#38 二つの部屋と二人の女性①
二回目の調査依頼を、黒石神社の琴音の所へ持って来たのは、中央警察署の田沼巡査だった。
今回、マリアが調べるのは、出雲町で発見された遺体の男性・塚孝二の自宅と、世田谷で自殺した女性・高橋千夜子の自宅だ。
出雲町で発見された全裸惨殺遺体の身元が判明した———と、琴音に連絡が入ったのは、マリアと凪が、病院で遺体と対面をした次の日だった。
マリアが学校に行っている間に、警視庁の榊原から電話で知らせが入った。
自殺をした女性の部屋には、交際相手と思われる男性の衣服が脱ぎ捨てられており、しかし、交際相手の姿はなかった。
女性が自殺するまでの経緯と事情を聴くため、交際相手を調べたところ、交際相手の身元は、すぐに判明した。
だが、行方は全く分からず、もしもの場合に備え、採取した指紋をデーターベースで照合すると、出雲町で発見された身元不明の全裸惨殺遺体の指紋と一致したのだった。
そして、自殺した女性は、交際相手の惨殺事件と深く関わっていると考えられた。
しかし、殺害方法も、移動手段も、まだ分かっていなかった。
女性一人の犯行だったのか。
共犯者は存在するのか。
共犯者がいるとしたなら、それは複数人いるのか。
調べなければならないことはたくさんあった、
今回、マリアが調べることは、やはり、”あちら側が関わっているかどうか”———ということ。
中央警察署の田沼巡査が持って来てくれた依頼書には、二人が住んでいたマンションの住所が書かれた紙と、その場所に印が付いている地図も入っていた。
二人の部屋を訪ねるのは、次の土曜日。
塚孝二が住んでいた池袋のマンションには、榊原と小松が、先に行って待っているので、マリアには、午前10時頃に来て欲しいとのことだった。
高橋千夜子が住んでいた世田谷のマンションには、その後、一緒に向かう予定だ。
マリアは、土曜日の朝、凪の背に乗り、池袋に向かった。
まだ多くのお店が開店する前ではあったが、人気の無い路地裏の空き地を見つけて、そこに降りた。
地図を見て、今いる場所を確認する。
「今、わたしたちがいるところが、ココでしょ?……で、今から向かうマンションが、ココ。……だから、………こっちね。」
持っている地図の向きを、右に左に何度も変えて、目的のマンションに向かう道を探している姿に、凪は、不安を抱かずにはいられなかったが、地図の見方が、マリア以上に分かる自信はないので、黙って、マリアの勘に従うしかなかった。
「あれ?ここ、どこかな?」
幾つかの角を曲がり、15分程歩くと、マリアは、自分が今、地図上のどこにいるのか、分からないようなことを口にした。
それまで黙ってついて来ていた凪は、いよいよ我慢が出来なくなり、マリアに言った。
「マリア、榊原に電話しろ。電話で誘導してもらえ。このままでは、今日中に辿り着ける気がしない。」
マリアは、凪の指示にショックを受けるでもなく、『あ、その手があった』と言わんばかりに、さっさとスマホを取り出し、榊原に電話をした。
「あ、もしもし、黒石神社の月城です。すみません。今、池袋に居るんですが、地図を見てもマンションに辿り着けそうにないんです。道順を教えてもらえませんか?」
マリアはスピーカにして、凪にも聞こえるようにした。
『わかりました。近くに何があるか、教えてください。建物の名前とか、お店の名前とかでもいいです。』
マリアと凪は、周りを見て、目に付いたものを言葉にした。
「ラーメン屋さん」
「マッサージ店」
「アジア料理のお店です。」
『あー……はいはい、大体わかりました。今言ったお店が左側になる方向に進んでください。信号の先にカレー屋さんがあるので、そこまで来たら教えてください。』
その後、榊原の指示に従い、歩き続けたマリアと凪は、たった5分で、目的地に辿り着くことに成功した。
「お世話になりました。申し訳ありません。」
「いやいや、初めて来た場所で、地図だけを頼りに目的の場所へ向かうのは、ちょっと無理がありましたよね。こちらこそ、申し訳ありませんでした。」
