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鴉瞳の魔法使い  作者: てらじま
瑕疵と劈開
46/93

2_その白糸は瑕疵を繋ぐ

 カトチトァの河を跨ぐ大橋を目前に彼らは馬車を止めた。

 王宮に入った事もないような一兵卒の全員がメナの顔を知っているとは考え難いが、流石に橋上にある関門を正面から抜けられるとは考えられなかった為だ。

 ではどのようにして王都に入るのか。

「地下道を使う。古い道だ、知っている者の数も少ないだろうが、かつては避難壕としても使われていた」

 メナが問うと、リョウはそう答えた。何故それを知っているのか、とも思ったが今更それを問うのも馬鹿馬鹿しい程には、彼には秘密が多い。

 メナは、地下と聞くとあの薄暗いジメジメした空気と石の臭いが想起されて、少し気分が悪くなった。

 だが今更嫌だとも言えず、メナはリョウに付いてシャロロの馬車を離れた。

 リョウは別れ際、シャロロに「それじゃあ、そちらも上手くいく事を願っています」と声を掛け、シャロロはそれに対して腕を上げて走り去った。彼は橋を渡っていくのだろう。

「シャロロさんにはこちらとは別の用がある。私たちの運送は次いでだ」

 問えば、リョウはそう答えたが、その内容は答えなかった。だがメナはそれを気にする事はなかった。というのも彼女自身、それについて踏み込んで知りたいと思うような気持ち的な余裕が無かったからだ。

 これから王都に入る。

 そこはかつて暮らした街。そして今や、どこに敵が潜むかの知れぬ魔窟なのだ。

 しばらく河の土手沿いに歩いていくと、リョウがある茂みの前に立ち止まった。そこは最早森と言っても差し支えなく、鬱蒼と薄暗い。彼が何を目印にそこを見つけたのかは分からなかった。かと思えば、ドサリと重い物が落ちる音が聞こえ、メナは彼の横に移動した。

 そこには、古ぼけて如何にも危険そうな木製のハシゴ、そして人一人が余裕で通り抜けられるであろう竪穴たてあなが丸い口をぽっかりと開けていた。生臭く漂う臭気にうんざりとしながらも、メナはその穴を覗き込む。

 日陰になった穴は暗く、先が見え辛かった。

「ここを降りるのですか?」

 メナが問うと、リョウは頷き、そして何の躊躇いも無く穴に身を投げ出した。ハシゴに手を掛けさえしなかった。

「ちょっと!?」

 メナは慌てて声を掛けるが、その時には彼の姿は竪穴の闇に消えていた。

 落下音がして彼が地面に到達した事がメナに伝わった。

「早く降りて来い」

 どうしたものかと思案するメナであったが、その間に痺れを切らしたリョウの声が穴のそこから響いた。反響するその声は、大地の悪魔か何かが彼女を地中に誘っているようにも感じられる。

「仕方ない………」

 メナは覚悟を決め、ハシゴに手を掛ける。ハシゴの横桟よこさんは思いの他頑丈で、軋む事は無かった。

 取り敢えずは降りられそうだと判断したメナは、一段一段慎重に下っていく。降りるにつれて頭上の丸い光が遠ざかる。

 そして七段も降ったかというところで、彼女は足場の木材が弱っている事に気がついた。足をついた途端にギシリと歪んだのだ。

(危ない!)

