4_孔雀と烏
「………ここまでくると流石に、奇妙だな」
リョウは外に出て開口一番に呻いた。
彼の「領域」内には多くの情報がほとんど正確に入ってくるが、この時ばかりはそれを疑う。
この周辺を取り囲む敵の規模が明から様に大きいのだ。これではまるで、メナがここに居るという事を確信しているかのようである。
だからこそ実際に目視しようと、こうして外に出た。そして自分の感覚が狂っている訳では無いと確信し、加えてそれに何か既視感に近いような感覚を覚えた。
その感覚は、リョウが昔ジュゲンと一緒にいた時に良く感じたものに近い。
「念の為に確認するが、お前は裏切り者の類では無いな?」
「………お生憎様、今からでも遅くはないかしら? それで、どうしてそう思うの?」
マノンが「まだ疑っているのか」と怒ったように言うが、リョウは彼女のそれが演技である事を否定できる材料を持ち合わせていなかった。とは言え、リョウの直感では彼女は「白」である。
それでも一応、反応を見る為に鎌をかける。
「河での待ち伏せといい、この屋敷に近づいてくるやつといい、あまりに『正確』が過ぎる。内通者でもなければ説明ができない」
言い訳でもするかと考えたリョウであったが、マノンはそれを聞いて「噂話だけれど」と枕詞を置いてからシオについて話始めた。
「シオはよく『予感』という言葉を使うそうよ」
「何が言いたい?」
「そういう魔法もあるんじゃ無い? ってこと。現に私たちは………」
(『予言』を知っている)
マノンが濁した後を引き継ぎ、リョウは心中でそう唱える。
しかしそれは、シオが『予言』の類を持つのだという確証にはならない。
「それは………いや、今はいい」
リョウは複数の人間がまとまって動き出したのを感知し、開きかけた口を閉ざす。
「あなたが動いたって事はそういう事なんでしょうけど、どれくらいの数がいるの?」
「………直ぐ分かる」
リョウはさりげなく領域内の使えそうな石片などの位置を掌握、使いやすい位置へと移動をし始めた。この場所はああそことは違い、リョウが武器にできるものが集め易い。
そしてそんな事を知る由も無い先遣隊が宅外の曲がり角から現れたのは、リョウがあらかた準備を終えた頃だった。
人数は五人。
「手伝いましょうか?」
「いい」
リョウはマノンの申し出を断り、敵となる五人の武装の確認をする。
見かけ上は一般的な兵団のものと違いは無く、取り立てて特徴のあるものでは無い。
「何の用だ?」
リョウは彼らに声を掛ける。
「そちらに姫様が居られると聞いております。お通しいただけませんか」
正直返事は期待していなかっただけに、彼らからの返事はリョウに意外な驚きを伴って戻ってきた。
「断る」
ある意味で虚を突かれたリョウは、半秒ほど遅れて返事をする。
「では、押し通るまで。こちらには正当な指令状がございます。あなた方に正義は無い!」
先遣隊がリョウとマノンに向けて腰の武器を向けて構えたのを皮切りに、リョウは魔法を発動する。周辺の空気の流れが変わり、違和感がその場の全員を包み込んだ。
「できるものなら、な」
**
「殺さないの?」
昏倒した五人を拘束するリョウに対して、少し離れたところから見ていたマノンが歩いてきて訊ねた。
リョウは彼らの装備を引き剥がし、縄のように加工したリョウはそれらを彼らの手足に地道に縛り付けていく中で、マノンを一瞥した後、また作業を再開する。
「………」
「無力化が目的なら、殺した方が余程楽だと思うのだけれど。この程度の拘束なら、魔法でどうとでも解けるでしょ」
リョウが応えずにいると、マノンははっと何かに気がついたように息をのんで重ねて問うた。
「まさか、リョウあなた、まだあんな『制縛』………」
「その話は後だ」
マノンの言葉を遮ったリョウは、遠くでその人物の気配が動き出した事を背中で感じとった。リョウはその気配の主人を知っている。何度も対面した気配。
(思い出した。これはまた懐かしい、判り易い気配だな)
「マノン、メナのところへ行ってくれないか? 何か、嫌な予感がする」
「………どういうこと?」
「俺はこれからここに来る奴らの相手をする、厄介なやつだ。最悪、あいつを連れて逃げてくれ。先も言ったが、今の俺には余裕が無い」
「………結局、私はあなたにとって足手纏いって訳?」
