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榛名辿シリーズ

榛名辿の騒々しい非日常

作者: 糸木あお

「あの、もしかして榛名辿はるなてんさんですか?」

「あ、えっと、はい」

「握手してください」

「あの、えっと、そういうのはちょっと。あっ、力強い……」


「榛名さんの曲、毎日聴いてます」

「はい」

「特に無色透明が好きです。ずっと聴いてます。あの歌詞って」


「あ、あの、ちょっと落ち着いてください。あっ手痛い、痛いです」

「榛名さん、あなたのせいで僕の彼女は変になりました」

「あっ、あの、手を離してください、痛いです」


「責任取って今すぐ音楽をやめてください」

「それはおれだけで判断できないというか、手、痛いです」

「このまま骨が折れたらもうギターも弾けませんよね?」

「……そうですね」


 一瞬、別にもう弾けなくても良いんじゃないかと思ってしまった。だけど、おれの骨が折れる前に目の前の男の人の姿が消えた。


「ちょっとォ!!! 辿きょうそ様に何してんのよアンタ!!! ここは聖域サンクチュアリで不可侵なのよ?! アンタごときが触れて良い人間じゃあないのよ!!! 辿様の生活を脅かすなんて万死に値するわ!!!」


 背の高い派手な金髪の女の人が倒れた男の人を凶暴なヒールで蹴り続けている。最初は痛い、とかやめてと言っていた男の人も次第に呻き声しかあげなくなった。おれは目の前で繰り広げられる苛烈な暴力に声も出せなかった。


 何も出来ずに棒立ちのままでいると勢いよく振り返った女の人と目が合った。くるくるとカールした派手な金髪に真っ赤な口紅、目の色は灰色で多分カラーコンタクトだろう。虫の脚みたいなバサバサの黒いまつ毛が怖いけれど、多分、美人の範疇はんちゅうだと思う。きっと、おれのファンなんだろう。


「アッ、辿様、本当にこの愚か者がご迷惑をお掛けして申し訳ありません!!! 二度とこんな事が無いようにきちんと教育いたしますのでどうかお目溢しを頂ければと思います。本当に申し訳ありませんッ!!!」


「あの、その人大丈夫ですか? あと、助けてくれてありがとうございます」

「……ヴァルハラ」

「え? 今なんて?」

「いいえ! なんでもありません!!!辿様、これからもずっと応援してますので、何卒健やかにお過ごし下さいッ!!!」


「あ、はい。あなたもご自愛ください」

「尊……、ありがとうございます!!! 今日の思い出を胸にこの先ずっと生きていきますね!!! それでは辿様ごきげんよう」


 足元の男の人の首根っこを引っ掴んで女の人はずんずんと駅の方へ歩いて行った。あまりにインパクトのある出来事だったのでとりあえず公園のベンチに座って頓服を服み、マネージャーの善ちゃん先輩に電話をした。


「もしもし、どうした?」

「あの、今変な男の人に手を折られそうになって派手な女の人が助けてくれました」

「どういうことだ? とりあえず行くわ。今どこにいる?」

「公園なんですが家までひとりで戻れます。一応家に来てもらっても良いですか?」

「もちろんだ。辿、ちゃんと鍵はかけるんだぞ」

「はい。わかりました」


 帰宅して手を洗っているときに自分の手が震えていることに気付いた。最後の方は良くわからなかったけどやっぱり怖かったのだ。目を閉じるとあの悪意と暴力を思い出すのでギターを弾くことにした。


 チューニングしてから爪弾く。少し前からピックじゃなくて爪で弾く練習も始めた。爪の手入れはやってみると結構性に合っていた。ギターを弾いているうちに気分が少しだけ落ち着いた。イレギュラーが苦手だからこういう出来事は本当に勘弁してほしい。


 しばらくしてから善ちゃん先輩が入ってきた。ギターを弾くのに熱中してチャイムの音が聞こえていなかったらしい。携帯にも着信を知らせるランプが点いていたけど全く気付かなかった。おれが倒れたりとか死んだりした時の為に善ちゃん先輩に合鍵を渡していたのでそれで入ってきたようだ。


「辿、大丈夫か?」

「あんまり良くはないですが大丈夫です。多分……」

「被害届とか出すか? 目撃者を探しても良いし」

「いえ、大丈夫です。でも、あの男の人多分酷い怪我をしてました。やっぱり女の人って怖いですね」


「それはレアケースだからな。でも、思ったより落ち着いてて良かった。まあ、またそういうことがあったら引越しも視野に入れないといけないかもな。今の活動範囲ならもっと田舎に行っても問題なさそうだと思う。徒歩圏内スーパーと病院があれば辿は事足りるだろ?」