 彼女は慌てて腕を目一杯伸ばしてそれを支えに、次の段まで足を伸ばした。

 しかし結果だけ言えば、それは失敗だった。


 バキン。


 嫌な音が手元で鳴った。「あっ」と思うのも束の間、彼女の上半身は宙を泳ぐ。

 衝撃を覚悟して目を瞑ったところで、想定とは違う柔らかい衝撃がメナを包み、彼女は拍子抜けして目を開ける。

「何をしている。飛び降りられない距離ではないのは示したつもりだったが」

 それがリョウの腕の中だと気づいたメナは、顔が上気したのを感じた。こんな単純な失態をリョウに見られ、挙句助けられた。それは彼女にとって、屈辱的な出来事だった。

 そして背後を見れば、穴から差し込む微かな光がハシゴを浮かび上がらせており、折れた部分が地面からそう遠くはない事を彼女に示してみせた。そもそも、見上げてみると穴はそこまで深く無いように思えた。あれなら、飛び降りる事もできただろう。

(と言うか、そうならそうと早く言ってくれれば良いのに)

「ありがとうございます………」

 リョウがすぐに彼女を下ろしたので、メナは一応、小さく礼を口にする。何にせよ、助けられた事に違いはない。

「………まるで巣だな」

 メナが悔しいやら恥ずかしいやらで何も出来ずに突っ立っていると、リョウがぽつりと何かを呟いた。その調子はいつもの平坦なそれとは違い、何かを訝しがるような雰囲気が滲み出ていた。

 それを聞いたメナは周りを見渡すが、別段不自然なところはみあたらない。と言うよりも暗い穴の底では、そこから拡がる横穴の様子は殆ど何も見えなかった。

「………何かあるのですか?」

 好奇心が勝って立ち直ったメナは、リョウにそう訊ねた。彼が思わず呟きを漏らすほどの事態など、余程の事なのではないか、そう感じたからだ。

「………待て、灯りを点ける」

 リョウが呪文を唱えて彼の腰に下がったカンテラを小突く。するとそこに光が灯り、辺りが幾分か明るくなった。

「な………」

 メナはそこに映った光景に絶句する。

 一言で言えば、そこには蜘蛛の巣があった。

 それ自体は長年使われていない地下水道にあの肉食虫が棲みつき、縄張りとしている。それだけの話である。

 しかし、メナの目の前に広がる光景は、それだけでは説明がつかないものであった。

 規模が異常なのだ。幾重にも展開されたその細白糸の網は、馬車が通れる程の広さの水路を塞ぐように張り巡らされており、まるで檻のようだ。その解れの無い整然とした様子は、古ぼけた周りの光景からあまりに浮いており、それがつい最近作られたものなのではないかと彼女に感じさせた。

「これは、魔獣ですか?」

 メナが問うと、リョウは「どうだろうな」と、首を傾げた。

 彼は躊躇いなく糸に指を掛け、かと思えば無造作に振り払った。規模こそ大きいが耐久性自体はそこまでではないのか、網は容易に千切れてヒラヒラと天井にぶら下がった。

「耐久性はあまり高くないようだが、これは魔法で作られた形跡が残っている。魔獣の可能性は有る」

 リョウが嫌そうな顔をして手にくっついた糸をとっているのを尻目に、メナは横糸に触れぬように気を付けながら、その糸を摘んで引っ張ってみた。確かに、弾力はあるが、引きちぎれない程でもないようだ。

「何か、がいる事は確かですよね。引き返しますか?」

 メナが問うと、リョウは首を振った。

「いや。ここで退いたところで、結局同じ問題に行き当たる」

「分かりました」

 メナとしても反対する理由は無く、歩き出したリョウに付いてその闇の巣窟に足を踏み出した。

 こんな事を言うのもなんだが、髪を短くして良かったと、そう思った。


**


 どれくらい歩いただろうか。

 何度目かの糸の網を突き破り、その下をくぐった時、リョウは何者かの気配を感じて口を開いた。

「待て。離れるな」

 リョウの言葉にメナは素直にそれに従って立ち止まり、言わずとも警戒するようにしゃがみ込んだ。リョウはそこに微かなメナの成長のような物を感じた。

「こう訊くのも馬鹿馬鹿しいが………何者だ?」

 リョウの声が今や水の枯れた水道内に響き渡る。感じた気配は二人、おそらくこの糸地獄を作り出した張本人だろう。どういう意図があるのかは分からないが、それがメナを狙ったものである可能性は高かった。