マノンが足手纏いという言葉に拘泥する理由がリョウには分からなかった。少なくとも昔はそんな事は無かった筈だ。
「………まあいいわ、乗ってはあげる。少なくとも護衛に選ぶくらいには買われているという事でしょうし。理由もあるんでしょう?」
リョウの疑問を余所に、彼女はひとまずは納得はしたようで彼に背中を向けた。
そして二歩ほど進んだ後に振り返り、何かを言おうとするが結局やめて、そのまま屋敷の中へと入っていった。
マノンが屋敷に入ったのを見送り、リョウはここに来るであろうその男を待った。
彼女をメナの護衛に回したのは嫌な気配の事もあるがそれ以上に、この男がマノンのことを知る人物だという事がある。
現状、彼女はメナを救うために命を張る義理は無いとリョウは考えていた。
リョウの認識では、彼女はあくまでもジュゲンが残したの情報をリョウに渡す橋渡し役に過ぎなかった。
それに何より、ジュゲンはおそらく彼女を巻き込む事を良しとしない。
リョウと共に居れば、間違いなく関係者として見られる。彼女を知る者に顔を見られる前に、下がらせる方が良いと判断したのだ。
「まさかとは思ったが、やはり貴様だったか。報告ではもう一人居たはずだが、どうした?」
リョウが振り返ると、予想通りの顔がそこにあった。
仲間を引き連れて現れたその男は、相変わらず派手な装飾に身を包んでおり、一見するとただの金使いの荒い貴族といった風貌なのだが、それを否定するかのような鍛え抜かれた肉体が服の上からでも分かるほど大柄な男だった。
「久しぶりだなニコイ、殿? もう一人、というのはよく分からんが………壮健そうで何より」
リョウが嫌味たっぷりに返すと、ニコイは憚らずに舌打ちをして顔を顰めた。そして拘束された部下の姿を見てから再度舌打ちをする。
「何をするつもりだった?」
「別に何も」
「嘘をつけ」
「嘘では無いのだが。逆に問おう、何をしにきた?」
「部下がやられたと聞いてな、敵討だ」
「それなら、こいつら連れて帰ってくれ。こちらはこれ以上何もしない」
「やられたまま『はいそうですか』で済むと思うか? そもそも、私たちにも事情がある」
「そうだろうな」
ニコイは油断なくリョウを見据え、さらにリョウに近づくように歩いてくる。
「ただまあ確かに、お前が相手では普通にやり合ったところで分が悪いのも事実、本来なら避けるところだ。本来なら、な」
もはや両者が手を伸ばせば届くかという距離に近づいた時、ニコイはそう言って側の男に手で合図を出した。その様子を見るに、あらかじめこうなる事をある程度は想定していたようだ。
男は煙芯管を燻すと、それを道の傍に放り投げた。
すると筒は破裂するように眩い閃光を放って飛び散る。
リョウは軽く目を閉じつつ、瞼の裏でその合図に従って周りに潜伏してた兵士たちが動き出したのを感じ取った。
彼らはそれぞれがまばらに路地や屋根を伝って動き、メナの居る屋敷を目指して移動していた。
「普通にやって分が悪いのならば、こちらはこちらにできる事を全て使わせて貰おうじゃないか。何、仕事だ。私たちも好きでこのようなことをする訳ではない」
「………やってくれるじゃないか、七光り」
「使える威光なら使わない方が愚かというものだ」
ニコイが得意げに言ったのを、リョウは素直な賞賛の気持ちを以って、詰る。
それは明らかにリョウの魔法を意識し、対策されたものだ。
リョウは領域で莫大な範囲をカバーする事ができる。その中で起きた事なら大抵の事は認識し、その場所に直接、魔法を使って干渉することもできる。
だが、誰もが持つ領域内には干渉できない上に、あくまでもその魔法を操っているのはリョウという個人である。何十という事象を領域という制限をすり抜けて正確に、それも一度に処理する事は、今のリョウにはできない。
リョウは舌打ちしたくなるのを堪え、その対処について考える。
やりようはある。
(メナの周辺だけに重点的に意識を割けば良い)
ニコイの兵にいくら数があろうが、その到達点はアントマキウスの姫君、ただ一点である。最終的には全てそこに集まる。
ならば、籠城の要領で防衛に力を入れれば良い。それに、今はマノンもメナの側についている。少なくとも彼女の魔法はメナを守るという点においては有用だ。
(………となると、問題はこちらか)
