3_浅い眠りと明け前の夢
その建物は巨大とまでは言わないまでも、大きな建物だった。街の外れ、郊外の建物に囲まれるように隠されたその屋敷は、しかし周辺の人たちからすればよく知る建物だろう。赤褐色の木材の色味を活かした質素でありながらも豪華な作りは、メナの目から見てもどんな金持ちが住むのだろうかと思わせる荘厳さがあった。
一言で言えば、そう。浮いていた。
「ここだ」
リョウが言ったのを聞いて、メナが「やっぱりか」と感じたのは、そこが奥まった位置に隠されるようにあったからと言うよりもその浮世離れした感じが、リョウという規格外の人間の関係者の暮らす場所として相応しいものに感じられたからであった。
「随分と、豪勢な………」
メナが言うと、リョウは「全くだ」と不機嫌そうに言って、屋敷の扉の前に立った。
リョウが扉を小気味よく叩く。その音は周りの住宅の石材に反響して二人の元に返って来た。メナはその音が人を呼び寄せるのでは無いかと気が気で無く、神経質に背後を振り返った。
誰もいないようだ。
ほっと、息を吐くのも束の間、扉が開く軋んだ木材の音が聞こえ、メナはその音源に視線を戻した。
ゆっくりと開いていくその扉の先の人物は、こちらの姿を一度分別するように視線を上下させた後、どこかで聞いた事があるような滑らかな声で呟いた。
「ようこそ」
どこか意外そうな、しかし彼女たちが来る事を知っていたような口ぶりのそれはどこか、リョウの言う兄の予言を思わせた。
メナは彼女から感じる既視感の正体を探るべく、その姿を凝視する。
女性にしては長身でスラリとした体格。彼女の背中まで伸びた黒髪は緩いウェーブを描き、彼女の動きに合わせて青味を帯びた光を艶めかせた。そして彼女の目。その目は黄金を思わせる褐色だ。
(どこかで………)
その金色の瞳に引きづられるようにあの時の記憶が呼び覚まされ、全てを思い出したメナは警戒するように身構えた。
「鴉羽の使者………!」
メナの声に目線を向けた彼女は、一瞬眉を顰めてからゆったりと腕を組んで、しばらく考えた後「あぁ」と思い出したように手を叩いた。
「そんな事も言ったわね。そうよ、私があの時の怪しいお姉さん。無事で何よりだわ、姫様」
彼女の口調はあの時と変わらず軽く、リョウとは違った意味で敬意を感じられないものだった。だが、リョウに感じる程の不快感は彼女からは感じられない。それは少なくとも彼女は、メナを姫として扱っているからだろうか。
「………単刀直入に訊くが、『敵』では無いな?」
リョウが二人を遮るようにして彼女に問いかけた。彼の目付きはやはりどこと無く険しい。
「ええ、それは間違いなく。あなたに手紙を渡したのも私よ。リョウ」
「………まさかお前が俺に手紙を寄越すとはな」
「私はあなたが本当にここに来るとは思っていなかった」
メナはそんな二人の会話を隣で聞きながら、そこにはどこか緊張感があると思った。砕けてはいるが、硬質な芯が残っているような不自然な響きがある。メナはそれが二人の過去に関係しているのだという事を直感し、その行く末を傍から見守った。二人のやりとりから何らかの秘密が垣間見えるかも知れないと思ったからだ。
しかしメナの期待を他所に、彼女はそう言うと扉を押し広げて二人を屋敷に招き入れた。
「………まあ、来てくれて良かったわ。立ち話もなんだし、入って?」
二人は彼女に従って屋敷に足を踏み入れた。
彼女の傍をすれ違った時、メナはあの夜に感じた独特な芳香を嗅ぎとった。それは決して不快では無いが、メナには嗅ぎ慣れない香りだ。それが彼女だけでは無く屋敷の中から漂っている。
「螺旋草の香でも焚いているのか?」
リョウも同様に思ったのか、鼻を軽く鳴らしてから彼女に訊ねた。彼はメナとは違い、その香りの事を知っているようだった。
「えぇ、好きなの。不快かしら?」
「いや、嫌いでは無い」
メナはもう一度その香りを吸い込む。メナも、その香りは嫌いでは無い。
**
「それじゃあ、まずはここに来た理由について教えてもらえる?」
客間へと通されて早々、彼女はそう言って客間の椅子に腰掛けた。
メナは彼女に促されるままにその向かいの席に腰を下ろしたが、リョウはいつものように座らなかった。
「予想ぐらいついているんじゃないか?」
「それは話さない理由にならない、違う?」
リョウは面倒くさそうにため息を吐き、事のあらましを話し始めた。
あらかた話終えた後、リョウは何故メナが命を狙われているのかについての質問を彼女に投げかけた。