 暗がりに目を凝らすと、ぼんやりと奥の方に灯りが灯り、二人の人物が現れた。

 まず初めに視界に収まったのは、照明で黒光する四つの瞳。白地に四つの黒丸が並んだ奇妙な仮面だ。それは蜘蛛の複眼を思わせる造形で、よく見ると眉間の部分にさらに四つほど黒点があるのが見えた。

 それらは暗闇に不気味に輝き、その裏から絡みつくように伸びる視線は、確実にリョウの事を見据えていた。

 彼らのスラリと伸び、均整の取れた四肢は実際よりも彼らの背を高く見せたが、領域から感じ取れる感覚的にはそこまで身長は高く無いようだ。

 そして、その白い仮面に併せるかのように二人の頭髪は澱みない白色だった。

(白蜘蛛ね………)

 この場所に拡がった糸といい、それらには恣意的では無く、意図的なものが感じられた。

「………」

 リョウは二人から返答が無い事を察し「それはそうだろうな」と苦笑する。出てきたタイミングを考えれば、彼らがリョウの声を聞いていないとは考えられないので、おそらく意図的に答えないのだろう。

 そしてリョウは二人を障害となる外敵であると認め、腰の剣に手を当てた。回答しない、それが彼らの回答だ。

 リョウのそれに釣られて、二人もそれぞれの武器の柄に手を掛ける。それぞれ短髪の方が小柄な身体に似合うナイフ、長髪の方はその身に似合わぬ巨大な戦斧を手にしている。

(一先ず、奴らの手の内を探る事から考える)

 リョウはファーロに手を掛けたまま、魔法で自分の背後に落ちていた石ころを射出する。

 ビッ。

 空を切る音が耳の横を通り過ぎ、リョウの放った弾丸が長髪に肉薄する。

 ガィンッ。

 不意をついたつもりだったのだが、長髪は斧を無造作に振るい、それを弾き飛ばした。金属音と石が砕けて飛び散る断続的な音が地下に響く。

 しかし、その時にはリョウは次の行動に入っていた。自分のカンテラの灯りを消し、間髪入れずにまた別のつぶてを放つ。今度は短髪の方だ。暗所から放たれる飛び道具は、明るい場所からでは見え辛い。

 しかし、リョウは自分の領域で、それも避けられた事を感じ取る。

(魔法格闘、両方とも精度はそれなり。短髪の方は危機管理も上手いな、想定していたか? いや、それにしても………)

 リョウは周囲に飛ばせるものが殆ど無い事を感知していた。それはつまり、いざという時にメナを守る飛び道具が無いという事だった。いくら礫を高速で飛ばしたとて、質量が無ければあの斧は防げないだろう。先に砕かれたのを見ればそれは一目瞭然だった。

 飛ばせる礫が無い為に牽制もできず、近接を仕掛けるのもメナの元から離れるリスクを伴う。熱操作系の魔法はこの閉所で使うには不便が過ぎる。リョウが離れている間、メナに自衛させようにも魔法格闘を使いこなす相手を彼女に当てるのは、流石に荷が重すぎる。

「………やり辛いな」

 リョウはぼやいて、今度こそ、修理したばかりのファーロを引き抜いた。

 おそらく、この場は彼らが作り上げた狩場だ。リョウたちは文字通り蜘蛛の糸に絡め取られた獲物、という事になる。押すも引くも危険を伴い、そのどちらも突破には工夫が必要だった。

 リョウは思考しつつ、剣を構える。

 リョウが剣を下段に構えるのと、長髪の踏み込みは殆ど同時だった。

 リョウはそれを剣では受けず、身を捻るように横にずれてそれを躱わす。地面の石材にぶつかった斧から火花が散り、一瞬地下が明るく照らされた。

(加速………上手いな)

 軽々と重い戦斧を振り回す長髪の攻撃を自身も加速を駆使して上手くいなしつつも、リョウは短髪の方の意識を外さないように注意しなければならなかった。真っ先に接近戦を仕掛けに来たのも、あえて取り回しの難しい武器を振り回しているのも、長髪に意識を集中させる為だと踏んでいた為だ。

(本命は短髪の方だろうが………何をしてくる?)