リョウはそう判断し、自分が対処するべき二人を見やる。
よく見れば、ニコイの隣に立つ副官と思われる男にも見覚えがある。神経質そうな顎の細い男。
(ゼムイ家のフークー………となると、厄介だな)
リョウは実際に戦った訳ではないが、フークーはニコイに並ぶ実力を持っていると記憶していた。
彼らは所謂そこらの雑兵とは訳が違う。魔法格闘を難なく使いこなし、独自の魔法を駆使して戦う、この国の最高戦力の一角だ。リョウほどの魔法領域や、特殊性のある固有魔法は持たないだろうが、こと対面の戦闘に於いてはそれらが脅威度と直接結びつく事は少ない。
端的に言えば、二人は十二分にリョウの命を脅かす危険性がある。
それはつまり、リョウはメナの方にあまり意識を裂けない可能性が高いという事だ。
「最後に確認させろ、本当に引く気は無いな?」
言下にリョウは剣を引き抜き、無造作に構える。ハッタリの意図も込めて警告を口にしたが、あまり状況は悪い。今はマノンとメナが上手くやる事を祈る他なかった。
「抜かせ、刃の無い剣に怯える兵士がどこにいる」
ニコイとフーコーもリョウに倣って剣を引き抜いた。
「貴様は一人、こちらは二人だが、悪く思うなよ」
ニコイのその言葉は表面をなぞるような薄ペラな釈明だが、リョウは別にそれに対して卑怯だなどとは思わなかった。戦いは一対一で行われるべきとは考えていなかったからだ。
ただ、それとは別に、二人を相手にするのは面倒だとは悪態を吐きたいほどには思っている、それも事実だ。
リョウはニコイとフーコーの剣に目を向ける。
その剣の派手な意匠はともかく、その柄の材質は魔法を通し易い白亜の石で覆われているようだ。魔法の通りが良いと触れている持ち主の領域の浸透率も良くなる。それはつまりリョウの領域で干渉する事が難しいという事であった。
(奪うのは難しいか)
「………貴様のその剣、見覚えがあるな」
ニコイがリョウの視線の流れに気がついたか、リョウに語りかけた。それは注意を逸らす為なのか、リョウの魔法の特性を知っているが為の揺さぶりなのか。
いずれにせよ、リョウは答える義理は無いなと、黙殺を決め込む。ただでさえ不利な状況、これ以上、徒に状況を追い込む事は避けたかった。
(これ以上は、無理だな)
リョウは現状リョウが持ちうる情報が煮詰まったと判断して、意識を戦闘に切り替える。これ以上時間をかけたところで、ニコイに有利な状況が作り上がるだけだ。
不意をつく形で、深い踏み込みと共に身体を加速させたリョウは、ニコイを袈裟に斬るように剣を振り下ろす。
「しっ!」「ぬぅっ」
無駄のない動きから生み出される疾風の如き一撃。しかしそれは激しい金属音を伴い、ニコイの刃に受け止められた。
ギリギリと剣同士が削れるような鍔ぜり合い。ニコイはリョウを押しのけるようにして跳ね飛ばし、怒鳴る。
「話は終わりか? 不意打ちとは卑怯だなァ、『鴉』の残党!」
ニコイはその間に、魔法を発動させていたのか、等身が淡く輝きだしたのをリョウは確認する。
リョウはそちらを警戒しつつも脚を踏み直し、一気に踏み込んで二の剣を突き出す。同時に意識を彼の背後の礫へと向け、それを彼に向けて飛ばした。
ニコイは身を捻ってリョウの横合いに移動する形で剣を躱し、そのまま大上段から剣を振り下ろす。
ギンッ。
リョウは飛礫の軌道を変えて彼の剣にぶつける事で剣を逸らし、その一撃を受け流した。無理な軌道修正もあって、剣を破壊するだけの威力は出ない。
上体が流れたニコイに対してリョウは突きの姿勢から横薙ぎに剣を振り切る。
が、剣は何か厚い毛皮のようなものに飲み込まれるような感覚と共に勢いを殺され、その瞬間に、ニコイの剣が強烈な閃光を放つ。
「っ!」
リョウの視界はその一瞬、白く塗りつぶされ、思わずその場から跳び退るように跳躍する。
しかし距離をとった先に、リョウはフークーの気配が肉薄したのを感知、「追風」でその方向に突風を発生させ、その動きを遮る。
吹き飛ばないまでも脚を止めたフークーに対して、リョウは感覚を頼りに「剣」を投擲、しかしそれはまたも不可視の壁に阻まれて勢いを相殺され、容易に避けられた。
早々に見切りをつけて剣を引き戻したリョウの視界はその時点で回復、そして背後に迫ったニコイの唐竹割りを剣で受け、弾いた。
ガィン!