彼女は「そうね………」と一言呟いて間を置いた後、メナに視線を向けて話し出した。
「あなた達の推測は大凡正しい。今回の件はシオの仕業。お姫様を狙っているのも奴の指示よ」
「何故お前はそれを?」
リョウが重ねて問うと、彼女は「知っているでしょ?」とリョウを脇目に見た。
「私はこれでも近衛兵団の一員、王宮仕えよ。まあ、訳ありだからお姫様は知らないでしょうけれど」
彼女はそう言って、メナに視線を戻す。
「知りません………その筈です。少なくとも、セノイやドウカイからもそのような話は聞いた事がない。私にはそれを信じるに足る根拠を持ち合わせていません」
メナがそう応えると、彼女は軽く声を上げて面白そうに笑った。
「確かに、いきなりこんな事言われても、ねぇ? あ、そう言えば名乗っていませんでしたね」
彼女は改まって姿勢を正すと、少し真面目な口調になって、メナに名乗りを上げた。
「わたくし、『黒羽近衛兵士団』の副団長を務めさせていただいておりました『エイジョ・マノン』と申します。以後お見知り置きをお願い致しますね」
メナは自分の頭上に疑問符が浮かんでいるのを感じた。
黒羽近衛兵士団? 「鴉羽」では無く?
いや、そもそも、近衛兵士団は『王属近衛兵士団』しか存在しないはずで『黒羽近衛兵士団』などという組織は聞いた事も無い。
「知らないのも無理はないですよ」
メナが首を傾げるのを尻目に、マノンが説明をし始めた。
曰く、この組織はメナの父王と兄、そしてカゥコイの現当主であるシオしか知らないらしい。兄が死に、父王がシオの叛逆によって亡くなった事で、シオ以外にその存在を認知している存在が居なくなった。その為、現在は実質的に空中分解してしまっているという事らしい。
「………セノイはどうした?」
「私は上手く逃げられたけど、彼はあの性格からして『北の牢獄』じゃない? あなたは知らないでしょうけど、黒羽になってから団員も増えてるし。見捨てないでしょ、彼」
話し終えたマノンに対してリョウが訊ねた人物はメナには心当たりが無かったが、それがその組織の実在を裏付けており、メナとしては彼女の話を信じる他無くなった。そして、その陰に兄の名残のようなものも感じられ、メナは目眩がするような思いで二人を見た。こうなってくると、兄が死んだ原因というのも、生半な事では無いのではないかという疑念が湧き上がってくる。
彼らは一体、何をやって来たのだろうか。
そして、その化け物の集団の中にいたというこの「エイジョ・マノン」という女性、彼女もそれに負けない何かを持っているのが確かなのだ。
「ま、自己紹介はここまでにして、話を戻しましょう」
マノンは紙切れを取り出し、目の前にある机上に敷いた。そこには細かい文字でさまざまな事が書かれているようだが、大まかにメナに関する項目である事が伺えた。
「ここに姫様が狙われている理由に当たると思われる事柄が記録されているのだけれど、面倒だから簡潔に説明するわ」
メナが紙を覗き込むようにして見ていたところに、マノンが面倒そうに手をひらひらと振って、メナが読んでいた紙面に指をさした。
「ここに関する内容を要約すると『前王朝の姫君が国家の安全保障において重要となる物質及びそれに準ずる情報を所持したまま逃亡している恐れがある。見つけ次第の確保あるいは処理せよ』ってところね」
メナはそれを聞き、惚けたように口を開いた。
(………いや、確かに国家の機密の文書は持っている。国の地図は戦略上重要な代物である事に違いは無い。だが、戦時中ならともかく、今は別に隣国との関係性も悪くなかった筈。そこまで警戒する程のものでは………)
「………それで? お前はそれを持っているのか?」
リョウがメナに問う。腕を組んで背後に立たれると威圧感があった。
「あります、ありますが………」
メナは自分の荷物の中から地図を取り出し、机上に置いた。
それを見たマノンは「うん?」と、怪訝そうに呟いた。
「これだけ? 別にこの程度ならどこでも手に入りそうだけれど」
マノンの問いに、メナは頷く。現状、国家の安全保障に関わりそうな何かは、これしか思いつかない。
「他の書類はせいぜいが他国との交友・貿易記録のようなもので、直接的に国家の安全保障に関わるとは………」
「あれは単なる建前だろう。お前の言う通り、今更その程度であそこまでの執着は見せまい。王族が反乱分子となる事を防ぐ為、と言うのが現状一番あり得そうな線だが………そうなると、一番厄介かも知れん」