 基本的にリョウは斧を避ける事に注力していた。しかし下がり過ぎないように、時に剣で弾くようにして押し返す。間違ってもメナに近付けさせない為だ。

 しかしそれは結果として、リョウが後手に回る原因となっていた。長髪の動きはリョウを以ってしても舌を巻くような精度であった。反撃に転ずるには環境が悪く、加えて意識を別所に裂いたままでは手が足りない。

 何度目かの攻防の末、長髪が大きく飛び退いた。

 仕切り直しと言いたい所だが、リョウにとって、状況は何一つ変わっていなかった。『追風ベニー』は決め手にも欠ける上、このメナを巻き込みかねないこの閉所では使い辛い事この上ない。『穿通ファーロ』で斧を破壊しようにも、貫くその瞬間に意識を割かねばならない為、この時間は使えないのだ。

(………短髪が想像以上に厄介だな)

 短髪は長髪とは違い、一見すると動きが少ないのだが、その実、その立ち位置がいやらしく、常に長髪に生まれた隙を潰す事ができるような動きをしていた。そして、ともすればメナの元へすり抜けようとする素振りを見せ、リョウの気を散らせている。リョウとしてはそれを防が無い訳には行かず、反撃時に水を刺されて動きを制限される形になっていたのだ。

 そこでリョウは、隙を見出す為に持久戦に持ち込む事を思案する。リョウの体力は『継承者』である事もあり、確実に目の前の二人よりも多い。

 しかし、リョウは未だに彼らが『彼らの魔法』を見せていない事が気にかかっていた。それは、リョウがいくつか切り札を持つのと同様に、彼らにも何かしらの隠し玉があるという事だ。『糸』に関する魔法である事はこの場の状況を見れば判るが、それすらブラフの可能性がある。

(糸を張っている事に意味があるのか、はたまた糸に意味があると思わせる為のブラフか………)

 そしてそれらを考えた結果、結局は多少の無茶が必要である事を悟る。いずれにせよ、このまま後手に回ったままでいるのは良く無い。

「『コギー』、借りるぞ」

 リョウは一瞬、意識を自身の内面に向け、その感覚を呼び覚ます。そして、『霞』の魔法を解き放った。その白い霞は一瞬で地下道を埋め尽くし、光源をも覆って光を遮る。結果として、その場は完全な闇に包まれた。

 視界に頼って動く存在にとってこの闇は致命的な障害となる。少なくとも人間は「見る事」にほとんどの感覚の比重を置いている。それはあの二人も例外では無い筈だ。

 リョウとてその影響を完全に逃れる事はできないが、彼は自身の領域が広い為、その内の出来事を多少は把握できる。これは大きなアドバンテージだった。

 だがそれは、彼らがその対策を持っていなければ、の話である。

(………クソ、誘われたか!)

 リョウは辺りが闇に包まれたのと同時に、彼らの気配が寄りそうように移動したかと思った瞬間、片方が刹那の間で全く別の場所へと移動した事を彼は察知した。

 視界が効かない分、位置は分かれど何をしているのかが分からなかったのがリョウに災いしていた。隙を作るつもりで、隙を作ってしまったのだ。

 リョウが突如現れた気配の元、メナの背後に駆け出そうと身体を捻った瞬間、視界が効かない筈の長髪が何故かリョウの目の前に踊り出てきた。

 確かに、この闇は目隠しとしての役には立っていた。実際、彼らの視界は殆ど奪われ、機能していなかった。しかし、それはリョウにとってもそうであるように、彼らにとっても障害足り得なかったのだ。

(よりにもよって探知と移動関連の魔法か………!)

