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鴉瞳の魔法使い  作者: てらじま
瑕疵と劈開
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1_驢馬が積荷を下ろせぬように

 メナが回復したこともあり、リョウが村を出るという指針を示したのが一昨日のこと、そして村から出るにあたって、その移動手段として馬車と御者を貸し出す事を村長ビレトが提案したのが村を出るにあたっての準備をしていた昨日の事だった。

 そして早朝、メナはまだ空の白い中、カトチトァ村の門前で佇んでいた。村はまだ活気がなく、養鶏の鳴く声と、鳥の囀りがやけに大きく聞こえる。そしてその中で、村長と何かを話しているリョウを見た。

 彼らが何を話しているのかは定かではないが、メナはそれを見て先日の話の内容を思い出した。

(まさか兄が関わっているとは………)

 未だ混乱する頭で一昨日の話を思い出し、メナはため息をついた。

 彼女は兄が何をしている人間なのか、正直なところそれをよく知らなかったと言ってもいい。

 幼い頃には弟と一緒に兄と庭を駆け回った記憶もあるが、物心ついた時から兄は自分にとって近くはない存在となっていたのだ。その原因はよく覚えていない。王族の長子としての公務の影響か、それとも自分が勝手に距離を置いていただけなのか、それすら今となっては思い出せない。だが、仲が悪い訳ではなかった、すれ違えば世間話くらいはしたし、時間がある時は家族で劇などの娯楽を共有する事もあった。他国の王族の話を聞く限りでは、相当に仲が良いと言えるはずだ。

 それでも尚、彼が良く分からない存在なのは、彼があまりに多くの事をこなしていたからに他ならない。本当に多くの事だ。政務、軍務、大きく括ってしまえばこの辺りが中心なのだろうが、メナが知らないだけでそれ以外の分野にも顔が利いた事だろう。

 そんな掴み所のない兄だが、一つだけ断言できる事がある。それは兄が特別優れた人間であるという事だ。何をやらせても十全にこなし、それを徒にひけらかす事はない。

 出来すぎている。王宮では多くそんな言葉が囁かれていた。それらは明確に、賞賛ばかりではなく、何か決定的な欠点を抱えているのではないかという危惧、恐怖、そしてその才に対する嫉妬などの感情を多分に孕んでいた。

 メナは当然それらを耳に入れた事が幾度となくあった。そして彼女は侍従などが話す兄の話に誇らしく思いつつも、彼女自身、それを聞く度に胸がザワリと掻き回されるような気持ちがしたのである。

 メナはふと我に返り、その感覚を思い出して胸元を軽く指でさする。今でもそれを感じる事に驚きはしたが、かつて程の強さはない事に少し安堵する。

 だが、それも当然と思える程メナの認識の上では、兄は完璧だった。

 強いて欠点を挙げるのだとすれば、兄は目立ちたがらなかった事だろうか。

 正直なところ、それが欠点と言えるのかはメナには判断が難しいところで、あるいは美徳なのかも知れない。そうであった場合は、兄の美点がまた一つ補強されると言う事になる。

 だが、とメナは思う。

 王族であり長男、おまけに誰もが認める優秀さを持つとなれば、順当に進む限りは次期国王である事は確実だ。故に、目立つことはある程度望まれる事でもあった。そして、その機会はいくらでもあった。しかし彼は意図してだろう、そうならないようにしていたのだ。少なくとも国民に知れ渡るような事はしなかった。仮にそうなる事をやった場合でも、その功績のほとんどは父のものとしていたのだ。父は半ば気味悪げに兄を見ていたような感じがしたが、自身に明確に益がある以上、それをわざわざ問題として取り上げることも少なかった。

 しかし、そんな兄でもあの時ばかりは彼の意思通りにはならなかった。

(あの日、リョウも兄のかたわらに居たという事だろうか?)

