企てた王家転覆は大きな混乱もなく成功している。もともと行なっていた工作がうまく結実した、我々の努力の結果だ。だが、あまりにも上手く行き過ぎた! 多少は綻びがあるものと踏んでいたが、それをあの若造! 何を企んでいるのかは知らんが、奴は姫君の抹消に固執している。その『何か』を探る意味でも、奴よりも早く、姫君を捕える必要があると言うのに………貴様に与えた兵はどうなっている。あれだけいれば、多少面倒な護衛がついていたところで小娘一人捕えるのに造作あるまい!」
「現在は既存の兵との連携をとる為の訓練を行なっているところです。今回動かしたのは、もともと私の下に居た者だけで―――」
「貴様はそれで十分と見越していたのだろう? それならば、何故今回失敗したのだ。貴様の見立てが甘かった、違うか!」
「事前情報にない障害がありました!」
ニコイがヒエラーゾの怒声を遮るように、しかし怒りは押し殺した声を張った。
「―――ほう? それは何だ?」
「姫君の護衛が『シシャ・リョウ』であった事です」
ニコイが搾り出すように言うと、ヒエラーゾは案の定、苛立たしげに繰り返した。
「シシャ・リョウ? それが何だと言うのだ。たかだか一人の護衛に過ぎん! 烏合の兵どもならばともかく、貴様が出れば良いであろう! 慢心して後ろで踏ん反り返っていたか!」
「お言葉ですが、叔父上、それはあまりにあの男を過小に評価しすぎているかと」
たまらず言い返すと、謝罪の言葉でも予想していたのであろう、ヒエラーゾは一瞬、続く言葉に詰まった。
「―――なんだと?」
先ほどとは違い、気勢を削がれた彼の声音は苛立ちを孕みつつも純粋に疑問から来るものに変わっていた。
「我々は、斥候に出した兵が一瞬でいなされた報告を受け、あの男に二人掛かりで挑みました」
「―――貴様と、誰だ?」
「フークーでございます。しかし、結果は互角。いえ、最後には我々が勝りましたが、邪魔が入り、止めを刺せず………」
ニコイは不殺のことも話した方が良いかと逡巡したが、いらないことは話さない方が良いと判断して伏せる。
「貴様ら二人でもたった一人を仕留めきれない、だと? ふざけているのか? 言い逃れにしては陳腐に過ぎるぞ!」
こう見えて、ヒエラーゾはニコイとフークーの実力の高さを認めている。
そこには身内贔屓の側面も多分に含まれているが、客観的な事実としてニコイの実力を測るだけの眼力も、確かにヒエラーゾにはあったのだ。
それゆえに、それが仕留めきれないと述べる一人の男の存在があまりにも突飛で、夢物語のように感じただろう。
ニコイとしてもそう思うのは無理もないと思う面もある。
しかし今は、それを信じてもらわないことには話が進まない。
「誓って、虚偽など何一つありません。あの男はそれほどの存在なのです」
「―――いいだろう、そこまで言うのであればな。しかしそれでは貴様はどうするつもりだ? それはその男がいる限りは姫の身柄を捉えられぬと言うことだろう、諦めろと言いたいのか?」
ヒエラーゾは別角度から攻めることにしたのか、その話を一旦受け入れた。
代わりに、その対処をどうするのかを問う彼の目は、あからさまに疑念に満ちている。
ニコイはそこで、あらかじめ温めておいた案を切り出す。
「一つ、提案がございます」
それはともすれば状況を悪化させるかも知れない劇薬であったが、やり方如何によっては良薬となる。
「―――申してみろ」
「『キドウ』を使うのです」
ニコイが言うと、ヒエラーゾは眉を吊り上げ、続きを促す。
「あの者を使えば、シオの企みも知れましょう。現在の姫君の居場所を探る役にも立ちます。加えて、単純な戦力としてもあの男は貴重、引き入れて利はあれど、損はありません」
「―――御せるのか?」
ヒエラーゾは怪訝な表情でニコイに問う。
今や完全に先ほどの勢いは失せてしまっていた。
「はい」
ニコイは敢えて即答することで自信を示す。
本当のことを言えば、そこまで自信がある訳ではなかったが、現状を打破するためには、彼の者の力を使うのが最適であると、ニコイは思っていた。
今からそれに準ずる力を持った者を探すのはあまりに労力の無駄であるし、見つけたとしても使い物になるかは結局賭けである。
それならば、最初からその者を使えば良い。
幸いにもその扱い方は心得ている。姫君を探す手伝いならば快く引き受けるだろうと言う打算があった。
仮にそうで無かったとしても、二の足を踏んでいたのでは現状は変わらない。
何一つだ。
「ですが、その交渉材料として、姫の命の保障を求められるかと思われます」
「良い、どうせあの若造の目的は姫の命そのものではあるまい。やってみるがいい。それで上手く行くのならばワシに文句はない。だが、二度はないと思え」
ヒエラーゾはニコイの提案を意外にもあっさりと呑んだ。
ニコイは乗り切ったと言う安堵と、疲れから頭を下げ、次いでに叔父へと謝意を述べた。
これで、フークーの下準備も無駄にはならないというものだ。
「ワシから声は掛けておく。シオの若造が好き勝手に盤面を動かせるのも今のうちだと知らしめねばならん、手早く済ませ」
「了解しました。ありがとうございます」
ニコイは改めて頭を下げ、立ち上がって部屋を出る。
部屋を出る間際、従兄弟のヒルマを呼ぶ声が聞こえ、ニコイは叔父に振り回される哀れな親類を気の毒に思いつつも、自分はそれから離れられることに安堵して部屋を去った。




