5_瑕疵と劈開
「間違っても、この部屋からは出ないで下さいね」
「理解しています」
マノンが部屋を出る間際にそう言ったのに対して、メナはそんな分かりきった事は言わないでくれと思った。
マノンの純粋な老婆心から生じたものだとは分かっているが、それでも少しだけ子供扱いされているような気がして、それが少し気に障る。
それに、これまでの彼女の人間性を鑑みると、これは奇妙なのだ。
彼女は多少愉快犯的なところがあり、奔放な人間なのは明らかで、出会う人全てに気を使うような慈愛に満ちた人間では無い事は明らかだった。
そんな人が、メナに対してはここまで気を配らせている。
その根本にあるものが何となく「兄」であるような気がして、メナは複雑な気持ちで彼女の背中を見届けた。
彼女が部屋を去り、一人になったメナは暇つぶしの魔法の訓練を続けながら、外での戦いに思いを馳せた。
(彼女の言う通りだとすれば、彼が追い詰められるほどの敵––––––)
正直な話、メナにはそれが理解できない。
今までのどの姿を切り取っても、あのリョウという規格外の存在は、その身を危険に晒すどころか、危なげなくメナを救っていたではないか、と。
その時、メナは彼が部屋を出る前にマノンに対して口にした「余裕がない」の言葉を思い出して頭を捻る。
それはマノンの言の保証ではないだろうか。
もしそうだとすれば、リョウはメナが考えている以上に、無理をしていたという事になるのだろう。
ごとりと、小石が床に落ちて転がる。
(彼がそれを「苦」にしていないと言うのは、私の単なるエゴなのかも知れない)
メナは何となく外の様子に気が向くが、この部屋は窓がなく、外の様子を伺い知る事ができるようなものは何もない。
だが、時折重い足音が聞こえるような気がして、勘違いかも知れないが、ここに誰かが攻め込んできていると言うことをメナに意識させた。
理屈は分からないが、マノンの魔法によってこの部屋は安全らしい。
それは事実なのだろうなと感じる一方で、漠然と、完全なモノなんて何一つないという思いが頭を過ぎる。
それは、あるいは今まで考えていたことが関係しているのかも知れないし、ある種の直感が働いた結果であったかも知れない。
しかしいずれにせよ、次の瞬間に部屋に現れたその一人の少年に対して、彼女が取り乱す事がなかったのは、その考えが頭の片隅に遍在していた為であり、何より、彼から明確な敵意のようなものが感じ取れなかった為であった。
「どうも、始めまして。メナ殿下」
たまたまメナが目線を遣ったその場所に、ぬるりと歩くように現れたその少年は、彼女を見るなり恭しく頭を下げた。
透き通るような白色の髪が鼓草の綿毛のようにさらりと揺れる。
メナはその白髪に見覚えがあった。と言うよりも、忘れようもない。
「先程ぶりですね。何か御用でしょうか?」
「おっと、想定とは違う反応ですね。驚かないのですか?」
「驚いてはいますが、私には魔法の事は詳しくはないので。それに、私を殺すのであれば、わざわざ声をかける必要はありません、違いますか?」
メナは多少緊張してはいたが、リョウが何も対策をしない訳がないだろうという打算もあり、比較的落ち着いて少年に対応していた。
何か危険があれば、前のように何かを飛ばして防いでくれるはずだ。
「ふーん、なかなかどうして。王族って言うのは贅沢ばかりで苦労知らずの奴が多い印象でしたが、そうでもないのかもしれませんね。思っていたより肝が据わっておられるようだ」
「虚勢ですよ。––––––王族が苦労知らず、と言うのは少々聞き捨てなりませんが」
幼い、と言う訳でもないのだが、どことなく子供っぽい彼との会話は、メナにとって思いの他、潤滑に進んでいった。彼は子供っぽいがそれが逆にメナの緊張を緩めた結果なのかも知れない。
「まあ、それはいいでしょう。それで、何用ですか? 一応言っておきますと、私自身には大した力はありませんが、私にはあなた方が先程闘った者の守りが付いていますよ」
メナが牽制も兼ねてそう口にすると、少年はニコリと破顔した。
状況に合わない笑顔に、メナは眉を顰める。
「彼は来ないと思いますよ。僕らはわざわざそのタイミングを図りましたから」
「どう言う意味です」
「僕らの魔法ですよ。––––––あ、自己紹介をしていませんでしたね。僕は、『セイ・インテネ』といいます。以後、よろしくお願いしますね。メナ殿下」
彼は訊かれてもいないのに、あっさりとその名を明かした。それが本名かどうかの判断をメナにはできないが、識別できる名前があるのはそれだけで有難い。
「––––––まあ、いいでしょう。それではインテネ、あなた方の魔法というのは?」
メナは話す訳がないか、とは思いつつも訊かずにはいられなかった。彼の話す事が正しいのだとすれば、マノンの言ったようにリョウに何かがあった可能性がある。
「やはり、それを聞かれますよね。できる限り聞かれた事には答えるように言われているので問題はありませんが。っと、どうぞお座りになって下さい、時間は無いのでなるべく手短に話しますが」
インテネはあたかも屋敷の主人かのように振る舞い、自分の方はとっとと椅子に座り、メナを待っていた。
その尊大な態度は彼の口調といかにも不釣り合いで、それ故に悪意はないように感じられた。あくまでも知らないだけ、という印象である。
そんな感覚もあり、メナは反発する気も起きずに彼が指す椅子に腰を下ろした。その間も彼の目線がメナに注意深く注がれているのを感じ、少し居心地が悪かった。
「特別にお話ししますが、あまり言いふらさないで下さいね。」
(知られては困ることならば、話さなければ良いのでは?)