 メナはジュゲンが死に至る原因となった事件を思い出し、睨むようにリョウの横顔を見つめる。別に彼が悪いとは言わない、恨みがある訳でもない、それらは完全にお門違いだ。

 ただ、少し羨ましいのだ。兄と並び立てた、あるいはそれ以上の才覚を持つであろうあの男が。

 メナが兄の死を知ったのは、夕暮れ時だった。そろそろ夕餉ゆうげという時機に父の従者からの呼びかけが掛かり、母と弟も含めて玉座の間に集められ、それを伝えられた。

 詳細が父の口から告げられる事は無かったが、魔獣の討伐作戦中にその牙に倒れたと、そう聞かされた。当然、兄の死は大々的に国民に布され、英雄的な死であったと知らしめられた。

 故に、アントマキウスの臣民で「メナ」の名を知らずとも、兄の「ジュゲン」を知らない者はいない。その英雄譚は、父「アンデール」の名声を高める結果にもなり、父の治世はその後しばらく安定していた。

 魔獣、恐ろしい獣。メナにとって兄の死は、哀しい出来事であったが、同時に仕方がない事だとも感じていた。一体で村一つを滅ぼすことさえある存在。いかに兄と言えど、人間だったという事、そう思って安堵すらしていたのかもしれない。

 一昨日までは。

 あの男、リョウが自身の兄の知り合いであったどころか、その元で兵団の一員として従事していたという話を聞いた時に受けた衝撃は決して小さなものではなかった。

 だが、それは彼が兄の元に居たということに対してではない。メナは今や、あの才を無駄にするような事を兄やその他がする筈がないと実感していたからだ。彼女が仮に同じ立場にいて、彼のような存在を知っていれば、それを放っておく理由がない。

 確かに、それが兄の元だったという事に多少の意外感はあるが、兄の事を知っている以上、それは決して突飛な話ではない。

 しかし、リョウが兄の要望でメナを助けている。それは驚き意外の何ものでもなかったのだ。

 なぜなら、彼は五年前に死んでいる。その上、仮にリョウの主張が正しいのだとすれば、兄はメナが危機に晒される事を知っていて、ともすればギノーやドウカイ、イシタカ達三人が犠牲になる事をすら予定していた・・・・・・人物、という事になるからである。

(もし本当にそうだとして、私は、誰を………?)

 メナは彼から目を逸らし、足元に目を落とす。貰い物の革靴の褐色が地面の色と馴染んでいる。城から逃げ出した時の履き物はとてもじゃないが歩くのに向いているものとは言えなかった。

 その靴で歩き出す。顔を上げると、リョウとビレトがこちらに気づいて顔を向けたのが見えた。

「どうした?」

 村長がメナに対して声をかけた。

 彼女は彼に声をかけられて、特に理由があった訳ではない事に気が付いた。

「………いえ。いつ頃発つのかと思いまして」

 なんとか捻り出した意味のない言葉。

 村長はそれを受けてリョウに目を向けると、リョウは「直ぐだ」と答えた。

 それはそうだろう。メナはそう思い、わざわざ返す言葉も無く、黙り込む。

「………それでは村長、急かされた様なので出ます」

「はん、そうかい。おーい、御者シャロロさん。分かってると思うが、なるべく目立たないようにお願いしますよぉ」

 村長が今回、彼女たちを乗せる為に手配した馬車の御者、シャロロは完全に髪の白い、皺だらけの老人であった。長年の日焼けでシミだらけの顔に、ヨボヨボに垂れ下がった頬、見るからに老人といった風体の男だ。

 メナは物珍しさから、初見時にはまじまじとその姿を観察してしまった。この歳になるまで生きている人は珍しい。それは素直に尊敬すべき点であった。

 しかし、その珍しさはさておき、彼が今回馬車を運転するのだという事はメナにとって不安の種であった。

(………本当に大丈夫だろうか?)

 村長の言葉に答えて、ゆっくりと手を上げるシャロロを横目にしつつ、メナはリョウに訊ねた。

「本当に王都に向かうのですね?」

「変更はない。お前が狙われている理由、そして運が良ければ、どうすればそれらを解消できるのか、その方法もまとめて得られるやも知れん。奴は、それに関して明るい」

「危険は? そもそも、支配者が変わる触れが出された以上、私の事は諦めたとも見られませんか?」

「既に言ってある筈だ、危険は織り込み済みとな、奴がお前を殺すのを諦めたとは、私は思わない。そうでなければあんな曖昧な『手紙』にはならない」

「また『手紙の予言』ですか? 私が言うのも何ですけど、それはどこまで信用できるんです? 口ぶりからすれば記述が少ないのでしょうけど、それはあなたの想像、と言う事ではないですか?」

