3_私は、泥濘に照り返る光を見た
「あの子、何も食べていないし、話さないのよ」
リョウが二日ぶりに村長の宅を訪れると、ジーナが困ったような顔をしてそう言った。
イシタカと話をした後、リョウは色々と思うことがあった為、直ぐに自宅に戻っていた。自身の領域内に不審な気配が入り込むことは無かったとは言え多少の不安はあったが、外部からの干渉はないだろうと割り切ってのことだった。しかし戻ってきてみれば、危惧していた部分とは別の問題が顕在化していたのである。
リョウはメナが「動かない訳ではないし、水はとっている」ということを聞き、彼女が完全に参ってしまった訳ではないと、少し安堵した。これで完全に壊れられた日には、もう彼にはどうしようもない。現状でも心を開かせるには手札が足りない感はあるが、そこは実際に接してみないことには判断がつかない。今はとりあえず、やってみる他ないだろう。
「お父さんにも反応しないし………あなたならどうかと思うのだけれど」
ジーナは救いを求めるようにリョウを見やる。元々リョウが面倒を見てもらっている側だというのに、彼女はすでにメナに対して情が移ってしまっているらしい。
「いや、むしろ面倒を見てもらって、有難いですよ。本来、そこら辺の対応もこちらがやるべきでしょうし。………正直、解決するかは分からないですけど。あとはこちらで色々やってみます」
ここであたかも依頼を引き受けたかのように返すのも変だと思ったリョウは、あくまでも自分が彼女に対してお願いをしていて、世話をして貰ったことに感謝しているということを伝えてから、彼女の提案を受け入れた。この意図が彼女に伝わるかは分からないが、彼の心情的にはこうしておいた方が後腐れがなくて良い。
「お願いね」
ジーナはそう言って、メナが滞在する部屋へと続く階段の脇から立ち去った。
そしてリョウは領域内にメナの気配がちゃんとあるのを確認し、それから階段を登り始めた。そして部屋の前の扉に立つと、他の部屋に比べると少しばかり小洒落た木扉を軽く叩いた。乾いた音が部屋の内部に響いたことを彼は感じ取るが、それに対する直接的な反応は無かった。しかし、リョウは部屋の中のを見ずとも、部屋の主人が寝具の上で身じろぎをしたのをはっきりと感じ取った。
「入るぞ」
声を掛け、リョウは部屋の中に踏み込む。カーテンで締め切られた部屋は窓が小さい廊下以上に薄暗く、闇の残滓が籠っているかのようであった。あるいはそれは、彼女の内面を映し出しているのかのようである。絶望的で救いがなく、進むべき道も逃げるべき場所も見えない、そんな内面を表しているのかも知れない。
「日は浴びろ。沈んだ気分が尚更沈む」
リョウは容赦無くカーテンを全て開け放ち、部屋に光を取り込んだ。一気に光が差し込み、部屋が昼間の明るさで白く輝いた。当然それらの光は、メナが寝る寝具の上にも降り注ぐ。
「………」
メナは一度、顔を顰めてリョウに抗議するような目線を送ったが、何かを言うことはなく、結局泣き寝入りのように布団に顔を埋めた。彼女は成人しているはずなのだが、その様はまるで子供のようだった。
「何も食べていないそうだな」
リョウは部屋に置かれた丸椅子を手で引き、メナの寝台の横に置いてそこに座った。
彼の行動が予想外だったのだろう、一瞬だけ覗かせた赤らんだ目元は、驚きで丸くなっていた。しかしその目も、リョウの視線を察知すると、布団の陰に隠れてしまう。
リョウは彼女から明確に拒絶されていることを理解していたが、敢えてそこから動くことはしなかった。ひょんなことから、現状、二人には悠長に構えていられる時間がないのだと知ったが為だ。
「私は正直、急ぐ必要はないと考えていた。お前が何者から逃げているのかも、どうしてそうなったのかも、今すぐに知る必要は無いと思っていた。どうせ王宮のいざこざだろう、とな。だから聞かなかったし、今も正直、聞きたくはない」
リョウは自分とメナの置かれている状況について、彼の考えを正直に話すことにした。切りの良いところで言葉を区切り、リョウは彼女の反応を待った。しかし相変わらず、返事や相槌の類は聞こえてこない。
「………だが事態は変わってしまった。私の目標、延いてはお前の命の為には、正確な情報が、いる」
リョウは、彼が今日この部屋にやってきた理由を述べると、そこでまた間を開けた。それと同時に、長い沈黙が続くことになった。
相変わらずメナは、リョウの視線から逃れるかのように顔を見せない。気配を消すかのように声も出さない。まるで苔を枕に川底で眠る亀である。
正面からは崩せないと判断したリョウは別の角度から言葉をかけることにして、質問を変えた。
「何故、誰とも話さない? もしやとは思うが、お前、自分と関わると不幸になるとか、そんな事考えていないか?」
リョウは至って静かに語りかけたはずだが、メナが驚いたように身じろいだのを彼は見逃さなかった。
「(図星か)確かに、お前の従者は死んで、それは『不幸』かもしれんな。自分だけ生き残ったのだから引け目もあるだろうさ。それで? お前も死にたくてこうしているのか? それなら、食べないよりは、飲まない方がいいぞ」
リョウは踏み込みすぎないように注意しつつ、しかし反応を引き出せる効果的な道具を探して、煽るような言葉で問いかける。こればかりは人の心が関わる問題で、魔法でどうにかなる物ではない。彼にはそれが少しばかり、もどかしい。
「………違います」
リョウの予想に反して、メナは意外に早く反応を返した。布団の中でくぐもり、消え入りそうな声ではあったが、返事には違いない。
「何がだ?」