メナとしてはそう思わざるを得なかったが、話すと言うのならそうさせようと、黙って首肯した。
「僕の魔法は、『繋がりを引き寄せる』魔法です」
「『繋がりを引き寄せる』?」
メナが問い返すと、インテネは身振りを交えて説明を始める。だが、彼の説明はお世辞にも上手いとは言えなかった。
メナはそれを何とか咀嚼し、額を軽く指先で擦って考えをまとめた。
要領だけをまとめればこういう事だろう。
「つまりあなたは『繋がり』さえあれば距離を無視して、移動したり、物を見聞きしたりすることができる、そう言う事ですね?」
「おぉ、分かり易い。僕が言うのも何ですけど、よく分かりましたね」
インテネのそれは自覚的な物であったことは何となく憎らしい。それはさておき、彼の回答が正しいのだとすると一つ、不明な部分が出てくる。
「『繋がり』とは何ですか?」
こうしてメナの元にインテネが現れたと言う事は、メナとインテネの間にその『繋がり』が生じているという事である。
しかし、メナは彼の事を知ったのは街に入るあの地下道が初めてであり、過去に彼らのような目立つ容姿の存在と関わりを持った記憶はない。
つまり、『繋がり』が言葉通りの意味だとすれば、メナに彼との『繋がり』が生じた事などないように思えたのだ。
「『繋がり』はアミネの魔法です」
「糸?」
メナは咄嗟に自分の身体を弄るようにしてみるが、線状の構造物が身体から伸びている様子はなかった。
「あぁ、『繋がりの糸』は触れません。アミネは『触れる糸』と僕ら以外には『触れない糸』、この二つが出せるんです。そして、『触れない糸』を相手に括りつけてやっと、『繋がり』になります」
メナはそれを聞いて、地下でのリョウの言葉を思い出した。
(それで「何かされなかったか?」か。あの時、彼にも見抜けない『繋がり』を私はつけられていたと言う事ね)
メナは連鎖的に、あの糸だらけの地下道がいかにリョウとメナを狙い撃ちにした物であったかを理解する。
わざとらしいまでの一面の糸は『繋がりの糸』を隠すための迷彩。実際の視覚的にも、魔法領域的にも、リョウの千里眼を鈍らせる為の囮だったと言う事だ。
(「俺には余裕がない」………)
彼の言葉が真実味を帯びて来たように感じた。
「………なるほど、理解しました。つまり、あなたは私に付した『繋がり』を元にこちらの状況を伺っていた。それで、誰も居なくなったこのタイミングで現れた、と––––––」
メナはそこでふと違和感を感じ、口元に手をやった。
チラリとインテネを流しみるが、彼の表情に揺らぎはない。意図的に騙しているような悪意は彼には見られなかった。
「………ここにあなたが来られた理由は分かりました。ですが、それは彼がここに現れない理由にはなりませんよね?」
訊けば答えてくれるだろうと言うメナの見込みは正しかった。インテネは少しその言葉の意図を探るように考え込んだが、それは一瞬のことだった。
「そういえば、そんなことも言いましたっけ。それを話すには前提として、僕がここに来た理由を話さなくてはなりません」
そうして話し始めたインテネの話は、メナにとって驚きと、迷いと少しの疑いをもたらした。
だが、少なくともそれは、彼がすぐにメナの命を取ろうとしなかった事には辻褄を合わせることができるものだった。
「彼がここに現れない理由については少し不透明な部分はありますが、まぁ、分かりました」
そこに絡む情報は広く、王宮の現状、イカコ家の陰謀、他の家族の安否、さまざまな要素が絡んでいるようだった。
だが単純化してしまえば簡単な話で、それは彼らがさまざまな情報を握っていたと言う事に過ぎない。
このインテネという少年が属する勢力は、想像以上に狡猾で破天荒、しかしそれを実行できるだけの運と実力があった。
だが、今のメナにはそれらを差し置いて重要な意味を持つ話が一つある。それはポロリとついでのようにインテネの口から漏れ出た言葉であり、彼にとってはそこまで重要な話では無かったようだが、メナにとっては別の意味を持っていた。
「確認ですが、彼らの遺体はあなた方が回収している、と言うのは事実ですか?」
「はい。とは言っても僕は担当ではないので、そう話せと言われた事を話したに過ぎません。それ以外は本当に何も知りませんよ?」
メナの問いに対して、インテネは即答した。考えるような素振りがない事は、それが事実なのだろうとメナに感じさせた。
「いえ、それで十分です。そんな事でわざわざ嘘をつく必要もありませんし、あなた方の素性を考えればそうなっているのも自然な流れです」
「そうですか、それは良かった。それで、本題なのですが………」
インテネはメナの前に立つと、いきなり両の膝と右の手を床について頭を下げた。それは恭順の証であり、自身がその対象よりも下にいる事を示すものだ。
メナはいきなりのその行動に戸惑った。
それは主に王族に対して行われる正式な辞儀で、周知にする、人に見せるという意図の下に行われるものである。その為、祭典などで眼にする事はあるが、こうして誰も見ていない場所で行われるのは非常に珍しい事だったからだ。
「メナ殿下。オクホダイ家当主、ゾーク様より言伝を預かっております。どうか、我々と共に来て下さい」
メナはしばらくの間何も言えず、ただ彼の白い髪が垂れる様を見つめていた。
しかしそれも束の間であり、考えをまとめ終えた彼女は、幾度か躊躇うように手を彷徨わせた後、結局最初の決定を曲げる事はせず、頭を下げたまま佇むインテネの右肩に手を伸ばした。




