2_レテラン・クロ_2/2
リョウは思わずそれに反応して顔を上げる。
「鳥の魔獣というと、どうしてもこれを連想してしまうよ」
リョウは鎌をかけられたのかと一瞬疑ったが、イシタカの様子からはそのような意図を読み取ることはできなかった。そもそも、彼の気質からして、そんな回りくどいやり方は考えられない。
そんな思いをリョウが抱いているとは露知らず、イシタカは話を続ける。
「『三災厄の英雄譚』の大一番、黒の災厄。災厄をもたらす怪鳥、黒い丘。最後に立つは一人の英雄。っとまあ、もしこの魔獣がそれと同じなら、今頃もっと酷いことになっているか」
「………お前が童話の類を知っているとはな」
リョウは苦労して揶揄うような笑みを浮かべ、イシタカを茶化すような言葉を吐いた。
「驚いたか? なに、うちの親父が何故かこの話だけはしたんだよ。柄じゃないのは理解してる。でもまあ、今はそれにも理由があるんじゃないかと思っているよ。例えば、三厄災が何かの比喩でも何でもなく、実際に起こった事実、だとかな」
リョウはイシタカが口では「ありえない」とは言っているが、その実、その存在を現実の問題として疑っていることを感じた。もしかしたらそれが、リョウをここまで連れ込んだ理由であったのかもしれない。あるいは、狩人としての直感が働いたのだろうか。リョウは密かに、普段は発揮されないイシタカの勘の良さに驚いていた。
三災厄の英雄譚は、誰もが知るおとぎ話、童話だ。しかし一般的には知られていないが、実はこのおとぎ話は、史実を基盤に形作られたものである。災厄と呼ばれた三体の獣、そしてそこに分かりやすい寓話を付け加えたものが今の『三災厄の英雄譚』と呼ばれる物語である。強大な三体の魔獣を英雄たちが撃ち倒していくという分かり易い話だ。その災厄と呼ばれた魔獣の脅威は創作の類であると捉えられている為、真面目に考えられることは少ない。しかし事実としてそれが実在するのだと周知された時、その脅威は初めて御伽話の枠を超えて考えられる。そして、その物語という色眼鏡がなくなったその脅威が、どれだけ恐ろしい物であるかに気がつくのだ。
リョウには「災厄の獣」が実在するとなった時に、村中に広がる動揺が並の魔獣の比ではないということは想像に難くなかった。そしてそれはいずれ、村の外でも伝播していく大問題となるだろう。
だから、という訳でもないが、リョウは少なくとも今はイシタカにさえもその可能性を示唆することを言いたくは無かった。彼が正直な性格であるからこそ、特にそれを知る村の住人たちは彼の言葉に強く影響を受けるだろうことが自明であったからだ。
「まあ、『三災厄』の話が事実かどうかはともかく。霞猿を襲った個体についても今は何とも言えないな。ただの鳥の魔獣である可能性の方が高いくらいだろう?」
リョウは取り敢えず当たり障りのない言葉を選び、さり気なく話を三災厄から元の話題に戻した。イシタカも特に疑問を持った様子はなく「そうだな」とそれに首肯し、背もたれにどっかりと背中を預けた。
「とりあえず、俺から言えることはこれまでだな」
「ありがとう。助かった」
リョウはイシタカに礼を言って、席を立とうと背もたれに左手を掛けた。しかし、それをイシタカが「まてまて」と押し留める。
「俺は頼まれたことを話した。今度は俺がお前に訊く番だ」
リョウは敢えて迷惑そうな表情を隠さず、言葉には出さずに難色を示す。しかし、こんなことで引き下がるほど、イシタカは殊勝な性格ではない。
「対価が欲しいのなら初めにそう言ってくれ」
「ちょっとしたことだ、そんな大層なものではないだろうが? 俺が霞猿を解体する、その見立てを話す、素材はこちらで貰う。その時点で報酬は十二分に貰ってるよ」
流石に几帳面なだけあって、そこら辺の勘定についてはきちんと考えていたらしい。ということは彼にしては珍しく、単純に好奇心で聞くことがある、ということだろうか。
「リョウお前、若い娘連れてきたらしいな」
リョウはそれを聞いて、驚愕より先に呆れで口が開いた。