 リョウはかろうじてその斧の一撃を受け、それを魔法で増した膂力りょりょくで弾き返す。そして宙に泳いだその斧を反撃の『穿通』で貫いて破壊する。

 それによって生まれた閃光と硬い金属片が飛び散るのを意にも介せず、リョウは振り向きざまにメナの背後にいる存在に向かって剣を投擲とうてきする。剣はリョウの魔法で加速し、辺りの霞を巻き上げて周囲を筒状に晴れ上がらせた。

 しかし、その一撃はメナの頭上を通り過ぎ、そのまま壁に突き刺さって止まった。

 その時には短髪はいつの間にか長髪の横に移動しており、メナからは離れていた。

 そしてそのまま二人は、おそらく短髪の方の魔法で音も無くその場から消え去った。まるで幻とでも戦っていたかのような空白が、そこに残った。

 リョウは壁に突き立った剣を魔法で引き寄せて鞘に戻しつつカンテラを灯し直し、しゃがみこんだままのメナの横に立った。

「無事か?」

 リョウは霞を解き、屈むようにしてメナの無事を確かめる言葉を掛けた。

「はい。大丈夫です」

 応えるメナはリョウが見た感じ至って健康体であり、切り傷の一つも無いようだった。

「お前の背後に奴らの一人が立ったが、何かされなかったか? 痛みは?」

 遅効性の毒針を警戒してそう問うが、メナは「全く」と首を振る。

 とりあえず、メナが急に死ぬような事は無いだろうと判断したリョウは、そこでやっと気の抜けた息を吐き出す。しかしそうなると、仮面の二人の目的が分からない。

(わざわざあの状況を作り出して、何もしていない?)

 それは、いくらなんでもそれは無駄が過ぎる。とするとあっさり退いた事から考えても、目的は達成していたと考えた方が妥当である。

 であれば、その目的とは何なのか。

「………いつでも殺せるという警告、か?」

 リョウは考えをまとめる為に独白する。

 しかし彼は、言った側から直ぐにそれを否定した。メッセンジャーにしては話さなさ過ぎる上に、あれだけの実力を持つ事から考えても、手の内を明かしてまで「警告」しに来るとはとても考えられない。

 そもそも、彼らの正体についても検討がつかない。メナが目的であったのかさえ判然としないのだ。

 仮にあれにシオが関わっているのだとすればあの段階でメナに何もしていない事は不自然で、あのタイミングならば少なくとも傷の一つは付けられたであろう。毒針でも使って毒を盛れば確実とは言わないまでも高確率で命を奪えた。

(分からんな。手がかりと言えば、あの仮面か)

「白蜘蛛………」

「白い蜘蛛と言えば、厄災の三獣の一体、白の災厄イラソーム・クロを連想しますね。彼らと何か関係が?」

 リョウがポツリと呟いたその言葉に反応して、メナが言う。リョウはそれに対して直ぐには応えず、ボリボリと頭を掻きむしった。

「………分からん。だが少なくとも、それを意識したものであるのは確かだ」

 煮詰まったと感じたリョウは今一度、この糸だらけの地下道を流し見る。

 しかし、そこからは糸が放つ魔法の残滓の他に何者の気配も無く、二人の吐息だけが相変わらず規則的に鳴り響いていたのである。


**


 メナはリョウに「離れるな」と言われてから起こった先の攻防の内容を殆ど把握できていなかった。

 暗闇であった事もあるが、それ以上に彼らの動きが早すぎたのだ。

 斧と剣による数度の剣戟の音が響いたかと思えば、次の瞬間には霞が空間を埋め尽くし、何も見えなくなる。そして次の瞬間に響いた破砕音と、頭上を何かが通り過ぎたような音と微かな衝撃があり、それに驚いて頭を上げた時には霞が晴れ、リョウにその安否を尋ねられたのである。