リョウが言わんとしている事はメナにも分かる。政権の安定の為に元王族を殺す、というのが目的なのだとすれば、メナが王族である事を辞められない以上、一生命を狙われる事になると言う事だ。それは、メナはもちろん、リョウが兄の遺言に従う以上、メナの元を離れられない事になる。
「あぁ、待って待って」
リョウとメナが珍しく同調して渋い顔をしていると、マノンがそれを遮るように別の紙面を指した。
「確かにそれは理由にあるとは思うけど、それとは別にシオは明確に何かを求めているみたい。さっきのは一応シオの言葉として出されたものではあるのだけれど、実際は彼の周りで評議会が決定した物でしょう。本命はこっち」
メナがその紙面を見ると、それにはどこかで見た事があるような図面が敷かれていた。
「………ペンダント?」
メナは口にしてからハッと息を飲み、自分の胸元に隠したそれに意識を向けた。
「あります、ペンダント」
そうして、メナはゆっくりとそれを引き釣りだし、机の上にそっと置いた。
その黒いガラス質の石に囲われるように嵌め込まれた紅玉は、メナの内面を反映するかのように怪しげにきらりと煌めいた。
「………本当に持っているとは」
マノンが呆れたように呟き、それとその図面を見比べるように見た。
「ところで、その図面は何なんだ?」
リョウがマノンに訊ねる。
「私が直接アイツの部屋から盗み取った紙切れ」「は?」
マノンが何とも無い事のように言ったその内容に、メナは度肝を抜いて思わず声を漏らした。
「まだ本格的に事が起こる前に、ちょちょいとね。流石にアイツがいる部屋には無理だから居ないタイミングを見計らってよ?」
何を謙遜しているのかは良く分からないが、メナには、彼女が常人ではないと言う事が証明された瞬間だった。思えば、初対面の時にもドウカイやセジンカグに悟らせずにメナの背後に回り込んだりと、離れ業を繰り返していたような気もする。今更と言えば今更だ。
先ほど遭遇した白髪の仮面二人組といい、何やらメナの中の常識が崩れるような思いがした。
マノンはそれに気付かぬ様子で話を続ける。
「これによると、そのペンダントは『ルブシディア』。確か、魔道具を起動する鍵………みたいな走り書きがあったわね。………そんな童話みたいなベタな話あると思う?」
「あながち童話というのは馬鹿にできない。実際、危険な道具なら機能を分けて使用を制限するのは理に適っている。問題は機能の方だろう、何か書かれていないのか?」
「それが無いのよねぇ」
リョウとマノンが談義をする中、メナはその『ルブシディア』を手繰り寄せ、首にかけて胸元に隠すように落とした。
これはメナにとって紛れもなく父の形見であり、今や一人となってしまった彼女の心の拠り所でもあった。例えそれに、メナの知らぬ秘密があったとしても。
だが、少しは考えてしまう。
(父はこのペンダントの秘密について知っていたのだろうか)
知っていたのだろう。だからこそ、メナにそれを託したのだ。では、その理由は何なのか。
「………いずれにせよ、それならば多少の道筋ができるやも知れん」
リョウの言葉で我に返り、メナはリョウに視線を向けた。
「奴の狙いがお前では無くそのペンダントなのだとすれば、交渉次第では争わずにお前の命を救える公算がある。あとはその場をどう設けるか、だ」
メナは少し不安な気持ちのままでそれを聞く。
「………攻め込むとか言わないわよね?」
「それができればいいんだがな。場合によってはセノイを敵に回す事になると考えると流石に無理だ。第一それをするなら、そもそも交渉する必要性すらない」
「………手伝ってあげましょうか?」
マノンがポツリと呟いたのを、メナは不思議な思いで見た。
メナの脳裏には、猫が脚元から人の顔を覗き込んでいるような印象が過る。
それはマノンはリョウがそれを断るのを見越していて、遠慮がちに様子を伺っているようだった。
メナは初めからここに来たのが、彼女の協力を得る為だと思っていた為、彼女のその態度は今までの態度と総合してもどこか噛み合わないのだ。
「………いや、必要ない」
リョウがそれを長い沈黙の後に断る。
リョウとマノンの言葉の応酬には、その奥に二人の共通の認識が散りばめられている。それが過去の積み重ねとなって形を成しており、メナには理解できない何かがあった。きっとそれも、その類なのだ。
しかしメナは、水を差す事になるとは分かっていても、黙ってはいられずに口を出した。
「協力者は多い方がいいのでは?」
そしてそのメナの言葉はリョウに黙殺された。マノンからの助け舟も無い。
