#35 遺体に残されたモノ
マリアと凪は、榊原と一緒に、小松の運転で大学病院に来た。
すでに病院の受付時間は終わっているが、受付ロビーで順番を待っている人は、たくさん居た。
榊原が、総合案内所に立つ女の人に声を掛けると、女の人は何処かに電話をして、「少しお待ちください。」と、榊原に答えた。
少しして現れたのは、医者でも看護師でもなく、スーツ姿の男の人だった。
「ご案内します、こちらです。」
男の人は、榊原に、事務的な口調で言って、すぐに歩き始めた。
マリア達は、その人の後ろをついて行った。
目的の場所に着くまでの間、誰も何も話さなかった。
徐々に行き交う人は少なくなり、やがて、誰も居ない、誰も通らない、薄暗い廊下を歩いていた。
妙に緊張した。
緊張しているのは、マリアだけではなく、小松も、だった。
もっとも、マリアは、小松のようにガタガタと震えてはいないが…。
これから向かう場所は、滅多に人が来ない場所なのだと、マリアにも分かった。
「こちらです。」
案内してくれていた男の人が立ち止まった。
【安置室】
マリア達は、目的の場所に辿り着いた。
男の人は、外に設置してある棚から取り出した割烹着のようなものとマスクと手袋を、一人一人に手渡し、マリア達の準備が整ったのを確認してから、安置室の扉を開けた。
「では、お願いします。」
中に向けて声を掛ける。
「はい。どうぞ。中へ入って来てください。準備は出来ています。」
中から別の男の人の声がして、マリア達は中へ入った。
マリア達が部屋の中に入ると、既に一つのご遺体が準備されていた。
部屋の中は寒いぐらいに冷えていたが、遺体はもっと低い温度で冷やされていたのか、遺体が入っているだろうと思われる寝袋のようなものは、表面に霜がかかっていて、湯気のようなものを上げていた。
「いいですか?開けますね。」
マリア達は、遺体が良く見えるように、近くに寄った。
遺体を包んでいる寝袋のようなもののファスナーを、安置室で待っていた白衣姿の男の人が、勢いよく引っ張って開けた。
「………っ!」
「………っ!」
「………っ!」
「……うっ!」
袋が開いた瞬間、マリアは目を反らした。
凪は顔を顰め、榊原は息を呑んだ。
小松は、瞬時に吐き気をもよおし、バタバタと部屋から出て行った。
「ご遺体の男性は、20代後半から30代前半。身長は178cm、血液型はA型です。発見当時、死後一日から二日と考えられていました。」
白衣の男の人は、遺体の説明をした。
マリアが一瞬見た死体の顔の左側は、顔では無かった。
「………。」
潰れた顔を見ないようにして、マリアは恐る恐る失くしたと聞いている左肩を覗いた。
綺麗に処置が施されていて、今は千切れたようには見えなかった。
これといって違和感もなかったように思えた。
ただ…
「………。」
マリアは、血の気が引き、頭がクラクラした。
こんな死体を見たのは初めてなのだから、仕方なかった。
白衣姿の男の人は、説明を続けていた。
「ここの安置所では、ご遺体の腐敗が進まないよう、常に3℃で保管しています。しかし、このご遺体に限っては、なぜか腐敗の進みが早いように感じます。顔面にしても、左肩にしても、です。たとえば…」
「もういいです。もう大丈夫です。」
貧血を起こしたマリアを支え、凪は白衣姿の男の人の説明を遮った。
これ以上の遺体の説明は、不要だった。
遺体の腐敗速度など、マリアにも凪にも関係ないと思われた。
凪は、榊原に目配せし、マリアを連れて先に部屋を出て行った。
「ありがとうございました。」
榊原も、白衣の男の人にお礼を言って、部屋を出た。
「あ、はい。ごくろうさまでした。」
取り残された白衣姿の男の人は、唖然とした表情で見送っていた。
部屋の外では、安置室まで案内してくれた男の人が、瞬殺された小松を介抱していた。
小松は、洗面器を抱え、呻いていた。
「うえー……うー…」
「大丈夫ですか?」
「いかがでしたか?」
榊原は、呻いている小松を無視して、マリアと凪に聞いた。
凪は、マリアを支えながら、マリアに聞いた。
「何か感じたか?」
「ううん。よくわからない…。」
マリアは、か細い声で答えた。
「潰れた顔は見られなかった。なんか…、すごく怖かった……。」
ロビーで飲み物を飲みながら一休みして、マリア達は帰ることにした。
榊原は車で送るつもりでいたが、凪は断った。
「帰りは、送っていただかなくても帰れますから大丈夫です。それよりも、彼は大丈夫ですか?」
凪は、小松を見た。
小松は、ソファーで横になり、今もまだ呻いている。
「あいつは大丈夫です。無理やりにでも車に押し込んで、連れて帰りますから。それよりも、今日見た遺体で、何か気付いたことがあれば、いつでも言ってください。こちらでも、何か分かればお伝えします。今日はありがとうございました。お気をつけてお帰りください。」
榊原は、頭を下げて、マリアと凪を見送った。
小松は自分のことで精一杯で、見送るどころではなかった。




