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鴉瞳の魔法使い  作者: てらじま
亡花、薄明に咲く
37/93

1_明けぬ空に明星_2/3

 部屋を出たリョウが階下に下ると、台所から一人の女性が声をかけてきた。

「目覚めたのかい、あの子」

 彼女はカトチトァ・ジーナ。この村の村長の奥方だ。

 作業を中断した彼女は、手についたトウモロコシで作った白い粉を桶に溜めていた水を柄杓ひしゃくで大雑把に掬って洗い流すと、それを振り払いながらリョウの前に立った。

「えぇ。少しショックが大きいみたいですが」

 リョウは自分の顔にいくつか水滴が飛び散ったのを感じ、さりげなく手で拭う。

 リョウはカトチトァの村長と同様、この女性にもかなり世話になっている。

 彼女のおせっかい焼きは、もはや万人の母とでも言えるような領域に達しており、今のリョウの髪の毛を結えるように言ったのは彼女である。これに関しては、確かに一度結んでみると首回りが涼しく感じられ、存外に良かった。彼はほとんど無意識で魔法を使っているので、今まではあまり意識していなかったのだ。

 そんな彼女は、メナの素性を知らない。

「へえ、一体何があったのやらねぇ」

 彼女の当然の疑問に、リョウは「何があったのでしょうね」と、あくまでも他人事のように受け応えをする。別に彼女が信用できないという訳ではないが、知る人間は少なければ少ない方が都合が良かったし、余計な気を遣わせることもないだろう。王族、というだけで面倒ごとだと感じる人間は存外に多いものだ。都市から離れた村などでは特に。

 リョウの返事に幾分か訝しげな表情をした彼女だったが、八の字に曲げていた眉を今度は額に引き上げ「ところで」と笑うように言った。その切り替えの速さは、彼女の美徳の一つであった。

「目が覚めたなら食べ物持ってってあげなきゃね。もう一日半くらいは寝ていたんだもの。お腹も空いているでしょう?」

「そうですね、そうしてあげてください。あ、それと、水差しに水を足すのをお願いしてもいいですか」

「はいはい、お水ね。さて、栄養があるものを用意してあげないとね………お腹いっぱいになれば気もまぎれるでしょう」

 リョウはメナの世話は同じ女性の方が上手いだろうと思い、彼女にある程度は任せるつもりでいた。しかし、メナの素性を知らせられない都合上、先にメナとは話す必要があり、それ故に彼は彼女が目覚めるまでは彼女の部屋で待機していたのである。

 メナは王族の姫君にしては珍しく柔軟で、権力にしがみつく考えなしではないようなので、彼の意図はある程度汲み取ってくれているはずだ。もっとも、今のところリョウは権力にしがみつく王族、というものを見たこともないのだが。

 彼女が台所に戻り、パタパタと動き出したのを聞き、リョウは一言だけ釘を刺しておくことに決めて、台所に首を伸ばした。

「あぁ、それと何があったのかは訊かないであげて下さいよ」

「分かってるよ! がさつなおせっかいオババに見えるかもしれないどね、気を使うことくらい余裕でできるっての」

 彼女らしい言い回しに僅かに口元をほころばせたリョウは、取り繕うように言葉を付け加えた。

「他意はありませんよ、本当に念の為に言っただけです。それじゃあ、よろしくお願いしますね」「はいよ」

 そしてリョウは台所を離れ、隣の部屋の扉を叩いた。

 硬い木材で造られた光沢のある扉は、訪問者を快く迎え入れるかのように澄んだ乾いた音を立てる。

「どぉぞ」

 返ってきたしわがれ声は、扉の前にいるのがリョウと分かっていたのだろう。彼は、リョウが山と書類が積まれた書斎に脚を踏み入れたのと同時に、「目ぇ覚ましたか?」と作業の手を止めて問い掛けてきた。確かにジーナは彼に対して扉を叩くことはしないだろうな、とリョウは妙に得心し、村長ビレトの問いに答えた。

「ええ。目覚めました。部屋を貸して貰って、助かりました」

「構わん、もともと客室用の部屋だ。………それで?」

「まあ、これは予想通りですけど『大丈夫とは言えない状況』とだけ」

 リョウは敢えて大まかに抽象的な言葉を使って話す。

 リョウは彼にもメナについては詳しい話をしていない。だが彼は伊達に長年村の長をしていた訳ではない。そこらの老人と同じに考えたここの領主が、それで一度痛い目を見ているのをリョウは知っていた。おそらく彼は、彼女の正体についてはある程度の目星をつけているだろう。

「今は掘り返してまでは訊こうとは思わないが………」

「そうしていただけると、お互いにとって面倒がないように思えますね。………とは言え、必要だと言うのであれば明かしますけど」

「いい、いい。今のでだいたい判った。人が『知らない方がいい』と言う時はその通りにした方が都合がいいと相場が決まっている」

 彼はシワだらけの顔に老獪ろうかいな笑みを浮かべ、何かの書面まとめに戻った。

「そんで、お前は今後どうするつもりだ?」

 ながらに背後に立つリョウに問いかけるその姿はどこか懐かしさを感じさせる、小さいが広い背中だった。何かを相談して寄りかかってしまいたくなる、そんな背中だ。

「正直、決めあぐねていますね。彼女が目覚めたばかりということもありますが………」

「結局、まだ迷いが完全に吹っ切れた訳ではねぇ、か? ま、それは当然だわな」

「いや。そこはもういいんです。多分、これに関しては逆らえないと解りました」

 リョウはそこら辺に投げ出されていたまとめられた書類の山を引き寄せて、魔法で固定し、そこに腰掛けた。

 ビレトはそれを一瞥したが、それに対して何も言うことはなかった。

「………それじゃぁ、何に悩んでいる」

「それは、あなたに話せない内容ですよ」

 リョウは投げやりに言葉を紡いだ。手遊び感覚でそこらの書類を浮かせては下しを繰り返し、決して広くはない部屋に規則的な落下音が小さく響いた。

「………というより、そもそも答えるべき問題が見えていない。この先どう動けばいいのかの検討がついていないという方が正しいのか」

 そのうちにリョウの頭で言葉がまとまり、彼はポツリとそれを口にする。

 それに対して、ビレトは「ははぁ」と笑った。

「そういう時は、考えても無駄だ。待てねえなら、別なことでもして時間を潰すんだな。何かしらはあるだろ? 俺も、ギノリンダス家の奴らにどれだけ業を煮やしたことか。そんでそん時は決まってイシタゴ・・・・のやつと………」

 ビレトは完全に作業の手を止め、懐かしそうに目を細めて語り始めたが、唐突にふっと話すのをやめて目線をリョウに向けた。

「そういや、イシタゴで思い出した。イシタカ・・・・が時間があったら来いとよ。大方、霞猿についてだろう。行ってやれ、今なら作業場にいるはずだから」

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