メナはそこには具体的な理由がある訳ではないのだと理解した。言ってみれば、それはリョウの内面の問題なのだ。
メナが抱えるリョウの人物像からすれば、それは彼が持つはずのない感情。真っ先に切り捨てていきそうなものだ。
何かが食い違っている。
二人を見ていると、特にリョウに対してメナはそう感じた。
だがその答えが顕在化するまでも無く、メナには不思議とそれが腑に落ちるようにも思えた。
あの日、メナの元に彼が現れた時に残した言葉は、実際に彼自身が抱えている問題であったからこそ出てきた言葉なのだ。
彼は確かに無敵かとも思えるような天才だが、それでも「人」ではある。それがメナにとってどう言った意味を持つのかは分からないが、奇妙な安心感を伴って彼女の中に沈澱していく。
彼は絶対では無いのだ。
とは言え、それが無視された事実を消してくれる訳でもなく、三人はしばらく何も言えずに黙ったまま、気まずい空気の中で過ごした。何かが掛け違えられているような違和感がある中、誰もその正体を掴み切る事ができず、何を話すべきかを思い付かなかったのだ。
「正直な話」
リョウが沈黙を破った。
それと同時に、彼が何かを気に掛けるように目線を扉の方に向けたのをメナは見た。
「これ以上、足手纏いが増えても困る。俺はすでに、こいつを守るのだけでも手一杯だ」
メナはその言いように少しむっとするが、それが事実である事は否定出来ない。しかし、マノンが足手纏い、というのは少し信じられなかった。少なくとも彼女は、ドウカイとセジンカグを手玉に取る事ができる実力者だ。
メナの疑問を他所に、話は終わりとばかりに背を向けて部屋を出ようとするリョウに、マノンは反論するような言葉をぶつけた。
「足手纏い、私が?」
それは今までとは違い、明確に怒気を孕んだ低い声だった。それまでずっと朗らかだっただけに、その声の不協和は、自分に向けられた訳でもないメナに強烈な不快感を抱かせた。
「違うか?」
リョウはそれを正面から受け止めたばかりで無く、煽るように問い返した。
「そうですか、はっきりさせましょう。表に出てくださる?」「それは名案だな」
二人は一触即発の空気だが、妙に気が合うやりとりをする。
それに対して、メナがどうするべきかを悩んでいると、リョウがメナに「お前はここで待て」とぶっきらぼうに言い捨てて部屋を出た。
「私もその方が良いと思う。ここはこう見えて出入り口は一つ、一応抜け道はあるけれど、外からは入れない作り、ここならまず安全よ」
マノンもメナにここに残るように言った。彼女の言い分からは、リョウとマノンの二人は別に、喧嘩のために外に出る訳では無いと言う事が読み取れた。どうやら、外に何者かがいらしい。
二人が出ていき、メナは誰もいなくなった部屋で手持ち無沙汰になってしまった。まさか危険地帯に顔を出す訳にもいかない。
ぼけっと座り、マノンが拡げた書類をなんと無く眺めていた彼女であったが、ふと思い立って石を浮遊させる練習を始める。
一人で静かなこの場所は、集中力を使うこの作業に適している。
「足手纏い、か………」
こうしてしばらくの間、部屋には小石が転がる音が虚しく響いた。
**
ニコイは派手な装飾をした剣の柄をコツコツと叩きながら、部下からの報告が上がるのを待っていた。
折角、兵団長として抜擢されたその初仕事、彼はその対象について詳しい話を知らないままにここに来ている。
流石に情報が全く出揃っていない状態で兵隊を動かす事など、いつもの彼ならばしない事であった。彼は大胆不敵な人間でもあったが、それ以上に、慎重な正確であった。
それならば何故その無鉄砲な行為をしているのかと言えば、単純にそうせざるを得ない状況だったからと言う他ない。
(あのジジィ、功を急いたのだろうな)
ニコイはここからそう遠くは無い場所にいる叔父の事を思い、ため息を吐いた。
彼はヒエラーゾの意向に従い、今ここにいる。
兼ねてよりの願いでもあった近衛団長としての地位、それに釣られた訳だが、それ自体には後悔は無い。問題は、その後に与えられた無茶振りが、想像を遥かに上回るものであった事であった。上層がメナ姫を捜索、抹消を目的としているのは周知の事実であったが、その潜伏場所とされる情報をポンと渡されたのだ。
その確度が如何なるものか、ニコイには判断ができずにいる。さらに悪い事に、ヒエラーゾに問うても、要領を得ない回答が返ってくるだけだった。
(あの人はシオ殿を利用しようと考えておられるようだが、これでは逆に使われているだけなのではないか?)