「まあ、そうですね。田舎ならベランダじゃなくて庭で家庭菜園とか出来ますかね……? というか、そもそもおれは音楽を続けて良いんでしょうか? あんな風に人が傷付くならやめた方が良いのかな、とか考えてました」


「あのなあ、辿、ある種の人間にとってはお前の音楽は救いだ。俺もそうだ。だから、お前にはずっと音楽をやっていて欲しいよ。お前が音楽をやることが辛かったり苦しい時があるのも知ってる。それでも、俺はお前の音楽を聴き続けたい」

「そうですか。なら、やります。必要な人がいるなら、やります」


 それからは変な人に会うこともなく過ごせた。やっぱりルーチン通りの生活をすると病状も安定した。たまにぐらぐら世界が揺れるけど、まあ許容範囲内だった。


 そして、これは善ちゃん先輩から聞いた話だけどファンの人たちがおれの治安見守り隊を結成したらしい。でも、今まで後をつけられたりそういう事に全く気付かなかった。忍者みたいなものなのかもな、と思った。


 それから何日かして、急に力が入らなくなって3日くらいビーズクッションの上で過ごした。ふとちゃぶ台の上を見ると蛍光ピンクのガラケーがピカピカと光りながら振動していた。


 判断力が鈍っていたんだろう。おれは普段なら知らない番号からの電話には出ない。でも、ふと魔がさしたのだ。通話ボタンを押すともしもし、という女の人の声が聞こえた。


 最初は誰かわからなかったけど従兄弟の映美子えみこちゃんからだった。


「辿くん、久しぶり。元気? 最近はずっと会えてなかったから気になって。そういえば引っ越しもしたんだよね? 辿くんが体調が良い時で良いから遊びに行っても良い? 見せたいものもあるの」


「うん。大丈夫だよ。今はちょっと駄目だけど」

「そっか。そしたら具合が良くなったらショートメールで住所教えて? 辿くんの好きそうなもの買ってくから」

「うん。ありがとう。それじゃあまたね」


 電話を切ってから、そういえば映美子ちゃんに随分会っていないなと思った。前に訪ねてきてくれた時は落ち込みが酷くて強い薬を服んで1日の半分以上寝ていて気付かなかったのだ。


 たまたま居合わせた善ちゃん先輩が対応してくれたらしくて申し訳なかったなと思った。その件に関しても謝罪も埋め合わせもしなかったけど映美子ちゃんは特に怒ってはいないようだった。


 映美子ちゃんはおれが駄目でも笑わない珍しい子だった。音楽をやる前からおれに好意を持っていて、離れる時はいつも大声で泣いていた。時計の電池を抜いて時間を止めるということも何度かしていて、そんな映美子ちゃんのことをおれはいじらしいと思っていた。


 でも、病気が悪化すると全部のことがどろどろに溶けて頭の中が砂みたいになってしまうのだ。おれは正気でいたいのに、おれ自身がそれを許さなかった。


 眠剤で気絶したように眠って、起きたらスポーツドリンクを飲んでトイレに行ってまた眠った。健康じゃないと何も出来ない。そういう時期が年に何度かある。これはそういうものだと思って波が過ぎるのを待つ。


 一週間後の早朝に目が覚めた時、世界がまともになっていた。ずっと引きこもっていたから健康のために近所を散歩した。帰ってきてから、パンをトースターで焼いてカルピスバターをひとかけのせた。お湯が沸いたのでドリップコーヒーを淹れてひと口飲んだ。


 その後、目を瞑って5秒数えてから新しいカレンダーをめくった。そこに描かれた海とスイカの絵を見て、もう夏が来るのか、と思った。


 食事を終えてから歯を磨いて、ギターのチューニングをした。それから、おれは歌い始める。誰かの救いになる曲を、おれの音楽を紡ぎはじめた。

自分の書いたキャラクターの中で榛名辿がかなり好きなので続きを書きました。評価やブックマーク、感想を貰えるとやる気が出ます。

下のリンクから前作の榛名辿の穏やかな日常に飛べるようにしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 辿さんの日常の続編が読めて嬉しいです!! 辿さん視点の周りの人達や世界が覗き込めて良かったです。
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