リョウは折角まいた火種を絶やさぬように問いを重ねたが、それに対する応えはない。あるいは、彼女自身もそれに対する解答を持っていなかったのかも知れない。反抗期に親やそれに近しい「自分」を知る存在に対して無性に腹が立つように、彼女は今、リョウという男に自分の「領域」を踏み荒らされたことに対して拒絶を示している。それは正の方向性を持つものではないが、ある種の力を彼女に与えたのである。
そして、リョウは思う。メナはきっと心奥では答えを見ているのだ。数日前のリョウがそうであったように、それらは盲点に入った手紙の誤字のように、するりと視界から抜け落ちてしまっている。そして、見えたとしても記憶の像が詳細な映像を以って想起できないように、その形を正確に言い表すことができないのだ。
しかし、それらは彼女が思う以上に行動に現れている。
彼女は今、あれから他の誰にもしなかったことをリョウにしようとしている。それは絶望の泥濘から抜け出すための光への渇望であった。泥を固め、崩し、抜け出す為の足場、熱を生む光を掴まんとしている。
折角生じたその兆しを、リョウは逃すつもりはなかった。リョウには彼女を助ける必要がある。それは「あの手紙」に書かれていたから、それ以上のことはない。そうなることがあいつに望まれているからに過ぎない。しかし同時に、それは彼自身の縛りであり、ある種の運命であるとも言えた。きっとリョウにはこれから先も、過去の残影を打ち捨てることなどできないのだ。
「違うというのなら、なぜ誰とも話そうとしない? 答えられないか? これは偶然だが、私はお前のような人間を知っているよ。それが辿った結末もな」
リョウは返事がないのを承知の上で語り始めた。普段なら誰にも話さないような話だ。なぜ急に話す気になったのかは彼にも分からなかったが、少なくとも彼女を説得する為の行為であることに違いはなかった。
「そいつも同じように人を避けた。ところがその時には既に事態は悪くなる一方。最終的に得られたものはそいつが一番望まない結果だけだ」
リョウは話しつつ、自虐的な苦笑が湧き上がるのを感じた。まるで今の自分のようではないか、と。説教をしているつもりで、実際には誰へ向けた言葉なのだ? リョウにはその判断がつかない。しかし、一度話し始めた以上、彼にもそれを止めることはできなかった。
「そして、全てが終わった算段になって、そいつはやっと気づいた訳だ。自分の影響力など、そんな程度のものだったのか、とね。滑稽なものだろう? お前もその道に片足を踏み込んでいる」
リョウは今度こそ口元に冷笑を浮かべ、そう締め括る。メナはその顔を見ていないが、その雰囲気は伝わったのかも知れない。彼女は一言、小さな声を発した。
「それは、あなた自身の事ですか」
そこには疑問というよりも確認といったような意味合いが感じられ、リョウはそこでふっと我に返った。そして、はぐらかすように「さあな」と吐き捨てるように言う。
「そう思いたければ、そう思えばいい。それがお前にとってどう意味を持つのかは知らんが」
怪我の功名。なんにせよ、それによりメナの造った壁が少しだけ低くなったと、リョウは感じた。自分から問いかけをするという時点で、先ほどに比べれば会話の意思がある。
メナはまた黙り込むが、リョウが何も言わずにいると、自分から口を開いた。
「意味は………いずれにせよ………、私は、あなたとは違います」
考えがまとまりきっていないのか、その言葉は途切れ途切れで、それが彼女の思考の状態を表しているようだった。さまざまなことが断片的に転がり、干渉し、思考の邪魔をする。そしてその散漫な思考が彼女の思考をさらに暗く鈍い物へと変えていく。
だが、話すことはそれらを纏めることに役立つ。
「どう違う。私たちは同じ人間だ」
「………私は姫です。王族です。立場が違う」
「それで? 立場が違うとどうなる?」
「王族には、責任があります」
「責任など、誰にでもある。王族の特権ではない」
「より大きなものを、人々の命を私たちは抱えなければなりません」
「それなら何故ここに引き籠っている。責任を果たさなくても良いのか?」
「………」
「いや、もういい。それらは建前だろう。お前には、なんというか………支配者であろうという気概が感じられん。無理を無理で無くする気迫も、それを生み出す気力も意志も、お前には無い」
リョウはかつての友の姿を脳裏に浮かべ、彼女の言葉を遮った。
メナはそれに対して否定も肯定もしない。
「………まあ、これからのことを考えればそちらの方が都合がいいのかも知れん。王族であることさえ放棄すれば、お前はおそらく安全に生きていける。あるいは、それがお前には罪悪感になるのかも知れんが」
メナは相変わらず布団に籠ったままだ。それでもリョウは、この短い間に彼女に変化があったことを実感として受け取っていた。それは返ってくる返事の数にも、早さにも表れている。感情的ではあるが、全てを感情に任せている訳ではない。それは、彼女の明確な長所であった。
今ならば、この問いは彼女に届くだろう。リョウは先ほどよりも具体的な内容を以って、改めて彼女に問いかけた。
「お前は、私が思っている以上に賢いやつだ。それに、どうやらこのままでいいとも考えていないらしい。それなら、この状況はお互いにとって僥倖だろう? お前は自分が生き残る為に、私を使えばいい。私は自分の目的の為にお前に使われてやる。本来なら真っ平な話だが、選り好みができる状況ではない。お前は知らないだろうが、それも含めて話しをしようじゃないか。当面、私が知りたいのは、お前の暗殺を命じたのは誰だかだ。話してくれる気にはなったか?」
リョウは一息に全てを語り終え、口を閉ざした。これ以上、今の彼から言うべき事はない。
そして、リョウに対してメナが布団のうちで口を開いた気配を、リョウは目ならざる目で視ていた。




