#11 二兎を追う者たち
次の日、マリアは、無事、”数学のテキストを15ページ”というノルマを達成し、勉強会に向かった。
「なんで5ページ?どうして5ページ?わたし、15ページって、言ったわよね?」
「ごめんね、美羽ちゃん。数学やっていると、萌々、不思議とすぐに眠くなっちゃうの。どうしてかなぁ。」
「……根本的なところに問題があるのかもしれないわね。」
「えー…と、美羽ちゃん、その顔、ちょっと怖いかも……。」
「気のせいよ。さ、始めましょう。」
沢井萌々は、5ページしかやって来なかった為、津谷美羽の愛ある鞭に耐えなければならなかった。
「どうして、この問いに対して、こういう式がでてくるの?」
「えー、どうしてかなぁ。美羽ちゃん、ちょっとその目、怖いんだけど…」
「怖くありません。いいから、もう一度、書き直して。」
「えー?マリアちゃん、美羽ちゃん、怖いんだけど…。…?マリアちゃん?」
「……?」
「………。」
マリアは、勉強会中、三四子川の女の霊のことは、考えないようにしていたつもりだったが、ふとした瞬間、無意識のうちに考えてしまって、ぼんやりしていた。
三四子川に棲みついている女の霊については、何もわからないまま。
考えられることは、すべて憶測だ。
三四子川に棲みついているのだから、三四子川で亡くなったのだろう。
ずぶ濡れってことは、溺れたのかもしれない。
憶測のことしか分からないまま、直接会って話をするって、何を話せばいいのだろう……
「……ちゃん」
「…リアちゃん。」
「マリアちゃん!」
「…っ!え⁈」
「どうしたの?ぼんやりして。」
「……あ、ゴメン。大丈夫、大丈夫よ。ちょっと、ぼんやりしちゃった。あはは…」
津谷美羽と沢井萌々が、心配そうに自分を見ていることに気付いて、マリアは慌てて作り笑いを浮かべた。
警察から依頼された調査のことは、他言するわけにはいかない。
誤魔化すにしても、迂闊なことは言えないので、マリアは、笑って流すしかなかった。
「ほらね。マリアちゃんだって、数学やっていると、眠くなっちゃうんだって。萌々だけじゃないでしょ?美羽ちゃん。」
沢井萌々が、とぼけたことを言ってくれたおかげで、助かった。
「次は、英語のテキストを15ページね。」
勉強会の終わりに、津谷美羽は言った。
「マリアちゃんは、余裕でしょ?なんかずるい!」と、沢井萌々は拗ねていたが、マリアは内心、ハードルを上げないで欲しいと、思っていた。
「日本人だから、国語が得意とかじゃないのと同じで、英語が話せるからって、英語の教科が得意とは限らないのよ。本当、全然ずるくないから。逆にがっかりされないか、心配だわ。」
もしかしたら、次の勉強会は地獄かもしれない。
マリアの気は重かった。
そして、勉強会の後、マリアは三四子川へ向かうことになっていた。
一緒に行くのは、凪とB・Bとドド。
凪とB・Bは、マリアの護衛だ。
ドドは、悪霊となってしまった女の出現を、離れた場所からでも知ることが出来るカエルと話が出来るので、一緒に来ることになった。
「カエルの言葉なら、俺にだってわかるよ!」と、クロは一緒に来たがったが、女が現れたと知ったクロが、大声でマリア達に教えたりしたら、驚いた女が姿を消してしまうかもしれないので、クロの同行は拒否された。
まずは、女が棲みついていると思われる遺体の発見場所には近づかず、カエルが生息する場所に潜んで、女が現れるのを待った。
しかし、この日、日が暮れるまで待っても、女は現れなかった。
三四子川に訪れる家族が居なかったからかもしれないが…。
翌日、再び、マリア達は三四子川に向かった。
だが、この日も、女が姿を現すことはなかった。
三四子川に来る家族が居なければ、被害に遭う子供が居ないので、それ自体はとても好ましいことではあるのだが、女も出現しないとなると、それはそれで解決が遠退いてしまうので、マリアは、安堵と不安が入り混じった複雑な気持ちだった。
動きがあったのは、その次の日だった。
7月最後の日曜日、込み合った場所から逃れるように、一台のキャンピングカーが、三四子川の河川敷に入って来た。
「すごい!誰も居ない。」
「穴場だな。ラッキー。ほら、準備するぞ。」
大人の男女二人が、車から降りて来て、その後、子供二人が、車の後部座席から降りて来た。
楽しそうにバーベキューの準備を始めるのを、対岸の森の中から、マリア達は眺めていた。
「ドド、カエルたちは何か言ってる?」
マリアは、カエルの姿になったドドに尋ねた。
ドドは、そこに住むカエルたちと一緒に居た。
「ううん、何も。まだ女は来ていないみたい。」
カエルたちに、動きは、まだなかった。
カエルたちは皆、のんびりとしたものだった。
異変が起きたのは一瞬。
家族連れで来た父親が川に入り、魚釣りを始め、それを追うように男の子が川の中に入った瞬間だ。
「……?」
川の流れが、急に速くなったような気がした。
「B・B!」
びっくりしたように、突然、ドドは飛び跳ね、B・Bの足にしがみ付いた。
「どうした?」
B・Bが聞くと、ドドは縋るような目をB・Bに向けて、小声で言った。
「カエルたちが、女が来た、隠れろって。カエルたちは、みんな隠れたよ。」
「……え?」
マリア達は、ドドの言葉を聞いて、足元を見た。
ドドが言った通り、カエルたちの姿どころか、水たまりの中のおたまじゃくしまでもが姿を隠して、見えなくなっていた。
水の中、土の中、石の陰、草の陰。
みんな隠れて、息を潜めている。
父親と男の子は、密かに起きている異変に全く気付かず、楽しそうに笑っている。
どんな風に子供を溺れさせるのか。
父親が傍に居ても、それは出来るのか。
今どこにいるのか。
どこに潜んでいるのか。
マリア達は、それらを知りたいと思うのと同じくらいに、溺れる子供も助けたいと考えていた。
「行こう。」
マリア達は、その為に、二手に分かれることを決めていた。
子供が流された瞬間、すぐさまイヌワシとなったB・Bが、カエルの姿のドドを乗せて、流される子供の頭上に飛ぶ。
その時、B・Bが、子供を掴むことが出来ると判断したら、子供を掴み、岸に上げる。
ドドは、B・Bが子供を掴む掴まないに関わらず、子供の頭上に来たなら、すぐに飛び降り、子供にしがみ付くことになっていた。
川の中で溺れる子供の状態を、確かめておく必要があるからだ。
イヌワシが子供を襲っているように見えてしまい、子供の家族は、おそらく驚いてパニックになってしまうだろうけれど、他に方法が思いつかなかった。
マリアと凪は、先に遺体発見場所となった川下に向かった。
そこへ行き、今、女はそこにいるのか、川の中に居るのかを、確認する為だ。
「———!」
「————!」
途中、上流の方が騒がしくなったのがわかった。
多分、子供が流されたのだろう。
「急ぐぞ。」
マリアと凪は、川辺の森の中を、急ぎ、走った。