 メナが改めて見渡した霞の無くなった地下道には既に彼らの姿はなく、入った時と同じ白い糸で覆われた不気味な道が続いているだけだった。

 そして何やら呟いているリョウの放った単語に反応して、今に至る。

 何事も無かったかのように歩み出す彼はやはり最強の魔法使いなのだろう。メナは改めてそう思った。しかし、だからこそ、それと渡り合っていたように思える彼らが一体何者だったのかは気に掛かった。

(彼らも彼と同じ「継承者」なのだろうか)

 メナはなんとなく思い浮かんだそれを訊こうかとかと口を開き掛けるが、道の先に光を見つけた事でそちらの方に注意が奪われ、その質問はそのまま流されてしまった。

「出口、ですか?」

「ああ。だが、先のこともある、気を付けろ」

 リョウはそう言うが、正直のところリョウに気が付けない事にメナが気付けるとも思えず、彼女はそれに対して生返事を返す。そもそも、気をつけると言っても何をどうすれば良いのかを知らない。

 そうして光の元に近づいて来ると、外から活気の溢れる喧騒も聞こえている事に気が付いた。

 それは随分と久しく感じられるざわめきであり、クーデターが起きて尚も変わらぬ人々の活動の場がそこにある事を報せていた。

「………王族が殺されても、何も変わらず街は動くのですね」

 メナがしみじみと呟くと、リョウは見てきたように言う。

「国民は存外、政治には無関心だ。それが自分たちに直接、関わりがなければ尚更な」

 メナはそれに何故か強い説得力を感じ、何も言えずにリョウの後ろを歩いた。

 メナはずっと、政治に直接的な関わりこそ無かったものの、その渦中に居た。自分の些細な言動の一つが何かの要因となって、大きく物事が変わる。思えば、そんな事もあったような気がする。メナが未だにどこにも嫁いでいなかったのもその一つだった。そんな世界が全てであると、民衆はそれを支える為に、それを知っていて支持しているのだと、そう思っていた。

 しかし、あんな事があって城を抜け出し、民衆と直接触れ合いその生活を体験する中で、メナはそれが世界の一部を構成するだけのものであったのだと知ってしまった。

 自分は、小さな窓から外を眺めて、世界とはこんなものかと決めつけていたのだ。

 きっと、彼の言う通り、彼らはかつての姫だったメナという小娘の行く末など大して気にも留めていないのだろう。それは、カトチトァの村人たちがメナの事を全く知らなかった事からも確かな事に思える。

 しかし、そうであるのなら、何故メナはアントマキウスの姫として命を狙われているのだろうか。そこに「意味」はあるのか。

 メナはリョウが入り口と同じような竪穴の梯子を一段一段確かめるように登っていくのを眺め、その背中がどこか遠いもののように感じ、自問する。

(私は、このままで良いのだろうか?)


**


 メナが梯子を無事に登り終えると、そこはどこかの建物の中だった。

 屋根の無い壁だけの建物に差し込む傾いた昼の日差しが、メナのいる梯子を照明してジリジリと熱を発している。

 彼女はここが何処なのかが気になり、窓の外を覗き見た。

 この建物は、繁華街の裏手の路地にあるようで辺りに活気は無く、建物の影で薄暗い。湿気た石畳には緑色の地衣がへばりつき、排水路にはヘドロのような物が黒く変色して残り、異臭を放っている。