ニコイは部下の手前それを表には出すことは無かったが、その懸念は前から抱えていた。
(おそらくは屋敷の件もシオ殿が情報筋だろう。となれば、カゥコイ家。情報の確度はそれなりに信用はできるだろうが、問題はシオ殿自身をどこまで信じて良いものか………)
何かを隠しているのでは無いか?
ニコイは綺麗に髭を剃り落とした顎を摩る。手袋の上からでもそこに微妙な摩擦を感じ、それが気になったが、生憎と今は仕事中、我慢する他ないようだ。
「ニコイ様、偵察が戻りました」
扉を叩いた部下の声が彼の耳に入り、ようやく報告かと彼は腰を上げた。その拍子に首元にぶら下げられた豪奢な宝石類がカラカラと澄んだ音を立てた。
「入れ」
鮮やかな隊服の上から地味なマントを羽織ったその斥候は、入ってきて直ぐに両手の指を合わせて見せる正式な敬礼でニコイの前に立つ。
ニコイがそれに頷いて応えると、彼は先を話し始めた。
「報告します。例の屋敷の前に現在、2名の人影が現れました。そこから動かない事を見るに、こちらの包囲の動きに勘付いたものかと思われます」
「………二人か?」
「はい。伏兵なども警戒しましたが、現状ではそういったものは見られません」
「そうか、下がって良いぞ」
彼が去るのを待って、ニコイは彼の副官に指示を出す。
(何故気づいた?)
「予定通り、先遣隊を出そう。………陽動の一部隊だ。それで済むならばそれで良し。前回はうまく逃げられたようだ。警戒のため、他は警戒態勢で待機させる」
ニコイは今や兵団長として、以前よりも大規模な兵隊を動かす事が可能だった。
当初は今回の件に関して、包囲網を作って街を閉鎖するためにそれをする事を考えた。しかし、それは隣の副官に止められた。「慣れぬ事はすべきでは無い」と、ニコイはそれでふっと冷静になり、舞い上がっていたなと自責した。
そうして、元々の自分の兵隊たちを動かすに留めた。今回の先遣隊もその一つだ。
ニコイは今回の判断は妥当かと、隣の副官を見る。メガネの彼は至って真面目な表情で頷く。
「妥当でしょうな。………時に、団長」
「何か、フークー」
「あそこに居るのが本当に姫様だとして、貴公に後悔は無いので?」
彼は部屋から出る間際に振り返り、その細長い目をさらに細めるようにしてニコイを見た。
それは確かにニコイも思うところがある。しかし、それは少なくとも今、表に出すべきものではない。一度選んだ以上、その正しさなど考えている暇など無いのだ。何より、ヒエラーゾがシオに付いている以上、彼には選択肢は無いと言っても差し支えない。
「………フークー、本気で言っているのか。勘弁してくれ、私たちはこちらを選んだ。選んだ以上は………」
「分かっておりますよ。ただ、少し確認したかっただけで………私はともかく、貴公は潔癖だから」
「それに何の関係が………」
同期であり、副官であり、友人でもあるフークーのその問いかけの意味、その裏をニコイは考える。もしかすると、フークーはニコイが彼の経歴に泥を塗る事に忌避感を覚えるだろうと考え、場合によっては自分が泥を被る。そう言うことを意味していたのかもしれない。
いずれにせよ、それはニコイを気遣うものだったという事は確かだった。
「………いや、お気遣い感謝するよ」
ニコイは扉を開けて出ていくフークーの背中にそう声を掛けた。彼が片手をあげたのが、閉まっていく扉の向こうに微かに見えた。
ニコイは椅子に深く座り直し、天井を見つめる。一人になった途端、言い知れぬ不安が胸中に残っているのが見えて、彼は目を閉ざす。
(………これでいい。いいはずだ。今のところ、私の目標は全て達成できているんだからな)
彼は部屋の外が慌ただしく動き出したのをどこか他人事のように聞いた。