一体どこから仕入れたのだ、その話は。
「………村長夫妻以外とは会っていない筈だが」
「ああ、違う違う。誰かが見た訳じゃない。ただ、若い女物の服が必要だって言うんで借りられないかって、声かけられた奴が居たらしくてさ。名前は言わんが」
リョウは、無駄に鋭い村民たちに改めて呆然とするような気持ちがしたが、今それを知れたのはむしろ暁光であったかもしれないと思い直した。変に隠していると思われる方が、後々面倒なになる。今流れている噂に、いつの間にか尾鰭がついて………と言うのが一番避けたいところだった。
「………そんで、お前も村に泊まっているしで、村長のとこに誰かいるんじゃねえかってな。その反応を見るに図星か」
イシタカが面白そうに言うのを聞いてリョウは降参だと言わんばかりに両手を上げた。そもそも顔に出してしまった時点で隠蔽は不可能だし、ここで無理に隠そうとすれば尚更怪しいだけだ。まさかイシタカから噂話の類が飛び出すとは思わなかっただけに、彼は虚を突かれた形になった。とは言えまだ、出来ることはある。
「一応俺もこの村では顔見知りの方が多いくらいだからな。変な噂は立てたく無かったんだよ、ただの人助けの一環だったんでな。危険なところを拾ったんだ」
リョウはつい先ほど考えた、でまかせでイシタカを誤魔化す。少し苦しいが、まさか事実を話す訳にもいかないので、嘘とは言えないまでも事実とは言えない微妙な境界線を攻めた。
イシタカの噂の出所は分からないが、これをそのまま流布してもらえれば、妙な噂も立たないだろう。
「そう言うことか。女っ気がないお前らしいな」
急にイシタカの言い回しと話の空気が変わったことが少し気に掛かり、ニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべるイシタカの顔からその原因を探ろうと試みる。
(………いや。考えるまでもないか。噂の件も、それなら合点がいく)
リョウは天井を仰ぐように首を逸らせて背もたれにのしかかり、ため息と共に「そういうことか」と呟いた。
「何がだ?」
イシタカが訊くが、リョウは答えるか悩む。結局、気づいていることを知らせる目的で、短く告げる。
「………お幸せに、とだけ」
つまりは、声をかけられた女性というのがイシタカと交流がある女性であり、その惚気話をするためにイシタカはリョウを引き留めた。そういうことらしい。
今までイシタカにその手の話は聞かなかったが、少なくとも今は元気そうで少し安心した。同時に面倒でもあったが。
「良く分かったな!」
「お互い様だ。………お前は分かりやす過ぎるが」
今までの自分を棚に上げるようなイシタカの態度にリョウは心底ウンザリして、天井を見上げたまま手を振って応えた。すると天井の木目の染みが顔のように見えた。それはリョウの心情を表すように、何とも言えない微妙な困り顔をしている。
「そんな捻てるから、いまだに女っ気の一つもないんだよ」
「余計なお世話だ。本当に」
本心だ。少なくとも今のリョウにはそんなことを考える余裕などない。訳を訊かれても困るので、余計な話の流れになる前にも早いこと話を切り上げたかったのだが、その手が思い付かず、リョウは後頭に両手を組んで眉根を寄せる。
しかし結果として、その時間はリョウには有用なものと変わった。まこと事態というのは思いもがけない事で推力を得て、坂を転がり始めるものである。
「まあ、連れてきた子が何者にせよ、少し気をつけた方がいいかも知れんぞ?」
またイシタカの空気感が変わったのをリョウは感じ取り、リョウは視線を下ろした。
「どういうことだ?」
リョウが問うと、イシタカは奇妙な話をし始めた。おそらくこの話も彼の恋人からのものなのだろう。そしてそれは、少なくとも現在のリョウには捨ておけない内容だったのである。
王城と、その城下町にまつわる最近起こった事柄。
揚々と語る彼の顔を見ながら、リョウは顔を顰めずにはいられなかった。