鈍い音と共に火花が散り、巻き起こった風が周囲に砂塵を舞い上げる。
ニコイが衝撃で一歩退いたその隙にリョウは距離を取り、二人を視界に収められる位置に立った。
剣戟が反響する音が近隣の住人の耳にも入ったのだろう、彼らの背後の建物の窓に、不安そうな住人の顔があるのが目に入った。
「人目を集めても良いのか?」
「関係あるまい」
距離を離したリョウが仕切り直しと揺さぶりも兼ねて問うと、ニコイはにべもなく切り捨てる。
リョウにも二人の表情にも、もはや先ほどにあったような余裕は無かった。
リョウは深呼吸をして、かつての記憶を呼び覚ます。
ニコイの魔法は「発光」。
彼を揶揄する「孔雀王」の呼び名は、まさにその魔法を指したものであった。この魔法は領域内に光源を生むというものだ。幸いにもそれらは熱を孕む事が無く、単に「光る」だけのもの。言ってみれば、ニコイという男を派手に引き立てる為の装飾に過ぎない。
とは言え、リョウも視界に頼る以上、閃光による目眩しは警戒する必要があった。この手は単純で初歩的だが、それ故に対策が取りづらく、効果的だ。
フーコーの魔法は把握していない。
あるいは固有の魔法を発現していない事もあり得るが、かつての呼称「鉄壁のフークー」から考えると、防御に関する何かしらの魔法は持っていると見た方が良いやもしれない。
(あの剣を防いだのはフークーの魔法だろう。完全に勢いを殺す類では無いな。位置的にフークーの領域を上回る展開範囲だが………構造物を構成して押し出すタイプか? となると、奴らが近くにいる間は攻撃を通すのが難しいな。引き剥がすしかない)
リョウは、二人の連携の実力が想定以上に高いことに軽い苛立ちを覚えた。
はっきり言って、今のリョウにはメナの方に意識を裂けるだけの余裕などありはしない。
(………あるいは、『穿通』なら通るか?)
物理的に防がれたような感覚があった以上、魔法とは言え、そこに何かがあったと考えるのが妥当だ。そして、そこに「何か」があるのなら、それは『穿通』で貫ける。もう一つ使える魔法である『霞』は発動に意識と時間がかかる上に、早急な敵勢力の排除が必要な今回の運用には合わない為、選択肢からは除外する。
「賭けだが」
今は時間が無い。
リョウは剣を下段に構え直した。
**
マノンはリョウとは違い、敵の兵隊の数を測れるような便利な領域を持ち合わせていない。
その位置を感じ取る事はできないし、一度に多人数を相手取って打ち破る事もできない。
しかし、マノンはそれでリョウに劣っているとは考えていなかった。
リョウの強みとマノンの強みは全くの別物。そもそも、リョウとマノンとでは目指す場所すら違っているのだから、そんな事は当然のはずだった。
昔はそのことに気づかず荒れた時期もあったが、それを乗り越えた今となっては、それらは恥ずかしい程に若く、苦い思い出だ。
だがそれだけに、実際に変わっただけに、リョウに足手纏い扱いされる事は彼女の気に障った。昔のままであれば、ここまで腹も立つまい。
マノンは彼には悪意が無いのを知っている。態と悪意があるように見せているだけで、実際にその裏にあるのは、誰かを気遣う心だ。
それでも、マノンはそうであって欲しくは無かった、気遣われる対象として見て欲しく無かった。
かつての責任を一人で背負って欲しくはなかった。
「これで良しっと」
屋敷に突入してきたニコイの兵隊達——どこの所属かはその派手な服装を見ればすぐに判った——は、今マノンが作り上げた屋敷の迷宮に閉じ込められ、彷徨っている。
当分は出てこられない。
「何をしたんですか?」
メナが目を丸くして、マノンに訊ねた。
兵隊達が入ってきた時には緊張した面持ちで成り行きを見守っていたようだったが、今はその緊張も余程ほぐれたのか、ゆったりとした様子で座っている。
「私の魔法でちょちょいとね? この部屋から出ない限りは大丈夫ですよ」
話しつつも、マノンの意識は無意識に外の様子に向かった。とは言え、この部屋からは外の様子を確認する術は無い。
「………彼が心配ですか?」
メナから出た不意の言葉に、マノンは少し言葉を詰まらせ、彼女の顔を見る。
「………どうして?」
「いえ、なんと言うか、表情が硬いままなので」
メナに見透かされた事が気恥ずかしく、マノンははにかんで「顔にでるなんてまだまだね」と呟いた。
「正直、私には彼に危険が及ぶような状況が想像できないのですが」
