#14 化け物になってしまった悲しい娘
「……。」
マリアは、なぜか畳の上で、正座していた。
「……。」
”辛い”気持ちと、”悲しい”気持ちが入り混じった感情で、胸がいっぱいだった。
ぽろぽろと、涙が零れては流れていた。
目の前に座っているのは夫の母で、隣に座っているのは夫だと、見たことも無い人達なのに、マリアは頭の中で理解していた。
「申しわけねぇ。」
両手を着いて、頭を下げた。
自分の手が、知らない女の人の手だった。
自分の口から出た声と言葉なのに、知らない声となまりだった。
謝る理由は分からないのに、マリアは、自分が悪いのだと思っていた。
これは、三四子川に棲みついている女の記憶だ。
そして、マリアは、まだ生きていた頃の女の中に入っている。
女の中に入って、その様子を見ているだけではなく、視野も、感覚も、感情までも、共有していた。
まるで、疑似体験をしているみたいだった。
「健康だと言うから嫁に貰ったんだ。子が産めねぇと分かってたら、嫁に貰ったりなんかしねかったのに……。まったく、騙されたようなもんだわ。」
「かあさん、まだ産めないと決まったわけじゃねぇんだから…」
「いいや、決まってるさ。5年経っても産めねぇ女は、10年経っても産めねぇべさ!」
「それはそうかもしれねっけれども……」
目の前に座る義母が、マリアのことをなじった。
隣に座る夫は、ぼそぼそと庇ってくれてはいるが、気の弱さばかりが際立って、マリアはますます悲しくなった。
「申しわけねぇべさ。」
涙がぽとりと、また落ちた。
すると、まるで水面であるかのように、涙が落ちた場所から波紋が起きて、マリアの視界はぐるぐると渦を巻いた。
そして、全く別の違う場所に変わった。
「………。」
マリアは、しゃがんでいた。
辺り一面が真っ白で、大粒の雪が降っている。
「………。」
マリアは、井戸の傍に居て、たらいに入った冷たい水で、大根を洗っていた。
かじかむ手は荒れていて、真っ赤になっていた。
指先の感覚は無くなっている。
それでも、黙々とマリアは大根を洗っていた。
寒い…
痛い…
冷たい水は、度を超すと痛いと感じるらしい。
マリアは、こんなにも寒くて痛い経験をしたことがなかった。
「あはははは———」
「わはははは———」
近くにある家の中から、笑い声が聞こえた。
そこが、この娘の家だと、マリアは理解していた。
話し声が聞こえた。
「まったく、兄さんは、禄でもねぇ嫁さん、貰ったもんだねぇ。米助さんの所じゃ、先週、4人目が生まれたそうじゃない。なのに、未だに1人も子供がいないなんて、兄さんだって肩身が狭いでしょう。本当、かわいそう。」
「そうなんだよ。なんとかならないもんかねぇ。長男の嫁が子を産めねぇなんて、みっともなくてしょうがなぇ。」
「どうにもなんめぇ。ずいぶんと稚鮎は食わしたと思うんだがな。そんでも、子は出来んかったんだから……。これ以上は、なんも出来ん。もう無理だろう。」
「で、今、義姉さんは、どこに?」
「外で大根、洗ってる。他にこの家の役に立つことがねぇんだから、しょうがあんめ。いっそ、凍え死んでくれりゃあ、まだ役に立つってもんだわ。」
「やめてよ、母さん。ここで死なれても迷惑だわ。気味が悪い。」
「でもなぁ、死んでくれりゃあ、別の嫁、もらうことも出來んべさぁ。」
聞こえるように話しているのがわかった。
「………。」
ぷつりと、張り詰めていた糸が切れる音がした。
おれだって、子供が欲しい。
欲しくないから産まないんじゃない。
欲しくても、産みたくても、子が出来ないのは、本当におれのせいか?
死んで欲しいと思われるほど、おれが悪いんか?
恨みごとと一緒に、涙が溢れた。
もう…無理だ…
マリアは、大根をたらいの中に置いて立ち上がった。
もうここには居たくない。
居られないのではなくて、居たくない。
その言葉が、その娘の心の痛みを物語っていた。
行く当てなどないことも、マリアには分かった。
どこに向かっているのかも、分かっていた。
「………。」
誰も居ない雪道に足跡を残し歩いて行く。
その足跡も、降り止まない雪に消されていった。
マリアは山に入り、雪道を歩く。
どこからか川の流れる音が聞こえて来て、その音はどんどん近くなった。
川が見えると、川に近付き、躊躇うことなく川の中へと進んでいく。
子が欲しかった。
子を産みたかった。
でも、子は出来なかった。
産むことは叶わなかった。
どうすればよかったけ?
稚鮎ではダメだった。
子供を食べればよかったんか?
人の子を食べればよかったんか?
ごぼごぼ……
川の中に沈みながら、マリアの頭の中では繰り返されている。
子が欲しかった。
子が産みたかった。
ヒトの子を食べれば、子が出来るかもしんねぇ。
子供を食べよう、
人の子供を食べよう。
そうすれば、またあの家に帰ることが出来っかもしんねぇ。
お義母さんも、あの人も、帰ることを許してくれっかもしんねぇ。
ごぼごぼ……
子供を喰って、子供を産もう……
ごぼごぼ……
ごぼごぼ……
ごぼごぼ……
暗い水の中、マリアは沈んでいった。
苦しくは無かった。
ただ、子供が産めるかもしれないという希望に、気持ちは満ち足りていた。
「……」
………?
「——」
………?
「———!」
……何?
「——ア!」
……誰?
「—リア!」
……誰の声?
「マリア!」
あぁ、凪の声だ。
「マリア!」
B・B。
「マリア!」
ノラ。
「マリア!」
クロ。
「マリア!」
ヴィゼ。
……?
あれ?
バトとドドは?
「………。」
マリアは目を開けた。
頭はボーっとしているし、体は怠い。
起き上がることは、出来そうもなかった。
「わたし………、どうしてた?」
やっとの思いで言葉を発した。
物凄く喉が渇いていた。
三四子川に行き、子供を溺れさせようとしている黒い影を祓った。
そして、黒い影の正体は黒い髪の毛と知り、その持ち主を調べるために拾い上げたところで、マリアの記憶は途切れた。
代わりに、別の人の過去を体験していた。
あれは、あの川に棲みつき、子供を溺れさせ続けている悪霊の生きていた時の記憶だ。
子供が産めず、居場所を失くしてしまった女の悲しい記憶だった。
死んでも尚、子供が欲しいと願うあまり、化け物になってしまったのだと、マリアは知った。
哀れな、悲しい女だった。
あの女の名前は……
さと
三四子川に自ら身を沈め、死んでしまった女の人が、過去の記憶の中で誰一人として名を呼んでいなかったにも関わらず、『さと』という名前であると、マリアには分かった。