#39 二つの部屋と二人の女性②
「止さないか!小松!」
小松の話を、榊原が遮って、止めた。
殺人事件である以上、小松は、被害者のことを知っている必要がある。
しかし、マリアは、知る必要のないことまで、耳に入れることはない。
「彼女には、それ以上、大人の汚い話を聞かせるな。次の部屋へ行くぞ。」
榊原は、強い口調で言って、次の部屋へ向かった。
叱られた小松は、小さな声で、「はい。」と言い、少ししょんぼりとした。
調子に乗って話し過ぎてしまったことを、反省した。
マリアは、まだ未成年の女の子だ。
男と女のドロドロとした関係など、まだまだ知る必要は無かったのだ。
「あの…、自殺をした女性の方は、この部屋のホストの方と、どういう関係だったんですか?衣服と荷物が残っていたということですが…、彼女とも、お付き合いをしていた———ということでしょうか?」
マリアは、分からなくなって、聞いた。
情報では、自殺した高橋千夜子の部屋には、死んだ塚孝二の衣類と持ち物が置いたままになっていたという。
発見された塚孝二は全裸だった。
お店の常連だという女性が家賃を払ってくれている広くて立派な部屋で暮らしながら、別の女性とその女性の部屋で会っていた?
なぜ?
意味が分からなかった。
「女性にだらしのない男だったんでしょうね。」
榊原には、もう他に言いようがなかった。
全てのホストが、皆、同じことをしているとは限らないので、ホストという職業を、そういうものとして説明するのも違う気がした。
しかし、そんな話をしていると、この事件は”こちら側”の事件で、”あちら側”は関係ないように思えて来た。
美容関連会社の女社長と、平凡な会社員。
ホストが、どちらの女を優先するかは、火を見るよりも明らかだった。
嫉妬による殺害。
あまりに良くある犯行動機だ。
高級ブランドのスーツが並ぶ、ウォーキングクローゼット。
キングサイズのベッド。
しゃれた照明。
幾つもある高価な腕時計。
ネックレスやブレスレッドも、宝石店並みの多さだった。
一体、何人の女性を泣かせて集めたものなのだろうか?
そんなことを考えていたら、この男は殺されても仕方が無かったんじゃないだろうか?———と、警察らしからぬことまで思ってしまった。
次に向かったのは、世田谷にある自殺した女性・高橋千夜子の部屋だった。
移動は、小松が運転する警察庁の車だったので、マリアと凪は、道に迷うことはなかった。
髙橋千夜子が住んでいた部屋は、あまり新しくない5階建てマンションの3階だった。
管理している不動産会社に、榊原は先に連絡をしていたので、着くと、『不動産屋さん』という感じのスーツ姿の男が、マリア達の到着を待っていた。
髙橋千夜子は、このマンションの屋上から飛び降りているので、そのことを、管理している不動産会社が知らない筈はなかった。
「では、ご案内します。」
不動産屋さんは、マリア達を、高橋千夜子の部屋まで案内した。
当然ではあるが、高橋千夜子の部屋にも、警察の鑑識は入っていた。
殺害現場を限定する為、念入りに調べたはずだ。
しかし、殺害現場だと思えるほどのルミノール反応は、なかったらしい。
カチャッ
鍵を開け、ドアを開けた。
「どうぞ。」
不動産屋さんは部屋の中には入らず、マリア達だけが部屋の中へ入った。
髙橋千夜子の部屋は、1Kの小さな部屋だった。
8畳の洋間に1畳半ほどの台所が付いていて、お風呂とトイレは一緒になっているという。
「………っ!」
マリアは、8畳の洋間が視界に入った途端、物凄い恐怖に襲われた。
なぜだか分からないが、怖くて、怖くて、全身が震え出した。
「どうした?マリア?」
ガタガタと震え出したマリアの異変に気付いて、凪がマリアを抱き寄せた。
「こ…怖い……、怖…いの……」
口元もガタガタと震え、カチカチと歯を鳴らしながら、囁くようにマリアは言った。
「すみません。マリアを部屋の外に連れて行きます。」
凪は、榊原に告げて、マリアを部屋の外へと連れ出した。
「………。」
榊原は、小松を見た。
「どうしたんですかね……。」
小松は、何が起こったのか分からない様子で、玄関を見ていた。
震えている様子は、全くなかった。
「大丈夫か?」
「うん……、もう平気。ごめんね。心配かけたよね。」
マンションの外まで出て、座れそうな場所を見つけて座り、自動販売機で温かいお茶を買って飲んでいるうちに、マリアの震えは治まっていった。
どうしてあんなに怖かったのか、今、考えてみても分からなかった。
「あ、居ましたよ。」
「あぁ、大丈夫ですか?」
マンションの外に出て来た小松と榊原も、マリアを見つけて、マリアの傍に寄って来た。
「何か、感じたのですか?あちら側の、何か、痕跡とか……」
榊原は、期待を込めて、マリアを見詰めた。
殺害の原因は、こちら側の私情のもつれかもしれない。
髙橋千夜子が、塚孝二を、嫉妬のあまり、殺してしまったのかもしれない。
しかし、殺害場所も、死体の移動手段も、分からないままだったし、顔を抉ったり、肩から腕を裂いたり、そんな殺し方を、女性一人の力で出来るとは思えなかった。
きっとあちら側が関わっている。
その確信はあるのに、それを裏付ける決定的な証拠が、まだどこからも見つかっていなかった。
「ごめんなさい、榊原さん。理由は分からないんです。ただ、とても怖いと感じました。」
マリアは、うつ向いたまま、か細い声で説明した。
「先日の、あのご遺体の顔を見た時もそうでした。あのご遺体の顔が見えた時、わたしは怖いと思って、直視することが出来ませんでした。でも、後から思うと、どうしてあんなに怖かったのか、不思議だったんです。今日のこともそうです。どうして全身が震えるほど怖かったのか、今、思い出しても、何があんなに怖かったのか、分からないんです。」
そして、少し考え、榊原を見上げ、榊原の目を見て言った。
「多分、あの部屋には、わたしには見えない何かがあります。おそらく、あのご遺体の顔にも何か残っていたのかもしれません。」
「………。」
榊原は考えた。
マリアの言う事にも一理ある。
あの部屋には、何か、からくりがあるのかもしれない。
男一人を容易く殺し、遠い場所に移動させることが出来る何かが、あるのかもしれない。
しかし、次期宮司に見えないモノを、見ることが出来る者は居るのだろうか?
「すみません。少し時間をください。何か方法を考えてみます。」
マリアのその判断で、今日は、このまま帰ることになった。