 幾度も聞いた事ではあったが、彼は話す気がないのか「さあな」と、その度にぬらりとわす。

「俺も手紙、と言うか王子様については知りてぇなぁ。『予言の魔法使い』なんて、まるでおとぎ話じゃねぇか」

 村長がメナに助け舟を出すようにリョウを牽制するが、対応は変わらなかった。

「知りたいも何も、奴は『予言の魔法使い』、未来が見える人間だった。これが全てでしょう? それ以外に何を話せと言うんですか」

 リョウは話は終わりとばかりにシャロロの待つ馬車へと歩き出した。

 メナはその後ろ姿を見ていたが、彼が何故ここまで兄について語る事を渋るのか、それがそこから分かる事は無かった。

(あなたは手紙が無ければ、きっと私を助けなかった。なら、もし、その手紙の解釈が間違えている事に気が付いたのだとしたら?)

 メナはその先を考える事を止め、村長と少し顔を見合わせてお互いに苦笑した後、追いかけるように彼女も馬車へと向かう。

 ここ数日の間で、村長とその奥さんとは友好な関係を築く事ができた。それは偏に彼らの人柄に依るものだろうが、その暖かさは、メナの傷心には有難い支えとなった。きっかけはリョウの発破であったとは言え、こうして人と笑い合えるようになったのは彼らの働きが大きいとメナは自覚している。

 そしてだからこそ、少し不安でもある。

(彼らにもしもの事があったら………)

 一朝一夕で根付いた思考の回路は切り替わるものではない。理屈としては理解できていても、勝手にそれらは想起され、心を揺り動かす。メナはその不安に押しつぶされそうになった時、あの時のリョウの言葉を繰り返し唱える。気に入らないが、今のメナにはその言葉が妙に腑に落ちたのだ。

(最終的に得られるものは、一番望まないもの)

 そうならない為に。

「ところで、あなたの力の秘密を教えてくれるという約束だったと思うのですが、いつ話して下さるのですか?」

 メナはリョウに追いついてその隣を歩きつつ訊ねる。

「………そんな話もしたな、そう言えば」

 彼は事も無げに言うと、馬車に乗り込んだ。多くはないが確実に空間を圧迫する荷物を足元によけ、メナが座る場所を作る。メナは素直にそこに足を踏み入れ、腰をかけた。多少古臭く、硬い座席で得も言われぬ抵抗感も多少はあったが、文句など言える立場ではない事を彼女は理解していた為、黙ってそれを享受する。そのうち慣れる事を期待しよう。

「まあ、馬車とは言え、時間はかかる。多少の事はそこで話してやろう」

 メナが席に着いたのを見計らっていたのか、リョウは落ち着いた彼女に向けて、渋々といった様子でため息を吐いてから言った。

「何の話をしている?」

 村長が二人の乗った馬車の脇から疑問を投げかけ、リョウはそれに「少し、取引があったんですよ」と、苦笑気味に言った。

 前々から思っていたが、彼の村長に対する態度は、自分に対するそれとは大分違う。こんな風に笑うのかと、少し意外な思いでその横顔を見ていた。

「それでは、いろいろありがとうございました。………分かっているとは思いますが、くれぐれも警戒は怠らないように。別にこちらの事を気にする必要はありませんし」

「分かってる。お前らも気を付けろよ。まあ、お前が居るんだから大抵の事はどうとでもなるだろうがよ」

 リョウは村長のその言葉に今度こそ本当に苦笑いして「それじゃあ」と別れを告げる。そしてシャロロに声を掛け、馬車は進み出す。

「姫様、リョウを頼むよ」

 去り際に村長の声がメナに届く、それがどういう意味なのかを考える間も、村長に答える間もなく、馬車はガラガラと村を離れていった。

 何となくモヤモヤとした気持ちを胸に抱え、メナは空を見上げる。

 今日は天気が良く、旅路は順調に行きそうだ。


**


 馬車はつつがなく山を下っていく。

 何となく気まずいような沈黙が馬車の上にはあったが、それで敢えて話題を探す程、メナは彼を知らない。馬車の縁に頬杖をつき、悶々とした思いを抱えながら、望洋と次第に青くなっていく空を眺めていた。