メナの疑問は理解できるものであったが、同時にそれは、彼女がリョウという人間を理解していないのだなという事も証明しているようだった。
だが、それは彼女の所為という訳ではない。リョウが彼自身をそのような人間だと見せている為だろう。
「………確かにリョウは『最強』の魔法使いなんて呼ばれているし、それは事実なのですけれど」
マノンはメナの前の椅子に腰掛け、彼女の顔を見据える。
「けれど、あいつも『人間』なんですよ」
「………どういう意味です?」
「感情があって、迷いがあって、限界がある。全知全能とは程遠い」
マノンはメナに対してそう説明する。
それは、自分がかつてリョウに対して抱いていた幻想、勘違いの類、その否定であった。
そしてそれらの夢想をこの目の前の姫君も抱いていることが、かつてその道を通っただけにマノンには分かる。その根本がどこにあるのかは分からないが、少なくとも同じような形で「リョウ」という人間を見落としてしまっているという事は確かだ。
離れすぎていると、それを構成する細部が見えてこない。見えないという事は、存在していないのと同義、判断基準は見える部分だけになる。つまり、「神」のような男の姿。
「あれは、姫様が思っている以上にそこらの人間と変わらない」
「見たことがあるのですか?」
メナがそう訊ねる。マノンは「何が?」とは訊かなかった。
なにせ、それは自明だった。
「昔の話ですよ」
マノンがそう答えると、メナは少し押し黙る。
しばらく彼女が考える時間と沈黙があり、マノンは何となしに部屋の出入り口の方向を眺めていた。
「………行ってあげて下さい」
マノンが顔をメナに戻すと、彼女は困ったような照れ笑いを浮かべて、そう言った。
「そうもいきませんよ」
マノンがそう返すとメナは真剣な表情で首を横に振り、それを否定する。
「マノンさんの話が正しく、彼が敗れる事があり得るのであれば、仮に彼が敗れた時、不利になるのはこちらです。少なくともマノンさんの魔法のおかげで、今、ここは安全と言えるでしょう? それならば、今のうちに彼を自由に動けるようにした方がいい。彼は、足止めで使うには勿体無い『駒』です」
マノンは流石に即決ができず、メナに問いかけるような視線を向ける。少なくとも理には適っているように思えた。
「仮に何かがあっても、私は恨みません。どうせもう、死んだような身の上です。あなた達の過去に何があったのかは知りませんが、何も知らない私からすれば、あなた達は何かを掛け違えたままでいるだけのように見えます。それならば、掛け直す余地はある」
マノンはそれを聞き、このメナという姫君が、このような事を考え、話すような人間だったのかと、少し意外な面持ちで彼女の言葉を聞いた。
彼女はよく見て、受け入れ、考える。それができる器を持つ人間なのかもしれない。合理と感情の狭間に立ち、そこから物事を見定めて道を選択する。
そしてそれを隠すことなく、躊躇いなく表現してしまうのだ。
「私は、そうであった方が、罪悪感を抱かずに済みます。見て見ぬ振りは出来ない」
メナがそう結んだ時、マノンはそこに今は亡きジュゲンの面影を重ね見た。
彼ほどの重みは無く、それらが作り上げる影も無いが、代わりに彼には無かった純粋で大きな「優しさ」が、そこにはあった。
「………そう、やっぱり、あなたはジュゲンの妹なのね。よっぽど純粋で人間的だけれど、似ている。懐古はリョウが嫌うでしょうけれど、懐かしい感覚ね。あなたはもしかしたら、普通に育った彼の姿なのかも」
マノンはかつてを思い出しつつも、今のリョウを想起する。
懐古を忌み嫌っているのにも関わらず、誰よりも過去に縛られた悲しき友人のその姿を。
「それじゃあ、姫様の提案に乗らせて貰うわ、そっちの方が面白そうだし。こっちの魔法は絶対に解かないから、そこは心配しないで下さいな」
「はい、そこは信じます。というより、今の私は多少の無理を押し通しでもしない限り、現状からは抜け出せない。信じざるを得ない」
マノンは、メナの正直な物言いに少し苦笑しつつも、部屋の扉を開ける。
「間違っても、この部屋からは出ないで下さいね」
「理解してます」
その返答を背に受け、マノンはリョウの元へと急いだ。
**
幾度となく切り結び、隙を探る中で、リョウは彼らに完全に意識をこの場に集中させていた。
それ程に彼らは強敵であり、隙がない。