 遠くから聞こえる喧騒と、静かな裏路地。見捨てられたかのようなこの場所はどこかくすんだ色味で、不安感を煽るような雰囲気を醸し出していた。

「………ここは?」

「『貧困街』の外れだ。流石に貧困街を知らない事は無い筈だが」

「………実際に見るのは初めてです」

「そうだろうな」

 リョウはそう言うと、地下への穴を蓋で塞いだ。何故そんな事をするのかとメナが目で問うと、彼は「ここに住みつかれても困る」と、嘆息した。

 メナはそれを聞いて納得し、ここに屋根が無いのは意図的なのかもしれないと漠然と考えた。

 そして、リョウに次の方針に変更が無いのかを訊ねる。

「………この先は予定通りに?」

「予定通りだ。まずはこの場所を探す」

 リョウはそう言って紙切れを一枚、差し出した。

 それは湿気やら何やらでヨレヨレだったが、右端に小さく書かれた「王都」の文字と、そこに書かれた地図のようなものは問題無く読み取れた。それは単純な線と記号で書かれた簡素なものだが、目的を思えばむしろ小綺麗にまとまっていると言えた。

「この場所にその『私が狙われる理由を知る人』が居るんですよね?」

「私の予想が正しければ、の話だがな」

 リョウが話を切り上げ、もはや窓枠だけの窓を跨ぎ、外に出る。メナもそれに倣って窓を潜るが、彼ほどにスムーズにとはい行かず、少し手間取った。擦りむいたりはしていないので、自分の中では及第点といったところだ。

「行くぞ」

 リョウはメナがやっとの事で出てきたのを見て、早くしろと言わんばかりに歩き出した。

 メナは、もはやそう言った態度に殆ど感情が揺り動かされる事が無くなっている自分に多少の驚きを覚えつつも置いて行かれぬよう、小走りでその背中を追った。

 裏路地を抜け、明るい通りに出る。

 そこには活気にあふれた街の姿があった。メナが窓の内から見慣れた、どこか安心する王都の姿だ。

「念の為、フードは被っておけ。怪しいが確証を与えるよりはマシだ」

 思わず立ち止まって辺りを見渡していたメナだったが、いつの間にかメナの横に付いていたリョウの忍び声が喧騒を掻き消すように耳元で聞こえ、驚いて小さく跳び上がる。

「………ッ。驚かせないでください」

「惚けているからだ。ここがどこか、ちゃんと思い出せ」

 メナはそのもっともな忠告に絶句し、カトチトァの村で用意してもらった外套のフードで頭を覆った。少し蒸れたが彼の言う通り、この場所がどこであるかを考えれば必要な我慢だ。

 そして二人は人の流れをすり抜けるようにして通りを進んでいく。

 どこかの商人が引く大型の馬車の横をすり抜けた辺りで、リョウがメナの肩を叩き、横を指差した。彼女はそれに小さく頷いて道を横に逸れ、横道に入った。

 大通りに比べると人は少ないが、それでも人がいないと言う程でも無く、むしろこちらの方が人の顔を見る余裕があると感じた。

「お? お姉さん、美人だねぇ。どうだい、寄って行かないかい?」

 すれ違い様に声をかけて来る呼び込みの声を無視し、なるべく顔を見られぬように顔を伏せて歩く。

「どうせ大半はお前の顔なんて知らない。元から完璧に隠す事は考えていないのだから、あまり隠しすぎるな。逆に不自然だ」

 またリョウの声が聞こえ、メナは顔を上げた。とは言え、言うは易いがと言うものだ。意識するなと言われると、むしろ意識してしまう。

 だが、その悩みも直ぐに無くなった。今度は人を全く見かけない路地裏に入り込んだからだ。そこは初めの場所に似て薄暗い所だったが、あそことは違って小綺麗で多少は人の手が入っている形跡が見られた。