 しかして沈黙は続くのだが、結局その無形の居心地の悪さを打ち破ったのはメナでは無く、リョウであった。

「お前、『魔法戦闘ラアエ・バータジュクニータ』について、どれだけ知っている?」

 ガタガタと車輪の揺れとその音で、彼の言葉は微妙に聞き取り難かったが、かろうじて掴みとったその言葉を何とか解釈して、メナは「少し」とだけ答えた。

 『魔法戦闘』は文字通り、魔法を使った戦闘技術のことだ。現在のアントマキウスの軍隊で実際に使われているもので、形式化されたこの技術は正式な兵隊の実力を、一定以上に引き上げることができるとして、大々的に取り入れられている。これを実際に取り入れて以来、兵隊の生還率は段違いに変わったと聞く。

 そして実際、ドウカイやセジンカグに教わって、メナはこれを基礎的な部分をかじっていた。

「少し、とはどの程度だ? 『多重展開』はできるのか?」

「出来ない事はないですが、実用に足るほどでは………」

 メナは答えつつ、まさかこれが強さの秘訣とでも言うのではないかと訝しんだ。彼女が知りたいのはそんな事ではない。これは言ってみれば、一般的な強さの秘訣だ。

「………言っておくが、お前が知りたい事を理解するには、ある程度の実力が必要だ。少なくとも『多重展開』程度は楽にこなせなければ話にもならない」

 何か言ってやろうかと口を開きかけたところで、先にリョウがメナの思考を読んだかのように割り込んだ。思わぬしっぺ返しを喰らったメナは「ぐ」と妙な声を漏らして黙り込んだ。

 馬車が走る音でその声がかき消された事は、彼女にとっての幸運であった。

「………理解はできずとも、口頭で概要なら説明できるのでは?」

 少し黙考して、苦し紛れだが、それでもメナは食い下がった。そこで彼にいい伏せられる自分を許せなかった。

「………わかった。教える。だが、先に言っておく。これはお前が望むようなものじゃない」

 彼は、車輪が立てる騒音の中でも分かるくらいに大仰なため息を吐いてからメナに釘を刺した。その言葉は何となくメナには嫌な響きを感じさせたが、今更聞きたくないとも言えず、メナは頷いた。

「まず第一に、私は『継承者』だ。お前ならおそらく、この意味は分かるだろう?」

 リョウは何てことはない様子で述べるが、メナはそれを聞いて息を呑んだ。しかし、冷静になって考えれば、それは真っ先に考えられるものであったと彼女は反省する。なぜその可能性に思い至らなかったのかと。

「他者の魔法を取り込み、活用する、禁術ですね」

 メナは心を落ち着かせる為に息を吐き、リョウに確認のための言葉を投げた。

「まあ、大まかに言えばそうだ。では、なぜ禁術なのか?」

「魔法を失った人間は、その魔法と共にその『意思』をも失うからです」

「足りない」

 リョウはまるで宮廷の家庭教師のように腕組みをして、メナの方を見もせずに言った。

「勿体ぶらないで下さい」

 リョウがメナのさらなる回答を求めるような素振りをしたので、メナは彼をひと睨みして答えをせがんだ。

「………それに加えて、継承者自身の精神が崩壊するから、だ。お前の回答も確かに禁術になる理由付けとしては重要な要素だが、お前の場合、意思を手放した者が被害者であるという先入観でそう答えただろう? それだけじゃ足りない。 まあ本来、禁術の概要を知る者は少なくあるべきで、そう言う意味ではお前の方が正しいのかも知れんが………」

「………」

「確かに、それは間違いではない。だが、実際は意思を継承するというのはそう単純な話ではない。特に人間同士の場合、意思の継承には往々にして両者の同意………が一番近いな、それが基本的には必要になる。つまり、意思を手放す側は継承者に対して反目していない事が条件という事だ。それは逆であっても同じ事が言える。先も言ったが、継承者自身にも危険性が大きい。突然自分のものとは別の『何か』が入り込むんだ、拒絶反応の一つや二つ、あって当然だ」

「………なるほど。『私が望むものではない』その理由は分かりました。しかし、納得はできません」

「私が居るから、か?」

 リョウの一言に、メナは首肯する。

「あなたはまず、自分がその『継承者』であると述べています。こういう事を言うのも癪ですが、あなたは私から見て、破綻した人間ではないように思えます。………少なくとも物事を選ぶ際の筋は通っている。何か、抜け道があるのでしょう?」