それは、あの白蜘蛛仮面の二人とも似ているが、彼らとの違いは単純な自力の差だ。
連携の精度は確実にあの白蜘蛛の方が高く、流れるような連携は二人で一人を相手にしているような、不思議な感覚があった。
対してこのニコイとフークーは単純に個人の戦闘力が高い。
お互いの隙を潰すような動きもあるが、その精度は白蜘蛛の仮面には遠く及ばない。だが、単純に隙を突いたつもりでも、個人の力量でカバーされることが多かった。
彼らはリョウの不意打ちをも踏まえたような動き方をし、逆に不意打ちが不発に終わった事で生まれた間を狙って反撃を切り込んでくるのだ。
必然、リョウは飛び道具に割く意識の割合を減らす必要が出てくる。
結果としてそれらを防御に回し、攻撃に利用することができなくなりつつあった。リョウの現状の手札は、二人を仕留めるのに今一歩足りない。
しかしそれはニコイとフークーに関しても同じ事が言えた。
ニコイの剣の明滅は、そこに意識を散らせる為のもの。
フークーの魔法は防御には使えるが、攻撃に転ずることができない。そして、その効果は大体一秒間程度だとリョウは分析していた。
それはつまり、ニコイとフークーの二人がリョウを詰ませるだけの決定打を持っていない事を意味した。
二体一で実力が拮抗している事は戦術的にはリョウの大健闘に見えるが、一方で作戦単位で見ると、この拮抗状態はある種ニコイの想定の範囲内であり、リョウが劣勢に立たされているのも事実であった。
「………いい加減、諦めて欲しいものだな」
何度目かの攻防の末、リョウは息を整えつつ、二人に語りかける。
「それはこちらの台詞だ、忌々しい」
「………同感ですね。噂には聞いていましたが、呆れた人だ。二人掛かりで互角とは」
ニコイもフークーも息が上がり、それが先ほどまでの激戦を物語っている。
次の攻防で勝敗が決まる。
こう着状態で睨み合う両者は共にそう直感し、図らずも同時に構えをとった。
「聞かせろ、なぜメナを狙う?」
リョウは疲れ切った声で何と無く頭に浮かんだ問いを投げかけた。そこには明確な意図は無く、ただ単に気になった為にそうしている。
「なぜ? 仕事だと言っただろう?」
答えないかと思ったが、ニコイはことの他あっさりとそれに答える。
「仕事であればかつての主君の娘にも弓引くか、随分と高潔な精神じゃないか。俺が金を出せば寝返ってくれるか?」
「黙れ。全てを捨てたお前には分かるまいよ。お前こそ、なぜあの何もできない姫君一人に肩入れする? その先に何があるというのだ?」
リョウは逡巡し、自分の内面を覗き見た。言われてみれば、何故なのだろうという疑問が頭を過ったのだ。
(なぜ、何故か? あぁ、そうか)
ジュゲン、マノン、そしてそれと入れ替わるようにメナの顔が思い浮かび、リョウは何となく思う。
「………多分、俺は一度背負った物は下ろせない性分なんだろうな」
「哲学か? 貴様には似合わんな」
「考える事は苦手か? 七光り」
それを皮切りに沈黙が敷かれ、空気が張り詰めた。
今にも千切れそうな緊張の糸がその場に張り巡らされているのが見えるようだ。
風が吹く。
彼らの頬をなぜ、髪をなびかせる。
風と共に運ばれてきた故も知らないような枯れ草、その一部が両者の間を通り抜ける。
その瞬間、期せずして両者はほとんど同時に飛び出した。
おそらくはチャンスは一度、だがその一度で崩せれば、あとはリョウの方に戦局は一気に傾く。
剣戟が放つ金属同士のぶつかり、それらが放つ火花を散らす甲高い音が広くはない空間にこだまする。
その最中、リョウはその機会を待ち続けていた。一度きりの切り札、その切り所を。
「動きが鈍いぞ、ニコイ」
「お互い様だ」
「………私の事もお忘れなくっ!」
ニコイの剣を弾いたリョウは、間髪入れずに間合いに入ったフークーの袈裟の斬撃を躱し、先まで彼が立っていた位置に礫を飛ばしてその追撃を防ぐ。
しかし、そこに合わせるように死角からニコイが肉薄し、リョウの腹部を狙った横凪を放つ。
リョウはそれをかろうじて剣で受け止め、『加速』を込めた回し蹴りで反撃。ニコイはそれを屈むようにして避け、その瞬間にニコイの剣が閃光を放つ。
リョウの視界は再度奪われた。リョウは背後に跳び退り、一度目の閃光の時と同じように二人から距離を離す。
そしてそのリョウの領域で、先ほどと同じようにフークーが追い縋るのが感じ取れた。
(ここ!)
