#40 マリアが怖いと感じた理由
「………。」
マリアは、帰宅後、本殿の後ろにある祠の前で、ずっと手を合わせていた。
その祠は、イギリスにあるグレース家の祠と繋がっていて、グレース家の祠に向かって捧げた祈りは、本殿に御座す御弥之様に届いていると、マリアは凪に教えられていた。
ならば、日本にあるこの祠に捧げた祈りも、御弥之様に届いていると、マリアは思った。
まだ、参拝客が居る時間である為、本殿は勿論、拝殿にも入ることは出来ないし、仕事中の宮司を、独り占めにするわけにもいかなかった。
御弥之様、どうか、お知恵を貸し下さい……
マリアは、御弥之様に、救いを求めた。
自殺した女性の部屋を訪ねたマリアは、何かが見えたわけでもないのに、少し部屋の中が見えただけで、直視できないほどの恐怖を感じ、全身の震えが止まらなくなった。
病院で、惨殺された男性の遺体と対面した時も、怖いと感じ、直視することは出来なくなったが、その時は、ただ怖いと感じただけで、全身が震えるほどではなかった。
なのに、今回は、立って居ることさえ困難だった。
何が、あんなにも怖かったのでしょうか?
わたしの心が弱いだけだったのでしょうか?
教えてください……
何が、原因なのでしょうか?
マリアは、手を合わせ続けた。
「マリアは、まだ、手を合わせているのかい?」
黒石神社の社務所の受付時間が終わると、拝殿内の片付けをしている凪を見つけて、琴音は聞いた。
マリアと凪が、警視庁の調査依頼から戻って来たことは、祈祷中の琴音にも気付くことは出来た。
祈祷の予約が続いていて、話を聞く時間は作れなかったが、凪は白い袴姿になっていたし、マリアも巫女装束になっていたので、問題はなかったのだろうと、判断した。
しかし、本殿裏の祠に向かって手を合わせているマリアを見たノラの言葉で、問題はあったのだと、琴音は知った。
「マリア、何かあったの?琴音。マリア、本殿の裏でずっと手、合わせてる。イギリスの家族に何かあったの?琴音、何か聞いてる?」
琴音は、ノラの頭を撫でて、教えてくれたことに感謝した。
「ありがとう、ノラ。ちゃんと、マリアから話、聞くからね。心配しなくても大丈夫だよ。」
「で、何があったのか、そろそろ聞かせてもらおうかね。」
琴音は、凪を拝殿の中で座らせた。
凪は、病院で遺体と対面した時のマリアの様子から話し始めた。
「病院で男の遺体と対面した時、マリアは具合が悪くなった。男の遺体には、遺体のものと思われる恐怖の感情がへばりついていたから、それに中てられて、具合が悪くなったのだと思った。その時は、すぐに回復したし、琴音にもマリアは話していなかったので、わたしから進んで話すべきことではないだろうと判断した。今日のことも、マリアが話さないのであれば、自ら話すつもりはなかった。だが、聞かれたのであれば、話そう。今日のマリアの様子は、病院の時よりも酷かった。部屋の中は、血だらけだったわけでもなかったし、遺体も無かったが、マリアは部屋に入る前から立って居られないほど震えだした。玄関から中に入って、数秒と持たなかった。」
「凪は、今日行った部屋の中は、見た?」
琴音は、一通り凪の話を聞いて、質問した。
凪は、琴音の質問に、首を振って答えた。
「いや、わたしはマリアの後ろに居たので、部屋の中は見ていない。震えて立って居られないマリアを、外へ連れ出すのを優先した。」
「そんなに、マリアの様子は酷かったの?」
「あぁ。最初、ひきつけを起こしたのかと、わたしは思った。」
「部屋は見ずとも、中には入ったのよね?入った瞬間、何か感じなかった?」
琴音は、鋭い眼光を凪に向けた。
本当に何も感じなかったの?———と、問い質すような目だった。
「………。」
凪は、息を呑んだ。
よく思い出してみろ———と、無言の圧力を感じた。
「………。」
深く深呼吸をして、記憶を掘り起こす。
スーツ姿の男の案内で、3階へ上がった。
案内した男が鍵をあけて、部屋のドアが開いた。
最初に榊原が入り、その後、小松が入った。
次にマリアが入り、凪は、最後に入った。
いや…、その前に……
「……玄関のドアが開いた瞬間、中から悲しみの感情が溢れて出て来た……ように思う。あれは、自殺した女の感情だった。そうだ。その後……、中に入って、少し歩くと、マリアの様子がおかしくなって、その時……、恐怖の感情に、わたしは触れたような気がする……。それが、部屋の中から漂って来たものなのか、マリアから感じたものなのか、判断することは出来なかった……。」
「ふーん。なるほどね。」
琴音は、凪の話をよく吟味し、理解した。
惨殺された男は、余程の恐怖の中で殺されたのだろう。
自殺した女は、その様子を目の当たりにしたのかもしれない。
男が恐怖に叫びながら死んでいくのを、ただ見ているしかなかった悲しみを抱え、女は自らの死を選んだのかもしれない。
では、殺したのは、誰?
マリアが恐怖したのは、ソレにかもしれなかった。
「御弥之様に縋りたくもなるわけだ……」
琴音は、深く深く、息を吐いた。
「凪、この事件、そう簡単には解決しないかもしれないね。」