 リョウは組んでいた腕を解いて、何やらヒョイと指を動かした。

 すると、それに合わせて道から何かが飛来し、彼の手に収まった。

「それは、お前がこれが出来るようになれば、話そう」

 そう言うと、彼は手元をこちらに向けると、そこに握られた小石を浮かせ、手の周りをくるくると漂わせ始めた。メナは澱みないその小石の動きの美しさに思わず感嘆する。そしてそれ以上に、それがどれ程難しいものかを理解出来ない程、魔法に無知な訳ではなかった。

「話す気はない、と言う事ですか?」

 それを世間話をするかのような気軽さでやってのけるリョウに対して嫉妬に焼け付くような思いと悔しさに身を焦がしつつも、メナは努めて理性的に・・・・彼を睨みつけた。

「違う。言っただろう、理解にはある程度の実力が必要だと。ここまでとは言わん、三周でもできれば水準には届くはずだ」

 リョウはそう言うと、石をメナの目前に漂わせ、メナがそれを掴むまで待った。

 それは、練習すれば出来るとでも言っているのだろうか。

「………嘘なら恨みますよ」

「好きにしろ」

 メナはひとまずそれで、納得はしないまでも引き際と見て引き下がった。

 そして、彼がやったように小石を浮かせようと試みる。手の平の上で静止させる事はできるが、動かす事はできない。しばらくそのまま力んだように小石を見つめていたメナであったが、プツリと途切れた集中と共に、彼女の腿の間に小石が落ちる。

 やはりと言うべきか、その難しさと自分の才能の無さにため息を吐く。

(本当にできるようになるの………?)

 絶望にも似た暗い感覚が胸に広がるのと同時に、居た堪れなくなった彼女は何となく逃げ場を求めて外を眺めた。

 そして、あの場所を見た。偶然だ。

 陽の下で見るその景色は、あの日のそれとかけ離れている。青々と茂った草葉の群れ、風と共に靡く緑光の波。しかし彼女は、その奥に焼け焦げた跡が残る葦原を持つ河原の姿を認めた。青々と茂った草葉の中にぽっかりと穴のように拡がる空間は、彼女から抜け落ちたものをたたえて残されているようだった。

 今メナは、あの場所へと戻っていたのだ。彼女が一人となった、あの処刑場へ。

「ここ、は」

 メナの口から漏れ出たうわごとは、しっかりとリョウの耳にも届いていた。

「………言っておくが、止まる予定はないぞ」

 仮眠でもとっていたのか、上体を崩していたリョウは半目でメナを流し見て、先んじて彼女に釘を刺した。もしかしたら、彼がメナに課題のようなものを与えたのも、これから気を逸らさせる為なのかもしれない。

 しかし、メナは飛び降りてでもその場に向かうのも辞さない覚悟で、馬車の御者に叫んだ。

「シャロロさん、止めてくださいませんか!」

「へぇ? なにかあったのかい? ちょっと待ってな」

 彼は、ことのほか簡単に彼女の言葉を受け入れ、馬車を減速させていく。

 身体を起こしたリョウが呆れ気味な表情でメナを見て何かを言いかけるが、メナはそれを遮って言い返した。そこには、今の事だけではなく、今までの鬱憤も含まれていた。

「言っておきますが、私は飛び降りてでも行きますよ」

 リョウはしばらく押し黙った後「わかった」と、観念したように髪を掻き上げ、止まった馬車から身軽に飛び降りる。

「大丈夫だとは思うが、一応、お前の方でも警戒はしておけ」

 覗き込むようにしてメナにそう言い残し、彼はシャロロのもとへと歩いて行った。これは、彼も付いて来るという事だろう、少し鬱陶しい気もするが、自分の立場を考えればそれは我慢するしかない。

 メナは、座りっぱなしで凝り固まった足腰を慣らしながら立ち上がり、ゆっくりと馬車を降りた。鼓動が早い。

 その頃にはシャロロに話を通したのであろうリョウが戻ってきており、メナはそのまま目的の場所へと向けて歩き出した。その後ろを殆ど音もなくリョウが付いてくる。あれだけの力を持つ存在からここまで何も感じないと、逆に緊張するのだなとメナは新たな発見をした。