「『穿通っ』!」
リョウは剣に意識を込め、『穿通』を発動する。
フークーがギリギリまで近づくまで引きつけ、リョウは先ほどと同じように思い切り剣を投擲する。
しかし、その剣は先とは違うものだ。剣は文字通り空気を切り裂いて真っ直ぐに飛翔する。あらゆるものを貫く、文字通り「魔法の剣」だ。
そして、フークーがそれに対して壁を展開したのを確認し、リョウは勝ちを確信する。
(獲った)
剣を投げた後の破裂音が遅れて響く。
それを認識した時には、リョウは想定外のことが屋敷の方で起こっている事を領域上で認識する。フークーを倒した事を確信し、無意識のうちに状況把握の配分をメナの方に割いたことでリョウはそれを認識できた。
メナの周辺に奇妙な気配がある。それはマノンのものではない。
(まさか!)
焦り、リョウは目を開く。そしてリョウはその時、自分の判断が些か性急であった事に気がついた。
フークーが止まっていない。大きな外傷が見えない状況で、彼が迫って来ていたのだ。
(止められた? いや、壁は確実に貫いていた。躱された、読まれていたのか?)
咄嗟に、リョウは剣を引き戻す事も忘れて『加速』に注力、フークーから距離を取ることに気を取られる。
そして、ある程度距離を離した時点で、リョウは慌てて剣を引き寄せた。
だが、それは失敗だった。
焦りもあった。メナの方にある気配に気を取られ、フーコーに向ける分の意識をニコイから外して向けてしまったのだ。
そしてその結果、死角に入ったニコイが間合いに入っている事に気付くのにリョウは一瞬遅れてしまった。
剣を探さなければ、あるいはそれを感知する事はできただろう。投擲した剣を探すことに注意を向けたリョウの、その寸刻にも満たない程の隙をついてニコイは近接したのだ。
「お前ならそう動くと思っていた!」
しくじった。
そう思う間も無く、ニコイの剣がリョウに肉薄する。
周りにはそれを防ぎ切れる物が無く、受ける剣も今は手元に無い。
詰み。リョウが陥った状況は、その一言で簡単に表現できた。
リョウはその一瞬で防御を諦め、礫をニコイに全力で射出する。彼の剣を止める事は出来ずとも、手傷を負わせる事はできる。そう判断したのだ。
しかしリョウの中でゆっくりと体感される時の流れの中、その最後の足掻きは失敗に終わった事をリョウは感知する。遅れてやって来たフークーの壁がその弾丸を防いだのだ。
(完敗だな)
単純な戦闘力では互角であった筈だ。リョウが自らに課していた制限を加味しても、二人の実力は相当に高い。これは人数の差が生んだ戦術の幅の差であろう。
そもそも一人で戦う事を選んだ時点で、リョウは作戦的に負けていた。結局一人ではできることに限界があったのだ。
それらを全て悟ったリョウは諦念を胸に抱え、その時を待った。
だが、その時の彼の尖った感覚は、どこかで嗅いだ独特な香りを感じ取った。
それが何かと思ったその時、金属同士がぶつかり合う音と共にリョウに柔らかい物体がぶつかる衝撃が走る。
咄嗟にそれを抱えて飛び退くと、その物体はしたり顔で彼に呟いた。
「ほーら、やっぱり手伝いが必要じゃない」
どうやらマノンが間に入り、ニコイの剣を受け止めたらしい。
リョウはそこに何故マノンが居るのかを疑問に思いつつも、それを傍に追いやり、今度こそ剣を引き寄せる。
「言いたい事はあるが、今は感謝する」
「どういたしまして。でも今ので腕痛めたから殆ど何もできないかも」
リョウはマノンを地面に下ろし、ニコイとフークを見据える。
「貴様、どうやって………」
「いや待てニコイ、見覚えがある。貴女は………エイジョ殿か」
フークーがマノンを見て問いかけた。
(やはり知っていたか)