到着したマンションの前で待っていてくれた榊原に、マリアは頭を下げた。
榊原も、無理をさせてしまったことに対して、謝罪をした。
地図の見方がよく分かっていないなら、依頼書を見た後にでも、マリアがそう伝えていれば済む話ではあったのだが、地図だけで辿り着けるかどうかの確認を怠ってしまったことに、榊原は責任を感じていた。
とはいえ、マリアも、地図を受け取り、その地図だけで目的の場所に辿りつくだなんて、ボーイスカウトのオリエンテーションみたいで、ワクワクしてしまっていたのだから、反省するしかなかった。
辿り着かなかった時の事など、考えていなかった。
マリアと榊原が、互いに自分の不甲斐なさに対し、頭を下げ合っていると、自動ドアが開き、小松が現れた。
「柿坂さん、フロントに許可もらいました………って、何やってるんですか?フロントマネージャーの方が一緒に来てくれるそうなので、急いでください。」
頭を下げ合う二人の姿に、小松は首を傾げるも、先輩に対してとは思えない、偉そうな言い方をして、榊原を急がせた。
塚孝二が住んでいた部屋は、高級マンションの11階だった。
フロントマネージャーの男性と一緒に、エレベーターで上がり、11階で降りた。
「ここです。」
フロントマネージャーは、カードキーで鍵を開けてドアを開き、マリア達を先に部屋の中に入れた。
「すでに警察方々が、部屋の中を調べています。その後は誰も訪ねて来ていませんし、我々も中に入っていませんので、そのままになっています。こちらは、3LDKのお部屋です。広い浴室とウォーキングクローゼットが特徴となっております。」
フロントマネージャーの男性は、まるで、マリア達が内見に来ているお客であるかのように、部屋の説明をした。
この部屋の住人が、酷い姿で死体となって発見されたことを、この男性は知らないのだと、マリアは思った。
フロントマネージャーを玄関に待たせたまま、マリアと凪は、榊原から渡された手袋と靴カバーを付けて、各部屋を見て回った。
今度は、榊原が説明をする番だった。
「ここのどの部屋からも、事件性がありそうな血液の反応はなかったとのことです。事件前は定期的に清掃員が入っていたみたいです。男の一人暮らしとは思えないくらい、隅々まで綺麗になっています。」
この部屋自慢の広い浴室を眺めながら、榊原が言った。
男性の一人暮らしと聞いていたが、浴室に並んでいるシャンプーやコンディショナー、トリートメントやボディソープなど、どれもキラキラとした高価そうなものばかりだった。
「全部、ブランド品ですね。さすがホスト。相当、稼いでいたんですね。」
キラキラ光るよう、細工がされたボディソープを手に取り、小松が言った。
「この部屋の家賃、店の客に払ってもらっていたっていうんだから、金銭感覚、絶対に馬鹿ですよ。」
「………。」
マリアは、後から与えられた情報を思い出していた。
遺体で発見された男は、塚孝二と言う名前だが、宮沢賢治という別の名前で、歌舞伎町のホストをやっていた。
その店で、いつも指名をしていた常連の客が、この部屋をプレゼントしたという。
賃貸なので、毎月の家賃を払っているのは、その客だ。
「塚孝二さんは、そのお客さんと、お付き合いをされていたのですか?」
マリアは、小松に聞いた。
小松は、ちょっと驚いたように目を見開いたが、すぐに鼻で笑い、マリアの質問に答えた。
「まぁ、お付き合いはしていたんじゃないですかねぇ。二人とも、大人ですからねぇ。ちなみに、そのお客さんは結婚していて、ご主人もお子さんもいるんですけどね。」
「え?」
マリアは、驚いて、次の言葉が出て来なかった。
小松は、マリアが驚いていることなど気にもせず、話を続けた。
「美容関連会社の女社長さんで、自由になるお金も時間も、たくさんあったんでしょうねぇ。だから、ホストとしては、そういう太客は手放したくないわけですよ。おそらく、ご機嫌を取ることも忘れなかったんでしょうねぇ。ホストは売り上げが全てですからね。売り上げの為なら、なんでもやるでしょう。例えば……」
「止さないか!小松!」
小松の話を、榊原が遮って、止めた。