 発見ではあったが、別に気分は良くなかった。だがそれは、これから向かう場所が尚更にそういった気分を増長させているのだと思った。

 進んでいく、長く伸びた葦の原を掻き分け、その場所へ。進むにつれて鼓動は尚更に高まり、痛い程になっていく。そこは、彼らが死んだ場所だ。

 目の前が開ける。目的の場所に着いたのだ。メナはそう確信して、少し覚悟を決めた。

 そこには燃えた脚の茎以外、目立つようなものは何も残されていなかった。

 少しでも何かが残っている事を期待したのだが、草が放つ青っぽい臭いの他には何も感じられない。

「何も残っていない………」

 メナは落胆と少しの安堵が混ぜこぜになった呟きを漏らし、その場にしゃがみ込んだ。途端に土の湿った香りが鼻をくすぐった。

「オクホダイ家の『掃除屋』が絡んでいるんだろう。道の整備もそうだが、ああいったものを片付けるのも奴らの仕事だ。満足したか?」

 リョウはメナとは違い、この場所に対して何も思う事が無いのだろう。もうここに止まる意味は無いと言わんばかりに言う。

「………待ってください」

 メナは確かに、この場所に彼らの痕跡の一つや二つ、残されている事を期待していた。それは彼らの身体がそのまま残されているとか、そう言う事ではなく、身につけていた物の一つでも残されていれば、という希望的なものだ。

 現実には、ここには何も残されていなかった。彼らが居た事実も、メナのために死んでいったという過去も、全てが無かったかのように掃き捨てられている。

 メナは腰に携えた細剣を鞘から引き抜く。

「………何をしている?」

 それを見咎めたリョウが問うが、メナはその時にはそれを煩わしく思うだけで、別のことに意識を向けていた。

「………神よ。私の身片を捧げます。どうか、彼らに御身の恩寵をお与え下さい」

 メナは祈りの言葉を呟くと、一息に息を吸い込み、左手で後ろ髪を肩の前に引き寄せた。

 右手の細剣によって刈り取られた髪の一部が、ハラハラと風に流され散っていく。それらは刹那の間、光を照り返し、白い光の粒子のように宙を漂った後、すぐに見えなくなった。

 ノコギリを使うかのように乱暴に後ろ髪を切り落とし、それを左手に握った状態でメナはリョウを振り返った。文句はあるか、と。

 彼はしばらくそんなメナの事を見ていたようだったが、不意に目を逸らしてため息を吐いたかと思うと、その場から立ち去った。それがどういった感情に依るものなのかは分からなかったが、余計な視線が無くなり、メナはより集中して祈る事ができた。

 哀しみは消えていない。ただ、それを抱えたままでも動く事ができる理由を見つけただけだ。

 それは過去との決別、悲壮の封印だ。だからその前に、せめて。

「せめて、あなた達を弔わせて欲しい。ギノー、セジンカグ、ドウカイ」

 届く宛てのない言葉を囁き、切った髪を河に流す。

 それは自分のための行為だ。死者は死者、彼女は死後の世界を本当に信じている訳ではない。

 だが、自身を押しつぶさんとする程の大きな後悔が、自分だけが生き残ってしまった、助けられてしまった罪悪感が、少しでも精算できるように。そして仮に、本当に死後の世界があるのだとすれば、その時は私の祈りが届いている事を切に願う。

「私は、絶対に生き残ります」

 河に流れる髪の束は、その流れで散り散りに拡がっていく。拡がって薄れる、そして最後には何も無かったかのように川底へと呑まれ、沈んでいった。


**


 馬車に戻ると、リョウは既に戻っており、縁に寄りかかるようにして目を閉じている。

「すみません、お待たせしました」

 メナが謝罪を口にする、その一瞬前にリョウが目を開き、彼の黒目がメナに向いた。相変わらずその黒曜石のような瞳は不思議な光を湛え、感情は読めない。しかし少なくとも、怒ってはいないだろうという事は感じ取れた。

「今度こそ満足したか」

「はい」

「そうか、それならいい」

 そしてリョウはシャロロに声を掛け、馬車が走り出す。

 王都までの道中、それ切りで会話は無く馬車は進んだ。しかし、そこに最初の頃のような気まずさは無い。

 その沈黙は、少なくともメナにとって必要なもので、手持ち無沙汰な時間では無かった。

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