リョウはそう思い、目線をマノンに向ける。
しかし彼女はそれを気にするような様子もなく、平然と「えぇ」と首肯した。
「エイジョ……『エイジョ・マノン』! 『夢幻の魔女』か!」
リョウはニコイが唸ったのを聞き、正直のところ驚いていた。
確かにマノンは実力者ではあるが、リョウが兵団にいた頃には魔法の性質上、裏の仕事が多く、名はあまり知られていなかった。あくまでも、その存在を仄めかすような噂がある程度だった。
しかし今、ニコイとフークーはマノンの名を容易に導き出した。
(………いや、考えてみれば当然か。近衛兵団の副団長をやっているんだ。俺は過去のこいつの姿に囚われていたのかも知れない)
考えるリョウを尻目に、マノンは二人に語りかける。
「いま、貴殿らの部下は私の魔法で屋敷の迷宮に閉じ込めておりますわ。永久に彷徨わせる事も薮坂ではないのだけれど、どういたします?」
「「………」」
ニコイとフークーは同時に黙り込んだ。
おそらく、今の二人はこのまま戦闘を押し通すか、一旦引くかの選択の瀬戸際でせめぎ合っていた。
彼らからすれば、マノンを倒しさえすれば部下の解放はできる。魔法は使用者の意識がない状態では維持できない。
しかしそれを選択するという事はリョウとの戦闘を再度繰り広げる必要があるという事を意味した。それも今度は、マノンという不確定要素を加えて、だ。
「ニコイ殿」
フークーの呼びかけに、ニコイは手を挙げてそれを制する。
「解放の条件は?」
「当然、ここから退く事ですわ」
「………約束は守る保証は?」
「保証はできませんが、私は約束は違えた事はありません。………あなた方とは違って」
ニコイは渋面で顔を歪ませ、しかし感情的にはならないように自身を律していた。ここで戦うことが彼らにとっては損失でしかない事を理解していたからだ。
「先に解放しろ」
「では、そのように」
マノンはあっさりとそれを快諾し、屋敷の方に向けて指を鳴らした。そしてリョウにも拘束を解くように耳打ちし、拘束していた兵隊たちの拘束を外していく。
拘束を解き終わり、彼らが各々で立ち上がってからしばらくして、屋敷の入り口からニコイの兵団が雪崩れ込むようにして吐き出されたのをマノンを除く三人はその様子を呆然と眺めた。
「約束は違えない、ね………イカコ・ナウク・ニコイが命ずる!」
屋敷から排出されたばかりの彼らは、一時は戸惑っていた様子ではあったが、ニコイの号令と共に統率を取り戻し、綺麗に整列する。
「忌々しいが、全軍撤退だ! 駐留所まで退け! 指示は追って出す!」
彼らはニコイの指示を皮切りに、速やかな撤退を開始する。
流石に訓練を受けた人間といったところか、リョウとマノンを流し見る者はあっても、好奇心を丸出しにする者は一人も居なかった。あるいは、あの中にはニコイやリョウに並ぶような優秀な実力者もいるかも知れないと思うと、リョウは緊張を解く事はできなかった。
流石にあれら全てを相手できるだけの余力は無い。
「命拾いしたな、シシャ・リョウ」
心底忌々しそうな表情を浮かべるニコイ。リョウはそれを見て肩を軽くもたげて見せる。
「否定はせんよ」
「次は殺し切る」
そして、ニコイとフークーの二人もその場を去った。彼らの撤退はいっそ鮮やかで、みるみる距離が離れて確認できなくなる。
完全に彼らが去ったのを確認したリョウは、屋敷の方に足を向けた。
「戻るぞ」
「少しくらい余韻に浸ればいいじゃない」
リョウの硬い口調に対して、マノンの気軽い言葉が返って来た。
しかし、リョウはとてもそのような気分では居られなかった。
「アイツがいない」
その時には、リョウの領域からは、そこに居るはずの気配がすっぽりと、抜け落ちてしまっていた。