 なんとなく目的の場所が近づいている事を感じ、メナはリョウの事を見上げる。彼が言う人物とはどんな存在なのか、その断片だけでも感じ取れないかと思ったからである。

 しかし、その時垣間見えた彼の目はどことなく険しく、そして不安そうなものだった。

 それを見た時、メナは思わず見間違えを疑った。あまりにメナが持つリョウの人物像とはかけ離れたからだ。しかし、それは見間違いなどでは無かった。

 彼は、その時確かに緊張していたのだ。

 メナがその理由を知る機会は彼女が思いもしない程にあっさりと、そして意外と直ぐにやって来るのであった。


**


 安楽椅子に腰掛け、くつろぐゾークの部屋に、瞬きの間に現れた二人。

 老体のゾークはしかしそれにも慣れたもので、大した驚きもなくそれを受け入れた。

「戻りました、ゾーク様」

 そう言って、髪の短い方が彼に向かって頭を下げ、蜘蛛の仮面を外した。

「あぁ、インテネ。よく戻ったね」

 露わになった彼の青灰色の瞳はいつ見ても美しく、良質な宝石の様だとゾークに感じさせた。

 それが、彼らの白髪に非常によく映えるのだ。彼らのそれは自前のものであり、脱色している訳でも無ければ、粉を振っている訳でも無いと言うのがまたその価値を引き上げているとゾークは考えていた。

 そして、それを見ていると、ゾークが彼らを運用するにあたって、半ば思いつきのように用意させた仮面は、結果として正解だったと思う。彼らの素顔は別に隠している訳では無いが、その珍しい顔立ちは目立ち過ぎる。「仕事」の際には隠すようにゾークから言ってあった。

「………はぁ、なんなのあの人………死ぬかと思った」

 人懐こく報告をする兄とは異なり、妹のアミネは如何にも機嫌が悪そうにため息を吐いた。

 心底嫌そうに仮面を外して首を振るう長髪のアミネ。彼女の瞳もインテネのそれと同じ様な煌めきを放っているが、その目元の濃いくまがその美しさを減じていた。

「………話が違い過ぎる。………なんでアイツ、あの状況で私たち二人に対応できていたの?」

「アミネ。ゾーク様の前だ、少しは慎もう。とは言え、それについては僕も同感です。あの人、姫君の護衛についていた男、あれは只者じゃないなんてものじゃ済まない、化け物ですよ。………後一歩で殺される所だった」

 アミネが睨むようにしてゾークを睨み、インテネがそれを諭した後、結局妹に同調してゾークを詰るように言うが、彼はそれを甘んじて受け入れた。確かに、それについては彼に非があると言えたからだ。

「お前たちの目から見てもそうなのか? すまなかったね、老いさらばえた私にはそこの区別が付かんのだよ。私には、君たちもその『化け物』に見えるのだよ。それに、結果論だが、君たちは無事だった」

 インテネはそれに「そんなに高く見積もって貰っていたとは、知りませんでした」と頭を下げたが、アミネの方はあまり納得していないようで、唇が小さく「どうだか」と動いたようにも見えた。ゾークとしては彼らには協力してもらっているようなものなので、わざわざそれを見咎めるような事はしなかったが、彼女からの好感度が低い事は、ゾークとしては少し、悩ましい事でもあった。

(まあ、仕事をこなしてくれる内は気にする必要も無いだろう)

「それで、首尾はどうなんだい?」

 ゾークはある種の確信を以って彼らに訊ねた。彼らが戻って来たと言う事は、つまりはそう言う事なのだ。

「予定通り、とはいきませんでしたけど、何とか最低ラインまでは行けました」

 インテネの返答に、ゾークは満足気に頷く。

 アミネの方は相変わらずの顔色の悪さで俯いているが、それは兄の語る内容に異議が無いという事なのだとゾークは考えていた。

「それじゃあ、その時は頼むよ。無理をさせたようだし、今は、ゆっくり休んでおくれ」

 ゾークの呼びかけに同時に頭を下げた二人は、部屋から引き下がる。

 ゾークは誰も居なくなった部屋に一人、老骨に鞭打つようにして安楽椅子を立ち上がり、窓辺に立って外の景色を眺める。そして空に浮かぶ雲が風に流れて形を変える様をしばらく見つめた後、ニヤリと口角を上げ、手を二度ほど叩いて従者を呼んだ。

 状況は既に動き出している。

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